青は箱と戯れ、日々を過ごす

 リエードは、ラクリがバケツを拾って離れた直後に、再び目覚めた。ぱちくりと瞬きをした後、のそりと腰を上げた。それから暖簾をくぐり、また出てくる。その胸には革製の首かけカバンが下げられており、カバン本体がなければネックレスのように見えなくもない。

 それから青竜は樹海へと足を踏み入れた。どこへ行っても目印となる世界樹を目指して、木々の隙間を通り抜けていく。爪で土をえぐり、上下する根っこをまたぎ、低い枝を潜り抜け、尻尾を右へと左へと揺らしながら歩いていく。

 やがて数十分と歩くと、世界樹の根元に広がっている市場に出る。数多の生き物がごった返す空間に、彼も加わる。ラクリよりもだいぶ大きい彼は一歩ずつ慎重に歩みを進めていく。

 下手をすれば商売に駆け回っている獣たちを踏みつぶしてしまい、御用となってしまうためだ。それをさけるために、ゆっくりと、慎重に目的地へと足を運んでいく。彼が立ち止まったのは、少しだけ人混みの引いた位置に開いている露店の前であった。

「おじさん、いつもの、ちょうだい?」

 軽く首をかしげながら、彼は露店をのぞきこむ。すると奥から商品を持ってきている最中の、人間の中年の男がいた。

「よぅ、青君。ちょいと待ってくれよ」

 リエードの姿を見て、にかっと笑う男は、持っていた商品を表に出して、再び奥に戻った。数分もすれば、少し大きめの商品を持って再び現れる。

「ほい、お待ちどうさま。代金はいつもの通りでいいかい」

 うん、と答えるリエードが答える声に、男は露店から表に出てきた。そして商品である肉を露店に置き、彼のカバンを開いた。そして中からいくつかの袋を取り出して、空になったそこに肉を入れてやる。彼の荷物がそれなりに重くなった。

 男が取り出した袋を開いて、貨幣を取り出す。そして数枚を露店の上に置いて、残りをカバンに戻してやる。リエードは貨幣を扱うのが得意ではない。取り出そうにも、つまもうにも、彼の狩りに適した爪はそれを拒否するのだ。だからこそ手先の器用な人間に頼んで、支払いをお願いするのだ。

「まいどあり、青君。また来ておくれよ」

 男が嬉しそうに言うと、またくるよ、とリエードはくるりと反転する。長い尻尾で露店を倒さないようにしながら、彼はまた歩き始める。

 リエードは次に、露店の立ち並ぶ通りを抜けて、人通りの少ない道を進んでいった。たまに市場に向かう生き物とすれ違うこともあるが、あらゆる者の行きかうこの空間に、リエードの存在は珍しいものではない。

 彼がたどり着いたのは薄暗い家屋である。世界樹の市場から少し離れると、住民たちの住処がある。ラクリと彼が住んでいる小屋よりも、ずっと立派な住処だ。最近普及し始めた石になる液体などによって作られた立派なものだ。異国から持ち込まれたものらしいが、彼はその石の感触を好いてはいない。

 青い竜は一つの住処の入り口に釣られているベルを鼻先で揺らした。リン、ときれいな音が鳴ると、彼は少しだけ下がって入口をじぃと見つめる。ベルが鳴ってから少しして、ガチャリと扉が開いた。

 そこから姿を現したのは、顔にある皺の目立つ男だ。顔や手先以外を衣服で隠し、その衣服もかなり薄汚れている。そして首にはタオルがまかれている。

「クロッスさん、久しぶり」

 男はおう、とリエードににかっと笑いかける。

「よく来たな。律儀に来てくれるとは嬉しいねぇ。また遺産が見つかったからよ、ひとつやろうと思ってな」

 青の目がぱっと開かれて、え、と声を上げる。ちょっと待ってな、とクロッスは住処へと戻ってしまう。リエードは待ちきれないのか、入口の扉についている透明な部分から中を覗き込む。

 遺産というのは、あちこちに点在する遺跡から掘り返されるもののことである。金属の箱だったり、板だったり。それらは光ったり、ひとりでに動き出すものが確認されている。手先がわりと器用な人間と呼ばれている種族が遺産の解明をしようと躍起になっているが、それらしい使い方をするばかりで明確な用途などはよくわかっていない。

 少し経って、クロッスが遺産の箱を持って出てきた。金属製の箱で、リエードが口に咥えて運べそうなくらいの大きさだった。

「なんか分かったら教えてくれよ。少し前にそれなりに見つかったから、タダでいいさ」

 やった、と笑うリエードはお礼を言って、それを口に咥えた。ちょくちょく顔出せよ、とクロッスが立ち去る彼に言葉を投げかけて、二人は別れた。

 リエードは樹海へと入り、荷物を持ち帰った。陽も傾いてきたころだ。暖簾をくぐって近くの台に遺産を置いて、ただいま、と声を上げる。すると、おかえり、と上から返事が返ってきた。

 リエードは肉の入ったカバンを台所に置いて、改めて遺産を階段下の寝床に運んだ。それから近くに置いてあった箱を尻尾で引き寄せる。彼と同じ色の鱗が数枚貼り付けられていて、ガチャガチャと中身が鳴る。

 箱を開くと、そこには遺産を解体するための道具が一通り入っていた。しかしつまんで使うようなものとは少し異なる。どう違うのかと言えば、潰した円のような断面の、筒のようなものがついているのだ。

 リエード本人の手には獲物を傷つけるための爪しか備わっていない。ゆえに、この工具は爪にはめて使えるようになっている。つまりこれは、彼専用の工具箱だ。

 青年は寝床で腹這いになりながら、もらった遺産いじりを試みた。外見をながめ、次に箱がどうすれば開くかを調べるのだ。まずは中身を見てみないと始まらない。だがくるくると回してみても、それには留め具のようなものが存在しない。

 むー、とうなり声をあげながら、遺産を軽く投げた。箱はゴンと鈍い音を立てて床に落ち、青はごろりと寝転がった。寝藁がかさかさと音を立ててつぶれていく。とはいってもすぐそこには階段があるため、足を折りたたんだだけだが。それから藁の山に鼻先をつっこんで、思い切り天を仰ぐ。藁が舞い上がり、ぱらぱらと落ちていく。

 わしゃわしゃと藁を散らして遊び始めるリエードはやがて、力尽きたかのように倒れこむ。片目で遺産と工具箱を見つめながら、動かなくなった。

 少し時間が経って、ギシ、ギシと階段を踏みしめる音が聞こえてきた。人間のように脚の長くないラクリは、一段ずつ一定の間隔で降りてくる。彼女はリエードと食材を見つけて声をかけた。

「どうしたのよ。食べ物が痛むでしょ」

 彼女は台所に立って、手を動かす。

「べっつにー。人混みで疲れただけー。何かあったっけ」

 それは適当ないいわけである。疲れるのはいつものことだが、それ以上に遺産に敗北を喫したことに機嫌を損ねているだけである。

「何かあるなら、チラシとかなんとかくるでしょ。あるいは、観光客が来ていたとかじゃないの」

 祭があれば、このような人里離れた樹海の家にもチラシが入っているのだ。飛ぶことを得意とする郵便屋が入れてくれる。

 やがてラクリが手を止めて、できたわよ、と夕食をテーブルに置いてくれる。スープと生肉だ。のそりとリエードが起き上がって、じっとそれを見つめる。

「さ、食べましょ。スープも飲みなさいよ」

 リエードの鼻先についている藁が滑り落ちてスープに浮かんだ。青い目が赤をじっとにらみつける。一方のラクリはスープに口をつけ、生肉をつまんで口に含んだ。

「やだ」

 リエードは強くそう言って、生肉にかぶりつく。牙を突き立て、引きちぎり、咀嚼する。

 二枚の皿の上に用意された食事には、差があった。ラクリは生肉をある程度ぶつ切りにした細かいものだ。そしてスープにはごろごろとした野菜が入っている。一方のリエードの生肉は大きな塊だ。しかしスープには小さな野菜の欠片がぷかりと浮かんでいるだけだ。

 こうして対面している姿をみると、二人はいかにも対照的である。

 鱗の色は言わずもがな、その瞳の色も同様だ。骨格そのものから異なるものの、小柄であるラクリはほっそりとした手足をしており、尻尾もそこはかとなく細い。一方でリエードは大柄で、手足も尻尾もがっしりとした筋肉がついている。

「偏食家はいいけれど、なんであんたはそこまで体がちゃんとしてるのかしらね。うらやましい限りなんだけど」

 ジロジロと彼を見つめながら肉を口に運ぶ。

「むしろ、野菜を食べてるから体が伸びないんじゃない。紅竜族は雑食じゃないし」

 そんなこと言われてもねぇ、とスープが飲み干される。

「人間の文化が入ってき始めてからずいぶんと経つし、嫌よ、私は」

 紅竜族は、この世界樹からずっと離れた森に棲む鱗類の種族だ。赤から紅色に変化する鱗からそう呼ばれている。人間と交流を始めたのはかなり前の話で、彼らの生活にはその異文化がしっかりと根付いていた。

「っていうかさ、もう成長期過ぎてるし伸びないよ、ラクリ。どうあがいてもさ」

 まるで分り切っているかのように述べるリエードは、スープを残して肉を平らげてしまった。

「分かってるわよ、そんなこと。……別にそんな期待してないし」

 ラクリは間もなく、スープも肉も平らげた。ついでに、リエードのスープにも手を伸ばして飲み干した。彼は彼女と共に、ごちそうさま、と一礼する。そして前と後ろの脚を床に投げ出して、横になる。ただ、首は伸ばしたままだ。

 ラクリは彼の皿も含めて、台所へと運び、洗ってしまう。

「で、その遺産は何よ。音でもなるわけ?」

 戻ってきた彼女は、爪で箱を示す。

「まだわかんない。開けれないからさ」

 そう、とラクリは興味を失ったかのように自室へと戻ってしまう。取り残されたリエードはテーブルに顎を置いて、寝息を立て始めてしまった。

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