策謀①
「伝令! 伝令!」
早朝。夜通しの守備任務にうとうとと船を漕ぎ始めていたソレイル城塞城門守備兵は、その叫び声で飛び起きた。
「ガレイル軍に動きあり! 開門されたし!」
門の向こうから馬上でそう叫ぶ早馬の兵を確認すると、守備兵はすぐさま門を開いた。
□□□□□□
「敵が動いた」
軍議室に一同が集まるなり、バゼランは開口一番そう告げた。
机上には地図が広げられ、その地図の一点をルシフォールが指差す。
「現在敵が拠点としているのがここ、城壁都市オレアンです。偵察からの報告では、夜明けと共に敵の大軍が移動を開始したとのこと」
その街は、ここソレイル城塞から西北西に位置している。距離にして、徒歩でおよそ三日程。大軍となればもう少しかかるだろうが、それでも七日のうちには到達するだろう、とはバゼランの談。
「敵のおおよその数は?」
「報告では、およそ二万五千とのことです」
ラピュセルの問いに答えたルシフォールの言葉に、出席していた各部隊長たちからどよめきが上がる。
「二万五千……!」
「こちらの十倍近い戦力じゃないか……」
隊長らの動揺も仕方のないこと。
誰かが言った通り、アルティア軍の残存戦力はおよそ二千七百。相対するには、前回以上に数に開きがあった。
「さて、その対策も含め、今後の方針を決めるぞ」
バゼランのその発言で、ざわめいていた軍議室に静寂が戻った。
□□□□□□
ルシフォール
「ではまず、この地図をご覧ください」
ラピュセル
「これは、オレアンからこの辺り一帯までの地図ね」
マーチル
「この赤いラインは?」
ルシフォール
「敵進軍経路の予想図です」
ウィル
「オレアンから真っ直ぐ、ですね」
ルシフォール
「はい。ここソレイル城塞は三方を崖に囲まれた天然の要塞です」
バゼラン
「加えて、唯一の出入口である城門に至る道は、左右を深い森林に挟まれている」
部隊長
「よく考えれば、前回の戦場と似かよった地形ですな」
バゼラン
「そういうこった。整理してみれば、ここがどれだけ守りに適した地形かが改めてわかるもんだな」
マーチル
「ですが逆に言えば、いざというときの退路も無いのでは?」
ウィル
「た、確かに……」
ルシフォール
「どのみち既に消耗戦です。であれば、無い退路に嘆くより、勝って道を作り出すことを考えるべきでしょう」
ラピュセル
「その通りよ。その方がよほど健全だわ」
ルシフォール
「話が逸れましたね。本題に戻りますが、このまま予想通りに敵が進んだ場合、砦への到着予定はおよそ七日後」
マーチル
「こちらが迎え撃つ場所はどちらに? 前の戦い以前は
バゼラン
「オレアンからの街道は、途中までは南側に草原が広がってるだろ?」
ウィル
「だがそこを越えると、先程話した通り、街道は左右を深い森林に挟まれる」
マーチル
「では、迎え撃つのはその草原と森林の境目付近に?」
ルシフォール
「そこが妥当でしょう。草原で戦っては、瞬く間に数で押し潰されます」
部隊長
「では、また前回のように」
ルシフォール
「ええ。ここなら敵が一度に戦える数を制限できます」
マーチル
「ですが、やはりそれだけでは……」
バゼラン
「ああ。負けるのはこっちだろうよ。士気の高さで多少は長く戦えるだけでな」
ウィル
「それに、確か今度の敵には魔導士がいるらしいとか」
バゼラン
「そこなんだよなぁ。厄介なのはよ」
ルシフォール
「敵の魔導士がどの程度の規模なのかは不明です。が、こちらより多いと見ておくべきでしょう」
バゼラン
「もちろん、魔導士には魔導士で対抗するしかない。マーチル、頼むぞ」
マーチル
「は、はい!」
バゼラン
「ルーミン。お前はマーチルを援護してやれ」
ルーミン
「…………」
ウィル
「ルーミン?」
ルーミン
「――ふぇ? あ、う、うん。わかった」
マーチル
(ルーミン?)
ウィル
「しかし、二人が隊の指揮に回るのなら、ラピュセル様の護衛はどうするのです?」
ラピュセル
「そのことなんだけ
□□□□□□
「入って」
ラピュセルが扉に向かって声をかけると、その扉がガチャリと開く。
そこにいたのは、もちろん武蔵。
既に報酬は渡されたことはルシフォールを通じて知られているので、ラピュセル以外の誰もが一様に驚いた表情をしている。
「テンマさん?」
「なんだお前さん、まだ残ってたのか?」
「ああ」
マーチルとバゼランに頷きを返しながら、武蔵はラピュセルの隣まで歩み寄る。
「おい、もうお前は完全に部外者だろ。さっさと――」
「ウィル」
嫌悪感を隠そうともせず武蔵に食って掛かるウィルを、ラピュセルはただ一言で黙らせる。
どうも彼は、何かと重宝されていた武蔵のことが気にくわないらしい。
時間ができたら、一度きちんと話し合った方が良さそうだ。
だが、今は皆に伝えなければならない。
「皆にはまだ伝えていなかったけれど。昨日より彼――テンマムサシは、正式に私の臣下になりました」
「え!?」
「ホント!?」
その事を伝えると、またも場がざわついた。
特にマーチルとルーミンの反応は大きく、ルーミンなどなにやら浮かない顔だったのが嘘のように笑顔が弾ける。
「テンマっち、これからもいてくれるの!?」
「ああ。以後は末席に加えさせてもらう。よろしく頼む」
「うん! ぃやったー!」
「こ、こらルーミン!」
今にも跳びはねんばかりの喜びように、たまらずマーチルが諌めにかかる。
「バゼラン、ルシフォール。貴方たちに異存は?」
「私は特に。むしろ願ったりですよ」
「まああるはずは無いがよ。お前さんは本当にいいのか?」
「無論だ。経緯は後で説明する」
「そうか。それじゃあまあ、よろしく頼むわ」
バゼランが差し出した手に武蔵も応え、二人は固く握手を交わす。
「よし。それじゃあ、本題に戻るわよ」
好ましい光景に満足すると、ラピュセルは場を引き締めにかかった。
□□□□□□
ラピュセル
「私の護衛の話なんだけど、それは引き続きムサシに任せようと思う」
マーチル
(あ、呼び方がファーストネームに)
バゼラン
「そうだな。テンマが姫さんに着いててくれりゃあ、こっちも指揮に集中できる」
武蔵
「心得た。それと、俺のことはムサシで構わない」
バゼラン
「そうか? いや、そうだな。ならムサシよ、姫さんは頼むぞ」
武蔵
「承知」
ルシフォール
「ではラピュセル様の御身はそれでよろしいとして……地図のこちらを」
ラピュセル
「そこは?」
ルシフォール
「ここから北北西に位置する鉱山です」
マーチル
「鉱山?」
ルシフォール
「と言っても、既に廃坑ですがね」
ラピュセル
(あれ? もしかして、ここに来る時に私たちが通ってきたのって……)
ルシフォール
「この鉱山には幾つか坑道が掘ってあり、出入口も複数あるのですが、うち一つが、ここです」
バゼラン
「ふむ。山の西側か」
ルシフォール
「はい。そして、敵進路のちょうど北側になります」
ウィル
「……あ、なるほど! こちら側の入り口から坑道に入ってそちら側から抜けられれば!」
ルシフォール
「はい。うまくすれば敵の側面、あるいは背後から奇襲することができます」
ウィル
「しかし、それならわざわざ坑道を抜けずとも、手前の森の中を通ればいいのでは?」
バゼラン
「だめだな。極少数ならともかく、ある程度の規模の部隊が潜むには木々も茂みも足りない」
ルシフォール
「ええ。森が深くなるのは砦の近くになってからです。敵に見つからずに進むのは難しいでしょう」
ラピュセル
「確かに、ね。ここへ向かう途中に見たけど、森という割には見通しがきいていたわ」
バゼラン
「そういうこった。で、奇襲部隊が狙うのは敵魔導士だな」
ルシフォール
「はい。敵の魔導士さえ潰してしまえば、こちらの魔導士隊を憂いなく展開できますので」
マーチル
「本隊はどう動くのですか?」
バゼラン
「迎撃地点に防御陣を敷いて、守りに徹する」
ルシフォール
「そうですね。万が一抜かれてしまえば、後方のラピュセル様と魔導士隊が危うくなります」
ウィル
「なるほど。では、奇襲する部隊の人員は?」
ルシフォール
「各部隊から精鋭を選抜します。数は……そうですね。七百というところでしょうか」
バゼラン
「坑道なら、さほど広くないだろうからな。そこらが限界か」
ラピュセル
「…………」
ウィル
「ラピュセル様? どうかされましたか?」
ラピュセル
「……その奇襲部隊のことなんだけど」
ルシフォール
「何か異論がおありで?」
ラピュセル
「いえ、異論は無いわ。いい考えだと思う」
ルシフォール
「ありがとうございます。前回はテン……ムサシ殿にお株を奪われてしまいましたからね。私もうかうかしていられません」
バゼラン
「で、姫さんは何を考えてるんですかい?」
ラピュセル
「その奇襲部隊、私に指揮を執らせてもらえないかしら?」
□□□□□□
七日後。
その日は、よく晴れていた。
遠くには、以前ガレスが敷いていた陣の跡地が見える。
当然接収し、守備兵は捕虜に、残っていた物資や食糧はそのままいただいた。
「――敵、接近!」
そこに、兵士の緊張した声が響く。
街道の向こうから、視界一杯に鎧の黒を鈍く光らせ、街道をはみ出し草原にまで広がり悠々と進軍してくるガレイル軍。
「ちっ。わかっちゃいたが、やはりあの数は面倒だなおい」
馬上で吐き捨てると、バゼランは馬首を回頭させ、背後で整列し命令を待つ兵たちを見やる。
軍列の中程にルーミンが、後方にはマーチルがそれぞれ騎乗し、バゼランを注視していた。
「将軍」
「おう」
隣のウィルに促され、バゼランはすぅっと大きく空気を吸い込み。
「野郎ども!!」
かつてない声量で激を発した。
「彼我戦力差は十倍、だがそれはただの数字に過ぎん! 俺が鍛え、ここまで生き残ってきたお前らだ! やれるな!」
「「おおーー!!」」
バゼランは思わず破顔する。
あの敵の威容を見ても、怯んでいる様子はない。
あるいはやせ我慢かもしれないが、以前はそれすらできなかったことを思うと、たいした持ち直しようだ。
マーチルとルーミンに視線を向けると、二人とも力強く頷いた。
「ふっ。ガキ共の成長ってのは早いもんだ」
「敵軍、抜剣! 来ます!」
報告に表情を引き締める。
振り向けば、剣を抜き、槍を掲げた敵軍が鬨の声を上げ、こちらへ殺到してきていた。
「やるぞ野郎ども!」
「全軍、抜剣!」
剣の刃が一斉に鞘走り、槍の穂先が整然と敵軍に向けられる。
弓兵が続々と矢を番え、魔導士隊が口々に呪文を唱え出した。
(姫さん、頼みますぜ)
「全軍、迎撃開始!」
内心でラピュセルに命運を託すと、バゼランは目前まで迫るガレイル軍を睨み、命令を発した。
□□□□□□
「我が軍本隊、敵軍と交戦を開始したとのこと!」
「始まったのね……」
廃坑を進み始めてから丸二日。
遂に届いたその報せに、ラピュセルは知らず拳を握る。
ラピュセルの予想通り、この廃坑は以前、砦へ向かう際に通った廃坑と同じ場所だった。
砦から廃坑まで距離があったため、ラピュセル率いる奇襲部隊は、五日前には砦を出陣している。加えて廃坑の坑道はやはり悪路続きで、部隊には既に疲労の色が濃い。
だが、戦いは始まってしまった。ならば、もう進むしかない。
「皆、目的地まであと少しよ! 頑張りましょう!」
「「おおっ!」」
少しずつ落ちてきているペースで歩く兵たちを励ます。
事実、ルシフォールが調べた記録によれば、この先にある広場まで出れば、そこから枝分かれする道の一つが目的地までの道であり、かつ出口もすぐ先にあるという。もう少しの辛抱なのだ。
と、前方から兵たちの動きとは逆にこちらに向かってくる人影。
武蔵である。
「ラピュセル。先行していた兵たちは、先程広場に到着した」
「そう。なら、私たちもすぐ合流できそうね」
その報せに、小さく息を漏らす。
前回とは向かう方角が違うため、今歩いている道も前回とは違う。
今回は記録に残されていた地図があるため迷う心配は無かったが、それでも正しい道を進んでいたことがわかると安心する。
「今更だが、本当に良かったのか?」
「ええ」
武蔵の問いには、迷うことなく頷いた。
七日前の軍議。
奇襲部隊を率いたいと申し出た直後、案の定皆から反対された。
当然だろう。奇襲とはいえ総大将が自ら敵の中枢に斬り込むなど、本来なら下策もいいところなのだ。
「あの場でも言ったけれど、これが私の覚悟なの」
この戦いは、祖国を取り戻すための戦いなのだ。
だというのに、王族である自分が血を流さず、血に汚れずしてどうするのか。
兵士たちとて民の一員。その民にだけ苦難を強いることなど、ラピュセルには我慢ならない。
「私は、ただ担がれるだけの旗になる気はないわ」
「そうか」
改めてそう説明すると、思いの外あっさりと武蔵は頷き、再び兵士たちと共に歩き出していく。
「……そう言えば、貴方は軍議の時も特に反対はしていなかったわね」
「だからといって賛成している訳ではないぞ」
「うぐっ!?」
無意識に、彼は無条件の味方だと思い込んでいたらしい。
だが、本来賛成できる訳がないことなのだ。その意見は当然である。
「ただ」
と、前を歩く武蔵が肩越しにこちらを振り向いて。
「どこまでも民想いなところがラピュセルで、俺はその『らしさ』に惚れて臣下になったからな」
――とくんっ
「なら、俺はその主君にかかる火の粉を斬り払うだけだ……どうした?」
「――なんでもない」
思わず下を向き、早足で武蔵を追い抜く。
先日もそうだが、この人は自覚のない不意打ちがずるい。
「ラピュセル様」
と、今度は前から一人の兵が小走りに駆け寄ってきた。
咳払いし、どうにか平常心を取り戻す。
「どうしたの?」
「はっ。広場に到着した者たちからの報告なのですが――」
□□□□□□
「これは……」
報告を受け急ぎ広場に駆けつけて、思わず呟く。
そこには、もうもうと何かの埃が舞い、広場中に立ち込めていた。視界すら霞む程の粉塵である。
「始めからこうだったの?」
「いえ、そうではないようです。突然不自然に砂ぼこりが舞い上がったと」
一応は外と繋がる出入口が複数ある以上、空気の流れも当然ある。
だが、こんなにも埃が舞うほどの早い流れなどあり得ない。
「どういうことかしら……ムサシ?」
「…………」
ふと、隣で武蔵が難しい顔をしていることに気がついた。
声をかけるが、よほど集中しているのか、反応は返ってこなかった。
□□□□□□
何かが引っかかる。
立ち込める砂埃と、ざわめく兵士たちを見やりながら、武蔵は懸命に思考を巡らせる。
昔、父から教えられた知識。その中に、こういった場所、場合のものがあったはずなのだ。
それも……とてつもなく、良くない類いのものが。
「ムサシ?」
「……すまない」
不安そうにこちらを見上げるラピュセルを片手で制する。
主君に対する態度ではないことは重々承知しているが、今はこの思考に集中しなければならなかった。
状況を整理する。
まず、ここは鉱山の廃坑。
今この場には、ラピュセルを含めたアルティアの兵士、奇襲部隊が七百人。
一時の集合場所であるこの広場に、突如舞い上がった不自然な砂埃。
砂埃……粉塵。
「ラピュセル様。あそこに魔導具らしき物が」
「魔導具?」
兵の新たな報告。
その指差す方に視線をやると、岩影に手の平大の珠が転がっていた。
まるで隠すように。
と、ちょうど近くにいた別の兵が、その珠を拾おうと近づいていく。
「…………」
嫌な予感がした。
確か魔導具とは、魔導士が様々な魔法を封じ込めた珠のこと。信号珠などもその一種だったはずだ。
(考えろ……思い出せ……!)
沸き出す焦りを必死に抑え、記憶の底を洗い出す。
鉱物資源を採掘する際には、いくつか注意しなければならないことがあったはず。
肝心のその内容は何であったのか。
「ごほっ、ごほっ!」
周りでは、幾人かの兵たちが咳き込んでいた。
それ程の埃が舞っているのである。
(埃……粉塵……粉塵!?)
不意に思い出す。
鉱山において最も危険なこと。それは、今のような粉塵が舞う場所に身を置くこと。
その中で、絶対にやってはならないこと。それは――火を着けること。
そして、今まさにあの兵士が拾おうと手を伸ばしているのは、魔法を封じた魔導具。
「――それに触るな!! 罠だ!!」
叫ぶ。
だが――遅かった。
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