手放し捨てる理由なく
宝石を買うならどこがいい、と尋ねられれば、市場の者はどう答えるだろうか。市場では、宝石と言えば土竜が定期的に運んでくる加工品であるという認識が一般に浸透している。だが実際に買うとなれば、誰もが言いよどむことだろう。富豪の贅沢でしかない宝石を売る店の名前を市民が知っているとしても、ほんの一握りであることは確実だ。
では需要の中心である富豪たちが口にするとすれば、中でも高級な商品を扱う店と答えることだろう。
一方で彼らを顧客に得ようと、加工に工夫を加え、装飾にこだわり、大きい原石を手に入れるなど、互いにしのぎを削り合う宝石店。経営の上に立つ者は世界樹から生えてくるという魔結晶の塊を狙っている、ともっぱらの噂だ。
そんな商売根性を燃やし、にらみを利かせている彼らをよそに、石飛堂の主人は関わろうとしない。比較的安価な宝石を販売しているギルにとっては、雲の上の争いに過ぎないらしい。シェーシャも石に興味など毛頭なく、狭い市場の中で思うままに生活をしている。
彼らの住んでいる石飛堂は立地も景観も悪くはない場所に建っている。多いとは言えない富裕層が行きかう道に隣接しており、見栄えもそこまで悪くはない。それでも客足が遠いのは、取り扱っているものが安価なものだからであろうか。
そんな住居と化している倉庫が併設されている店舗に来客があった。木製の扉が数回叩かれ、ノブが回って客を迎え入れた。扉に吊るされているガラス製の鈴がリンリンと涼しげな音を奏でるものの、店の中はしんと静まり返っていた。
客は一人だけで、きょろきょろとあたりを見渡す。窓から差し込んでいる優しい光によって照らされている店内には、机がひとつと、ショーケースだけがある。掃除が行き届いているらしく、塵ひとつ見当たらない。
店員である飛竜はいつものように、ショーケースの裏で丸まっていた。そんなことを知らぬ客人は小さく足音を立てながら商品の前に立ち、覗き込む。そこには数こそ少ないが、指先でつまむことができそうな大きさの透明な宝石がそこには並んでいる。それらは高級店でも小さな宝石が買えるかどうか怪しいほどの値段が掲げられており、さらな二回りほど小さな石は大きく価格を落としている。
そこまで来てようやく気が付いたのか、シェーシャがのそりと体を起こす。いらっしゃい、と静かに声をかける。宝石の向こう側で見つめてくる竜に、客は驚いた様子もなく口を開く。これを買いたいの、と指さす先には最も安価でこそあるが、濁り輝く宝石。
「それでいいの? 私にはわかんないけれど」
どれも石ころだよね、と続けた彼女はショーケースの隠されている部分から一枚の紙を口で咥えて、客に渡す。
「石の番号と、どんなふうにしたいのか、書いてよ。いつまでに欲しいだとか、そんなのがあるなら、それも書いて」
ありがとう、と女性は紙を受け取ってテーブルへと上品に歩く。備え付けられているペンを手に取った。
その背中をじっと見つめる飛竜はショーケースに顎を置いて、じぃっと目を細めぼんやりと見つめている。やがて興味を失って、尻尾をゆっくりと動かしながら翼の付け根付近を舐め始める。若葉色の鱗が柔らかい舌で手入れされても、艶はよみがえらない。
窓から差し込む光が少なくなったころに、足取り軽やかな客はシェーシャに近づき紙を渡した。受け取った飛竜は期限を訪ねた。書いてあるのに、と客は軽く笑うが、字が読めないの、と力強く尻尾を打つ。
それから少しだけのやり取りを終えて、また店内は静かになる。客の後ろ姿が完全に見えなくなってから、シェーシャは倉庫への扉を半分開いて、預かった紙を滑り込ませる。注文があった場合の手続きだ。これを受けて、ギルは展示品の宝石をさらに加工する。
用を終え、すぐさまノブに牙をかけようとしたものの、向こう側から聞こえてくる聞きなれた声に動きが止まる。
次の瞬間、ノブと牙がぶつかり、ガリと音を立てる。乱暴に扉を閉めると、ショーケースの裏の空間でうつむく。半ば扉に額を押し付けるようにしつつ、身を縮めている彼女の尾が揺れる。床に敷かれているぼろぼろの毛布がひっかかって、ぶちぶちと糸が切れていく。
時折声の聞こえるあちら側とは正反対に、静まり返る店内。
石飛堂の鈴が再び鳴るのは、市場が影に落ちてしばらくしてからである。外の冷たい空気が舞い込んだ。ぴくりともしなかった彼女はくるりと首だけを回すと、違和感があるものの、見慣れた姿をした二人の客が現れる。見知らぬ彼らは軽く挨拶をして、
「ここにギルっていうヴルムの青年がいるって聞いたんだが、留守か? 飛竜の彼女」
と前に出ていた土竜がにこにこと笑いながら問いかける。
「バーン、いきなり失礼じゃないか? あたしらは客だよ。護衛ばっかしてて接客忘れたのかい」
一方、後ろの土竜が前に立つ彼を小突く。ははは、と笑って数歩下がるバーン、という土竜。
二人はギルよりも一回りほど小柄で、革製の鎧を関節などの要所に身に着けている。だが武器なども持っておらず、ちょっとした息抜きを楽しんでいるようである。
「お客? それとも、ギルに用、なの?」
鋭い視線を向けながら客に向き直る飛竜の言葉は次第にしぼんでいく。いるんだね、と笑いもしない土竜はガラス越しに店員を見つめる。
「フィレア、どうしたんだ。青年に話をつけるんだろう? 呼んでもらえよ」
後ろで首を傾げるバーン。
「そうだね。店主のギル・ヴルム、呼んでもらえる?」
わずかに口端を上げて、穏やかに語り掛けるフィレア。だが視線をわずかに泳がせる飛竜は動こうとはしない。するとフィレアはショーケースに身を乗り出した。店員は、何、と力なく面を上げる。
手を伸ばしたフィレアは飛竜の顎に触れ、優しく引き寄せ鼻先をすり寄せる。数秒のコミュニケーションののち、解放された飛竜はゆっくりと足踏みして、扉を正面にとらえて開く。身を引いて体勢を整えたフィレアは、何を言ったんだ、とバーンに問われる。なんでもいいじゃないか、と笑ったまま答えれば、暗い扉の向こう側から店主が姿を現す。
「シェーシャ、さっきの注文は受け取った。俺が相手をするから、奥で休め」
ぬっと現れたいつもの姿のギル。彼の行く手と視界を塞ぐ格好になってしまっているシェーシャは、ヤダ、と短く反抗する。だがのしのしと扉の前からどいて、彼を客二人と対面させる。その足元では毛布がひっかかり、ついてまわる。
すると店主は数歩前に出て、無言のまま彼らを睨みつける。客も睨み返すように無言をつらぬき、数秒。
シェーシャが首を伸ばして奥への扉を閉めた。 戸塚な物音に乗せるように、口を開いたのはギルだった。
「師匠? なんでここに」
目を丸くしている青年に、やっと気づいたね。微笑むフィレアが小さな角の根元あたりに右手をあてる。
「やっ……と見つけたよ。どーこにいるのか見当もつかないもんだから、あっちこち駆けずり回ったんだよ? あんたが傭兵始めて以来、行方知れずだったし……」
そうだそ。バーンが腕を組んでこくこくと頷いている。
「せめた俺たちくらいには連絡くれてもよかったんじゃないか、ヴルムの青年? 傭兵になるって飛び出していったって、あそこの主人に聞いて驚いたぞ?」
ああそういえば。それと、あれと。
自然と盛り上がっていく三人の会話の外で、一頭の飛竜は顔を上げながら、尻尾を地に這わせる。まだまだきれいだった隅っこの床ががりがりと削れていく。
ようやく熱が落ち着いてきたころに、ギルは彼らに要件を尋ねた。水も飲まずに話し込んだ彼らはガラガラになった声で会話を続ける。
「ゲホッ……で、なんでまた、俺を探してたんだ。俺に今更、特別用なんてないだろ?」
水を取ってきてくれ、と彼は飛竜に頼むがヤダ、と即答される。そっぽを向く彼女は睨まれても知らんぷりだ。
「ああ、うん。用は二つあるんだ。あんたにとっては、どっちもどうでもいいことだろうけどね」
自身の後ろに手を伸ばしたフィレアは、持参していたらしい水筒を手に取ってのどを潤す。ほい、と軽く笑いながらバーンがギルに自身の水筒を渡す。シェーシャの方を向いていたギルが礼を言って受け取る。
「一つ、ヴルムの血族は、あんた以外死んだよ……あの穴、落盤しちゃってね。深いところにいたやつらはほとんど生き埋めさ」
一口だけ水を飲んだギルは水筒を師に返しながら、そうか、とだけ。
「やっぱりね。逃げてったあんたのことだから、むしろ嬉しそうにすると思ったけど」
無表情だ。バーンも水を飲んでから、それをしまう。
「ヴルムの青年、親しい者もいなかったのか? そこまで、憎んでいたのか?」
水筒のふたがキュッと音を立てる。
「憎む? 違うぞ、師匠。俺はあいつらを軽蔑している。ずっと、仕方ないからと、砂磨きをつづけたやつらにかける言葉なんて、ない」
ただいつものように言葉を紡ぐ。返す言葉も見つからない、といった様子のバーンはもうひとつ、と切り出すフィレアの後ろに下がり、口を閉じてしまった。
「だから今、あたしらは半壊状態なんだ。落盤で長老も亡くなったしね。ギル・ヴルム、戻ってくるか、知恵を貸してほしいんだよ」
腕を組む彼女は青年を柔らかく睨む。もちろん、ギルは逡巡もなく断る。
「師匠たちには感謝してる。今、こうやって市場で店を持ててるのも、飛び出した俺を連れ戻さないで、逃がしてくれたおかげだ。だが、戻るつもりなんて、ない」
ショーケースの上に手をつく店主。
「それに、知恵ってなんだ? あぶれ者の俺に何を求めるんだ? ……巻き込まないでくれ」
怒りも喜びもない、静かな言葉。そうかい、と説得する気もないらしいフィレアは仕方ないね、と呟く。
「じゃあ、ギル。たまに顔見に来るから、そのときは、宝石を買っておくれよ。そんくらいなら、いいだろ? 弟子として、そんくらいの孝行くらいしてくれよ」
主はそれを承諾した。そこから少しだけ会話を挟めば、再び店内に陽が差しこむ夕暮れ時となっていた。二人の土竜は石飛堂を後にして、ギルも見送るために出て行った。取り残されたシェーシャは魔法で鍵を閉めることもせずに、のそのそと扉の向こうへと姿を消す。
薄暗い明かりの下、ギルの作業机の隣に設置された小さい机に向かって人間の少女が石を削っていた。革製の手袋をつけて、拳大の石をひたすら磨いている。まだまだ不格好で、陳列されているものには程遠い。集中しているのか、飛竜の遠慮のない足音が響いても振り返らない。
じっと少女を見つめた飛竜は尻尾を軽く揺らす。首を伸ばせば届く距離。ゆっくり、ゆっくりと息を殺して首を伸ばしていく。
ガリガリガリ。石が削れ、砂となり、はらはらと机の上に落ちていく。額の汗の球が滑り落ち、机の上に落ちた。ふと我に返ったらしいリジールは深く息をついて、くるりと振り返る。わ、と目をまん丸にして声を上げるものの、すぐに言葉を選ぶ。
「どうしたんよ、タラスクぅ。そんな怖い顔して。ヴルムはまだなん?」
ぼろぼろの衣服を体にべったりと張り付けながら、明るく笑っている子供。彼女の目の前では、てらてらと光る牙を見せつけるようにして口を開いている飛竜がいる。
「な、なんでもないよ。ギルは、もう少ししたら、戻ってくるんじゃ、ない」
どことなく動揺の見え隠れする彼女は、口を閉じ、くるりと振り返る。尻尾を軽く起立させながら、寝床へ移動して丸くなってしまう。へんなの、とぼやくリジールは再び原石に立ち向かい始めた。
少しして再び静まり返った空間へ、戸締りを済ませたギルが表から戻ってきた。彼がまず向かったのは作業机で、斜めになっていた椅子に座りながら、どうだ、と声をかける。
「だいぶ様になってきたとおもうんやけど、どうやろ。おらは売れれば、それでええんやけど」
少女はいたって真剣な表情だ。ギルは手袋をつけて、見せてみろ、と手の平を差し出す。ころりと落とされた原石を手のひらで転がして、目を細めた。
「ずいぶんと不格好だな。どう見ても美しいって感想はもらえないだろうな」
なんやそれ、と風船のように小さな頬を膨らませる。
「まず、見た目に均一性がない。それに、まだ傷だらけだ。きめの細かいやすりを貸しただろ? 使ってないな?」
机の上にある五枚ほどのやすりは、たしかに数枚は使われた形跡がない。けずれへんねんもん、と拗ねて見せるが、それじゃあ買えないな、とギルは石を机の上に置く。
「やすりってのはそういうもんだ。やりたくないなら、好きにしたらいい。コレが完成しなくとも、俺は困らない。次は盗みでもはたらいて、世話してるやつらと怯えながら暮らすのか? リジール」
にらみを効かせるギルに、今日はこれでしまいや、と乱暴に立ち上がるリジール。
「朝からやっとったんやもん。今日が初めてやからって、気合入れすぎとちゃうか? ええやろ?」
黙した彼の尻尾がぴしゃりとうねる。好きにしろ、とギルが呟けば、また明日な、とリジールは元気よく開けっ放しの扉から外へと飛び出していった。取り残された青年は粉まみれの机を軽く掃除して、自身の机に向かい始めた。二人だけの空間に、言葉ない。
夜の帳がおり始めた頃、ギルが作業を終えて倉庫の戸締りをした。ランプをつけて、柔らかいベッドに座り込む。視線の先には、自身に負けないくらいの巨体が山を形成している。
「シェーシャ、食いたいのがあるなら買ってくるぞ? 調子が悪いなら、ビルドルのところにでも行かないか?」
いらない。寝ていたわけではないらしい彼女の短い返事。
「どうしたんだ、シェーシャ? 俺への客だと思ったから、おまえは寝ててもいいと判断したんだ。分かってるだろう? いつもならこっちに来ていびきかいてるくせに、ほんと、どうしたんだ?」
別にいいでしょ。首をもたげない飛竜に、ふぅ、と息をつく。
「機嫌、直してくれよ。何がおまえの気に障ったのか、教えてくれ」
ただの、きまぐれだって。ほっといてよ。
数秒おいて、分かった、と答えるギルは後ろに倒れて眠ってしまう。ランプが自然と消え、寝息が聞こえ始めてから、のそりと首を姿勢を起こす飛竜。ぼんやりと見つめる方向には、いつもの作業机と、一回り小さいもうひとつ。
「ばか……」
彼を視界から遠ざける彼女はまた、頭をうずめてしまう。夜の静けさに、眠る者たちの気配だけが漂う。
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