爆ぜ崩れたる日

 外套で身体を隠す竜の青年がふと立ち止まる。土色の鱗を持つ立脚類の視線の先には、猫と呼ばれている小さな黒い獣が、行きかう者たちのことなど意に介さずに軽やかに道を横断していた。その身のこなしは、見逃すまいと視線で追いかけたとしても、その軽やかさ故にすぐに見失ってしまうことだろう。

 だがギルは足を速めて猫を追いかけ始めた。

 表通りから脇道へ、曲がり角で見失ったかと思えば塀の上。ぴょんと死角へと飛んでいくのなら、障害物を乗り越えて他人の敷地へと足を踏み入れる。

 お昼というには早すぎる時間に、まだ眠るシェーシャを置いて宝石店を出る。樹海へと続く富裕層街を通り抜け、露店の並ぶ通りを歩いていた。軽食の並べる商人を無視して、きょろきょろとあたりを見渡していたのだ。

 黒猫を発見し、追いかけ続けて数十分、息を荒くしながらも彼がたどり着いたのは薄暗い路地裏の一角だった。ぽつんとある、一般的な木製の扉の手前で黒猫は座り込んで、追跡者を見上げていた。

 ただ、扉の向こうからは雑音が聞こえてきている。

「オイラに何か用か? それとも、探し人か?」

 くりくりとした愛らしい目で、目付の悪い彼を見上げている。呼吸を整え終えたギルは一歩、距離を詰めた。

「ヴィーク――情報屋に聞きたいことがある。取り次いでくれ」

 なぁんだ、と黒猫は振り返り、びよんとノブに飛びついた。器用にノブを抱え込んで回すと、ギィと扉が軋みながら開き、眩しいくらいの明かりが漏れてきた。

「じゃ、中で待っててよ。席が空いてるかは知らないけどさ」

 言い残してするりと入り込んでしまった猫に続いて、青年も進入する。

 ぴかぴかと眩く光る遺産で照らされている室内はそれなりに広い空間で、テーブル一つにつき、丸くなっているソファが備え付けられている。そこには既に先客がいくらかおり、性別種別問わず、グラスを傾けながら楽しそうに会話をしている。

 ギルは尻尾を横に寝かせながら空いている席についた。マナーがなっているとは言えない彼に、間もなくして店員らしい者が注文を聞きに来るが、不要だと突っぱねた。眉を寄せた店員は瞬時に笑みをたたえてから立ち去った。

「黒犬に会いたきゃ黒猫探せ、か」

 てかてかとまぶしい空間の中で、一人言を聞いている者はいない。隣の席にいる者も、自身の自慢話に夢中らしい。

「情報屋も楽じゃないんだな。あっちこっち行ってよ」

 市場に棲む黒犬。どこかに姿を現しては、どこかへと消える。近所に住んでいたかと思えば、そこはもぬけの殻となり、行方をくらませる。

 いわく、身の安全を確保するのならば身を隠すのが一番、ということだ。

 ふぅ、ソファにもたれて、数分後、黒い塊が彼の視界に飛び込んできた。とっさに眼を見開いて捉えようとしたが、腕をすり抜ける。鱗の腹に飛びついた黒い塊は次の瞬間、爪を立てて逞しい体躯をよじ登ろうとしていた。堅い鱗に爪を立てる猫の首の皮をつまんで肩に乗せてやれば、立脚類の割に広い肩に落ち着く。

「ちぇー。竜に登れる機会なんて滅多にないのに」

 常に笑っているように見える猫は続ける。

「ヴィークは接客中だけど、通していいってさ。あそこにいるよ」

 くねくねと曲がる尻尾が奥に並ぶ扉のうちの一つを示して、早く行くように促す。分かった、と青年は立ち上がり、黒猫を乗せたままそちらへと歩き出した。

 黒猫の示した扉を開くと、そこは狭い個室だった。先ほどの部屋と比べ暗い部屋は、濃く甘い香りがむわりと外へと流れ出てくる。一瞬、ふらつくギルだったが、二人が悠々と座れるだろう柔らかそうなソファでくつろいでいる黒犬を認めて、背を伸ばす。

「あぁ、レノ、ありがとう。今日はもう休んでてもいいよ。あとは私が相手するから」

 ピンと耳を立てて嬉しそうに返事をした黒猫は肩から飛び降りて、ソファに近寄ったかと思えば、ひらりと黒犬のもとへ近づく。そして彼女にひっつくようにして丸くなってしまった。

 その様子を眺めて優しく微笑んだ黒犬は、続けて歪んだ笑みを新たな客人へと向けた。

「さて、宝石屋、あんたが欲しいもんを言ってみなよ。知っているなら、教えたげるよ」

 机を挟んで黒犬の反対側にある普通の椅子に、うつむきながら座っているもう一人の客人を視界の隅に認めながら、彼は負けじと見つめ返す。

「ここ最近、商人ペルトの家に、貧困街のガキが連れていかれなかったか? それを密告したのは、誰だ」

 もう一人の客人は、獣の立脚類だ。女だろう細い体格は貧困街の出であることを現している。

「ペルトのやつらか。情報は来たけれど、あんまり金にはならなさそうだったから覚えてないね」

 甘い香りを大きく吸い込んでから、ふぅと吐き出せば空気の流れが見えるかのようだ。とっさに腰にある革袋に手を忍ばせるギルだが、慌てんじゃないよ、とヴィークが尾を一振り。

「私は覚えてないのさ。知らないんだよ。だから、石を押し付けたって無駄さ」

 意地悪く笑う彼女に、苛立ちからか牙を見せる青年。

「だから、教えたげるよ。禿げ頭で、二本の長剣を持ってる人間の男がそこにいるはずさ。ペルトの家に潜入しててね。そいつから聞いてみなよ」

 ヴィークはどこにでも現れる。そして黒犬自身は嘘をつかなければ、えり好みはめったにしない。時として騎士に指名手配されるような罪に手を染めるが、この市場に少なからず必要とされている存在なのである。

「石はあいつにやっとくれ。ペルトの頭首はケチだからさ」

 楽しそうに笑うヴィーク。

 だが彼は、自身の磨き上げた宝石の一つを既に取り出していて、一歩、踏み出した。近づく気配に、痩せこけた面を上げた女性にそれを差し出した。竜の鋭い爪と同じような色の石が、似た輝きを放っている。

「使え。売って金にしてもいい。こいつから逃げるために使ってもいい」

 失礼だねぇ。隣から聞こえる声を意に解さず、大きな瞳を震わせながら獣の女は、天からの恵みをいただくかのように両手を伸ばした。ありがとうございます、とかすれた声。

 甘ったるい香りから逃れるかのように、ギルは足早に立ち去った。静かになったヴィークは欠伸を噛みしめてから、残りの客人の真っすぐな瞳を見つめた。

「金、できたねぇ? 息子さんを、迎えに行くかい?」

 決意に満ちた瞳が、あざ笑う獣に向けられた。


 来た道を戻り、表の通りに戻ってくる頃には昼前となっていた。

 ギルは外套の内側で、己の身体に触れた。そこにあるものを確かめるかのように、腕、腿、腰、腹に胸と。

 人通りも気にせず、鼻を鳴らしてから、足を再び進め始めた。人通りが多い道を歩きながら来た道を戻っていく。もうじき冷える昼になるが、彼は前だけを真っすぐ見つめて足早に石飛堂へ至る曲がり角を通り過ぎた。

 店の中で生真面目そうな丸刈りの剣士に小ぶりな宝石二つをよこすと、十日ほど前の出来事を語ってからヴィークの部屋に消えた。

 いわく、一般の市民が、無賃飲食で手配されていた貧困街の少女が、ある宝石店に出入りしていると通報したそうだ。なぜ一般の者が用もない富裕層の指名手配犯を知っており、治安のよくない貧困街の少女を見つけられたのかは分からないとのことだった。偶然なのか、誰かのツテがあったのか。

 その少女は連れてこられるなり、屋敷の一室に通された。その後、頭首がその妻を引き連れてその部屋へと入った。剣士はその現場を目撃したが、巡回中のために通りすぎた。それ以上のことは知らないそうだ。

 広場を通り過ぎて、ふと、目線の高さに白い姿を視界に映る。人間の王だ。屋外の飲食スペースに腰を下ろし、陶器のカップを両手で包みながら中身をすすっている。その足元には、武器が三つ。

 どれも彼が傭兵時代に見たことのないデザインだ。鍔のない剣、穂先の丸い槍に、満月を思わせる刃の斧。武器として扱うには問題ないだろうが、それを扱っている姿を見たことなどない。

 ちょっとした疑問を振り払い、人混みで流されながら、柵を挟んで王の隣を通り過ぎようとする。


 ドォン……。


 轟音が鳴った。わずかに遅れて地面が揺れる。目を丸くする市民をよそに立ち上がった人間の王は素早く武器を拾い上げ、剣を手にし、他を背負った。遅れて、彼女の座っていた椅子がガタンと音を立てて横たわる。世界樹の幹を見上げて、ぎゅっと武器を握りしめた。

 次に聞こえたのは、悲鳴と、王に至宝を、という高らかな叫び。

 とっさにその方角に向いたギルは流れを形成し始める市民に逆らい、声と悲鳴の上がった方向へと歩を進めた。

 瞬く間に出来上がった人垣の円の中心に立っているのは、毛深い立脚類の獣だ。その足元には少し小さな体格の、四脚類の竜がいた。その首の真ん中には剣が深々と突き刺さっており、まん丸な目が見開かれたままピクピクと動いていた。

 動揺の見える観衆をかき分けて、ギルが獣の前に出た。静かな笑みを浮かべている獣は群衆の前で堂々と佇んでいる。

「白昼堂々、何のつもりだ」

 眉間にしわを寄せ、牙を見せる元傭兵へ、敵はかかかと笑う。

「いやなぁ、こいつが敵前逃亡しようとしたから、逃げる前にやったわけだわ。そしたらちょうど作戦決行の合図がきたから、合言葉を叫んだワケ」

 剣を掴んで、蜥蜴の体から引き抜く。まだ息はあるようだが、この状況では絶望的だろう。

「んじゃ、こう言えばいいか? 景気づけの一人目の首にしたんだ。なんか悪いか?」

 衣服の裾で剣を拭きながら、立脚類の獣は大きく空気を吸い込んだ。

「王に至宝を! 世界樹、頂戴しよか!」

 へらへらと笑い続ける獣のその言葉を皮切りに、次々に金属音がこすれる音が鳴った。あらゆる方角からギラギラと輝くものが垣間見えた。

 逃げてください。安全な場所まで。

 とっさの人間の王の言葉が市民の耳に届き、行動を促すには少しだけ遅かった。次々に悲鳴が木霊し、ドドドと一斉に足音が鳴り始めた。一瞬の静寂が嘘のように、一糸乱れぬ逃走の奔流が生まれる。振り返ったギルもさっさと逃げろ、と声を大にして叫ぶ。

 数人の武器を持った者たちが背後で市民に攻撃している。悲鳴と、混乱が増幅していく。

 状況を確認していたギルの死角から、獣が距離を詰めて斬りこんできた。舌打ちをしながらそれを右手の甲で受け止めると、外套が裂け、鋼鉄が姿を現す。ガキンという音に、頬を吊り上げた獣は削ぐように剣を滑らせた。だがガリガリと金属と刃がこすれ、二人はすれ違う。

 目の前に迫る敵の顔面を、一瞬で左手拳で狙いを定めるたギルは、短い鼻先の横を殴打する。半ば吹き飛ばされた獣は鼻血を垂らしながら再び笑みを浮かべる。

「そんなもん、ただの一般市民がつけてるもんじゃないやろ、普通」

 ぷっと赤と白を地面に吐き出した。カッと小さな音。

「ま、あんたなら当たり前か。石ばっか探し回ってる土竜の傭兵、ドラゴンの治める国の英雄、ギル」

 笑みとは真逆に、憎々し気な視線がギルに刺さる。対する元傭兵も外套から短い刃物を抜いて構えた。

 王に至宝を。王のいる方向から繰り返し叫ばれる言葉と、悲鳴。何も持たない市民を追い回している彼らとは別に、ガチャガチャとやかましく鳴る音が道の向こうから聞こえてきた。

「隠居暮らし始めたってことは知ってたけど、こんな日まで武装してるなんてなー。勝てるんかなー」

 交戦が始まった。元市民が襲い来る騎士たちの攻撃を防ぎ、応戦する。

「あー、失敗か、コレは。思ったより騎士が来るのが思ったより早い」

 少しばかり考え込むそぶりをした獣は剣を握りしめたまま、背後の路地に向かって走り出す。角を曲がって姿が見えなくなると、追うこともしないギルは振り返る。

 十程度の騎士が、同程度の武器を持つ者と戦っている。その足元にはいくらかの犠牲者が倒れ、重なっている。少し視線を上げれば王が剣を振るい、一人、また一人と舞台に躍り出る敵を討っている。

 武器を手にしたまま、あたりを見渡したギルは、再び振り返り倒れている竜の鼻先を乱暴に足先でつつく。

「おい、まだ生きてるか? 教えろ。おまえらの目的はなんだ」

 だが力なく動くその姿に、ギルはあきらめた。

 次に、戦場と化した通りを駆け抜けて王のいる場所にたどり着く。王と人間が切り結んでいる場に乱入したギルは敵の背後をとった。素早く首根っこをつかむと、後ろに引いて地面に押し倒した。

 不意の力に倒れた人間は剣を取りこぼすことはなかったが、起き上がろうと地面に手をつく。しかし喉元に向けられた輝く銀色を認め、動きを止める。

「答えろ、王とは誰だ。貴様らの目的はなんだ」

 トーンを数段落として尋ねるギルの背後で、王が新たに現れた敵を相手に戦いを再開している。だが土竜はまっすぐ敵を見つめて、答えろ、と繰り返す。

 臭いと喧騒が濃くなっていく中、動けない敵はようやく喉を震わせる。

「わ、わたした、ちは、砂漠の王に、雇われただけ、だ」

 そうか。ギルは彼に一言述べ、武器を取り上げて解放した。市場から逃げるように忠告すると、戦意を失ったらしい敵はそそくさと逃げていく。腰を上げてみれば、周辺の喧騒は沈静化していた。ただ、遠くからドォンドォンと爆発音が繰り返し聞こえている。

 この場は、どうやら騎士の勝利に終わったらしく、数人の騎士が通りで何やら話し合っている。それを尻目にギルは王に声をかけて、敵から聞いた言葉を伝える。人間の王はそうですか、とだけ答えて、剣に付着したものを払う。

「となると、この戦いは続いている、と捉えるべきですね。カルもグレイズも動き出しているといいのですが」

 眉を寄せる王だったが、そうだな、とギルは踵を返し歩き出す。半歩ほど踏み出しその背に、お手伝いいただけませんか、と尋ねようとも、青年の足は止まらない。

「悪いが、おまえらに付き合ってる暇はない。おまえたちでどうにかしてくれ」

 本来、元傭兵が向かおうとしていた方向へ、逞しい竜は消えた。生き残った騎士に呼ばれた王は名残惜し気に彼を見やってから、部下たちのもとへ歩き出す。

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