この手、繋いだならきっと・二
果てのない黒の中、スクリーンがあるわけでもない虚空に鮮明な平面像が映し出されている。
二十歳ほどと見える、美しい娘の姿だ。複雑な意匠の凝らされた黒のナイトドレスも毒々しく、紫を刷いたくちびるに浮かぶ笑みはなお毒に満ちている。
豊かに背へと流された髪も紫、人であれば自然にはない色だ。無論のこと、娘は人ではない。
「あはははははははははははははははははははは!」
彼女の笑い声が虚空へ浸透してゆく。
像と向き合うようにして、やわらかなソファにあっても姿勢良く背を伸ばしたステイシアは困ったように眉尻を下げた。
「笑いごとではありません、レヴィアさん」
「ふふふ、いえいえお言葉ですけどぉ、まさに笑うところじゃないですかぁ」
語尾を甘く緩める物言いは慇懃無礼にすら届かない。レヴィアと呼ばれた娘の常だ。
口調だけならば稚気を思わせるが、口許の笑みは嗜虐の喜びに溢れていた。
「こっちに組み入れられる可能性のあった<魔人>を無駄に死なせちゃうとかさぁ、何やってんですか? 神官サマは馬鹿なのぉ? しかもかなり有能っぽかったんでしょお?」
うまくいけば戦力を増やせたのみならず、一人の<魔人>としての<
「可能性はありましたが、ごく低いものです。断固として拒否されたなら、残念ながら最終的な結果は変わらなかったでしょう。それに、優先すべきはメンバーの命の方です」
「その判断にケチをつけてるわけじゃなくてぇ、あたしが問題にしてるのは暴走を許しちゃう体制なんですけどぉ?」
<
「どうせその暴走した子、まともな処分なんてしてないんですよねぇ? いいとこ謹慎くらい? そんな甘いことだから神官派は一握りの変なハイスペックと残りの雑魚に二極化しちゃうんですよ。それなのに破綻してないあたりが神官サマの手腕なんですかねぇ……あ、でも迂闊にきっつい処分なんてしたら聖女の化けの皮剥がれちゃいますもんね、大変ですねぇ」
「そろそろ本題に入りませんか、レヴィアさん」
端々に毒の仕込まれたレヴィアの言葉を、ステイシアは困ったような笑顔ながらも穏やかに受け流した。
「あなたが直接連絡して来るなんて実に珍しいことです。何があったのですか?」
魔女派は神官派とは最も疎遠だ。その気になればこのように容易く連絡をとれるにもかかわらず、前回話したのはもう半年も前になる。
主な原因は、方針に大きな隔たりがあることだ。
神官派、騎士派、剣豪派、財団派、鳥船派、魔女派。<
エリシエル率いる騎士派は<魔人>四名を一チームとして普段から構成しておき、事件の際にはそのチームで各事案に当たらせる。バランス良く作り上げられた各チームはどんな相手、どんな事態にもある程度対応できる。無論、一チームで足りなければ複数を動員する。
平均的な力量や士気は高いものの、規律が厳しいため脱落してしまう者も少なくない。そういったときに主に受け皿となるのが神官派である。
方針は比較的穏当で、制圧と説得を基本とする。単純に治安維持組織として見た場合、おそらくは最も適しているのが騎士派の在り方だろう。
それと近いのがライラックの剣豪派だ。やはり制圧の後に説得という手段を採ることが多いが、騎士派ほどは我慢強くない。排除すべしと判断するに至る基準点が低いのである。
剣豪派の最大の特色は個人戦闘能力の高さにある。その呼び名は伊達ではない。同数でやり合えば騎士派の連携を覆すほどの強者が揃っている。替わりに、脱落者は騎士派に輪をかけて多い。
個人主義というわけではなく、やはり複数で事に当たりはするのだが、補い合うよりは己の長所を生かそうとするため、やや穴が発生しやすくはある。また、数が少ないせいであまりに事件が多くなると対応が追いつかなくなるおそれがある。
逆に構成員数の最も多いのが、オーチェの統率する財団派だ。その数を生かし、所属する<魔人>が常に担当領域に散らばっている。そして事件が起これば手透きの<魔人>を応援に呼んで対応するのだ。対応の中身は担当者に一任されることになる。
現地では主に学生としての身分と住居とを用意する。財団派とは、奨学生のための財団という仮面を被っていることから来た名称である。
利点は多い。現地に溶け込んでいるため発見や対応を速やかに行うことができ、場合によっては未然に防ぐことさえ可能になる。
ただし構成員の犠牲も多い。力量にはばらつきがあるのに応援が来るまで基本的に独りであるため、先手を取って狙われたなら凌ぎきれないことがあるのだ。
それでも財団派が<
鳥船派は拠点が特徴的だ。巨大な飛空艦船とでも言うべきものが、<伝承神殿>と同じく世界の裏側に潜航したまま担当領域内を巡回しているのだ。
構成員数は決して少なくないにもかかわらず、大半が拠点内から出ないため小さな事件を見落とし易い。その点は大いに問題があるのだが、いざ標的を見つけたならば相手にとっては絶望的な事態になる。
そのときだけは、中心であるケーニャ自身を始めとして半数近くの人員が降り立つのだ。五十名を軽く超える<魔人>に取り囲まれて逃れられる者など皆無に近い。ほとんどは戦う前に投降する。
親密である騎士派を除くこれらの三派とも、神官派は関係が悪いというほどではない。問題となるのは構成員の縄張り意識であり、そう巧くはいかなくとも必ずしも協調できないわけではないのだ。それは、歩調は異なっていても同じ方向へと歩いているからである。
しかし魔女派は違う。その在り様は下手をすれば<
<
「ま、状況が状況ですからねぇ……いくら気に食わなくたって連絡くらいはしますよぉ、偉い偉ぁい神官サマ?」
レヴィアは頭の後ろに両手を回し、歪な笑みとともに告げる。
「敵さん、どうもかなりデキるのがいるみたいで。こっちが新しい<魔人>の存在を掴んだと思ったら、どうもとっくに籠絡されてるっぽいんですよねぇ。それも同一人物っぽいのに。敵は容赦なくフルボッコがモットーの
「……そうですね」
ステイシアは目を伏せる。
神官派はまだなんとかなる。ステイシアの一声でほぼ全員に方向性を与えることができるのに加え、雅年がいる。神官派全体としての在り様は崩さぬまま、処断して回ることが可能だ。
しかし財団派は本当に危険である。ただでさえ戦力が分散されている上、決断の多くが各個人に任されている。そこで非情な判断を迷いなく下せるような者は少ない。
「このこと、オーチェさんには?」
「聞かないでしょ、あの偏屈あたしのこと大っ嫌いだし。だから発言力のある神官サマに代わりに言っといてほしいわけなのですよぉ」
「……そうですね」
頑固なオーチェも多くの被害が出れば自ら方針は変えるだろう。しかしそれでは遅すぎる。
六派はそれぞれのやり方に口を出さないのが暗黙の了解だ。それでもこの期に及んで背に腹は代えられない。ステイシアは神官という立場によって他の五名より一段上に位置づけられる。進言を聞き入れてもらえる可能性は低くない。
「ありがとうございます、レヴィアさん。参考になりました」
「これくらい、別にいいけどぉ?」
画面の向こうでレヴィアがにんまりと笑っている。
「ねぇねぇそんなことより神官サマ、雅年さん下さいよ。ほらほら、やっぱ<
「レヴィアさん」
ステイシアがにこりと笑い返した。
今までのどんな言葉にも、困ったような顔をしつつもやわらかで穏やかな調子を崩さなかったというのに、今、可憐な美貌に硬質な極上の表情を纏った。
「その駄洒落、心底詰まりません」
神野修介と
家は道路を挟んで斜向かい、同い年どころか誕生日も三日違い、物心ついた頃にはもう一緒に遊んでいた。
とはいえ、あまり対等とは言えなかった。たった三日の差であるにもかかわらず、藍佳は己が姉であるものとして常に振る舞った。
あれこれと世話を焼き、代わりに修介を支配下に置こうとする。
それは今もまだ変わっていない。
「さて修ちゃん、何か素敵な言い訳はあるんでしょうね?」
<伝承神殿>の藍佳の部屋。仁王立ちの彼女の前で修介は正座を強いられていた。
何かの漫画で見かけて以来、藍佳は妙にこれが好きなのだ。迷惑なことである。
「言い訳というか、あー……」
修介は言葉に困り、小さく唸る。今回の事態は弁解のしようもない。もっとも、たとえどんな理由があったとしても藍佳の感情の前には無意味なのだが。
答えようが答えまいが怒り出すには違いないので無駄なのだと知りつつも、とりあえず無理に回答はしてみた。
「……俺独りでもいけるんじゃないかなあ、とか思って」
「そんなわけないでしょ! 本来五人で当たるはずだったのよ? 独りでどうにかできるはずないじゃない!」
「いや、そうでもない……と思ったんだけどな」
確かに、修介と藍佳を含む五名で対処するようにと指示されてはいた。しかしそれだけのメンバーで当たるのは、標的の逃亡を防いだ上で極力誰にも危険が及ばぬまま片付けられるようにするためだ。単純な戦力だけで比べれば過剰にもほどがあるくらいのはずなのだ。
だから自分独りでも成し遂げられるのではないかと判断したのだが、多少の無茶になる程度で済むという見通しはさすがに甘かったようだ。
「いやあ、悪い。調子に乗ってたみたいだ」
「まったく、どうやったら調子になんか乗れるかな」
わざとらしいまでに深々とため息をつく藍佳。
長身にタイトなパンツルック。上は白、下は黒。派手ではないが人ごみにあっても逆に目立つだろう。その中で、ベルトにひとつだけぶら下げた小さなお守り袋が不思議なアクセントになっていた。
「もう、分かってるの?」
藍佳はきりきりと眉を吊り上げる。
人であった頃も比較的整った顔立ちではあったが、<魔人>となった今では輪をかけて魅力的だ。
ただ、全体的な印象は大きく変わっている。やわらかく可愛らしかったのが、今は妙に凛々しい。くせ毛だったはずがすっきりとしたショートカット。絶壁だった胸元も比較的豊かな方になっている。口にしなかっただけで、自分の容姿に色々と思うところはあったのかもしれない。
以前の姿を嫌いではなかった修介としては何か大切なものを失くしてしまったような気もするものの、自分も変えているのだから文句は言えない。
「そんなに睨むなよ、藍佳」
名を呼ぶ。
ともに<魔人>となったときに姿と苗字は変えたが、下の名前はそのままである。だから呼び方は幼い頃からの慣れたものだ。
藍佳は腕組みをして大きくため息をついた。
「ほんとに反省してるの? いい? 修ちゃんはあたしがいないと何にもできないんだから絶対無茶しちゃだめ」
いつもの台詞だ。
修介は応えない。腹の底で暴れるものを無理矢理鎮め、曖昧に笑う。
それが癇に障ったのだろう。藍佳の眉の角度が更に上がった。
「あのねえ修ちゃん、分かってないでしょ!」
始まる説教を右から左へと聞き流しながら顔だけは殊勝に、修介は鎮めた思いを転がす。
今回の自分の暴走が何を引き起こしたかは把握している。本当であれば小さいながらも一勢力を丸ごと取り込めたかもしれないものを、ご破算にしたのだ。
むしろ、何も分かっていないのは藍佳の方だろう。今も繰り返し口にするのは危険のことばかりだ。そして、自分がいなければ駄目なのだと続ける。
どうして独りで行ったのかなど予想もつかないに違いない。気付いていれば触れるだろう。
修介は口を堅く引き結んだ。
やはりこのままでは駄目だ。収まらない。
この場を、そして神殿を抜け出す手を考える。今回の暴走でステイシアからも謹慎を言いつけられているが、知ったことではない。
修介も<魔人>である。
<魔人>であるからには必ず、胸に秘めた望みが存在するのだ。
たとえそれが、下らないものであるとしても。
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