英雄の条件
英雄の条件・一
『英雄に必要不可欠なものは何だと思います?』
それはいつのことだったか。
可憐な面立ちに得意げな表情を浮かべ、ステイシアが出題して来た。
答える必要性もないとは思ったものの、少し考えて浮かんだ言葉を雅年は口にした。
答えそのものは何ら難しいものではない。聞けば誰しもが頷くだろう。
あるいは、反論するかもしれないが。
ともあれ、それはステイシアが用意していた答えであったらしい。
眉尻を下げ、彼女はしょんぼりと肩を落とした。
『どうして正解しちゃうんでしょう……折角頑張って考えたのに……』
そんなステイシアを尻目に、雅年は立ち去ろうとする。
そう、あれはちょうど日曜だった。
日曜は、あの喫茶店に行かなければならないのだ。
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六つの派閥に分かれ、それぞれの拠点を中心として<魔人>の引き起こした事件を独自に解決している。
その構成員数は、およそ二千名にも及ぶ。これは<魔人>の組織としては世界一の規模であり、それに次ぐ南米の<魔人>騎士団の二倍に相当する。
その中のひとつ、神官派に所属する
神殿という呼称ではあるものの、内装は豪奢なホテルを思わせるものだ。
しかし此処は地球上のどこにも存在していない。<
上に昇れば寝泊りのできる個室が五百を越え、全員の入ることができる講堂や食堂もあり、皓士郎は呼ばれたことがないが最上階となる二十階にはステイシアの私室もあるらしい。
一方で下には闘技場がある。<魔人>がどれだけ暴れても客席の一つすら壊れたことがないという異様な場所だ。
ただし最上階から闘技場に至るまで、窓が一つもない。壁を壊すこともできない。外がどうなっているのか好奇心が疼くことはあるものの、確かめようとした者はない。
ロビーは常に賑わっている。神官派の大抵の<魔人>は此処に寝泊りしているのだが、どうにも娯楽に欠ける。神殿内にいるならば、闘技場で模擬戦でもするかロビーや食堂で世間話に耽るかくらいしかすることがないのである。あとは、外から娯楽を持ち込むか、だ。
もっとも、そう暇というわけでもない。
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だから常に半数以上が何らかの案件のために出張っており、しかし残る人員だけでもロビーを埋めるには十分なのである。
たむろする<魔人>たちは、ことごとく若い。
<魔人>には誰しもが成れるわけではない。素質が要るのだ。それは十代半ばから後半に入ったあたりで最も高いとされ、しかもその頃でさえ適格者は二割を切る。二十歳を過ぎたならば成ることができるのは五千人に一人、三十路など今のところ世界中を探しても一人しか存在していない。
<魔人>そのものも爆発的に増えたのがここ二年足らずのことであり、したがって現在でも九割九分九厘までが十代なのである。皓士郎もそうだ。十六、七で中肉中背の姿をしている。
歪な集団ではある。しかしその中にいる者にとってはこれが当たり前なのだ。
だから、明らかに二十代半ばと見える姿は目についた。
向こう側の見えぬ入口から滲み出るようにして現れたその容貌は、見目好いものではない代わりに悪くもない。背丈も、日本人男性としては長身に分類されはするが珍しいわけでもない。平凡な容姿とはよく観察すれば没個性ではないものの、気に留められなければ結局平凡の一言で済まされてしまうものだ。
そして、年の頃と同様にコートも目立つ。右袖だけ異様に大きく広がった、奇妙な仕立てになっているのである。
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向けられる視線に好意的なものはひとつもない。明確な嫌悪が一握りで、あとは消極的な拒絶が占める。厳密には好意的に接する者が皆無なわけではないのだが、今この場にはいない。
嫌われる理由は主にその言動だ。
<
だというのに、強い。出張る頻度こそ少ないものの、一度の例外もなく確実に標的を、それも強力な<魔人>を葬り去っている。死をもってしか終わらせないということ自体も嫌悪の原因の一つとなっているのだろう。
皓士郎にとっても、嫌いとは言わないがやり難い相手である。喋ったこともないのに既に苦手だと感じており、これからもできれば話したくない。
だが、その願いもあえなく打ち砕かれる。双眸がこちらを向いてぴたりと止まった。
そのまますたすたと歩み寄って来る。ロングコートの影が長身を更に大きく見せる。
皓士郎は助けを求めるように辺りを見回すものの、助け舟を出してくれるどころか目を合わせた者すらなかった。
最後の希望として、ただ方向が同じであっただけの別の誰かに用なのだと自分に言い聞かせてみても、結局は無情にも目の前で立ち止まった影を見上げるばかりだ。
「確か森河皓士郎君というのは、君でいいのかな」
「オ、オレに何か、よ、用ですか?」
喋るのは昔から得意ではない。<魔人>となったときに一人称を『オレ』と変えてみたりなどしたものの、親しくない相手だと緊張して舌が巧く回らないことが偶にあるのは今でも変わらない。苦手な相手ならばなおさらだ。
青年は嘲笑うでもなく、さりとて緊張をほぐすように笑いかけるでもなく、平坦に用件を告げた。
「伝言を頼まれた。赤穂君だ。今夜、いつもの場所に来て欲しいとのことだ」
「っ……赤穂……」
少しだけ声が詰まる。
加えて、目の前の青年に好意的に接する数少ない内の一人でもある。
「ありがとござます」
「確かに伝えた。では」
またも皓士郎の舌がもつれたことに気付いたのか否か。やはり事務的な表情のままで青年は背を向け、エレベーターの方へ消えて行った。
もしかするとステイシアの私室に行くのかもしれない。皓士郎は思い、深い溜息をつく。
羨ましい。
自分の気持ちに嘘をつくことはできなかった。
平日ならば、夜でもファミリーレストランは比較的空いている。
いつもの場所と言っても何のことはない、初めて連れ立って来たこの場所である。
相手は既に、オレンジジュースにストローを突き立てて待っていた。
「何の用なんだ?」
皓士郎も裕徳には他の誰に対するよりも滑らかに喋ることができる。
しかしそれも、慣れからそう繕えるだけだ。
「いや、そんな大したことじゃないんだけどな」
向かいでのほほんと笑う少年は、今や皓士郎とは一線を画した存在だ。
この半年で解決した事件、実に二十五件。毎週のように秩序を乱す輩を鎮める、<
最強との呼び名こそ<
「最近会ってなかったからさ、どうしてるのかと思って」
赤穂裕徳は屈託なく笑う。それもまた魅力の一つなのだろう。
対して皓士郎は皮肉げな笑みだ。
「伝言に名和さん使うとか、怖いもの知らずだな。ぶっ殺されても知らんぞ」
「いや、別にそういうこと気にするような人じゃないだろ。あんまり入れ込まないだけでさ、平凡な状況ならかなり常識的で無害な人だと思うんだけど」
「何歳違いだよ。常識を言うならそんな年上を使い走りにするもんじゃないだろ。結構いい気になってないか、お前?」
揚げ足取りにも近い指摘だとは自分でも分かっていた。おそらくは、もしも会うことがあったのなら伝えておいて欲しい、その程度のものだったはずだ。伝えられずに来なかったら来なかったで、そのまま夕飯を食べて帰っていただろう。決して傲慢な伝言ではない。
だというのに、裕徳は気後れしたように頭を掻いた。
「そうだな、そうなのかも。名和さんにはまた後で謝っとく」
その様が皓士郎にはやるせない。
視線はメニューをなぞりながら、話を変える。
「……それにしてもお前、ほとんど神殿にいないよな」
「あそこさ、外の様子がまったく分からないだろ? ステイシアに頼まれるまでは事件が起こっても気付かないじゃないか。俺はそれが嫌なんだよ」
裕徳は基本的に外で過ごしている。<伝承神殿>には寝に帰って来るだけで、朝早くに出かけ、夜遅くに戻る。帰って来ないことも多い。
何をしているのかと言えば。
「あちこち回ってると色々見えてくるよ。人間の仕業にしてはおかしいってものがかなりある。事件の種が山ほど眠ってる」
<伝承神殿>の出入口が通じているのは特定の場所だ。しかし乗り物と<魔人>の運動能力をもって、移動にそれなりの時間を費やせば極めて広い行動範囲を得ることができる。
無論、活動に金銭は必要になるが、それはアルバイトで稼いでいる。背景を問わず、地獄のような環境でもいいから高い賃金をくれる一日限りの肉体労働がいい。人には厳しいものであっても<魔人>にとっては鼻歌を歌いながらこなせるものでしかない以上、拘束時間と人間関係以外の苦痛はあまりないのである。
これが悪行に身を染めた<魔人>ならばいくらでも金を強奪することができるのだろうが、そんなことをしていてはそれこそ必然的に<
皓士郎は口を噤んだ。
これは続けて欲しくない話題だ。他の誰かとならばまだしも、裕徳とは嫌だった。
表情は変えぬままに必死で別の話題を探す。
「……彼女とかできないのかよ?」
「え? いや……特に興味ないかな」
あからさまな動揺を裕徳は見せた。視線は落ち着きなく彷徨い、頬も少しばかり赤くなっているような。
だから、ここぞとばかりに皓士郎は斬り込んだ。
「いやいやいや、嘘はいかんだろ、嘘は。そんないかにも何かありますって顔しといて」
「そんな立場じゃないだろ、ってかほんとにいないよ彼女なんて」
「だが気になる相手はいると見た」
「う……」
言葉に詰まる裕徳。こういうものは、本当は口にしたいものなのだ。それ以上に照れ臭いから言わないだけで。
皓士郎はそのことを知っている。自分にも当てはまる気持ちだからである。
「ほれ、誰なのか言ってみ? 相手によっては応援しないでもない」
本当に、裕徳相手にはよく舌が回る。本当にこれが自分なのだろうかと、一年前までならば思ったことだろう。
裕徳はばりばりと音を立てそうな勢いで頭を掻いた。
「無理だって! 競争率どんだけあると思ってんだ」
「なんだよ、アイドルにでも惚れたのか?」
口にしながら既に血の気が引き始めていた。これも話題を間違えた。既に答えは推測できてしまっていた。
果たして、ぶっきらぼうな口調で裕徳はその名を告げた。
「ステイシアだよ……まあ、<
「……かもな」
<
理想の妹、などと自分を誤魔化しておけるのはほんの少しの間だけだろう。神官派に所属する者の中で彼女に心奪われなかった男などほとんどいない。もう諦めたか、まだ諦めていないか、そのどちらかで分類できるくらいだ。
「……お前ならいけるんじゃないか? 二十階にも呼ばれたりしてるだろ」
ステイシアは誰にでも優しいが、誰とでもまったく同じ接し方をするわけではない。よくロビーに降りて来ては皆と談笑しているが、最上階の私室に招くのはほんの一握りでしかない。裕徳はその一握りの中の一人なのだ。
「あれさあ、厄介な標的が出たときにその対処について話してるだけだからなあ……どう考えても俺への好感度が高いわけじゃないし」
「贅沢なこと言いやがる。一対一で話せるだけでも羨ましいっての」
「いや、二人きりもないなあ……いつも絶対他にも誰かいる。名和さんとか、江崎君とか」
「……江崎?」
予想外の名前に、皓士郎は眉を互い違いにした。
それほどよく知っているわけではない。あまり意識したこともない相手だ。
「俺もよく分からんけどさ、なんか割と名和さんと仲良さそうではあった」
「アレと!?」
思わず大きな声を出してしまったこと、目上となるはずの相手を『アレ』呼ばわりしてしまったことに気付き、声量を落として言い直す。
「誰かと仲良い名和さんって想像できないんだが。お前にだって対応冷たいだろ? ってか、ステイシアにすら冷たくないか?」
「だから俺もよく分からんのだって。でもまあ、いいだろ。そういうこともあるさ」
苦笑を浮かべる裕徳。
皓士郎も曖昧に笑いながら、実のところ心穏やかではない。落ちつかなげに右手の人差し指に嵌めたくすんだ指輪を擦る。
裕徳はあまり<伝承神殿>にいないとはいえ、最近の様子を訊くためだけに呼び出しなどするはずがないのだ。
じっと見つめられていることに気付いたのだろう。裕徳も真っ直ぐに視線を合わせて来る。
「うん、本題に入ろう」
何を言われるのか、まったく予想はつかなかったが皓士郎も心の準備はしておいた。
その上で、打ち崩された。
「<
裕徳が語ったのは<魔人>による情報網の構築だ。<魔人>の起こす事件は、やはり一般人よりも<魔人>の目に留まり易い。情報を共有し合えばより事件解決が容易くなる。
「さっきも言った通り、神殿にいると碌に何も見えない。もっと広く世界を見ておかなきゃいけないと思うんだ」
「まあ……それはそうかもしれんけど……」
窓のない<伝承神殿>を思い出す。確かに閉塞感を覚えずにはいられない場所だ。自分だけではなく、大抵の構成員にとってもそうだろう。
「けどいいのか、ステイシアに無断で動いて?」
「ネットワークを作ることに関してはもう言ってある。喜んでくれた」
そう言って裕徳はまた照れ臭そうに笑った。
思いを寄せる相手に喜んでもらえた嬉しさは皓士郎も知っているものだ。
「事件解決の方は大丈夫だろ。俺、今までにもやってるし。大事だったら神殿に持って帰るけど」
「……そうだったな」
裕徳はたまたま近場で起こった事件に対し、迷うことなく動いて大事に至る前に解決したことが幾度もある。それで文句を言われていないのだから問題はないのだろう。
「それで、一体そのネットワークとオレに何の関係があるんだ?」
問いを向けながら、皓士郎は答えを知っている。
そして裕徳は告げた。首元で細い鎖が煌めいた。
「一緒にやろうぜ。連絡受けてさ、二人で動くんだ。
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