英雄の条件・四
「まあ、強いてどっちかを選ぶなら、赤穂サンの方スかね」
人の姿が絶えないロビー。不快なほどににやけた顔で、ソファに座った少年が言った。
<伝承神殿>に帰った皓士郎は手当たり次第に、自分と裕徳の考えについてどちらを正しいと思うかを聞いて回った。
自分こそが正しいと言ってみたところで、やはり不安なのだ。他者などどうでもいいと本心から思うには諦観が足りない。
そして、皓士郎に賛同した者はなかった。明確に裕徳の肩を持つ者もほとんどいなかったのだが、どちらなのかを択一で選ばせたなら、必ず裕徳を採るのだ。
どうしてこんな馬鹿ばかりなのだろう。皓士郎は絶望的な思いが胸の内に広がってゆくのを押さえられなかった。
暴力を用いることが褒められた手段ではないことなどとうの昔に承知している。自分よりも力に劣る相手に振るうならいっそうのことだ。皆が厭うのも分かる。
しかし、自分では太刀打ちできない相手に出会った下衆は、今まで強さを武器にしていたはずなのに今度は弱さを理由にするのだ。そんな輩をこそ徹底的に排除しなくてはならない。
そのためには、諭すなど話にならない。隙を見せてはいけない。甘い顔などもってのほかだ。戯言を吐く性根からずたずたにしなくてはならない。
ここに集っているのは曲がりなりにも平和のために戦う者たちであるはずなのだ。なのに、誰も自分の手を汚したがらない。
無意識に、やはりひどい形相をしていたのかもしれない。少年が口の端を歪めて言った。
「ああ、別に自分としてはどっちもどっち、アタマ悪ィなあと思うわけですけど? みんなそうでしょ、大半は日和見好きで過激なのより無難なのが好きなだけでしょうよ、典型日本人的な? なんつーか、赤穂サンがいいわけじゃなくて、アンタが『ない』わけですよ、森河サン……だっけ?」
話しているだけで苛立って来る少年である。外見的にも少し下であると見えるし、ここへ来たのも少し前だったはずだが、挑発的な物言いといい表情といい、わざとやっているのではないかと思えるほど不愉快だ。
それでも興味は湧いた。なぜ、自分が駄目だというのか。
そんなわけはない、お前らの頭が悪いだけだと心中で悪態をついていた皓士郎だったが、続く言葉に凍りついた。
「クズはクズですからね、アンタの言うことにも道理がないわけじゃないと思うんスがねえ……アンタ、<魔人>になる前から同じこと言って同じことやってたのかよ? そうだったら味方してもいいけどよ、絶対見てただけだろ? 軽いんだよ、アンタの言うことは」
「…………昔のオ、オレのことなんて知らないだろ」
ようやくのことで返した声はかすれていた。
口の上だけでは否定することもできるが、事実は言われた通りなのだ。
動揺は明らかに現れ、伝わってしまう。
「ハ……だろうねえ」
失笑だろうか。もう興味はないとばかりに、あっちへ行けと手を振られる。
「力を手に入れていい気になってる……そんな典型にしか見えねえんだよ、森河サン。部屋帰ってアタマ冷やしたらどうスか?」
「お前っ……!」
怒気を漏らしながらも、すんでのところで自分を抑え込む。
目が回るようだった。血の気が引いているのか、頭に上っているのか、まるで分からない。
気持ちが悪い。吐き気がする。
逃げるようにしてロビーを後にした。
擦れ違う者が皆こちらに目をやる。それは切羽詰まっているように映る誰かが現れたことによるいぶかしげな視線に過ぎないのに、今の皓士郎にはすべてが自分を嘲笑うものに思えた。
自分の部屋に飛び込み、激情のままにベッドを一撃。抵抗らしい抵抗も感じさせずに粉々となった残骸に吠える。
「おおおおおおおおおおっ!!」
自分でも分かっているのだ。
だが、望んでしまったのだ。どうしても止められなかったのだ。
今度は床を殴りつける。
絨毯の敷かれた床は小揺るぎもしない。建造物、<伝承神殿>の一部であるからには<魔人>の力程度では傷一つつかない。
「オレは……間違ってない!」
自身に言い聞かせるように全力で肯定する。
間違っていない。卑怯だったかもしれないが、喝采願望だって確かにあるが、
「絶対に、カスどもに甘い顔を見せるべきじゃない……だってのに!」
何か暗い過去でも持っていなければならないというのか。ただ人々を救いたいと思っただけでは駄目だというのか。
「ふざけるな……ふざけるな!!」
たとえ見ていただけだろうが分かることなどいくらでもある。下衆はどこまで行っても下衆なのだと、皓士郎は確信している。何十と見たのだ。
だというのに、どうしてこの真実を分かってもらえないのだろう。あんなにも明らかなことだというのに。
「どうしてあいつなんだ……あんな中途半端な」
漏れ出すのは呪詛の声。それは、ずっと抑え込んでいたものだ。
知り得る限り、<
しかし今や、開いている差はどうだ。裕徳は実際に
これが裕徳こそ相応しいというのなら諦めもつく。事実、相応しいのかもしれないと思って、二番手としてでもと諦めかけていたのだ。
そう思っていてさえ押し隠した本心では妬ましかったものを。
『ヒーローってのはそんなもんじゃないだろ。みんなを守るものだ』
耳の奥で裕徳の言葉が暴れる。
「その通りだよ、裕徳。みんなを守るものだ。一体お前に誰が守れるってんだよ……」
呟いたとき、気付いた。
ベッドの残骸の中に、封筒。後で読もうと思っていた、ドアの下に挟み込まれていたものだ。
乱暴に封を切る。
入っていたのは予想通りに紙が一枚だけだ。機械によって打ち出された無機質な文字で淡々と短い文章が綴られている。
<手紙の書き方など知らぬもので、我流で失礼致します>
そうやって始まる手紙は、まさに今の皓士郎の思いを後押しするかのような内容だった。裕徳のやり方の不備を指摘し、それでは駄目だ、皓士郎が立たなければと。
<しかし赤穂裕徳がいるうちは無理でしょう。誰もが彼の味方をし、彼を称賛します。彼の影響力は強過ぎる。あなたのような真のヒーローが顧みられることはありません。ですから>
殺してしまえ、と。
かさかさと紙が鳴く。己が手の、目に見えるほど震える様に皓士郎は引き攣った笑みと途切れ途切れの吐息を漏らした。
「……いや、違うだろ、そうじゃないだろ……」
そんなものは
<迷うかもしれません。しかし大事なことを忘れないでください。彼の半端は新たな被害者を生み出すのです。それを救えるのは汚れることを厭わないヒーローであるあなただけなのです>
手紙がただ嫉妬を煽るだけのものであったならすぐさま破り捨てることができたろう。承認欲求をくすぐるだけのものであれば振り払うことができただろう。被害者を救うのだと言われても、耐えることができたに違いない。
だから裕徳を亡きものとすべきだ、という理屈はあまりにも短絡的だからである。他にとれる手段はいくらでもある。惑うことこそあれ、皓士郎の心根はあくまでも自分の求めた
しかし今は惑いがあまりにも強過ぎた。崩れかけていた心には動揺が大き過ぎた。
ただの手紙に過ぎないものが、まるで呪縛のように心を捕らえる。
「……汚れることは怖くない」
かすれた声、震える声。
そして皓士郎は選択を成してしまった。
<伝承神殿>二十階。
エレベーターが停止し、目の前を塞いでいたものが横へと滑って視界が開ける。此処へと初めて足を踏み入れた皓士郎が目にした光景は、白だった。
床も壁も天井もただただ白く、電灯もないのに眩いほど明るい。そして一直線に進んだ奥には、これもまた白いドア。
「……あの向こうに」
ステイシアがいるのだろうか。
既にロビーも闘技場も確認したが、どちらにも求める姿はなかった。もしかすると外出しているのかもしれないが、探すならばこちらが先だろう。
大きく息を吸い、一歩踏み出したときだった。
奥の扉が、音もなく開いた。
向こうに見えたのは薄闇だろうか。皓士郎は現れたステイシアに気を取られ、気がついたときには既に扉は閉ざされていた。
距離は少し離れている。少し声を張り上げただけで問題なく届くであろう程度だが、皓士郎は黙って待っていた。
そしてステイシアも目の前に来るまでは何も言わなかった。
「ご用ですか、皓士郎さん」
少しだけ不思議そうな色を交えながらも、小首を傾げて優しく微笑む。静寂に溶け込むほど透き通った声は儚く響くのに、信じられぬくらいによく通る。
耳に心地好い。ずっと聞いていたいと、そう思える。
<
だから胸はどうしようもなく痛んだ。
「……頼みが、その……ある。<
「宝珠ですか……?」
使用者が死ぬか、領域内に使用者のみとなったときに解除される仮初めの領域、閉鎖世界。そんなものを展開する宝珠を、ステイシアは作成することができる。標的を逃がさず、かつ周囲への被害を出さぬようにするため、必要なときに与えられるものだ。一度きりの使い捨て、しかも効果範囲を広くするほどに作成に時間を要する貴重な道具であり、強大な<魔人>以外に対して使われることはない。
<魔人>の戦闘における前提を変更してしまうほどの代物だが、同時に諸刃の剣でもある。互いに全力で戦えるようになるという要素は決して一方にのみ有利にはたらくわけではないし、解除条件のせいで単独で戦うことを強いられる。標的に逃げられない替わりに、不利になったとしても自分も逃れられない。
そして相手は必ず、強力な<魔人>なのである。
「あれは基本的に、使って欲しくないのですが……」
ステイシアが眉を曇らせるのも当然だ。皓士郎の聞いた話では、宝珠を使用して今もなお生き残っているのはたった二人だけ。<
「危険なのは分かってる。それでも欲しい」
「何に使うのでしょうか……?」
疑問は想定していた。皓士郎も答えは用意してある。
「潰しておかないといけない奴、見つけた。オレに任せて欲しい」
数ヶ月前に、裕徳がこう言っているところを見かけたことがある。真似をするのは癪だが、あのときはこれで通っていたはずだ。
表情には何も出ていないことを祈る。この言葉は嘘ではないのだ。潰しておかなければ後々いくつもの悲劇を引き起こすであろうと皓士郎は確信している。
果たしてステイシアは、可憐な面立ちを憂いに沈ませた。
「……本当に危険なのです。それが皓士郎さんの選択なのですか? そもそもそれを行うのは皓士郎さんでなければならないのですか……?」
皓士郎は隠し事をすべて見透かされているように錯覚した。後ろめたい思いがあって、それがこんな気の迷いを起こさせるのだろうか。
駄目だ。そんな弱気なことではいけない。
「けじめだから。オレがやらなきゃいけない」
吹き払うために断言する。
「任せてくれ。絶対に成功させて来る」
「どんな相手なのか、教えてももらえないのですか?」
「ごめん。意地を通したい相手っているじゃないか」
きっと悲しませることにはなるのだろう。ステイシアは裕徳を重用している。ことが終わった後に自分がどうしたらいいのかもよく分からない。
それでも成さなければならないのだ。それが<
「だから<
「おや、赤穂サンじゃねえスか」
ロビーの一角、三人掛けのソファを占領するかのように寝そべった少年が軽薄な笑みと声を向けて来た。
裕徳にも、見覚えはあった。
「ごめん、名前出て来ない」
「半月前にはいたんスけどねえ? ま、これだけ数いる上にあんまり神殿にいないんじゃあ、しょうがないか」
にやけた笑みがなんとも不愉快ではある。
人当たりのいい裕徳も好き嫌いがないわけではない。大嫌いだと言っても過言ではない相手も、一人だけならばいるくらいなのだ。それはこの少年ではないが、やはり好意的には捉えられなかった。
「それで、俺に用なのか?」
「いや、大した用じゃねえんスけど、ひとつ宣言しとこうと思って」
ごろりと転がってそのまま床に立ち上がり、少年は笑みを大きくした。
「アンタの英雄評価、そのうち自分のもんにしますんで。あと……名和サンでしたっけ? ソイツの神官派最強も」
随分と大言壮語を吐くものである。
それもまた不愉快だったが、浮かんだのは苦笑だった。
「名和さんに対する挑戦は本人に言ってくれよ」
「いや、言ったんスけどねえ、なんつーんですか、すんげえ詰まんねえ
「……分かるような分からんような」
具体的にどんな対応をしたのかは分からないが、きっと興味のないことに返すお座なりな応えでもしたのだろう。
らしい、と裕徳は思う。相対的にならばよく喋ることになるはずの自分にすら、親しみなどないただの知人としてしか振舞わないのだ。
「まあ、頑張れ。色々と」
「アンタもテキトーだな」
そう言いながらも少年はにやけた顔をそのままに、また寝転んだ。
口許に記された歪みがとてつもなく不気味に思えた。
「ああ、あとステイシア落として名実ともに神官派ごと貰うんでヨロシク」
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