契り
アルティア王国首都クノーケルよりちょうど真南に位置する街、城壁都市オレアン。
文字通り、街の周囲を三階建ての屋敷すら上回る高さの強固な外壁に囲まれた広大な街。
開戦後、バゼラン率いるアルティア軍がソレイユ城塞より以前に拠点としていたこの街はとうに陥落し、現在はガレイル軍の拠点となっている。
「どうだった? お坊っちゃまのお守りは」
「ひどいものだ」
ガレイル軍前線部隊の司令所として使われている、接収した市長邸。元は市長の執務室だったそこは司令室に名を変えている。
そして、今その中にいる人物は二人。
「人を人と思わず、ただ己の戦功のみに固執する。噂以上の小物だったな」
その内の一人、ブライスは大きなため息と共にそう溢す。
ある日突然「敵本拠攻略中のガレスを補佐せよ」と命じられ、渋々従ってみれば、そのガレスはこちらの言葉に耳を貸さず、敵はおろか気に入らなければ味方ですら安易に斬り捨てる、目も当てられない暗愚ぶり。
(……いや、異も唱えずにあの兵を処断した私も大概か)
敗戦の直前、陣地で自分が斬ってしまった兵士のことを思い出す。
何を言っても無駄ではあっただろうが、それでも自分ならば他にやりようはあったはず。
それをしなかったのは、自身の怠慢に他ならない。
出陣の直前、陣地に残る守備兵には丁重に弔うよう頼んでおいたが……恐らく、彼らも今はアルティア軍の捕虜となっているだろう。
「ふーん。でも、それでも敵を押し潰せる程度の数は宛がわれていたのよね? それでも負けたのは予想外だったわ」
質の良い革のソファに腰掛けたブライスに水差しから碗に水を注いで差し出しつつそう訪ねるのは、妙齢の女性。
肩にかかるサラサラとした銀髪と、首から下をすっぽりと覆う黒のローブが特徴的な、やや細めの眼の美人。
「ああ。王女が合流したことで敵の士気が上がっていたのもあるだろうが……それ以上に、切れ者の存在が大きいようだ」
「切れ者?」
「敵の中に一人、ヒノモトの武人――『武士』といったか? それがいた」
「そいつが、その切れ者だと?」
「恐らくな。あのような戦術、この大陸では見たことがない」
その戦術により、数で圧倒的に勝るガレスの部隊は壊滅した。
ガレス自身が招いた結果ではあるものの、彼が術中に飛び込むよう誘導されたということもまた事実である。それも、どうすれば彼が自ら飛び込んできてくれるのかを的確に見抜いた上で。はっきりいってただ者ではない。
「次は我らが出るぞ。隊に準備をさせておいてくれ」
「それはいいけど、司令には?」
「これから報告がてら進言する。今はどこにいる?」
「たぶん、地下にいるわ。最近は『実験』にご執心だから」
「……そうか。レイサ、君も準備は入念にな。寡兵と侮ると、こちらが大火傷を負うことになるぞ」
「わかったわ」
女性――ブライスの補佐であり妻でもあるレイサが頷くのを確認すると、ブライスは貰った碗のみずを一息に飲み干した。
□□□□□□
「――ふぅ。こんなところかしら」
ソレイル城塞の自室。
朝から机にかじりつき、山積みの羊皮紙とにらめっこ。
各種報告書や各将、各部隊からの陳情書、避難民からの要望を纏めたものまで、記されている内容は様々である。
一枚一枚目を通し、署名が必要なものには羽ペンでサラサラと書き込んでいく。
その単純作業をひたすらに繰り返し、ようやく一区切りついたところで、ラピュセルは大きく伸びをした。
どれ程の時間座りっぱなしだったのか、身体中が固く、所々が軽く痛い。
と、不意に扉がノックされる。
「どうぞ」
「失礼いたします」
そう前置いて入ってきたのはルシフォール。その手には、一束に纏められた羊皮紙が握られている。
「……まだあるの?」
「は?」
やっと一仕事終えたと安堵した矢先の新たな書類に、いい加減げんなりとした。
が、ルシフォールは苦笑しつつそれを否定する。
「ああ、いえいえ。ご安心を。これは別件です」
「別件?」
「はい。例の、彼の報酬ですよ」
「あ……」
報酬という言葉に、思わず声を漏らす。
報酬とはもちろん、武蔵への報酬である。ラピュセルを護衛し、無事にここまで送り届けた彼への。
「私が届けてもよかったのですが、彼と契約したのはラピュセル様ですから。直接お渡しになられた方がよろしかろうと思いまして」
「……そうね。ありがとう、大変だったでしょう?」
「それはもう。まあ金子もカツカツな現状ですから、金銭を要求されるよりは幾分気楽ではありました」
イタズラっぽく笑うルシフォールとは対称的に、ラピュセルの笑みは浮かない。
「では、確かにお渡ししましたので。ああ、内容は我らにとっても有益ですので、ラピュセル様も一度ご覧になられるといいですよ」
「ええ。ありがとう」
「それでは」
パタン、と。ルシフォールが静かに扉を閉じた後、ラピュセルは渡された羊皮紙の束をしばらくじっと見つめ、力なくパラパラとめくっていく。
「……渡さなきゃ、ダメよね」
彼は完璧にこちらの依頼を果たしてくれた。そればかりか先日の戦いでは、武ばかりかその智でもって、大きな一勝を与えてくれたのだ。
本音を言えば、彼を、武蔵を手放したくはない。
千を越える人々の命運を預かる身からすれば、武蔵程の人材を欲するのは当然である。
だがこれを渡せば、彼がここにいる理由はもう無くなってしまう。
「――ダメダメ!」
束を横のベッドの上に一度置き、ラピュセルは両手で頬をパン、と軽く叩く。
ここでこれを渡さず隠すのは信義にもとる。何よりも、武蔵に対する最大の裏切りである。
それだけはしたくないし、してはいけない。
「……そう言えば、テンマはどこかしら」
羊皮紙の束を手にとって扉を開けてから、今日はまだ武蔵を見ていないことを思い出した。
□□□□□□
「……いた」
広い、とにかく広い砦の中、武蔵を捜し歩いて数刻。やっとその姿を二階の連絡通路から中庭を見下ろしたときに見つけたのは、既に日が傾きつつある時。
やっと見つけた安堵感と、見つけてしまったという相反する気持ち、そして少々の疲労感がない交ぜになった感情が、その一言には込められていた。
すれ違う兵たちの敬礼への返礼もそこそこに、ラピュセルは近くの階段から一階へと降り、中庭へと通じる門を開く。
(何をしているのかしら?)
普段は兵士たちの調練場として使われている中庭。
その片隅で、武蔵は一人立っていた。正面に訓練用の、敵に見立てた木製の人形を立てている。
剣の稽古だろうか。それにしては抜刀しておらず、どころか刀を抜くそぶりすら――
「っ!」
閃き。
刹那、人形の胴体、中心部から上部が斜めにずり下がり、ズシンと重い音をたてて地に落ちる。
(やっぱり、凄い……)
改めて武蔵の剣技を見て、やはりそう思う。
あの人形は外見こそさほど太くはないが、度重なる訓練にも耐えられるよう中に鉄筋を仕込むなど、かなり頑丈に作られている。それを、ただの一振りで容易く両断してみせたのだ。
「どうした?」
「あ……」
美しさすら感じさせる動作の流れるような納刀に見入っていると、こちらに気がついた武蔵が歩み寄ってきた。
……渡さなければ。
「遅くなってごめんなさい。これ、例の報酬よ」
「! そうか、礼を言う」
束を手渡すと、武蔵はすぐにパラパラとそれをめくり出した。真剣な表情でかなり細部に渡って書き込まれている(そのため、ラピュセル自身はまだほとんど見ていない)それを、じっくりと読み込んでいる。
「捜しているの、確か親の仇だと言っていたわよね?」
「ああ。ここに来る以前、名うての情報屋からそいつがガレイル帝国にいると――」
武蔵の言葉はそこで途切れた。羊皮紙をめくる指の動きも同時に止まり、上から下へと流れていた瞳の動きも止まっている。
「……もしかして」
「ああ……当たりだ」
ビンゴだったらしい。
ガレイル帝国の同盟国と、そこからガレイル帝国に出向いてきている人物のリスト。
ルシフォールはアルティア軍一の知恵者で、戦闘はからっきしだが、特に情報収集を得意とする参謀である。
今回も一体どうやったのかはわからないが、見事武蔵が欲していた情報を探し当てたようだ。
「そう……じゃあ、これで本当に、契約は完了ね」
「そうだな」
羊皮紙の束を丸めて懐にしまう武蔵に、ラピュセルは努めて平静に告げる。二人の関係の解消を。
「今まで本当にありがとう。あなたがいなかったら、きっと私はここにいなかった」
それは純然たる事実。
武蔵と出逢わなければ、あの日、王城から脱出した日の夜、既に自分は死ぬか、囚われの身となっていただろう。
「あなたの戦いを手伝ってあげることはできないけれど。せめて、あなたの仇討ちが成功することを祈っているわ……それじゃあ、元気でね」
矢継ぎ早に言い終えると、ラピュセルは武蔵に背を向けた。ともすれば零れてしまいそうな感情を悟らせて、困らせないように。
一刻も早く彼の前から去ろうと足早に歩きだし――
「その仇なんだが」
その背中に、武蔵の声がかけられた。思わず立ち止まり、ほんのわずか顔を向ける。
「これによると、どうも今はガレイル軍の客将として、アルティア国内にいるらしいんだ」
「……そうなの?」
予想していなかった言葉に、今度はそちらを完全に振り向いた。
ガレイル帝国に出向いている人物のリストなのだから、その仇は当然ガレイル帝国にいるだろうことはわかる。だが、まさかアルティア国内に来ているというのはさすがに想像していなかった。
「ガレイル帝国内なり王国内のどこかにいるということならやりようはあるが、軍の中にいるとなると」
「あ、そうか。近づくことは容易じゃないわね」
そうだ。軍内部にいる人間相手に、なんの後ろ楯も対抗手段も持たない個人が近づくことなど、普通はできない。
「でも、じゃあどうするの? せっかく仇の居場所がわかったのに」
「それなんだが……手は考えてある」
「そうなの? 相変わらずというか、やっぱり凄いわねあなた」
「凄いかどうかはわからんが」
知勇を兼ね備えた人物であることはわかっているので、さほど驚きはしなかった。
「そこで、一つ頼みがある」
「なに? 私でできることなら何でもしてあげるわよ」
「というより、ラピュセルにしかできないことだ」
「? なにかしら?」
怪訝に思って聞き返す。
武蔵は何やら意味ありげに一拍の間を置いて――
「俺を正式に、お前の臣下にしてくれ」
――そんなことを、のたまった。
「……え?」
今、自分は何と言われたのか。
「奴はガレイル軍内部にいる。ならばこちらも同じ手段を取れば、近づくのは容易くなる。入る所は、奴にとっては敵軍だがな」
「ちょ、ちょっと待って!」
理解が追い付かないまま言われても混乱する。
ラピュセルは慌てて武蔵に待ったをかけた。
「え、えっと。さっきあなた、何て言ったの?」
「正式に、お前の臣下にしてほしいと」
「正式に、私の……?」
今度はややゆっくりと、武蔵は改めてそう答えた。
その言葉に、ラピュセルの胸の鼓動が早まる。
「その、理由は?」
「奴がガレイル軍にいるのなら、こちらはアルティア軍に入る。そうして戦いつづければ、あるいは奴も出てくるかもしれないからな」
それは、確かにその通りかもしれない。だが。
「でも、それならガレイル軍に志願した方が早いんじゃ……」
そう。その仇がガレイル軍にいるのだから、そちらに直接乗り込んだ方が合理的なはずなのである。
「それはそうだが、前の戦で俺の顔は敵に割れているだろう?」
「あ……」
そうだった。
先日の戦いで、武蔵は撤退したブライスという騎士に顔を見られている。まして、彼の出で立ちはかなり独特である。仮に顔を見られていなくとも、敵対していたことはすぐにわかるだろう。
「でも、それならまた新たに契約すればいい話だと思うけど、その……何で、『正式に』臣下に……?」
「ああ」
一番聞きたいのはそこである。
何故武蔵は、『正式に』という台詞を加えていたのか。
尋ねると、武蔵にしては珍しく、やや視線を泳がせていた。
そして。
「その、なんだ……仕えたいと、思ったんだ」
「え?」
また、鼓動が高鳴った。
「一緒に行動して、王女としてのラピュセルを知って、思った」
表情は変わらないものの気恥ずかしいのか、やや顔を赤らめているのがわかった。
「こんな主君に仕えられたら、武士としてこの上ない幸せなんじゃないかと」
「っ」
その言葉は、反則だ。
「だから、俺の仇討ちが終わった後も、あるいは仮に仕損じたとしても。お前の――いや、ラピュセルの臣下として仕えることができるのなら……って」
こちらの様子に気がついた武蔵が、思わずといった様子で言葉を切った。
わかっている。自分は今、大粒の涙を流している。ぽろぽろと、止めどなく。
止まらない。止められない。けれど、止めなくてもいいのだと。それを実感すると、もう無理だった。
「……約束して」
武蔵を引き留めたかった理由。
その剣の腕。その知識と智恵。
そんなものは、おまけでしかなかった。
ただ、自分は。
「必ず、最後まで。生きて、私と一緒に戦い抜くと」
ただ、自分は。
武蔵と別れたくなかっただけなのだと。
そう、はっきりと自覚した。
「心得た」
真顔で静かに泣きじゃくるラピュセルに何も言わず。
武蔵はただ一言、そう答えた。
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