賭けの攻勢④

 ガレイル帝国は、とかく武を重んじる。

 教育で民に武術を叩き込み、政で軍事力を肥大化していく。

 強者必栄。ガレイル帝国では、全てがただ「強い」ことで解決される。

 弱者必衰。ガレイル帝国では、弱きは絶体悪として情け容赦なく淘汰される。




「クソが!」


 胸中のむかつきをはらすように、馬に必要以上の力で鞭打つ。

 ガレスの苛立ちは、今日の戦よりずっと前から既にあるものだった。

 マシアス家。ガレイル帝国で名門と名高い貴族。ガレスの祖父が挙げた功績により成り上がり、父がその地盤を磐石にした。


「チンタラしてんじゃねー! もっと飛ばせ雑魚どもが!」


 遅れながらも必死についてくる配下の騎兵隊を怒鳴りつける。歩兵隊は既にはるか後方だが、ガレスの目にはもう映っていない。


 ガレスは、無能の烙印を捺されていた。

 貴族としての礼儀作法を守れず、武術の才は武門でありながら致命的に不足していたために。

 それでも将として一軍を任されたのは、彼の祖父と父の功績によるところが大きい。

 しかしその事実が、元より長くはなかった彼の気を更に短いものにしていた。


「ふざけるなよ……ふざけるなよ!」


 ガレスにとって、この戦は最大のチャンスのはずだった。

 ここで戦功を挙げれば、自分を無能と蔑んだ周囲の連中を少しは見返すことが出来る。

 だが蓋を開ければ、各地の戦場で敗北を喫したのはガレスのみ。

 対峙した敵がバゼランであったことが最大の要因ではあるが、そんなことはガレイル帝国では通用しない。


「弱者の分際で……人様の道行きを邪魔するんじゃねえ!」


 あまりに理不尽で独りよがりな怒りは、ガレスの焦りの証でもあった。



□□□□□□



「敵騎兵、接近!」


 報告に、ラピュセルは顔を上げた。

 正面遠方。もうもうと巻き上がる土煙。視界に映る敵騎兵隊。その先頭をひた走る騎影。

 距離はみるみる縮み、次第にその人相が鮮明になっていく。


「あれが、ガレス……」


 見るからに憤怒の形相をし、茶の長髪を不乱に靡かせる男。

 あの男が、敵将ガレス。撃ち崩すべき、最初の壁。




□□□□□□




「貴様がアルティアの王女か!」

「そうだと言ったら?」


 間道の奥の開けた場所。三方を崖に囲まれた広い空地。そこで待ち構えていた一軍。その先頭で白馬に跨がる金髪の娘。

 やや離れた位置で馬を止め、溢れる怒りのままに声を張り上げるも、娘は忌々しいほど涼やかに答えた。


「知れたこと! さっさと降伏してその首を寄越せ! いくら悪あがきしようが、てめえらの国はもう滅びてるんだ!」


 それは厳然たる事実。

 国王が死んだ以上、既に王国としての体制は崩壊している。目の前の連中は、もはや単なる残党でしかない。

  だが。


「いいえ」


 娘はそれを否定する。

 現実逃避でも強がりでもなく、はっきりとその瞳に一つの意志を宿してガレスを睨み返してきた。


「まだ私は生きている」


 王族に連なる者。

 アルティア王国王女、ラピュセル・ドレーク。

 ただの小娘。儚く脆く、だというのに帝国に弓を引く愚か者。


「ならば今すぐ――」


 であれば、ここでこの娘を仕留めれば、これまでの失態を帳消しにするだけではとどまらない。それこそ、ガレスが欲した結果を得られる。そして、それは今目の前に。

 ――その焦りが、己の致命傷だと自覚できないまま。


「ガレス様、いけません! これは敵の――」

「ここで死ねぇ!」


 追い付いてきた側近の必死の制止も、もはや――最初から――意味をなさず。剣を抜き、ガレスは馬を走らせて。


 矢が、降り注ぐ。




□□□□□□




 憤怒のままに剣を抜いたガレスを見てとり、ラピュセルは左腕を高く挙げ、一拍の後、地に水平に振り下ろす。

 刹那、背後の崖上に潜んでいた、ルーミン率いる弓兵隊が一斉に矢を放った。

 全ての矢が、敵将ガレスの機先を制するように、彼の進路上に突き刺さる。


「くそ、小賢しいんだこむす――」

「ガレス様!?」


 ガレスの言葉を遮ったのは、側近と思しき騎士の、焦りを滲ませた叫びだった。

 その答えは、彼らの背後。


「よう、小僧」


 不敵に笑い仁王立つ、バゼランの姿がそこにあった。


「野郎ども!」

「「おおおおー!!」」


 鬨の声。

 同時、今しがたガレスが抜けてきたばかりの左右の森から、バゼランの部隊が躍り出て、道を完全に塞いでいた。


「なっ……!」


 ガレスの怒りの形相は、途端に驚愕へと変わる。

 事ここに至り、彼はようやく己の過ちに気がついたのだろう。

 自分は今後方の味方と分断され、孤立した挙げ句包囲されたのだと。


「今こそ敵指揮官を討つ好機だ! 後方の敵は絶対に通すな!」


 ウィルの激が飛び、部隊の一部が展開。遅れてやってきた敵軍と激突。同時に、森の中からおびただしい数の光の珠が飛来。敵軍の中に吸い込まれるように飛び込んでいき、直後に小爆発を起こす。マーチル率いる魔導士隊の魔法である。


「貴様ら……嵌めやがったな!!」

「やっと気がついた?」


 手綱を繰り、すっかりラピュセル専用となった白馬エルフィンを数歩進ませる。

 ラピュセルを睨むガレスの表情が限界まで険しくなった。


「なら、さすがにもうわかるでしょう? もはやあなたに勝ち目はない。おとなしく投降しなさい」


 ここでガレスを討ち取ることはもはや容易い。だが生け捕りにして尋問すれば、敵軍の情報を得られるかもしれない。

 情報というものは、時に万の軍にも匹敵するほどの価値を持つ。まして敵の情報を得る術がほとんどない現状では尚更である。


「はっ? で、投降すれば命は助ける、てか?」

「ええ」

「……ふざけるな!」


 激昂した。

 案の定と言えば案の定の反応。ラピュセルはガレスから目を離さないまま、右手でそっと後方の味方に合図を出す。


「敗軍の将の分際で『降伏しろ』だ? 何様のつもりだ小娘が!」

「……この状況で、まだ抵抗するつもり?」


 プライドの塊のような男であるガレスにとって、狩る者から狩られる者に立場が逆転したこの状況はとことん気にくわず、認めたくないのだろう。

 客観的な状況判断が出来ず、自身の感情を最優先に行動する。それが、このガレスという男だった。到底一軍の指揮官を務める者の器ではない。


「バカが! 例え一人だけだったとしても――貴様を斬れば、その瞬間に俺の勝ちだ!」


 言うなり、ガレスは馬に鞭を打って走らせる。その先には、当然ラピュセル。

 ガレスにしてみれば、話の途中で仕掛けることで不意を打ったつもりなのだろう。


「本当、予想通りに動いてくれるわね」

「なに――がっ?!」


 それもこちらの読み通りの行動だった。

 先ほどのラピュセルの合図で、後ろに控えていた部隊を左右に展開させてガレスとの距離を詰めさせつつ、自身はガレスらの死角に素早く移動していた武蔵が側面から飛び掛かり、ガレスが振りかぶっていた剣を刀で叩き落とす。その弾みでガレス自身も落馬し、無様に地面に転がった。


「覚えておけ。不意打ちというのはこうやるんだ」

「て、てめえ……ぐっ?! 離せ! 離しやがれクソどもが!」


 武蔵を睨みながらなんとか立ち上がろうとしていたガレスの身体は、一斉に飛び掛かった兵士たちにより取り押さえられた。

 完全な詰みである。


「もう一度言うわ。もはやあなたに勝ち目はない。おとなしく投降しなさい」

「くっ……!」


 先ほどとまったく同じ台詞に、ガレスは大きく歯軋りした。だがそれだけで、今度はもう何も言ってはこない。

 どうやら諦めたらしい。やれやれと、ラピュセルは内心で大きなため息を吐き出し――


「ぎゃあああっ!」


 突如聞こえた悲鳴。

 ラピュセルや兵士たちはもちろん、武蔵までもが何事かとそちらを見やる。


「……やれやれ」


 そこにいたのは、ガレスの側近。手には抜き身の剣を提げ、その周りでは味方の兵が三人、血を流して倒れていた。拘束しようとしたところをやられたのだろう。


「!」

「てめえ……」


 武蔵は無言のまま、バゼランも警戒感を露に、それぞれ前後から武器を構えて挟み込む。


「やはりこうなったか。予想通りではあったが……無様だな、ガレス」

「お前……!」


 上官であるはずのガレスに対し、騎士は何の感慨も無く言い放つ。その眼に宿る感情は同情や憐憫ではなく、嫌悪……いや、それ以上の憎悪。


「てめえ、何者だ?」


 じりじりと距離を詰めながら、バゼランが問う。武蔵もそれに合わせるように、摺り足気味に間合いを縮めていた。

 ラピュセルは察した。

 その騎士の正体ではない。武蔵とバゼラン、ラピュセルが知る限り最も強い二人の武人。その二人が、二人がかりであるにも関わらず、即座に仕掛けることが出来ないでいるという事実を。


「見事な手腕だった、ランバード将軍。アルティア王国唯一の将と、軍でももっぱらの噂だ」


 その言葉に、バゼランは苦々しく騎士を睨む。

 「アルティア王国唯一の将」。ガレイル帝国を相手にただ一人戦果を挙げたバゼランを素直に称賛する言葉であるが、同時に、アルティア王国にはバゼランくらいしかまともな将がいないという皮肉でもあった。


「そして……貴公はヒノモトの武人だな?」

「……」


 武蔵は無言のまま、ただじっと仕掛ける機を伺っている。

 ヒノモト。フランシール大陸から遥か東にあるという島国。


「聞いているのはこっちなんだが?」

「そうだったな」


 やや苛立っているバゼランに不敵な微笑を浮かべると、騎士は指をパチンと鳴らす。

 瞬間、騎士の周囲の地面が爆ぜた。

 土塊が飛び散り、辺りを瞬間的に砂埃が包み込んでいく。

 その場の誰もが反射的に腕で顔を庇い、ラピュセルも咄嗟にマントの端を掴んで顔面を覆った。そのまましばし、ラピュセルの視界の端は一面の薄茶色で埋まる。

 そして一陣の風がふき、砂埃が徐々に晴れていく。


[アルティア王国の勇者諸君。此度の戦い、見事であった]


 視界が完全に晴れたとき、既にあの騎士の姿は無く、代わりにその声だけが辺りに響き渡った。魔法によるものだ。


[私の名はブライス・マクミアン。今日のところはその勝利に敬意を表し、引き上げよう。次は私の部隊が貴公らのお相手を務めさせていただく]


 兵士たちがざわつき、あの騎士はどこかと一様に周囲を見回すが、当然見つかるはずもなく。


[私と私の部隊は、ガレスのように甘くはない。この勝利に傲らず、全力で挑まれよ。さもなくば、貴公らに未来は無いと思え]


 その警告を最後に、騎士――ブライスの声は聞こえなくなった。



□□□□□□



「しっかし、呆れる程に効果覿面だったなあ。お前さんの策は」

「ねー! 最後まで、テンマっちの言った通りに動くんだもん」


 砦への帰途、バゼランとルーミンは武蔵を挟み、称賛の言葉を述べる。

 二人の言う通り、今回の戦いは武蔵の策に従ったが故の勝利であった。

 「釣り野伏せ」というらしいその策。

 ガレスの性格からその動きを読み、地の利をもって少数のこちらは戦い易く、大軍の敵には戦い辛い場所へと誘い込む。そしてガレスをわざと挑発し、突出させたところでこれを伏兵で包囲、孤立させたのだ。全て、軍議で武蔵が示した策の通りに事が運んだのである。


「おかげで楽に勝てたばかりか、こっちの被害はほとんど無かったぜ。これはでかいぞ」


 バゼランの言うように、今回の戦いでは味方の損害はかつてない程軽微なものだった。

 負傷者はいるが、その数は数十人程度。最後にブライスに斬られた者も幸い無事であり、結果は死者はゼロという奇跡に近い戦果である。

 兵力が温存できれば、それだけ長く戦うことができるのだ。


「今回は敵の動きが読み易かった。つまり運が良かっただけだ。恐らく、次はそうはいかない」

「……そうね」


 対して称賛を受けている武蔵の言葉は、既に次を見越していた。ラピュセルも、それに同意する。

 最後にブライスが見せたあの二つの芸当は、魔法によるもの。ブライス本人か、あるいはあの場のどこかに潜んでいたブライスの仲間によるものだ。


「次の敵は、魔法を使ってくる」


 隣を歩くマーチルも、神妙な面持ちで頷いていた。

 只でさえ物量で劣る上、ついに魔導士さえ襲ってくる。マーチルや彼女の率いる魔導士隊の魔法の威力を知っているだけに、それがどれ程の脅威なのかもわかってしまう。故に。


「次の戦いは、厳しいものになります」


 マーチルの言葉に、ラピュセルはただ頷くことしかできなかった。

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