土被る虚ろに立ち入れば

 世界樹の頭が地平線に隠れてしまうほど離れた場所には、廃墟がある。市場から見て草原の方角へ、数日間歩いて村、山と通り過ぎてようやく辿り着ける。

 市場ほどではないが、かつては栄えていたのであろうことを思わせる大きな都市。どの建物も広場もそれなりの広さがある。だがかつての栄華はもはや見受けられない。建物は塗装が剥がれ、壁は崩れ、床は土がむき出しで雑草も生え放題。たまに生物の名残も落ちていることもあるが、来訪者たちはそれほど驚くことはない。

 満天の星空の下、教会か何かだったのだろう廃墟の中から話し声が聞こえてくる。そこにいるのは青竜の群れと、市場の住民たちだ。

 あちこちに焚火を構え、その上に鍋を吊り下げている。生食を好まない者たちはそこから好きなように食べ、彼ら以外は道中で得た生肉や生魚などを口にしていた。通常ならば、あっという間に傷んでしまうが、食材を保存できる遺産でここまで運んできた。おかげで鮮度はそれなりだ。

 鍋ごとに数人単位のグループをつくり、思い思いの話題に花を咲かせている。だが青竜たちは一人を除き、それには参加せず寝そべっているか、建物の外を見張るかのように気にしている者たちばかりだ。

 その一人とは革製のサンバイザーを被るリエードである。鍋をつつくクロッスたちと、肉をかじりながら談笑していた。主に同居人に対する愚痴や自慢話でもちきりだ。

「あいつ、パスタ作るのだけはうまいんだよなぁ。なんでか焼きの工程が入ると焦がしちまう」

 中年の口にするのは妻のこと。それでもパスタ好きな彼は別にいいけどよ、と付け加えながら、器から湯気の立つ根野菜をすくい出して口に運ぶ。

「へぇ、おっさん同居してたんだ。そういう人いると、やっぱ楽?」

 鍋から沸き立つカーテンの向こう側にいる立脚類の獣が牙を見せつける。遺産に集中できて楽だな、と笑う男。そんなもんか、と胡坐をかいている獣は目の前に盛られている生肉をひと欠片つまんで口にする。

「そうかなぁ。いても小言ばっかりでそんなに楽しくないよ」

 リエードは獣の右側で呟く。何があったよ、と獣は青竜に尋ねる。

「だって買い物とか水汲みとか忘れてたらすぐに怒るし、この前なんて遺産を投げてきたんだよ? しかも箱だったし」

 低く喉を鳴らしながら肉の塊を引きちぎり咀嚼するリエードの正面にいるのは、彼の父親エルディだ。長は子の小さな体とはまるっきり異なる巨体で、黙して丸くなっていた。片目だけが薄ら開いている。

「あー、そういうのあるんなら、俺はいいかなぁ。めんどくさいし」

 顎を掻きながら獣は残りの夕食を平らげてしまう。じゃあな、と一言残して立ち上がる彼は建物の隅にまとめてある荷物の山へと歩いていった。そして寝袋を引っ張り出して、建物の隅の闇へと消えてしまう。

「まぁ、あの紅竜から逃げてないってことは、相性がいいんだろうよ、君たちは。何かあったらうちに来るといい。できることは協力するよ」

 深い笑みをリエードに向けたクロッスは、食事を終わりにして立ち上がり建物の出口へとゆっくりと歩いていく。ありがとうございます、とその背中に投げかけた彼は残った肉を平らげた。

 まだ具材の残る鍋を挟んでいる親子の間に、パチパチという音とグツグツと煮える音だけが流れる。

 他の焚火ではまだ談笑が続いているところもある。消えてしまっている火を囲んで眠ってしまっているところもある。すでに夜も更けており、市場でも眠ってしまっている者も多い時間だ。

 竜の親子二人はお互いに何も言わない。エルディも目を閉じて、リエードも丸くなって目を閉じてしまう。ここにはベッド代わりの寝袋は用意されているが、寝藁はない。なので若い竜は焚火で暖をとることに決めていたのだった。

 やがて屋内全体が沈黙と闇に包まれた。見張りらしい青竜以外は皆が眠りにつき、時折彼らが言葉を交わすばかりだった。

 そんな中、エルディがリエードに声をかける。まだ起きているか、という問いに、ぱちくりと目を開いて彼は答えた。

「何ですか、父上。母上の代わりなんて、もうやりませんよ」

 いたって静かな、そっけない威嚇の声音は 長の父には通用しない。

「違う。寒くはないか? 焚火が消えたぞ」

 迷わず否定する彼もまた、ぎょろりとした目を開いてぐるぐるとあたりを見渡す。寝静まった者たちの潜む闇しかそこにはない。

「平気です。ここはまだまだ朽ちていませんから。寒くは、ないでしょう?」

 口だけをわずかに動かす子に、たしかにな、と目を細めたエルディはゆっくりと首を上げる。

「リクラが言っていた。おまえは体が冷えやすいからつきっきりでいないとダメだ、とな。ふと思い出した。我が子の身を案じるのは、親として当たり前だろう?」

 蒸し暑いがな、と続けたエルディは仰ぐ。そこにあるのは見えない天井。本当ですか、と疑うリエードは静かに様子をうかがう。

「子供のときの話でしょ? たまたま僕が遠征に参加していたからって、父親面しないでください」

 以前とはうってかわっての態度に、寂しいもんだな、と口を歪める。だが彼は温かい言葉など求めてなどいなかった。

 リエードたちは現在、市場から遠征に来ている。この大地、遺跡に眠る遺産を探し求めて、数十人でやって来たのだ。もちろん、そのほとんどが遺産を研究している者たちで、他は生活基盤を整えるために雇われている者たちだ。

 ここでひとつ、問題が生じる。遺産は高値で取引されるもの。広く流通しているものであっても高く売れるものも多い。用途が不明であっても、遺産というだけで値がつくものだ。つまり、強奪を試みる者がいてもおかしくない。

 遺産捜索の団体に狙いをつける野盗。一口にそう言っても、その目的は人か、遺産か、食い物かの三種類に分類されることが多い。いずれも遠征に欠かせないものだ。

 これをどう対策するかといえば、誰かを雇うことである。よくあるのは傭兵だが、今回はたまたま確保できた人数が少なく、非戦闘員だけを確保できた。騎士を雇うこともできなくはなかったが、費用はかさむ。ならばどうしたものか、と首を傾げた遠征の企画者は、各地を旅する青竜に目を付けた。

 どうやって連絡を取り合ったのかは不明だが、エルディたちは了承し、同行してくれている。合流時、報酬は何なの、とベルデに尋ねたリエードだったが、俺は知らね、と短く返された。だが父に直接尋ねるのもはばかられ、真意は分からないままだ。

 のそりとエルディが立ち上がる。尻尾を擦りながら慎重に足を運ぶものの、ミシミシと床に悲鳴を上げさせる巨体は、リエードの隣に鎮座した。その様子を観察していた子はぷいとそっぽを向いて、視線を逸らす。

「あれから、おまえと時間を過ごせる時が来たら、父親らしいことをしよう、と、考えていた。だが、どうふるまっていいのか分からない」

 はぁ、と一息。

「どうして、おまえはリクラに似てしまったのか」

 ひそひそと、うつむきかげんに後悔の見え隠れする囁きの言葉。

「おまえはこういうところで泊まったら、いつも遺産を探していたな? 懐かしいな」

どんな言葉が投げかけられても、子は振り向かない。


 この青竜の群れはあちこちを転々としている。どうして放浪しているのか、いつからなのか、それを知る者はいない。今の群れの最年長者は、エルディと名乗る溺愛妻家だ。その妻リクラは、外部からやってきた青竜だった。僕は見たことはないけれど。

 僕たちはその巨体故に、野ざらしで夜を過ごすことも多かった。日の出とともに目覚めて、各々が役目を果たしながら日没まで歩き続ける。日没の後に、その日の狩人の成果を口にしながら、言葉を交わして眠る。それをただ繰り返し、あちこちを見て回る。

 景色がただうつろいと共に、産まれ、育ち、老いを繰り返す。ただ本能のおもむくままに生きていく。

 僕が生まれてそれなりの時間が経ったとき、遺跡で一晩を過ごすことになった。市場から見れば荒れ地の方向へまっすぐ行ったところ。遠くに海の見える、後の観光地のひとつだ。

 どうして建物に泊まるのか。昔は分からなかったが、今はわかる。野ざらしでも平気とはいえ、体温を奪う夜風を防げる空間を好むのは至極当然だ。

 そんな無知な僕は、初めてみる一風変わった建造物に不思議と興奮を覚えた。だから食事の始まる時間まで、僕は母上と共に瓦礫の道を歩き回ることに決めた。飯の前には帰ってこい。わたしがいるから平気ですよ。そんなやり取りを父上としながら、母上は折れた牙を見せつつ笑っていたか。

 母上の監視下で、僕はそこらじゅうを歩き回った。どうしてこんなものがあるのか、誰がこんなものを作ったのか。どこからか、こんこんとわき出してくる好奇心に対し母上は、どうしてかしらねぇ、とおっとりと答えていた。

 半壊している建物に立ち入れば、雨風にさらされすっかり変色してしまった壁面と床が目に入る。わずかな月明かりが僕たちと箱の遺産を照らしていた。持ち運べはしないが、押せば動きそうな大きさ。上側には金属の台座のようなものが二つついていて、そばにはぐるぐると回せるつまみが二つついていただろうか。

 じりじりと近づいて、僕は初めて遺産に触れた。爪でつつけばコンコンと空洞音がして、舐めてまずいと感じて、臭いは古い肉のようだったか。

 くるりと振り返ってみれば、母上は入り口で座っていて、月明かりに照らされながら静かにこちらを見つめていた。記憶の中の彼女は、今の僕でさえも美しいと思える。父上の惚れた理由なのだろうか。

 僕は再び遺産に視線を戻し、おそるおそる遺産のつまみを回した。癖になる感触と共に、カチ、カチ、と音が鳴るだけで何も起きはしなかったが、なぜか心地よく夢中になって回していただろうか。

 やがて母上は、月を見上げて帰省を促した。聞き分けの良かった僕は群れに戻り、父上に遺産について語っていただろうか。遺産という呼び名もそのときに知ったのだったか。たしか、

「あれは遺産といってな。あちこちに、いろんなものがある。詳しいことは知らないが、世界樹のふもとにある市場にはたくさんあるらしい」

 そんな言葉だったろうか。静かに食事をする母上に身を寄せつつ、父上は威厳を保ちつつ、穏やかに接してくれていただろうか。

 それ以来、廃墟の近くに寄るたびに探索に出かけるのが日課になった。暇があれば仲間と遊んだりもした。狩り、じゃれ合い、競争。同じように過ごしていたはずなのに、男のはずの僕は、不思議とそれらしく成長しない。

 なぁ、見ろよこれ。角生えてきたんだ。いいだろ。

 やっぱおまえ、女なんじゃねぇーの?

 おまえじゃケンカの練習相手にもならない。

 どうよこれ。狩人としては一人前だろ。

 そんな友たちの成長の傍ら、小さな遺産をおもちゃにしていた僕は彼らに追いつくことはなかった。

 狩人、守護、巡回、運搬、交渉、遠見。誰もがそれらに就き、二つ目の名を捨てていく。大人の証。女であっても役職をまっとうする者もいるが、男でなければいけない役職もある。

 もちろん父上が何をやりたい、と聞いてきたこともある。進路を定める遠見をやりたい、と言ったこともあったが、背の低い僕では遠くを見定めることができない。そうしているうちに時間だけが過ぎて、とうとうイトスと名を捨てることはなかった。

 母上が殺されて、父上が狂い始めて、僕は運搬を担い始めたベルデに話を持ち掛けた。今よりも少ない荷物を背負っていた彼はまず、おつかれさん、と労ってくれた。

 狂ったエルディのことは誰もが知っていて、彼もまた同情の眼差しを向けてくれていただろう。この群れを出て、市場へ行きたい、と夢物語のように話しただろうか。

「マジかよ。まぁ、災難だったなぁ、とは思うけどよ」

 つい先日までこの地獄が続くと知らなかった僕は、当時そこにしかないと思い込んでいた地獄から逃げ出したいと願った。

「けど、行ってどうすんだよ? おまえが遺産好きだってことは知ってる。でもそれ以外に当てはないだろ? 親父ぶんなぐってでも、ここにいた方がいいんじゃないか?」

 だが行くしかないのだ。少なくとも、ここよりも幸せになれると信じて。

「俺は知らねぇぞ。おまえがどこに行くのか、行ったのかも。行くなら、廃墟でしろ。おまえのが、どんな場所なのか知ってるだろ」

 それは何気ない、あと押しである、と受け止めた。それから数日後、僕はこの群れから、いやエルディという青竜の長から逃げ出した。


 ヒュウと冷たい隙間風が吹き、はたと目を覚ますリエード。背後の巨体からは規則正しい寝息が聞こえている。ぶるりと背中を震わせた彼は目がさえてしまったのか、そのまま目だけを動かして夜を観察し始めた。

 夜はいつも静かだ。それなりの時間が経過したのか、月明かりは見えず真っ暗だ。この空間が延々と続くような錯覚に陥りそうになる。昼間と同じ場所のはずなのに、時間は常に同じように刻まれているはずなのに。

 そして、いつもと同じ、昨日と同じ夜のはずなのに、エルディが、すぐそこにいる。

 ここにやって来るまでの間、彼はリエードに近づこうとしなかった。守護の役を買って出て従事。交代の時間になれば、長として仲間の様子を見て回り、食事をして、眠る。すれ違うことがあっても、見向きもしていなかった。

 何を考えているのだろう。ぐるぐるとした思考が子の頭の中をめぐる。何度も目を閉じようとしても、落ちることができずにただ時間だけが過ぎる。やがて低く喉を鳴らしてのそりと立ち上がる。尻尾を誰にもぶつけないように気をつかいながら、建物の外へと抜け出した。

 その際、賊に気をつけろよ、と出入口にいた見知らぬ守護が囁いた。うん、と答えたリエードはすっかり夜闇に慣れてしまった目で、心地よい冷気に包まれながら不気味な廃墟を進んでいく。

 もっとも、昼間に見回りした時は誰もいないことは確認済みだ。適度な警戒は絶やさず、のっしのっしと石だらけの地面を踏みしめていく。

 いくらか歩き続けて、空き地のような場所を見つけた。廃墟の隅っこの方で、瓦礫が少なく青い雑草だらけの、柔らかそうな寝床だ。だが、満天の空に照らされ、夜露がきらきらと光っていて冷たそうだ。感触を確かめるようにしながら、空き地に歩を進めて横になる。

 大きく息を吸い込む。ゆっくりと吐く。舌を伸ばす。ひっこめると露がのどを潤す。

 ようやく独りになれた彼は、次第に意識を閉じていく。わずかな時間でまどろみは深くなり、彼を眠りへと沈めていく。


 目が覚めると、そこは見覚えのある景色だった。市場の近くの樹海。そこには小屋もなければ、焚火もない。不自然に木が生えていない空間は雑草だらけだ。

 少し視線を上げると、木々の隙間から世界樹が見える。その姿はいつもと変わらず、誰もが目印にできる公共物。

 僕の体は動かなかった。寝起き特有の空腹も喉の渇きもない。だから自然と、これは夢だと分かった。

 やがて音らしいものが聞こえた。いや、多分、鳴っていたんだろう。実際耳には届いてない。たしか、こんなふうに目覚めて、世界樹を見上げて、茂みをかき分ける主が聞こえて、彼女が現れた。

 目立つ赤色の鱗を持つ立脚類。紫色の衣を身に着けずに姿を現した。彼女はあまり大きくない木材を担いでいた。彼女は一瞬目を見開いた後、僕を睨みながら口を開閉した。何て言っていたっけ。

 何かを言い終え、雑草に向けて木材を投げた。僕のいない場所にばらけたそれらをひとつずつ拾って並べていく。小屋の材料だ。建てたのは、僕たちではないけれど。たしか、ヴィークとかいう黒い獣が紹介してくれた職人にお願いしたんだっけ。分割払いで、返済済みだ。

 ああ、思い出した。こう言ったのだ。なに見てんの、だ。群れを抜け出して以来、数日ぶりの言葉に、僕は言葉を詰まらせただろう。

「ところで、邪魔なんだけど。寝るならよそでやってよ」

 じろり。それから視界は、身体はいそいそと広間の隅っこに移動する。だが、市場に向かうことはしなかった。初めてみる紅竜の姿に、関心を持ったからだ。母上から聞いた話によれば、森で狩りをして暮らす種族で、排他的な性格をしているといっていた。

 君は紅竜なの、と訊いた。だから何、と木目を眺めながら彼女は拒絶するかのように答える。尻尾もずるずると引きずるようにしていて、元気ではなさそうに見えていた。疲れているわけではなさそうだった。

 聞かれてもいないのに、僕は名乗った。彼女は答えなかった。

「あんた、これから市場に住むの? 今、人が増えてきてるから、さっさと見つけないと帰る場所なくなるわよ」

 そうなんだ、と答えた。君はなんでここに、とさらに尋ねる。

「あんたに関係あんの? ……まぁ、市場は落ち着かないから、ここに家っていう住処を作ってもらおうと思ったの」

 本棚いっぱいのね、と付け加える。会話は続かず、微妙な距離と静寂。

 それから数分の間はそこにいたが、もどかしくなって立ち去った。市場を巡って巣にできそうな場所を探した。だがいつも屋外で過ごしてきたために、これといったものが見つからなかった、気がする。そして夜になって、また樹海に戻った。

 同じ場所には、焚火を囲む紅竜と黒い獣、そしてたくましい人間の男。

 ここからの会話は、よく覚えている。

「あら、リエード、巣は見つかった?」

 紅竜の言葉に、残念ながら、と答える。すると、こつちにおいでよ、とヴィークが焚火の輪に加えてくれた。お言葉に甘えて座り込むと、ヴィークはにんまりと笑いながら、だったらこれから建てる小屋で一緒に住んじまいなよ、と続ける。もちろん、ラクリはない眉をひそめてなんでよ、と反対していた。

「あんたねぇ、こんな樹海に出張させて小屋建てさせるんだから、お金、特別かかるよぉ? 二人でお金払えば、負担は減るし、うまくいかないなら、そのときは特別割引で、新しく建ててやるさ。どうだい? 信用しないわけじゃないれど、そっちのが、お金の回収も早くて楽なんだけどねぇ」

 にやにやとしていた。ヴィークの言葉に、たしかにな、と男は大笑いする。一人よりも二人で生活した方が、言葉とかを忘れずに済むぞ、と。まるで憎むような視線が僕へと向けられた。思わず体が震えたが、ヴィークがこれでも食べなよ、と何かを差し出してくれたか。

 やがて長い思考の末、ラクリはこちらをにらみながら分かったわ、と短く答えた。

 それから建築材を運んだり、遺産がどこで手に入るのかを調べたりして、時間が過ぎた。今はもう、そこにいる同居人として、お互いに、当たり前に生活をしている。


 まぶしい光に、自然と目が覚めるリエード。長い間ぼんやりとしつつ、にんまりと頬を釣り上げていた。寝ぼけているだけだが。

 地に足をつけて立ち上がると、彼は体を軽く動かす。首をぐるり。足を延ばし、尻尾で雑草を薙ぐ。

 ふと視線を上げてみれば、廃墟の道の向こうに、長の姿が見えた。起き上がる息子の姿を認めるなり、駆け寄ってきた。瓦礫にけつまずこうと、おかまいなしだ。

「リエードっ! 境界に近づくなと言っただろうが!」

 驚いたように声を上げた子は、首をぐいと曲げて後ろを見やる。空き地と細い道を挟んだ向こう側には、何の変哲もない廃墟が続いていた。

 ただ、色がない。雑草も、木も、道も、何もかもが白い。あるいは、黒い。明暗程度しかわからない世界がそこには広がっている。

 向こう側を白色、こちらとあちらの境目を白の境界、と者たちは呼んでいる。

 不気味がって、誰も近寄ろうとはしない場所。近づくだけでも気分を悪くする者もいる。いつからそこにあるのか、どうしてそこにあるのか、世界樹と同様の存在だ。ただ分かっていることは、あちら側に生物がいないことだ。景色だけがそこにはある。

 エルディは空き地の目の前で息を整え、よかった、と呟く。ゆっくりと歩いていくリエードは彼の横をするりと通り抜ける。

「父上、何を慌ててるんですか? 野盗がいないことは確認済みですし、あちらに立ち入ることなんてしませんし」

 先に戻ろうとする背中を見て、そうだな、と冷静さを取り戻した長は彼についていく。

「驚いたぞ。おまえがいなくなっていて。一声かけろ。曲がりなりにも、愛しては、いるんだからな」

 たくましい体躯に似合わない言葉。

「分かってますよ、そのくらい。早く合流して、遺産を探しますよ」

 エルディは一言だけ答えると、口を開くことはなくなった。

 のんびりと来た道を戻っていく二人。抜けるような青と白の空に、フンフンと鼻歌を奏で始める小さい青竜はふと、白色の世界を視界に入れてしまう。

 そこには人間らしいものがいた。白の境界が遠くに見えていて、おそらく人間だろう程度の認識だ。白い肌と黒の髪の輪郭しか見えないが、竜と目が合った。思わず声を上げようとしたリエードだったが、その人間は彼らに方向を定めて動き始める。

 一歩、また一歩と、踏み出して、境界に近づく。そして決意に満ちたような顔で、地面を力強く蹴った。前のめりに傾いて、境界に触れた。

 するとその人間は消えていった。境界よりもこちら側が水であるように、水に溶けていくかのように霧散した。

 一瞬の出来事に、目を見開く青の子は悲鳴を飲み込み、視線を逸らすしかなかった。

 まだ遠征は始まったばかりである。

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