第9話:ボーイ・ミーツ・ガール
去年の夏、思い立った俺はビデオカメラを手にクラスの何人かに声をかけた。
「映画、撮ろうぜ」
声をかけられた連中はみな一様にぽかーんと口を開いた。何言ってんだ、って感じ。でも俺は本気だったし、俺にはカメラがあった。それから、そこらの大人と比べても映画を観ている自負があった。足りないものは何もないはずだった。
何人かが俺の熱意に首を縦に振った。それから、休み時間に放課後に、映画の話や脚本の話をした。サッカーや野球、バスケ等の集団スポーツは指をくわえて眺めているしかなかった俺にとって、それは初めて出来た仲間だった。楽しかった。人生で一番ってくらいに。
「それで、どんな映画を撮るんだ?」
「ボーイミーツガール。少年が少女に出会う話」
俺は言った。
「じゃあ、少なくとも二人の役者が必要だな」
役者探しは難航した。中学生といえば思春期のまっただ中で、自我は鋭利なナイフのように研ぎ澄まされているのだ。
「映画? やだよ恥ずかしい」
「ムリムリ、人前で演技するとか絶対ムリ」
「福士蒼汰が相手役ならやってあげてもいいけど」
結局少年役は俺が、少女役はクラスの女王的ポジションに君臨する二階堂がやることでどうにか落ち着いた。
二階堂は相手役が俺だと聞くと不満そうに顔を歪めたが、素人の、とはいえ映画の主演を張れるということを天秤にかけた結果、最終的には首を縦に振ってくれた。
そんなこんなでなんとか役者も揃い、そして夏休みがやって来た。
問題が起きたのは、撮影二日目だった。
主演の二階堂が撮影をドタキャンしたのだ。
「あっ黒沢? ごっめ~ん、今日彼氏とデートすることになったから撮影キャンセルで、よろしく~」
俺は絶句した。
ただでさえ一日目、二階堂はろくに台詞も覚えて来ておらず、予定していたシーンの半分も撮ることができなかったのだ。だから、「明日は挽回できるようしっかりと台本を読みこんでおいてくれ」と何度も念を押していたっていうのに……。
「二階堂、なんだって?」
スタッフの一人が心配そうに俺の顔を覗き込む。
「体調不良みたい」
俺は咄嗟に嘘をついた。
「悪いけど今日の撮影は中止にしよう」
だが、それからも二階堂はやっぱり台詞を間違えてばかりで、遅刻やドタキャンも直らなかった。そのうち現場からは徐々に夏休み前の熱はなくなっていった。むしろ白けたムードの方が濃厚になっていた。
そんなある日の撮影。
大事なシーンだから、と前日に念を押したにも関わらず時間になっても現場に二階堂は来なかった。またか、と俺は思った。慣れてはいけないことに、そのときの俺は慣れ始めてしまっていた。
だが、そこにはもう一人、スタッフの中島の姿もなかった。
「あれ、中島は?」
カメラの色味を調整しながら、俺は他のスタッフに訊く。
しかし、誰もが口をそろえて「知らない」と答えた。
嫌な予感がした。急いで中島に電話をかける。数回呼び出し音が鳴った後で、中島が電話に出た。少しだけ安堵する。
「中島? どうした? 今日、撮影だけど」
なるべく軽い口調で話しかける。空は雲ひとつない晴天だったけれど、通話口からはまるで雨が降っているみたいななざーっというノイズだけが聞こえた。じっとりと背中に汗が滲んでいくのがわかる。
「……二階堂は、今日来てるのか?」
ようやく発せられた中島の声は、何かを押し殺すように低く響いた。
「……いや、今日も休み、みたい」
「……そうか。悪いけど俺、降りるわ」
「降りるって……」
言い終わる前に電話は切られ、通話口からはツーッ、ツーッという機械的な音が繰り返された。
携帯を耳から話すと、他のスタッフが「どうだった?」と語りかけるような視線を向けてくる。どう答えたものかと逡巡していると、どこかから声が聞こえた。
「死んで」
感情のこもっていない、冷たい声。
「他人に迷惑をかける人間は死んだ方が世界のため」
声は、スタッフたちの方から発せられているようだった。
だが、当人たちは慌てたようにお互いがお互いに視線を向けるばかり。
「邪魔」
やがて海が裂けるようにしてスタッフたちの奥から一人の少女が顔を出した。
しばし目が合う。
海の底みたいに、青く澄んだ瞳。それがじとっとこちらに向けられている。
機嫌の悪い黒猫。
それが、第一印象だった。
小さな顔に不釣り合いなその大きな瞳は、しかしその美しさを台無しにするように眠たげに濡れていて、後頭部でくくられた腰まである艶やかな黒髪は、丁寧に手入れをされた血統書つきの猫の尻尾のように風に揺れていた。
黒いシックなワンピースからすらりと伸びた手足は白く透き通っており、そのコントラストが実物以上に彼女の存在感を大きく見せていた。
「……何をしてるの」
気づいたら俺は彼女に向かってカメラを回していた。
「え、映画を……撮ってるんだ」
「映画」
少女は俺のことばを反芻するように呟き、こくりと首を傾げる。
どうやらそれは問いのようだった。
その問いに、俺はとっさにこう答えていた。
「そうだ。きみの、映画だ」
「わたしの、映画」
俺は小さく頷く。
「わたしは何をすれば」
「少年と出会って、恋に落ちる」
「少年はどこ」
「ここにいる」
なるほど。そう呟き、少女はつかつかと俺の方に向かって歩いてきた。
ファインダーの向こうの少女が、徐々に大きくなっていく。
やがてフレームから姿を消し、そして――
「……!」
唇に何か柔らかいものが触れ、吐息が鼻をくすぐった。甘い、はちみつのような香り。
ファインダーの向こう、空の境界はうっすらと赤く燃えていた。
十四歳の夏。
俺はファーストキスを奪われた。
それが、俺と
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