第2章:夏の魔物

第13話:時をかける症状

 目が覚めたら俺は真っ白な立方体の個室の中にいた。

 なんてことはなかった。

 なんてことはなかったのだが。

「うわあ!」

 寝返りを打った俺の目の前には美少女の寝顔があった。ぴんと伸びた長いまつげが窓から差し込む光できらきら輝いている。

 俺の叫び声で目を覚ましたのか、桃色の柔らかそうな唇がむにゃむにゃと動いて、まぶたがうっすらと開く。

 木下あかりだ。

 どうやら昨日の出来事は夢ではなかったらしい。

「ちょっと! なんでここにいるんだよ!」

「だってあの部屋なんか臭いんだもん」

 目をこすりながら、すねたように口を尖らせる。

 俺は大きくため息をついて、始まったばかりの夏休みの行く末を案じた。


 時をさかのぼること約十時間前。

 場所は父の書斎。

 目の前に突然現れた少女はどうやらやはり木下あかり本人のようだった。

「えっと、じゃあ話をまとめると、きみは徹の息子で、徹は十年前に行方不明になってて、あたしはビデオの中から出て来たってこと?」

 俺は神妙な顔でうなずく。

「んな映画みたいなことがあるかぁっ!」

「いや、でも……」

 テレビ画面に目を遣る。画面はやはり木下あかりが部屋に足を踏み入れたカット、つまり誰もいない廊下を映したまま静止している。

「これって、『道との遭遇』よね……。確かにあたしはこの映画の撮影中だった。このあと室内シーンの撮影を始めようってところだったの。で、部屋にいる徹が一連の事件の犯人であることを告発して……」

「して?」

 俺はつづきを促す。

 しかし先生役の男の人、どこかで見たような気がしていたのだが、まさか父だったとは。

「うーん」

 腕を組んだ木下あかりは考え込むように唸った。

「それがどうにも思い出せないのよね。その後、どうなるはずだったのか、映画はどういう結末を迎える予定だったのか、いくら考えてみても思い出せないのよ」

「木下さん……」

 そう言ってから俺は気づく。

「名前は? 覚えてますか? 調べたら何かわかるかもしれない」

「それはきみも知ってたじゃない。あかりよ。木下あかり」

「いや、役名じゃなくて、本名」

「あぁ……」

 木下あかりはなぜか少し照れたように言った。

「徹がね、お前の名前って役名みたいだよなーって言って、あいつ役名とか決めるの苦手でさ、それで、あたしの役名はいつも『木下あかり』だったのよ」

 うわー、なんか親父っぽい台詞だなそれ……。

 俺が苦笑していると、木下あかりが突然大きな声を出した。

「ちょっとなによ、やっぱり今は一九九五年じゃない!」

 その指の先、テレビ横の壁に貼りつけられているカレンダーに目を凝らす。

「えっ、ちょっと待って」

 今度は俺が困惑する番だった。 

 カレンダーの西暦の部分。そこには確かに一九九五年と書かれていたのだ。

 ってことは彼女がこっちに来たんじゃなくて、俺があっちに行っちゃったってこと!?

 慌てて携帯を探し、日付を確認する。そしてすぐに安堵の息を漏らす。深大寺から何度か着信があったみたいだけど、そっちはひとまず無視。悪いけど今はそれどころじゃない。

「ほら、やっぱり今は二〇一五年ですよ」

「なにそれ」

「いや、携帯電話ですけど」

 そうか、一九九五年ってことはまだ携帯電話はそんなに普及してないのか。

「えっと、簡単に言うと持ち運びが出来る電話」

 携帯電話を手に取りそれを眺める。木下あかりはしぶしぶ現実を受け入れたようだった。

「ふーん。ってことはいよいよあたしが未来に来ちゃった説が有力ってわけか」

 どうやらカレンダーが一九九五年になっているのは単なる偶然のようだった。しかし偶然にしてはよく出来ている。まるで時間がそのときから止まってしまったみたいだ。

 カレンダーをぱらぱらめくっていると、背後から声があがった。

「待って、そのカレンダー」

 駆け寄った木下あかりが俺の手を止める。

「ほら、これ、あたしが○つけたの。やっぱりこの部屋、あの部屋だわ」

 カレンダーの七月十八日の部分。そこに大きな赤丸がつけられていた。

「あの部屋?」

「徹の部屋。撮影現場」

 つまり、親父はこの部屋で幼少時代を過ごしたってことか。

 俺の知らない、俺を知らない父の姿。

 それを、この少女は知っている。

「そうだ、名前、訊いてなかったわ」

「……アキラです。結晶の晶で、アキラ」

「黒沢晶、か……きみもまた大層な名前つけられちゃったわね」

 そう言って彼女はひまわりみたいな笑顔を咲かせた。笑うと右の頬にぽこっと小さなえくぼができる。

「じゃあ、あたしはアキラって呼ぶから、きみもあかりって呼びなさい」

「いや、でも親父の同級生なんですよね?」

 すると木下あかりはむすっとした顔になる。

「少なくとも今のあたしはきみと同じ高校生の女の子だよ? 敬語なんて使われたらババア扱いされてる気分になるわ」

「はぁ」

「あかりチョーップ!」

「痛てっ。なんだよ急に!」

「そうそうそれでよし」

 あかりはきれいに並んだ歯を見せて満足そうに頷いた。

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