市の病の治し方

 市場の真ん中には大樹がある。そこから見て荒野の方向を見下ろしてみると、大きめの建物がひとつある。広めの玄関を入れば、何もかもが白い空間がある。例に漏れるのは、一部を除く者くらいだろうか。その彼らに共通していることは、椅子に腰かけていること、そして、外にいる者たちよりも顔色が悪い者たちがばかりだということだ。

 朝も過ぎて気温もピークを迎える頃、白ばかりの建物に王の一人が侵入する。周囲から注がれる視線をはばからず、王のフェリは中に入ると空間を軽く見渡した。背中にある武器を鳴らしながら、入ってすぐの受付の者に声をかけ奥へと足を踏み入れる。

 武器の先端がひっかからないほど大きめの白い扉の先には、男の人間がいる。椅子に腰かけ、背もたれに情けなく体重を預けていた。何かを書いていたのか、書類だらけの机のペンがまだ転がっている。白衣まとう彼は目を丸渕のメガネごしに、来訪者へ。

「あー、王様ぁ、こんな昼間になんっすか?」

 手入れの行き届いていない堅そうな茶髪の頭を掻きながら、彼女に向き直る。その顔は寝起きかのように、疲労が見え隠れしている。そこは紙束の入った箱が積み上げられており、他には医者の座っている椅子と、机だけだ。

「まぁーだ、夜の仕事には早いっしょ?」

 ぎらりと光る赤い目が、髪の隙間から王を見つめる。それはぎょろりと捉えるが、彼女は動じない。

「昼間のあなたの仕事を見てみようと思いまして」

 軽い笑みを浮かべた王に、そっすか、と医者は答える。それから次の患者を呼び、王をさらに奥の部屋へと通した。数脚の椅子と雑然と置かれた荷物だけがあり、フェリは近くにあった背もたれのない椅子に腰かける。背中の武器がひっかからぬよう気を付けながら。しかしガツン、と派手な音が鳴る。

 やる気の欠片も見られない医者は入ってきた獣の青年の言葉に耳を貸す。まだ若く精悍な顔立ちでこそあるものの、その口から出てくるのはガラガラとした言葉。いわく、風邪をひいたらしい。言葉に割り込む咳は王の耳にも届く。

 おう、と医者は患者の全身を軽く見る。その間にも咳き込む患者だが、特に言葉をかけることはない。数秒後、一人で軽くうなずく。

「やっぱ喉だな。ちぃと失礼」

 何かを結論付けた医者は姿勢を起こして、患者に手を伸ばす。尻尾をぴんと立たせる患者の喉に、中指と人差し指だけが接触したところで、ぴたりと止まる。

「あんた、暑いんだろ? 氷でも抱いて寝てたろ?」

 言葉を口にするのもけだるそうな医師は、半目を緊張している獣の瞳に向けている。患者の口から漏れていた音が、少しずつ自然な呼吸音へと変化していく。退屈そうな医者は、間もなく元の姿勢に戻った。一層、面倒そうに。

 その通りだと、ガラガラ声を失う患者。冷える方法ではなく涼しくなる方法を探せ、と忠告した医者は患者を帰した。ペンを手に取り、書類に文字を書いていく。

「魔法は、大丈夫そうですね。不調などは、ございませんか?」

 奥の部屋からのフェリの問いかけは、笑顔に満ちていた。

「ねぇっす。患者も、手伝ってくれてるやつも、なーんも変わんないす。正直、退屈だ」

 笑うこともなくけだるそうな態度で、次の患者の対応を始める。だが二人の会話は続く。

「あなたを必要としている人がいらっしゃる。それだけでも十分ではないですか?」

 患者はどこからか聞こえてくる声を不思議がることもせずに、医者に現状を説明する。

「必要、ねぇ。感謝されたとして、飯も、気分もよくならねっすけど」

 患者の訴えを聞き入れると、彼は患者の胸に手を伸ばす。

「そうですね。あなた、ビルドルという医者はそうですから」

 触れて数秒もすれば、みるみるうちに顔色がよくなる。それを確かめたビルドルは、まただるそうに椅子にもたれる。

 他愛ない会話を繰り返しながら、次から次へとやってくる患者をさばいていく。気が付けば、外は暗くなっていた。フェリの心遣いでランプが灯されている屋内だが、ほのかな明かりに過ぎないために薄暗い。

 最後の従業員が帰宅し、病院にはフェリとビルドルだけとなった。表に出てきたフェリが、どこからともなく持ってきた包を彼に渡す。両の手で抱えることができる程度の一つの箱だ。

 なんっすか、とそれを膝に置き、包んでいる布をすぐにほどいてしまう。ためらうことなく木製の箱を開けてみれば、拳大の黒い石のようなものがぎっしりと入っていた。テカテカと光る表面に、うすら傷がついている。

 ただの石だ。だがビルドルの目はにわずかに見開かれた。だが、箱を閉じ、瞳に光をやどしたまま椅子にもたれる。

「いま、これを寄越さんでくださいよ……王様、与えられてることはちゃんとやりますんでぇ」

 嬉しそうに微笑むフェリは背中の武器を鳴らしながら、お願いします、と一礼して去っていった。外への扉が閉じられるまでぼんやりと彼女の動きを見つめていた人間は、荷物を床に置き、足で机の下に押し込んで脱力した。

 少しして、またビルドルのもとに人間が現れた。軽装の鎧と武器を身に着けた、騎士だ。それも、複数人。兜も被り誰かが判別できない状態だが、先頭の者がビルドルに一礼する。

「本日も、良い夜でございます、ビルドル殿。本日もまた、四人、お連れしましたのでよろしくおねがいいたします」

 几帳面な動きと低い声に、医者は騎士の名前を口にする。分かりましたか、と笑う騎士だが、世間話などは挟まない。

「デイル殿、早く終わらせましょうや。あんたらも夜は寝たいっしょ」

 そうですね、と騎士、デイルは笑う。それからほかの騎士に声をかけたデイルは四人、院内に連れ込んだ。まずは一人目が騎士に連れられ、ビルドルの前に、患者と同じ椅子に座らされた。

 恰幅のいい獣だった。昼間の青年と違い、短い鼻先に、短い毛皮。そして手には軽そうな手枷。ビルドルがぼんやりと言っていいほどの視線を彼にやるが、黒いそれと交わることはない。

「ミシア・レド。罪状、大通りでの窃盗。初犯のため、枷は一つ」

 騎士が男の背後で、淡々と述べる。するとビルドルは被疑者の手枷に手を伸ばした。ぴくりと彼が身を引く。だが身を乗り出して、触れた。

「怖がるな。少しだけ、生き辛くなるだけだ」

 すると、手枷は一瞬で砕けた。小さな欠片はさらに砕け、砂に、そして空気に溶けてしまった。医者はあっけに取られているミシアの左腕をつかんだ。

「理由はどうであれ、ココで生きる以上、必要なもんだ」

 突然の行為に、容疑者は手を振りほどく。俊敏に動いた医者の右手だったが、いとも簡単に手放した。じっと無気力な人間を見つめた獣が震える視線を送る。

「左の二の腕、枷ぇつけたから、増やさないように気をつけな、ミシアさんよ」

 怯えにも近い視線を受けても、けだるそうな態度は変わらない。行くぞ、と騎士に声をかけられた獣は建物から出された。その左腕には先ほどはなかった腕章があった。黒く変色した体毛であり、騎士はミシアを開放する。

 二人目、三人目と同様にビルドルは腕章、あるいは足枷をつけていった。どちらになるかは医者の気分次第だ。

 そして、最後の四人目。年端も行かない少女だった。いかにもみすぼらしい恰好だが、ビルドルも騎士も、特に変わった態度は示さない。

「メト・シア。罪状、無賃飲食。保護者もいません。枷は、つけるべきでしょうか」

 むすっとした顔で、医者を見上げていた。にこりともしない彼はひとまず、手枷を砕いた。

「しらねぇよ。それを決めんのが、あんたらの仕事だろ? こっちは黒の魔結晶のためにやってんだからよぉ」

 机に右肘を立てて、面倒くさそうに騎士を見る。右脚が貧乏ゆすりを始めるのも同時だ。

「第一よぉ、よそがやってるみたいな牢獄が作れねぇうえに、作ったとしてもすぐに埋まっちまうっていうから、枷をつけてんだろ? 抑止力になんのかねぇ、コレ」

 それは、と答えようとするも、続く言葉はない。デイルもだ。

「ここは、世界樹を目的にどんどん者が増えてんだろ? だったら犯罪取り締まっても、無駄だろ」

 肩をすくめてみせて、左腕を広げるようなポーズをとる。

「ま、溢れたときは教えろよ。王様に方法を提案するし」

 にやりと妖しく笑う医者は、子供に左手を伸ばした。何も知らぬ者から見れば通報されそうな光景だ。

 さて、彼女に触れようかという瞬間のことである。ぴたりと手が止まってしまった。

「ビルドル殿? どうかされましたか?」

 医者の動きが止まって数秒。軽く首をひねる騎士が声をかけて身を乗り出した。デイルは動かなかったものの、騎士は慌てて腰にある武器を手に取った。貴様、と声を荒らげる。

 少女の手には、錆びた暗記が握られていた。どこに隠し持っていたのだろうそれはビルドルのズボンを貫き、右腿に突き立てられていて、さらに引っ張られようとしている。ぎっと顔を上げて睨みつけている少女の目を、静かにビルドルは見返していた。さながら、痛みなどないように。

「兄貴を返せぇ!」

 喉をびりびりと震わせる少女の怒号。少しずつ彼女は服を、腿を切り裂いていく。騎士が少女を取り押さえるより少しはやく、短剣は引き抜かれた。カランと乾いた音が遅れて鳴った。狭い室内で武器を振り回すのは不適切だと判断した騎士はそれを捨てて羽交い絞めにしたのだ。判断としては遅すぎると言っていいだろう。

 ビルドルはまた、ふうと息を吐きつつ背もたれに体重を預けた。一瞬天井を眺めたかと思うと、顔をしかめることもせず、腿からは血も流さずに、はあぁ、と長い溜息をつき、兄貴な、と呟く。

「どいつのことだかは知らねぇが、気は済んだか? いいか? 俺でなければ、商人なら、悲鳴挙げて、傭兵がおまえを殺すところだったんだぞ? よかったな、俺でよ」

 だが傷は、じくじくと脈打っていることが分かる。ピルドルに食いつこうとする少女を取り押さえながら、騎士はそこばかり注目している。デイルは動かない。

「さて、枷はつけた。いくらでも殺しにこいよ、お嬢。枷は増えれば増えるほど、おまえの首を絞めることになるから、ターゲットは俺に絞れ。いいな、メトちゃん?」

 挑発するような医者の言葉に続き、連れていけ、とデイルが指示を出すと、左二の腕に腕章を得た少女は建物から出された。残されたデイルは大丈夫か、と今更な言葉をかける。

「うっせーよ。ドラゴンの心配してどうすんだ。結晶もらえればなんだってやってやるよ、クソヤロウ」

 町医者のドラゴンであるビルドルに礼を言って、デイルは建物を出た。先に出ていった騎士たちも既に解散した様子だったので、彼もまた、帰路へとついた。

 フェリのつけてくれていた明かりを消し、真っ暗な室内でビルドルは新しい傷に触った。あーあ、とぼやいた彼は机の下から箱を取り出し、黒い魔結晶を一つ取り出した。真っ暗な室内で、椅子にもたれなおし、石を口に運ぶ。黄ばんだ歯が結晶を割り、かみ砕く。砂粒になるまで、じゃりじゃりと音を鳴らしながら顎をゆっくり動かし、飲み込んだ。

 うめぇ。砂音とギシギシ鳴る椅子は、深夜に不気味に木霊していた。

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