英雄の条件・二




 そこは殺風景な部屋だった。

 何もないわけではない。机を挟んでソファが二台、足元には毛足の長い絨毯が敷かれている。

 ただ、前後左右、果てが見えない。薄闇がどこまでも続いて、眺めているだけで意識が遠くなってくる。もしも宇宙に放り出されたならば、似たような気分になれるのではなかろうか。

 そして、その中で虚空にぽつりと浮かんでいるドアが異様だった。

 この部屋はステイシアの私室だと噂されるが、実際には応接室、あるいは会議室と言うべきなのだろう。少なくとも気兼ねなく寛げる空間ではありえない。

「……何度来ても、凄い部屋だね。一体どうなってるんだろう」

 苦笑気味に裕徳が口を開く。

 ステイシアは祈るように両手を組み合わせ、どの人種ともつかぬ不思議な美貌で微笑んだ。

「我が主ハシュメールに伺いを立てないと分かりませんね」

 今日は飾り気のない水色のワンピースだ。華奢な身体にぴたりと沿ったデザインで、折れそうに細い腰や大きくはないもののふっくらと盛り上がった胸元の曲線を忠実に描き出している。

 短めに整えられたやわらかな栗色の髪は恥じらうように少しだけ頬へとかかり、小さなくちびるは桜の花びらを浮かべたよう。どこまでも優しげな瞳は呼び出された四人を穏やかに見つめている。

「そんなに気にすることでもないとあたしは思うけど」

 随分とさばさばした口調で言ったのは、ステイシアと変わらぬ年の頃と見える娘だ。

 小柄なのも同じだが、侵しがたい可憐さを持つ彼女とは異なり、背丈の割には充分な存在感を主張する胸元やミニスカートから太ももが覗く様にはあからさまな色香がある。

 肩に触れるほどの、やや癖のある髪。愛らしい『女の子』を強く感じさせる面立ちに、むしろぶっきらぼうとも言える表情を浮かべた彼女は姫宮瑞姫。<竪琴ライラ>神官派を代表する<魔人>の一人だ。

 ちらりと三人目に視線を走らせて同意を求める。

「江崎もそう思わないか?」

「今更と言えば今更だとは思うけど……」

 気弱げに笑ったのは江崎衛だ。

 男としては間違いなく小柄だろう。ステイシアや瑞姫よりは背丈もあるが、それでも裕徳の鼻程度までしかない。

 実のところ、裕徳も衛のことはあまりよく知らないのだ。自分を上回る格のクラウンアームズを有し、総合力ならば比較的上の方であるということくらいだろうか。

 皓士郎には分かったようなことを言っていたものの、裕徳自身も疑問ではある。彼を上回る力の持ち主は何人もいるだろうに、なぜこの中の一人として選ばれているのかと。

「それで、用は何だ、ステイシア?」

 そして、呼ばれた最後の一人、月に数度しか神殿に現れることのない名和雅年が無造作な立ち姿のまま、いつもながらの事務的な口調とまなざしで早々に問う。

 この四名こそが<竪琴ライラ>神官派の中核、果ての見えぬ部屋へ無条件に入ることを許された面々である。

 ステイシアはすぐには答えなかった。くちびるには微笑みを残したまま、向かいの豪奢な家具を品良く指し示す。

「どうぞ、ソファに」

 言われるがまま、裕徳を中央にして瑞姫は右、衛は左に腰を下ろす。雅年はその後ろに立ったままだ。

「雅年さん雅年さん、こっちにも座っていいんですよ?」

 ステイシアは自らの隣を示すが、その声は虚しく響くのみだ。

 雅年はかぶりを振ることすらせず、無言で冷ややかなまなざしを向けている。

「本当に、どうしてこんなに冷たいんでしょうか……」

 ほんの少しだけくちびるを尖らせて恨みがましく頬を膨らませてみたのも少しの間のこと、ステイシアはすぐに真顔となった。

「……用件に移りましょう。エリシエルさんからの情報提供が二つと、先日判明したことが一つあります。大きな問題となる対象が三種類、現れました」

「一気に三つなんて、多いんだね。初めてじゃないか?」

 瑞姫が目を丸くする。

 人は人と出会い、集団を作るものだ。人ならぬものとなったとはいえ、その心は人であった頃のままである<魔人>も同じことだ。

 そしてやはり、危険な集まりも現れる。これは日本であっても他の国であっても変わらない。

「一度にというのは、確かに初めてですね。まずは<ギルド>、<魔人>を傭兵として派遣する組織の中では最大手です。とうとう日本にもやって来てしまいました」

 日本は魔神の数が圧倒的に多い分、<魔人>の数も多い。むしろ比率で言うならば魔神よりも集中しているくらいである。だからこそ今までこういった<魔人>を貸し出すような団体は、需要の有無を慎重に探っていたはずなのだ。

「見切られたんだろう。力と速さに頼るばかりじゃなく、真っ当な戦いの行える人材なら売れると思ったんだろうさ」

 雅年が述べる。淡々としていながらも、どこか皮肉げな響きも潜んでいた。

 欧米では人々を殺して回る怪物、<災>の被害が大きい。それに影ながら立ち向かうのは<魔人>である。求められた場所に戦力を派遣する<ギルド>は、いっそ<竪琴ライラ>などよりも真っ当であるのかもしれないのだ。

 ただ、平和な日本においては評価が逆転してしまう。彼らはおそらく、秩序を乱す側にしか雇われることはないだろう。

 そして何が厄介と言って、<ギルド>そのものは決して敵ではないということなのだ。敵となる存在に雇われるまでは手を出すわけにいかない。

「大丈夫でしょうか……?」

「知らん。知らんが、仕事と言うならなんとかする」

「はい、お願いしますね」

 やはり素っ気ないにもほどがある声と表情だったが、ステイシアは揺るがぬ信頼とともに小首を傾げて微笑んだ。

 小さく息をつき、続ける。

「二つ目は国内で生まれたものです。<横笛フルート>、まるきり当てつけの名前ですね。ほぼ、私たち<竪琴ライラ>対抗するために集まったと言っても過言ではないでしょう」

「分からないでもないけど……規模はどのくらいか分かるのか?」

 今度応えたのは裕徳だ。

 <竪琴ライラ>の名と目的は、日本の<魔人>のうちでは有名だ。標的にされる心当たりがあるのなら、意識せずにはいられまい。その結果がひとつの組織を構成するに至るのに何の不思議もない。

「現在、およそ三百名足らずというところでしょう。しかしまたたく間に膨れ上がるのは火を見るよりも明らかです」

「身も蓋もない話、下手すると日本にいる<魔人>の半分くらいは加入してもおかしくないだろうしね」

 くるくると髪を一房いじりながら、瑞姫が溜め息をつく。

 やはり好き勝手にやりたい<魔人>は多いのだ。下位戦格クラスをひとつ有している程度でも、それだけで人類の身体能力や耐久力の限界を越えている。対抗するには火器ではなく兵器が必要となるのだ。ただの人間など恐れることはないと気付いてしまえば、どうしても歯止めは利きづらくなる。そして刹那的な欲望に呑まれるとまではゆかずとも、監視する存在のあることが不快な者はなお多い。

 力で従わせられる<魔人>もきっと出ることだろう。数箇月単位で倍化してゆく可能性がある。

「そうですね、手をこまねいているうちに恐ろしい数になりそうです。たとえそのほとんどが<魔人>として最低限の力しか備えないとしても……」

「一般人にしてみれば、どんな手段をもってしても対抗出来ない相手だ。増えること自体を防がないと」

 裕徳が眉を顰める。

 数というものは恐ろしいものだ。<竪琴ライラ>の構成員の数はおよそ二千。こちらが受け身にならざるを得ないことを思えば、千を越えられてしまった時点で始末に負えなくなる。

「でも、仲はよくない……と思う」

 皆の様子を窺ってから、おずおずと衛が発言した。

 にこりと優しく、ステイシアが微笑みかける。

「そうでしょうね。ほぼ完全に個の集合でしょうから、少なくとも連携は取れないでしょう。ただ……」

「こちらも派閥同士の縄張り意識がある。その他あれこれを踏まえれば、向こうよりはまし、程度だろう」

 <竪琴ライラ>六派の足並みは必ずしも揃っていない。先ほど名を出したエリシエル率いる騎士派とならば互いに情報を密に交わせるかもしれないが、残り四つとは巧くはいかないと予想される。

 その他あれこれ、の説明はすることなく、雅年は続ける。

「とは言え、先の<ギルド>関連ほど後手に回ることはない。まともに統率できない以上、はみ出して来た輩は出る端から潰せる。うまくすれば情報も引き出せるかもしれない」

「あとはどうにかして中核を見つけて叩けば終了ってわけだ」

「早々に突き止められたのなら、それでいいんだが……」

 言葉では懸念を示しながら、口調と表情はいつもの平坦なものだ。

「折角こちらが分かれているんだ、六百も集まった時点で総力を結集して各個撃破を試みるかもしれない。<ギルド>からも雇った上で。神殿を力尽くで落とせるかどうかは知らないが」

 視線はステイシアに。

 意図するところを読み取ったのか、ステイシアは思案げに眉根を寄せた。

「普通なら入れませんけれど、絶対に不可能であるとは言えないでしょうね。分かりました、エリシエルさんにも伝えておきます」

 そこで、待ち構えていたかのように裕徳が身を乗り出した。

「そういうことならさ、俺が作ろうとしてるネットワークが稼働し始めたら色々探ってみるよ。結構役に立てるとは思う」

「本当ですか? ありがとうございます」

 ぱっと花開くようにステイシアが笑う。

 それを真正面から見てしまって、裕徳は照れたように視線を逸らした。

「いや、ある意味こういうときのために作ろうとしてたんだし……」

「あ、でも……すると最後の問題が大きくなってしまいますね……」

 ステイシアの笑顔はすぐに曇った。眉尻を下げ、最後の問題について語り始める。

「三つ目は、おそらくは単独の<魔人>です。<囁き>ウィスパーと呼ばれるこの存在は、わたしたちの管轄領域で<魔人>を唆しては事件を引き起こさせているんです。そこに統一性はなく、ちょうどその<魔人>の望みを果たさせている感じでしょうか」

「ふぅん……変なのが涌いたんだね。それこそ……<横笛フルート>だっけ、そこに所属してたりするんじゃないの? あるいは愉快犯とか?」

 瑞姫の疑問は当然のところだろう。無差別に混乱を引き起こすなどということを為すのは、個人であれば愉快犯くらいしかあるまい。そうでないなら組織立った何らかの目的のために行われるものであるはずだ。

「既に調べ始めてはいるのですが、<囁き>ウィスパーと<横笛フルート>との繋がりは今のところ見出せてはいません」

「それは分かったんだけど、俺のネットワークにそれが何か関係するのか?」

「彼が唆した<魔人>は、分かっている限りではすべて裕徳さんが対応して処理しているんです。少なくとも、改心してくれた人たちの話を聞く限りでは」

 戸惑い気味に言う裕徳を見詰め、ステイシアは答える。

「あそこまで重なると偶然とは思えません」

「つまり……」

 不吉な響きに裕徳は喉を上下させる。

「どんな意図があるのかは分かりませんが、標的は裕徳さんです。能動的に動こうとするなら、それに対応して何か仕掛けて来るかもしれません」

 眉根を寄せ、ステイシアは儚い声で告げる。

 そして雅年が補足するように繋いだ。

「君は戦場を作る性質だからな、後手は苦手だろう。気をつけておくことだ」





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