遅々とて話は進まずに

 窓から差し込む光が少なくなったころ、ボッと明かりがともった。

 球状に夜の暗さが払われ、浮かび上がるのは三つの姿と、長くのびる巨大な影。よくよく見れば照らされていない者たちもおり、立脚類が五人と、四脚類が二人いる。

 明かりをてかてかと返しているのは、尻尾を背もたれの隙間に通し腕と脚を組み、椅子に体重を預けるグレイズ。得意の魔法で火をつけたのは私服姿の彼だ。外では白の衣か鎧を身に着けているが、今は上下一枚となっている薄い一般的な服だ。疲れているのか、その視線は鋭く、口は固く結ばれている。

 ほんのり照らされ白い肌が一層目立つのは、背筋を伸ばして膝に両手を添えているフェリ。普段、背負っている武器は流石に邪魔なのか、全て床に下ろしている。だが手の届く範囲なのは間違いない。白の衣の下には厚手の薄い黄色の服がのぞいている。他の三人に視線をやってから、口を結びなおす彼女の目は決意のようなものに満ちている。

 輝く銀色の毛並みを整えているのはカル。ブラシで梳くたびに、そこに絡まっている毛が少しずつ増え、通りが悪くなってきている。彼は上下分かれている長い白の衣だけ羽織っており、胸のあたりからはふわふわとした毛がのぞく。

 もう一人は白紙の本を開いている人間の女性、レミーだ。フェリにも引けを取らない、金色の長い髪を一つにまとめ、几帳面そうな青い瞳は正面にいるカルを見つめている。右脇に置いてあるペンの刺さっているインク壺の中身を確認しつつ、口を閉ざしている。

「では、急ではありますが、集会を始めましょう。書記はレミーにお願いします」

 重苦しい空気のまま口を開いたのはフェリだ。はい、とりりしく答えるレミーに続く者はいない。急に、笑みを浮かべ始めた彼女に、険しさを増した視線を向けるのは側近だ。

「フェリ様、会議を始める前に、関係のない者たちをたたき出すべきではありませんか?」

 言葉と共に眉間の皺は深さを増し、竜と獣の王、それぞれの側近に移る。獣の王は右手を伸ばしてわしゃわしゃと指を動かしている。そこには自身の側近である獅子のリドルの顎がある。獅子は座ったまま目を閉じており、耳をそばだてれば規則正しい鼻息が聞こえてくることだろう。

「なら、昼間に開くべきだな、レミー。今頃起きているのは、夜行性の鳥や、盗人どもくらいだろう」

 時折船を漕ぐグレイズの後ろでは、微動だにしない鎧づくめの騎士団長の一人と、四つ足の竜がいる。騎士の方は背筋をぴんと伸ばし起立しているが、竜の方は長い首を畳んでうとうととしている。茶色の中にぽつぽつと浮かんでいる白玉が特徴的な、エプルという彼の側近だ。

「緊急を要する可能性が高いため、この場をフェリ様に設けていただいたんですっ!」

 ガン、とテーブルに拳を叩きつけるレミーに、それはなんだい、と獅子の顎を撫でながらカルは穏やかに尋ねる。抵抗もせずにグルグルと喉を鳴らしている側近に対し、彼は睡魔を払いのけているらしい。

 ええ、ええ、と青筋が見えてきそうな表情のレミーは続ける。

「王たちは気づかれているかもしれませんが、種族問わず、市場の人口が増えたと感じませんか? それも、ここ最近」

 平静を装うとする彼女は、背筋をピンと伸ばしたままペンを乱暴に走らせる。王たちは思案するそぶりを見せ、まず答えたのはグレイズで、鼻の上を軽く右手で押さえる。

「そうか? 指揮をしている中では、そうは感じないが……増えているなら、騎士の志願者も増えるかもな」

 続けて大きな欠伸と共に尻尾を揺らすグレイズに、後ろの騎士は確かに、とくぐもった声で同意する。

「広大な市場とはいえ、目に見えて増えている気はします。しかし、過去にもこのようなことがあったと聞いております。いかがでしょう、レミー様」

 風よけの中にあるはずの火が揺れる。フェリはそうですね、と笑みを絶やさずに続ける。

「先代の王の残した記録にも、そういった時期はあった、とありました。当時の原因は、海辺の国が荒れたために、移民がやってきたとのことですが」

 そうなんだ。牙をのぞかせるカル。

「常識ですね。書庫にある記録くらい、手にしてみてはいかがですか、獣の王」

 乱暴な物言いと共に金髪が揺れる。また今度ね、とにこやかに逃れる獣はリドルを撫でるのをやめ、テーブルに両肘をつく。だが次の発言者はグレイズだ。

「それで、何が問題なんだ、レミー。市場にいる者が増えたところで、いつものことだろう」

 僅かな時間のやり取りでさえ、白紙に記録されていく。

「私が個人的に、配達員達に聞いて回りましたけれど、最近、そういった事件が起こっていないようなんです。配達員が増えた以上、そういった情報は入手しやすいはずですが」

 そうですよね、とレミーがカルに視線を向ける。そうだね、と指を組み、顎を乗せるカル。

「どちらにせよ、人口の増加の低減のために、市場への出入りに制限を設けるべきだ、とは言いません。しかし、多いからこそ、良からぬことを考える輩の人数も増えるはずです。気を付けるべきかと」

 言葉選びに迷いのないレミーは、普段から室内で本ばかりを読み漁っている。故に書庫が彼女の部屋になっていたり、鍵の管理を任されたりする。側近としてそれはどうなのか、という意見も市民から寄せられる。しかしエプルも普段からグレイズとは別行動をとっていることも多い。

 彼の場合、騎士たちの備品の管理を主に行っていることが多い。グレイズ当人は訓練を中心に活動しているのだ。

 当の側近も、王二人もそれでもかまわない、という認識である。例外の側近を従える王はふと思い出したかのように言葉を選ぶ。

「ああ、そういえば黒装束の奴らに襲われたっけ。まぁ、珍しいことではないけれど」

 恐怖も感じていないかのような口ぶりだ。

 市場の者たちには王たちの姿は知れ渡っている。故に狙われることは少なくない。そして、そのならず者の行方はグレイズと騎士だけが知っている。

 王全員が知るべきだ、という意見もあったが、知っていても口出しできることはない、という結論に至ったのだった。それに加え、三人の中でもグレイズはそういった知識も備えていた、ということもある。

「……仮に、ですけれど、増えた分全員が暗殺者だったらどうするんです? いくらなんでも、対抗できはしないでしょう?」

 レミーの強い語気は依然として緩まない。明かりが静かに揺れた。

 そうだろうな、とグレイズだけが呟く。フェリは血の気の引いた顔で軽くうつむいた。一方でカルだけは表情を変えない。凛とした瞳に、陰りはない。

 とにかく、と宣言するかのようにペンを叩きつけるレミー。

「仮にも市場を治める者として自覚をお持ちください。それぞれが管理する以外のことにも、目を向けてください」

 話は終わりだ、と言わんばかりに本を閉じるレミーは、乱暴に立ち上がって外へと出て行ってしまった。その大きな音にびくりと目を開いたリドルとエプルは主から休むように声をかけられる。二人は遠慮なく王たちと、騎士を残して出て行った。残された王たちは改めて視線を上げて互いの顔を見やる。

「確かに、やけに増えたな。何ができるでもないが」

 グレイズは相変わらず眠そうだ。

「先代の亡くなる頃から、人口が増え続けていることは把握していますけれど、レミーも気づくくらいに顕著、だということですね」

 まだ血の気の戻らないフェリは、普段の姿に似合わず表情を曇らせている。

「増えていたとしても、それが全て敵になるとは限らないよ、二人とも。王としてここにいる以上、狙われることは変わらない」

 カルは何も考えていないのか、あるいは恐れていないのか。浮かび上がる表情も、声音も変わらない。

「それとも、尻尾を巻いて逃げるかい? グレイズ、フェリ」

 獣の問いかけに答えたのは、輪の外にいた騎士だ。

「我らは騎士として、王、あなたたちに尽くします。無用な命などありはしませんが、お役立てください」

 いたって典型的な答えに、薄く笑みを浮かべる竜の王はゆっくりと立ち上がる。

「ああ、おまえたちが裏切らないことを期待している。おまえらはどうするんだ」

 椅子の背もたれから尻尾を引き抜き、背筋を伸ばす。見下ろす形となった二人に視線をやる。先に答えるのは、足元の武器を持ち上げ背負いつつ立ち上がったフェリだ。

「何も起きないのが最善です、よね」

 ためらいの見える目に、ぎらりと光る王の眼。

「当たり前だ……それでも、いつまでも続くとは限らないことくらい、おまえも分かってるだろ。何が起こってもいいように、やれることはやるべきだ」

 さらに鋭くなった視線を見返したフェリは出口へと向かい、出て行った。おまえはどうなんだ、と再び問うグレイズに、カルはぼんやりと見上げる。

「ぼくたちに逃げる場所なんてないだろう? 分かってるさ」

 選択肢なんてない。と続ける獣に、竜は答えることなく外へと出ていく。騎士団長もそれに続く。

 残されたカルは彼のいた中空を見つめ始める。

「いくらでも来たらいい。奪いに来ればいい。奪えるものなら……なんて」

 愉快そうに笑う彼は揺れる灯の守りを解き、ふっと一息。はかなく消えるとともに部屋が闇に染まる。だがつまずくこともなく部屋から出たカルは自室へと戻る。

 その途中、グレイズの部屋の前を通りかかる。もうすでに寝静まったのか、静まり返っていた。

 フェリの部屋は、小さな物音が聞こえてくる。

 だがまっすぐと自室へと向かったカルは部屋に入るなり大きく欠伸をして、床に就くのだった。

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