握る刃に迷いなく
淡い光に照らされている暗闇の中で、ぱちりと、磨きぬかれた二つの宝石が輝いた。地面に転がっていたらしいそれはゆらりと浮かび上がり、ぱちぱちと何度か消えては、光る。
洞窟にあるわずかな光を跳ね返す眼は、まっすぐ正面の闇へと向けられていた。静かな時間の流れる外から響いてくるのは、規則正しくもテンボのよい足音。初めはゆっくりとしたものだったが、カチャカチャという音と共に、歩調が早くなってきているようだった。
眼の下の顎を何度か開閉すれば、首からパラパラと石片が落ちる。前、後ろと見回し、暇をつぶしてしばらく、足音の主と会いまみえた。
軽そうな鎧を身に着けた四脚類の獣が一人現れた。肩と背中を中心に着けられた邪魔そうでもある装甲は、身を守るには心もとないだろうが、獅子の威厳をさらに引き立てているように見える。
「テレア殿、急な訪問をお許しください」
たてがみを揺らしながら面を上げ、つぶらな瞳が天井近くにいる洞窟の主を見つめる。
「別にかまへんよ……リドル、やったか? あんたは」
じぃと見下ろす彼女の問に、肯定する王のしもべは大きな欠伸を一つして、けだるそうに腰を落ち着けた。
「あんたなぁ、今はお昼休憩や。訓練したいんなら、もうちと時間置きぃ。真面目なんもええが、身体壊すだけや」
すぅと長い首をおろし、目線の高さを合わせてやるテレアは彼の顔をまじまじと眺める。普段から険しいリドルの目付はいつにもまして悪い。睨みつけている、というよりも自らに抗おうとしているものだ。
「寝てへんのか? そんなんで王様守るんか? やめとき。足手まといになるんがオチやろ」
そんなことはありません、と疲労の見える声。たてがみをふさふさと揺らし、眉間により深く皺を作り出して睨む。
「ひとまず、要件をお聞きください。二つ、ございます」
返事もせず、微動だにしない彼女が牙の隙間から、舌をのぞかせた。石を剥がしたような見た目に反し、乾いた輝きを放ちながら滑らかにうごめく。
「一つ、グレイズ様の側近、エプルから、伝言です。荒れ地の真ん中に、武装した敵兵を確認。包囲をお願いしたい、とのことです」
はいよ、と即座に返事をしたテレアが大きく口を開く。次を述べようと空気を吸い込んだリドルだったが、腹の底に響く振動に思わず腰を上げた。突然の爆音と共に、洞窟が数十秒にもわたって揺れる。
涼しい顔をしている彼女に対し、リドルは視線をくるくると動かす。
そうしているうちに揺れは納まり、数秒の間をおいてから獣は再び口を開く。
「もう一つは、カル様の行方です。お心当たりはございませんか? 昨日の明け方、グレイズ様がお見かけした以来、誰も見かけておりません」
ようやく次を述べたリドルの鞭のような尻尾が数回揺れる。
「一つ目は、分こうた。魔法が届く限り、作ったったよ。規模は分からんから適当やけどな。ちと、脆いのは勘弁しとくれ」
十分です。よくよく見ればたてがみの手入れが行き届いていないらしく、艶がない。
「二つ目は、知らんな。そもそも、来ても竜のやつくらいや。人間と獣のやつとはその昔、一度顔合わせた以来、おうてないんや」
そうですか、と視線を落とす獅子。石の舌が伸びて、彼の眉間を撫でた。
「テラー呼んだる。あいつのが、なんか詳しいやろ」
うつらうつらとする彼らは、間もなく、どこからか現れたテラーから話を聞くことになる。神出鬼没の狐と呼ぶにふさわしい彼は、相変わらずの正装のまま、折り目正しく答える。
「獣の王、ですか? 存じ上げません。すれ違いもしておりませんので……お力になれず、申し訳ございません」
再びうなだれる側近に、協力を申し出るテラー。だがそれを断り、礼を言い残すリドルは腰を上げ、来た道を戻ろうと二人に背中を見せる。
「お邪魔しました。ご協力、ありがとうございます」
とぼとぼと闇へと消えていく後ろ姿が完全に見えなくなってしばらく、悲鳴が木霊した。ガラガラという岩の崩れる音に紛れ、彼は王の名を何度か叫んでいたが、間もなくして消える。平然としている二人は、リドルの消えた闇をただ眺めていた。
「テルは寝とるんか? やかましいから閉じ込めたけど」
面倒そうに口を開いたのはテレアだ。はい、とテラーは尻尾を一振り。
「少し前に寝付きました。今の声で、起きた、ということはないでしょう」
首を伸ばすテレアが首を折り曲げ、背中に落ち着ける。
「そりゃええ……なんか外が騒がしいみたいやけど、巻き込まれとうないなぁ」
返事をしない獣の姿が消える。取り残されたドラゴンは再び目を閉じた。わずかな明かりが岩肌を照らし、所々が輝いていた。市場ではいくつもの爆発が巻き起こっていることなど、興味なさそうに。
いくらかの時間が経ち、再びテレアが首を上げた。先ほどとは異なり、複数の足音。鎧の鳴る音や、四脚類特有のもの、引きずるような音も聞こえる。
だがその中には、滅多に聞くことがない音が混ざっていた。ペタペタという、靴を履いていないだろう音だ。
侵入者に気が付いたのか、テラーが再び現れた。テレアの腹を背後に、背筋を伸ばす彼は、誰でしょうか、と柔らかそうな毛皮の尻尾を揺らす。
「まぁ、市場でなんかなっとるみたいやし、避難者やないやろ。近くには敵がおるゆうとったし、とんだもの好きってとこちゃうか」
喉を鳴らしてわずかに笑うドラゴンはゆらゆらとしながら客人を待った。睨むように鋭い視線を向ける狐は、闇から現れた彼らを静かに迎えた。
四人の立脚類を率いて姿を現したのは、四脚類の長毛の黒い獣――ヴィークであった。艶のある長い毛皮を輝かせながら、テラー、テレアと顔を見やった。
後ろにいる者たちは、いくらかの装備を整えた立脚類の竜、獣、人間の男が一人ずつ。どう見ても道楽に来たわけではないらしいことが分かる。もう一人を除いては。
細い体躯をした獣の立脚類だ。女ものらしい染みだらけの寒そうな服を身に着け、片手には抜き身の短剣を握りしめている。ただ彼女は、真っすぐ、山の姿のドラゴンをギラギラと睨みつけていた。
「邪魔するよ、荒れ地のドラゴン。今日は、外がうるさいね」
日常会話をするかのように口を開いたのは黒犬だ。地面に座り込んで尻尾を一振り。後ろの者たちは各々、黙って目をぎらつかせながら洞窟を舐めるように見つめている。
「せやなぁ。何が起きとるかしらんけど、今日は定休日や。帰ってくれへんか?」
ははは、とヴィークは笑いながら鋭い牙を見せつける。おかしいこと言うたか、と首を下ろして耳打ちされたテラーも、知りません、と答える。
「そっちは休みでも、こっちは仕事でね。関係ないのさ」
挑発するかのような物言いに自然と身構えるテラー。すると戦士たちの視線が彼に向けられ、ほぼ同時に得物の柄に触れる。
「要件を言おうか、テレア。この娘っ子にリーアを返してやっとくれよ」
つまらないと言わんばかりに欠伸をする。誰や、とドラゴンがわずかに首を傾げれば、ヴィークのすぐ後ろにいる女の獣が牙を剥いた。眼を見開き、眉間にしわを寄せ、毛を逆立てる。
「ふざけるな! あんたがリーアを奪ったから! あの人も死んだ!」
握り閉められた両の手のうち、何もない方からぱたぱたと滴る血。はてと目を丸くするテレアは、あんたか、と間をおいて口にする。
ある激しい雨の日、人間の赤ん坊を抱いて駆け込んできた夫婦の片割れだ。
「リーアってのは、あの赤ん坊のことかいな?」
静かに尋ねながら首を伸ばしてずいと彼女に勢いよく近づけば、蛇のような顔の急な接近にびくりと後ずさる獣。その下にいるヴィークの頭にテレアの石片が降り注ぐ。
「あんたら、自分たちで置き去りにするて、選んだくせして、今更返せ? ……はは、ふざけた話やな?」
しゅるしゅると目の前で踊る硬そうな舌に、無機質な視線に、妻は独りで立ち向かう。
「うるさい! 私たちはリーアを治してって頼んだんだ!」
負けじと牙を見せつけながら威嚇する。鼻先がぶつかりそうになり、すっと身を引くテレアは鼻を鳴らして彼らを見下ろし揺れる。
「分かったよ。なら、そのリーア、を賭けて、ゲームでもしようやないか」
元母が口を開き何かを言いかけるが、言葉にできず喘ぐ彼女に代わりヴィークが了承する。歯ぎしりする彼女の脛を黒い鞭が撫でる。
「落ち着きな。勝てばいいんだよ。焦ったら、勝てるもんも勝てなくなるよ」
よほど思いつめているのか、固執しているのか、数秒経ってようやく獣の毛皮は落ち着いた。テレアへの視線だけは変えず。戦士たちの敵意も気にせず、少しばかりの時間をおいて、ドラゴンたちは口を開く。
「んじゃどうしよか。あんたら、もともと力づくでやるつもりやったんやろ? なら、こっちがルール決めてもええな?」
いたって変わらぬ物腰に、ヴィークは心なしか楽しそうに乗った。
「んじゃ、こうしよ。ここのルールは知っとるよな? あたしの用意した洞窟に入って、歩き回る。んで、出会った相手と戦って、負けた方が勝った方に硬貨を一枚渡す――これはええか。少ないしな」
狐は黙って敵を見つめつつ、耳を彼女の方へ向ける。
「そうだね。もっと簡単にしようよ。一対一での勝ち抜けにして、私らとそっち、最後まで残った方が勝ちってのはどうだい」
戦士たちが彼女の提案に同意する。続けて、殺していいのか、負けたやつはどうするんだ、と前のめり気味に横槍を入れる。静かにしな、とたしなめられれば、彼らは黙る。
獣の女は両の手で拳を作りながら、じっと聞いていた。
「躾はいきとどいとるんやな……ここでの殺しは、禁止させてもらおか。死体の処理とかは面倒やからな。負けたら……いや、こうしよ。硬貨を一枚ずつやるから、負けたやつは、それを割る」
へぇ、と尻尾が揺れる。
「負けたやつは待っとれ。賭けが終わったら出したるから」
間髪入れず、参加者はどうしますか、とテラーが見上げる。
ヴィークたち五人に対し、ドラゴン二人。単純に見れば、不公平ではある。
「ああそうだ。こうしないかい? 私たちの誰かがリーアを見つけたら勝ち、ってのは? あんたらと出会ったら戦って、負けたら脱落。こっちが全員戦闘不能になれば、そっちの勝ちって、いうのはさ」
得意げな顔の獣だが、渋い顔のテレア。
「それやと歩き回る意味、半分ないやろう? まぁ、平和に終わるんなら、そっちのがええか。さすがに、二人で相手すんのはしんどいから、リドルも混ぜさせてもらうよ」
そこからゲームの詳細なルールが決まるまで時間はかからなかった。少しの時間をおいてから開始することをお互いに同意すると、すぐにテラーは姿をかき消した。
一方、岩山のようなテレアの巨躯はゆっくりとその身を溶かした。驚愕の眼差しの客人のことなど気にせず、液体の姿を経てみるみるうちに立脚類となる。息を飲む戦士たちに小さく手を振って、のんびりと奥へと歩き出した。
作戦会議という名の自由時間が訪問者に与えられた。とはいっても互いに出せる話題のない五人のうち、しびれを切らしたのは獣の戦士だ。
「姐さん、獲物はあいつらだけなのかよ。どっちも手ごたえなさそうだ」
投げ斧を背負い、短剣を腰に着けている彼は草食類だ。前のめり気味に背が曲がっているが、その脚はほぼ真っすぐに伸びている。
「そうやって見くびってると、足元掬われるよ? 強い奴ほど、本領はギリギリまで出さないもんだしね」
彼らに向かい合うヴィーク。
「リドルって、だれだ。知ってる、か」
次は竜。彼もまたひどく背中が曲がっており、地面についている手が目立つ。その尻尾は途中で切れており、代わりに鋭い刃物の柄が埋め込まれている。
「たしか、カル、獣の王の配下だったろ。なんで、あのドラゴンが参加させるってことになる?」
いたって真面目そうな、二本の剣を腰に差す禿頭の戦士は首を傾げる。
「たしか、王様が行方不明って、聞いたね。少なくとも、それくらいしか情報はないよ」
そういうことか、と人間の戦士は黙って座り込んだ。どうにも暇なのか、他の二人は会話を始めてしまう。
五人は輪の形を成せども、外にいる女の獣に隣にいる黒犬は声をかける。
「リーアを、取り返すんだろ?」
テレアを見失ってから、やり場のない視線が地面に向けられている。充血して疲れの見える目だが、その裸足はしっかりと地を踏みしめている。
「抱え込んだってかまわないけど、依頼したのはあんただ。できる範囲で協力してやるよ」
はい、とだけ答える彼女に、返される言葉はなかった。
洞窟の奥深くの密閉された空間で、テレア、テラー、そしてリドルが集まっていた。
「そうですか。リーア……テレア殿が引き取ったお子様を奪い来た者がいる、と」
細かな砂で作られた寝床の上で、毛皮に砂を絡ませつつ伏せているリドルは、二人からの事情を聞いて頷いていた。先ほどと違い鎧を脱いでおり、疲れている様子も見えない。
「ああ、そういうことや。あんたも混ざってくれんか。人手が足りんからな」
立脚類の姿で尻尾を揺らすテレアの言葉は穏やかながらも、鋭い視線を伴っている。大きな欠伸の後、体を振るって砂を落とした獅子は砂場から降り、すっくと立つ。
「もしかしたら、その黒犬からカル様の情報が手に入るやもしれません。奴を逃がさぬよう、お願いします」
頼むわ、と答えた主は微笑み、溶けて地面へ姿を消す。
「リドル、すみませんね、王のことがさぞ心配でしょうけれど」
テラーの何気ない言葉。仕方ありません、と彼は首を振る。
ダンジョン洞から立ち去ろうとしたところ、リドルは泥のようになった地面に飲み込まれた。脱出することは叶わず、気が付けばこの砂の寝床に寝かされていた。結果、この密室なく休むことを余儀なくされた。
そこにいるだけで、みるみる力が戻ってくることに気が付いたのは、二人が現れた先ほどのことだった。
「ここまで施しを受けたのなら、応えなければ。殺されてしまいます」
テラーが感謝します、と口にしたのちに、二人は雑談に興じる。市場のこと、ダンジョン洞の仕組みや由来の話。
やがて、ゴゴゴゴゴ、と再び鳴り響く地響き。洞窟に命が宿り、その身を作り替え始めたのだ。
彼女たちが訪問者に与えた時間は、あとわずかだ。
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