騎士を従え導く王
ひんやりとした空気があたりを包む、朝も早い時間。騎士たちがダンジョン洞の崖下へと集まっていた。これから、彼らは訓練の一環として、崖を道具なしで登る。断崖絶壁というほどの勾配でもないが、己の肉体と鎧、そして武器を身に着けたままである以上、それはひどく険しい道のりである。
今日は訓練の日だ。前半と後半に分けて、交代で全員の実践演習を行う。その会場がダンジョン洞で、率いるのは白い衣をまとう竜の王、グレイズだ。騎士の先頭に立って崖まで数秒のところで振り返ると、彼らを整列させる。その数は性別種族問わず荒れ地の一角を埋め尽くす。管理職も含めれば、この倍はいるらしい。
「さあ! いつもの通りだ! 今回は先着順で四つの班に分け、その中で実践演習を行う!」
王の声は、王どうしが交わすそれとは異なる、怒りを思わせるような大声だ。
「その前に、基礎訓練だ! 好きな道を選び、演習場までたどり着け! 以上!」
隠れることのない牙のせいで人相の悪い彼は振り返り、衣をはためかせて一番に崖へと駆けだした。わずかに遅れて先頭の騎士たちも続く。大半は放射線状に散らばりながら、挑む崖を選んでいるが中には、崖ではなく樹海へと向けて走り出す者もいる。
騎士たちの姿を崖上から見下ろしている者たちがいた。逞しい体に鎧と木刀をかつぐ土竜のギル。その姿に似ているドラゴンのテレアに、その腕に抱えられ眠っている人間の子供のテル。狐のテラーに、他、数人の傭兵たちだ。
「なぁ、テレア、この崖はおまえが作ったのか? それとも、頼まれたのか?」
まずは目立つグレイズが崖への挑戦権を得た。飛べるにも関わらず、地面を勢いよく蹴り、重そうな体躯でよじ登り始めた。
「うん? ヴルム、この荒れ地はあたしがぜーんぶ整地したんや言うたら、あんたは酒のひとつでも労ってくれるんか?」
王は素早い蜥蜴のようにするすると彼らに迫ってくる。それに続き、騎士たちが崖に挑み始めた。選ぶところは好き好きだが、いずれも楽な道のりではない。
「んなわけねぇだろ。こんなへんぴな場所に入口作られて、やつらも災難だなと思っただけだ」
そんな言葉を交わしている間に、グレイズが崖の中腹にたどり着いた。
「せやねぇ。市場がどんだけ荒れてるかはどうでもええけど、それを守るいうあいつらも大変やねぇ」
にこにことしているテレアに対し、彼らに哀れみの視線をやるギル。
「そもそも、グレイズがここを使わせろ言うから、応じただけや。これはあたしが来た時からずぅっとあるわ。穴開けたんはあたしやけど」
右脚の踵で地面を鳴らす彼女にそうかよ、とギルが答えるとほぼ同時にグレイズが這いあがってきた。太い爪の備わる指が見えたかと思えば、懸垂するかのように上がってギルの隣に座り込んだ。
「おつかれさん。王様がいちいち真面目なことで」
まだ誰も半分にもたどり着いていない。その中で、グレイズは魔法も使わずにすいすいと登ってきたのだ。だが息も荒げずに座り込んでいる王に、ギルは軽く声をかけた。するとぎっと睨み返す王。
「示しがつかないだろう。上に立つ者が平然と楽をするのは」
だがそれは生まれもった目つきだ。同族に対しての敵意はない。
「そうかよ。訓練の人手不足ってんなら、なおさら楽じゃないわな」
あきれたような物言いで立ち上がったギルが、先行ってるぞ、と言い残して洞窟へと歩いて行く。あんたも大変やねぇ、と笑うテレアと、グレイズに水を手渡す傭兵の一人。すまない、と返した王に、いえ、と傭兵は一歩下がる。
「テレア、ここはもういい。部屋の準備をしていてくれ」
はいよー、と手を振って彼女もいなくなる。気づけばそこからはテラーもいなくなっており、覗き込んでみれば崖下にいた。誤って落ちたのだろう騎士を地面に横たえていた。
グレイズは水を飲みながら、彼らの到着を待った。早朝の日差しが白い鱗を美しく輝かせていた。
ダンジョン洞は現在、一つの大きな広間があり、四つの小部屋と出入口へとつながっている構造になっている。崖登りを終えた騎士たちは先着順に適当な部屋へ通され、つかの間の休みをとる。それを案内するのはテレアだ。もっとも人数が偏らないように右から左の部屋へと通しているだけではある。
次々に登頂者が現れる中、テレアの後ろで体を丸めている山飛竜と、まるで背中合わせのように尻尾にもたれる人間の子供がいた。
「なぁ、タラスク。なんでぇ、ヴルムんやつは店ほっぽりだしてこんなとこにきとるん?」
ぞろぞろと列をなす騎士たちの好奇の視線を受けながら、飛竜を盾に、横目で様子をうかがっている。竜は慣れているのか、騎士のことなど意に介さずにかくまっている娘に顔を近づけて鼻息をぶつける。
「騎士団長のデイルからのお願いでねー。リジールは来なくてもよかったんだよ?」
わずかに開いた口に生え揃うのこぎりのような牙に臆することもなく、デイル、とリジールが呟くと、あそこにいるよ、と顎で指す。その先にいる黒目黒髪の騎士の青年は、今まさに部屋へと向かおうとしている。
「どっちみち、食いッぱぐれる羽目になったんはあいつのせいかいな。いちんちくらい、平気やけど」
リジールはご立腹らしく、彼の後ろ姿を睨みつつ頬をふくらませている。まあまあ、と山飛竜が鼻先を摺り寄せてやる。うん、と小さく返しながらそれを撫でる。
「ギルもねぇ、参加したくないんだって。けど暮らしにくくなるのも嫌だから、仕方なく来たんだってさ」
どういうことや、と首を傾げるリジールは地面に座り込む。
「流れ者の私たちが頼れるのは、自分だけなんだって。そのためには鍛錬は続けるべきだし、頼るための恩を売っておくのも必要とかなんとか……」
次第にしりすぼみになっていく飛竜の言葉に、確かになぁ、とぼやく。
「親がどっか行ってもうて、どうしょうもなくなるしなぁ」
飛竜を背に、ぼんやりと広間の壁を見上げるリジールの背後で、最後の騎士が部屋へと通されていた。しんと静まり返った部屋に二人を残して、テレアはテルと共に部屋の一つへと姿を消した。
金属をぶつけ合う音があらゆる部屋から聞こえ始めるのは間もなくのことである。
ある部屋にはグレイズと、名も知らぬ傭兵が一人が割り当てられた。そして訓練を受ける騎士の中にはデイルを始め体力自慢が顔を並べている。
部屋の隅に座らされている騎士たちに対し、グレイズが声を三度張り上げる。
「摸擬戦を始めるぞ! 体力が戻ったやつからかかってこい!」
閉じられた空間故に、頭に響いてくるほど声が反響する。数人が軽く耳をふさいでいたが、徒労に終わったらしく目をぎゅっと閉じていた。
部屋の中央で仁王立ちしているグレイズは上の衣を脱ぎ、その逞しい体を見せつけていた。無駄なく筋肉のついているその体躯。握っているのは似つかわしくない細身の長い剣。まさしく騎士だが、彼は、王だ。
まず威勢よく前に出たのはデイルだった。その微笑む顔には汗の玉が光り輝いているが、よろしくお願いします、と標準サイズの剣を抜き放つ。他の騎士たちが固唾を飲んで二人の姿を見守る。
「デイルか。人員集め、ご苦労だったな。おかげで訓練ができる。だが、戦いは戦いだ。遠慮なくこい」
ええ、とデイルが先に動いた。鎧の重さを感じさせない速さで王へと近づき、剣を振るう。静かに見つめていた王は細剣で受け止めた。一瞬で音を立てて折れてしまいそうだが、しなることもなく、ギリギリと力の拮抗を生んでいた。
「王……たまには魔法なしに戦ってはいかがです? 死なないよう努力はしますんで」
笑って見せる騎士団長は小さい体格ではないが、それでもなお王を見上げる必要がある。王は視線一つ動かさずに、そうか、と片手で細剣を振るった。重さを感じさせない一振りは、いともたやすくデイルのバランスを崩し、下がらせる。
グレイズは腕と得物が一直線になるよう、剣をデイルに向けた。だが彼は動かなかった。なんだ、と周りの騎士たちがざわつき始める。デイルも体勢を立て直して、改めて向き直る。
「王、あなたの強さはよくわかってます。しかし、知らない輩もいるんです。見せてやってください」
一層笑みを深くする若者の表情には、怖いもの見たさという言葉がさぞ似あうだろう。グレイズは彼を臨み、動かない。盛り上がりに欠ける摸擬戦だが、滅多に戦いを行わない王が剣を部下に向けている。それだけでも観衆たちの視線を集める。
訓練は定期的に行われている。だが王が剣を抜き、直接参加することはない。当人いわく、相手を殺しかねないから、だそうだ。今回は一人だけ、人手が足りなかったために参加している。
王の鋭い目はただ、水面のように静かだ。
間もなくして、デイルが再び走り出した。はっきりとした笑みを浮かべて。軽く角度をつけながら、王の利き手の反対側から襲い掛かろうと剣を振りかぶり、斬ろうとする。グレイズは部下の動きを目で追うだけで、剣を向けることはしなかった。
二人に騎士たちの視線が注がれていたものの、王の脇腹と腕を狙った斬撃は届くことはなかった。薙いだはずのそこにはすでに王の姿はなく、軌跡の外に移動していた。観衆は何が起こったのかを理解できない様子で、口をぽかんと開けていた。
「デイル、おまえは敵じゃあない。なら、死なない努力より、腕をみがけ」
王は諭すように語り掛ける。言い終わるか否かの瞬間、彼との距離を詰めた。空いている手でデイルの腕をつかみ、嬉しそうに笑っているデイルをふわりと持ち上げた。そして、グレイズの頭上を通った人の体は地面へと叩きつけられた。少しの間をおいて、彼の剣がカランと乾いた音を立てる。
はあぁ、と大きくため息をついたグレイズに、仰向けでせき込むデイル。続けて薄く笑う部下を無視した王は騎士たちに向かって声を張る。
「次! 俺を殺すつもりで来い! 案ずるな、摸擬戦だからな!」
そうやって牙を見せつけながら鼓舞する王に、一人、二人と挑戦者が名乗りを上げた。地面に転がるデイルを傭兵に運ばせて、指名する王は細い尻尾をわずかにゆらしていた。目の前に歩いてきたのは四つ足の獣だ。その身には肉体を守るための鎧がつけられている。その口には短い刃物がある。
「来い! みっちりと仕込んでやる!」
怒りをにじませているような彼の声だが、どことなく楽しそうだった。
訓練はまだ、始まったばかりである。
訓練が終わったのは月が頭を出し始めたころだった。少し冷える夜空の下、魔法によって起こされた火や、遺産による明かりなどがぞろぞろと市場へと戻っていく。一方、崖上ではグレイズ、ギル、デイル、テラーが思い思いの座り方で焚火を囲んでいた。デイルによる提案だったが、残ったのは市場の住民たちばかりであった。
テレアはテルを寝かしつけると言って断り、傭兵たちは仲間とのつきあいがあると言って帰っていった。もちろん騎士たちにも声をかけたが、疲れ切っている彼らに無理を強いることなどはできなかった。
「で、この顔ぶれで何を話し合うんだよ、騎士団長」
パチパチと鳴る火に耐え兼ねたか、ギルが切り出した。既にリジールを送るために彼女を帰らせた彼は、訓練の報酬を回収するためにここにいる。右側にいるデイルは焼かれた夕食にかぶりついている。ただの保存食だが。
「いや、ここまで減るとは思わなかった。ま、妙な噂でもあれば提供してくださいよ、店主様」
王の前だが、緊張する様子もないデイル。その王は眠っているかのように目を閉じて、軽くうつむいている。
「デイル、おまえはもう率いる者だ。もう少し、軽率な行動は慎め」
だが寝ているわけではない。王はデイルの提案に乗っただけだ。そうしますよ、と反省の色も見えない彼に、何も言うことはない。
「それはともかく、お開きにするならそうしてください。というか、なぜここで始めるんですか。下ならいくらでも空いているんですから」
そして眠そうなテラーは、テレアの言いつけでここにいる。下手に暴れまわったりしないように、とのことだったが、そんなことをする者はいない。
狐の言葉を最後に、沈黙が訪れた。空が近いここは寒く、ヒュウヒュウと風が鳴っている。星の見える空は暗い青色で、市場の内外を等しく彩っていた。
結局、他愛ない話をいくらかしただけで、彼らは待ち人のもとへと帰っていくのだった。
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