幾千刃は食らい合う

※注意 : 微グロ要素あり


 いつしか見た、透き通る海の色をした空の下、二人の王は食事をとっていた。陽の光が隠され始めた昼の入りの時間帯。いつもより早めに入店したために、まだまだ席は空いている。

 玉座前の道を降りると、広場がある。さらに少し歩けば、彼ら行きつけの飲食店がある。あちこちを照らす世界樹から落ちる木漏れ日。これを遮る日傘の備わるテーブルに皿を並べ、外の空気を吸いながら食事ができることを売りにしている。

 日光に白鱗を輝かせながら、むき出しの鋭い牙で咀嚼するのはグレイズ。顎を開閉させ咀嚼する様はおぞましさを覚える光景でこそあるが、どことなく輝いて見える目と、左右に揺れている尻尾の方は正直だ。普段と変わらぬ白の衣をはおり、愛剣を腰に下げ、ナイフとフォークで調理済みの分厚い肉を猫背になりながら口に運んでいる。ぽろぽろと食べこぼしが落ちていくものの、テーブルを挟んで正面に座るフェリは気にすることもなく果実をかじっていた。

 いつも身に着けている武器は地面に下ろし、椅子の背もたれに体重を預ける彼女は、衣が汚れてしまわないように気を付けながら食事を続けている。どことなく楽しそうな笑みをたたえながら、気品を保っている。

 そういえば、と先に口を開いたのはグレイズだ。付け合わせのみがごろごろと残った分厚い皿はまだ熱を持っている。

「カルのやつ、どこいった? 昨日の朝、見たっきりだ」

 顔を上げたフェリは、芯だけとなった果物を皿の上に置き、房状に実る果実を一粒もぎとった。

「そういえば、そうですね……昨晩は部屋に戻られていないようでした。配達員と外泊するときは、レミーに一声かける人ですから……何かあったのでしょうか」

 果実を味わう彼女に、んなわけないだろう、と即答する。ナイフが汚れるのも構わず皿に置き、野菜の欠片にフォークを突き刺しながら左腕で頬杖をついた。

「酒を飲むか、華になるしか能のないやつだ。どうせ、女か誰かにでも誘われたんだろう。明日になって戻ってこないようなら、探してやればいい」

 それを大口に運んで、舌で潰す。柔らかくなるまで熱が通された野菜は口の中で転がされてから、嚥下された。

「レミーが言っていたように、何かが起こっていなければよいのですが」

 再び一粒もぎ取り、皮をむかずに口に含むフェリ。まったくだな、と昼食を平らげてしまったグレイズが沿道の方を見やった。

 その昔、ダンジョン洞の主がここに訪れた頃にはなかった石畳。長命である彼女に尋ねても、いつからあるか分からないそれは、ろくに整備されていないためにでこぼこと波打っている部分がある。だが行きかう者たちは気にせずに、我が物顔で道を行く。

 どれくらい者が増えたか。それを測る方法は存在しない。いくら数えようとも、常に商人や旅行客が出入りしているのだ。そして、周辺を切り開いて、舗装して、住処を建て、いつの間にか居つく。管理などできるはずがない。

 普段から眺めているためか、道行く者たちに変化は見られない。少年少女、夫婦から、商人。富裕、貧困、といつもと変わらない光景があるだけだ。

 ゆっくりとした光景に、長く息を吐きながら目を閉じかけた竜の王は、はっとして頭を振る。腰のポーチから数枚の硬貨を取り出し机に置き、俺は先に行くぞ、と立ち上がる。そして軽く勢いをつけ、沿道と店をしきる柵をひらりと飛び越え人混みに合流した。その尻尾で椅子を倒してしまったことにも気づかなかったらしい彼は、その流れに身を任せようとするが、思うように進めていないことは、その長身故にすぐにわかる。

 倒れた椅子を尻目に残された人間の王はじっと彼の背中を眺めながら、果物を平らげた。

「昼寝くらい、咎める方はいませんのに……」

 残された硬貨を数えてから微笑む彼女は近くを通りかかる店員を呼び止めて、皿を下げさせた。加えて、飲み物を注文してから椅子にもたれ、天を仰いだ。

 日傘に遮られているものの、視界の隅には世界樹の傘が見える。木漏れ日の少ない冷える景色を、彼女はぼんやりと眺め続けた。


 竜の王は道をどうにか通り抜けて、玉座へと入った。レミーの部屋に顔を出し、獣の王が帰って来たかどうかを尋ねたが、いいえ、と鍵ばかりの掛かっている壁から答えが返ってくる。邪魔したなと彼女の部屋を後にして、次に彼が向かう先は、一階にある長い廊下の先の先だ。

 配達員たちの寝床でもある空間を通り抜け、玉座の裏口から外に出る。

 そこは世界樹の根元。いくつもの木がお互いに根を張り、支え合い、天を目指している世界最大、と言われている樹。誰がそう呼び始めたのか、事実なのか、王もドラゴンたちも知らない。

 グレイズは数歩足を進めて、天を仰いでから膝を大きく曲げた。そして勢いよく上半身を押し上げると巨躯は中空へと発射される。大きく跳躍した彼は涼し気な表情のまま、バサバサと衣をなびかせ、きれいな放物線を描いて樹の枝の一つへと着地した。

 ミシという音と共に枝がしなる。同時にグレイズの裸足に踏まれた樹皮がはがれ、ベリベリと面白いくらいにめくれていく。油断していたのか、はたまた予想していなかったのか、バランスを崩してよろける。

 ぽかん口を開き、おー、と落ちていく世界樹の欠片を見下ろしたのは、先客の騎士らしい立脚の獣だった。

「グレイズ様、ちょうどよかった。荒れ地の方に、何か集まり始めてるんですよぉ」

 鎧こそ着ていないものの、騎士の短刀を肩に装着している彼は胡坐をかき幹にもたれかかっていた。体勢を立て直した王は、遺産を貸せ、と大きな手の平を差し出した。

 どぞ、と騎士は持っていた遺産を手渡す。二枚の透明な結晶らしいものがはまった筒が二つつながったものだ。覗き込めば遠くのものが大きく見えるという、ありふれた遺産。その結晶がどのようにして作られたのかは解明されていない。

 枝の上で仁王立ちをするグレイズ。衣の下で揺れる尻尾がちらちらと騎士の目の前で揺れている。

「旗とか、そんなもんはないですねぇ。産まれも育ちもココだと、こういうときに困りますねぇ、グレイズ様」

 緊張の欠片もない騎士は欠伸を一つ。

 荒れ地には数百という、鎧姿の者たちが馬も使わずに隊列を成していた。市場で使用しているものとは全く別物の、いくつもの赤いラインが描かれている白い鎧だ。

 今にも足音と鎧の音が聞こえてきそうなほど一糸乱れぬ、規則正しく動き続ける無機質さを思わせるそれを率いているのは、大柄な兵士。その姿をじっと目を細めて見つめたグレイズは、彼らがぴたりと停止したことを確認してから、振り返ることなく声を張り上げた。

「おい、下にいるはずのエプルに伝えてこい。荒れ地方向に警戒、テレアにも協力を要請しろ」

 騎士はうい、と答えながら立ち上がると枝からためらいなく飛び降りた。地面に引かれ落ちて行く彼は間もなく、布地のを広げてゆっくりと玉座付近へと消えていった。彼を見送ることもなくグレイズは遺産を懐にしまい、再び枝から飛び上がる。

 目的地は一つ。根を、市場を、人々を飛び越え、真っすぐ、矢のごとく突き進み、着地したのは荒れ地のど真ん中。ドラゴンの住処とは少々離れた、白の騎士たちの眼前だ。

 大きく脚を曲げ、砂埃を巻き上げ着地したグレイズの姿に驚く者はいなかった。すっくと立ち上がる巨躯にそなわる、白く美しい鬼のような顔面があらわになろうとも、白い騎士たちは静かに、市場と王を見据えている。

「砂漠越えご苦労、とでも言えばいいのか、おれは」

 一層険しさを増す王の視線は、白騎士の先導者に注がれていた。数歩で手が届いてしまいそうな距離でも、グレイズは腹からどすの効いた声を発した。

「それとも、ここで死ね、と叫びながら一撃で殺した方がよかったか」

 左手でカチャカチャと柄を鳴らしながら、見るからに機嫌を悪くしている王へ、先導者は右手で兜の面を上げた。汗だらけの、色黒の肌と黒の瞳を持つ男がいた。

「これはこれは、グラス・エース殿。世界樹に選ばれし竜の王が、我々に何の御用ですか?」

 黄ばんだ歯を見せつけながら、にかっと笑う白騎士に、黙れと一蹴したグレイズは右腕で彼らを薙ぎ払うように空を切った。広がる衣からわずかに遅れ、大地に落ちる影が奇妙に歪んだ。

 白騎士たちの頭上に水の塊が浮かんでいた。かと思えば、天から大量の水が降り注ぐ。雨というには激しい、海を切り取り浮かべ、破裂させたようなそれに、ようやく軍勢が怯んだ。

「引かないなら、全員殺す。世界樹を手に入れる――貴様の狙いは昔と同じだろう!」

 乾いた大地に数多の水が吸い込まれた。半数の白騎士が動揺する中、先導者が兜を閉めて、腰に差してある剣を抜き放つ。

「世界樹に懐柔されていると聞いていたが、事実らしいな、グラス? 父であり、師である俺を超え、一番の騎士になる、と息巻いていたおまえはどこにいった? 連絡も何もよこさずに」

 グレイズもまた剣を乱暴に引き抜き、牙をわずかに開いて舌をちらちらと出す。見開かれた黒の目は敵を射貫かんとばかりに狙っている。

「黙れ、ガデル! 貴様を師と思ったことなどない! いたずらに剣を教え、先代王の暗殺を命じたのは、異形の俺を厄介払いしたかっただけだろう!」

 ガデルと呼ばれた先導者が剣を抜き、号令と共に振り上げた。はっと気を持ち直した白騎士たちは次々に、背筋を伸ばし二人に視線を注いだ。

「誤解だ、グラス。王の暗殺が成功すれば、まともな地位を譲ってやるつもりだったんだぞ?……殺せ」

 ヒュッと空を切る音と共に、王へ剣が向けられた。

「もっとも、失敗したやつにやるものなんてない。ここで死んどけ、グラス」

 鎧の音をやかましく鳴らしながら、ガデルの後ろにいた一部の白騎士たちは王を囲んだ。だが竜はその先の、騎士団長を睨みつけながら細身の剣を構えた。

 同時に、ドォン、と空気が鈍く揺れた。だがこの荒れ地に、その方角を望む者はそこにはいない。世界樹の根元付近でもくもくと上がり始める黒煙を皮切りに、続けざまに建物が爆発し、火の手が上がっている。

 まずは二人が単身の敵に切り込んだ。ほぼ同時に、前後から。

「言われなくとも貴様だけは殺す!」

 大口を開き、舌を躍らせたグレイズは目の前の斬撃を弾くと、流れるように、ためらいなく斬った。細剣に触れるまいと騎士は身を引こうとしたものの、届いていないはずの刃に斬られ、倒れた。

 背後にいた白騎士は前進する王にもう一歩近づき、刃を振り下ろす。間違いなく背中を捉えていたはずの彼は、振り下ろす直前に、しなやかに動く尾に腹を打たれた。せき込みながら後ずさる白騎士は、剣を取りこぼしふらふらと下がってしまう。

 ふと、大地が明るくなった。赤く汚れた衣のことなど気に留めない竜の王も、白騎士も関係なく天を見やる。彼らの頭上に、太陽を思わせるかのような炎の塊が突如、現れたのだ。ガデルの後ろの白騎士たちが光源に向けて手の平を向けている姿がある。

 それはゆっくりと、王めがけて落ちてきた。包囲している白騎士たちはわずかに下がりながらも、王を逃がすまいと円陣を崩さない。

 鱗を輝かせながら目を細める王は、雑兵に用はない、と剣で天を大振りに薙ぐ。同時に彼を中心として砂嵐が巻き起こる。みるみるうちに炎が霧散し、突風が白騎士たちを襲い、耐えきれずに尻餅をつかせる。

 包囲の隙を見逃さずにガデルの方向へと素早く踏み込んだ彼は、再び仇敵の目の前に立った。

「世界樹に手出しはさせん。貴様は殺し、おれは生きて帰る――それで全て解決だ」

 まだ残る風に衣をなびかせる、ケダモノのように目を輝かせる王。兜ごしに、静かに見上げる侵略者。

 爆発に似た音が再び天に突き抜けた。だが新たな煙が立つことはなく、代わりに彼らを覆うかのように大地がせりあがる。

 進むこともできなければ、引くこともできない。踏み締められるほど傾斜は緩くなく、登れるような高さなどではない。絶壁に等しい壁がミシミシと大地を鳴動させてそびえ立つ。

「これも、おまえの魔法か? まるで、化け物だ」

 轟音の中、軽い笑い声と共に白刃がきらめいた。切っ先はグレイズの喉笛を捉えていた。刃が届いているというのに、王は避けることなどしなかった。

 白騎士は軽く首を傾げてから剣を眺める。よくよく手入れされているらしい輝きは、王の鱗と共に砂埃の中でもよく見える。

「そういえば、貴様に魔法を見せたことはなかったな」

 一方のグレイズは新品同様の剣を首で受け止めていた。鱗が受け止めたかのように見えた。にやりと口端を上げながらガデルを見下ろした彼は最小限の動きで左手の拳を握りしめて突き出す。

 ドン、と鈍い音と共に胸部を撃たれ後ずさるガデルは、背後にいた仲間に対し、退避を命じる。逃げ場などありません、と戸惑いを隠せない部下に、下がるだけでいい、と強く命じてから再び王の前に立ちはだかった。

 だだっ広いその場に二人を残して、散り散りとなる軍勢。彼らを眺めながら、攻めようとしない王は、敵が体勢を整え終えるのを待っていた。

「世界樹で、先代王の命を狙った俺は、あっという間に捕まった」

 数回せき込む白騎士は数回深呼吸をしてから、ゆらりと背筋を伸ばす。

「よくよく考えればおかしいな? ただでさえ目立つガキに、貴様は命令した。王を殺せ、と。だが、その王たちが剣と魔法の、師となってくれた。そのときから、貴様は敵だ!」

 牙剥く獣に、ああそうか。姿勢を整え終えたガデルは自身の側頭部を左手で殴りつける。

「少しでも師と仰いでくれたなら嬉しいもんだ。なら、俺は息子が至宝の守護者になったことを喜べばいいのか? まぁ、この老兵ができることはただ一つ」

 大きく空気を吸い込んだ老兵が声を張り上げた。市場の鎧と比べ、静かな音を鳴らし大股でグレイズに立ち向かう。

 仁王立ちの異形の王が魔法で作られた刃で剣を受け止める。息つく間もなくガデルは一歩下がって距離をとれば、そこをグレイズの左拳が打つ。一瞬停止した剛腕に向かって一太刀が浴びせられるものの、その鱗には傷一つつかない。

 ガデルは剣を引いて得物を引き寄せてから、叩きつけるようにして同じ箇所に振り下ろすが結果は変わらない。

 緩慢な動作で腕を引いたグレイズは、さらに距離をとるガデルの方向へ一歩踏みこみ、剣を突き出す。貫くどころか届きもしない刃の先端に、ボッと火が灯った。かと思えば、それはあっという間に球へと形を成し、弾丸のように飛び立つ。

 ゴウ。

 拳よりも二回りほど大きい火の塊はガデルの胸部めがけて、熱風を放ちつつ直進した。身を翻すよりも早く、ガデルに命中、爆発した。

 少し遠くで聞こえる金属音。汚れた白い衣をはためかせる王は煙立つ景色を静かに眺めていた。荒れ地に立ちあがる黒い煙の中で、多くの髭を蓄えた顔を露わにした男は、まだ立っていた。

「グラス……なぜ、おまえが、世界樹に見染められた」

 塗料と鉄の焼ける匂いが鼻をつく。その鎧は溶け、砕け、その身に刺さり、張り付いている。

「おまえが竜でなければ、王となれたのに」

 地面で燃える魔法の名残へ、呟いた人間は崩れ落ちた。肉が焼かれていく音を聞いても、王の表情は変わらない。ただ次の敵を見据えるだけだ。荒れ地に現れた逃げ場のない岩の壁の中で、白騎士たちは息をひそめて、立ち尽くす王の姿を見つめている。

 勝ち目などない。言葉を交わさずとも、それだけは確かなことであった。

 王の背後で、数人の白騎士のが魔力をかき集め爆発させた。轟音と共に岩が崩れ、市場への抜け穴が現れた。

 無論、白い異形が振り返る。特に表情を見せるでもなく、荒れ地を蹴る。

 彼らに追いつくのも時間の問題だ。

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