第11話

 私たちは青い植物をサンプルとして持ち帰った。詳しい成分分析をするために、吉岡はそれらを携えて日本へ飛んだ。

 私は村に残った。後日、ニギから薬を作っているところを見せてもらい、その様子と自分の実体験を交えてレポートの作成に取り掛かった。このレポートがあの新種の植物と共に世界へ発表されるところを想像すると、期待で胸が躍った。

 ニギはレポートの作成に協力的だった。薬の製法について尋ねれば詳細に説明してくれるし、私がレポートに集中できるよう、前にも増して身の回りの世話を焼いてくれた。

 もうすでに、私の妻になった気分でいるのだろう。「あなた、あなた」と甘えた声を出す彼女は、実に可愛らしい。この一週間は、忘れて久しい新婚生活のようだった。

『すごいぞ、内藤。例の薬だが、さっそく効果が出た』

 ある夜、吉岡が置いて行った衛星電話に、彼から電話がかかってきた。彼の声はひどく興奮していて、電話口から生暖かい息が吹きかかってくるようだった。

 本社の研究施設でニギの薬を再現させ、マウスを使っての実験を行わせていたのだ。投薬したマウスのすべてに効果が確認され、その驚異の効能に、研究所内は上から下への大騒ぎだという。

 森で採取した植物を調べたところ、正確には菌類の一種であることが分かった。DNAを解析してみると、やはり新種の生物であるとのことだった。私が予想した通り、その菌で作った薬には自己治癒力を高める効果があり、今後はそれがどのようなメカニズムで作用しているのか、解析する必要があった。

 私のこの数か月の苦労は、無駄ではなかった――全身に鉛のように覆いかぶさっていたものが取り除かれ、私は静かに息を吐いた。

 これで、私がやるべきことはすべて終わった、と思った。しかし、

『そこでな、内藤。この薬の研究プロジェクトを、すべて君に任せることが決まった』

「え?」

 ふわりと浮かび上がった私を、吉岡の言葉が引き戻した。

「ほ、本当に?」

『当たり前じゃないか、君が発見したのだから。薬の開発が成功したら、ノーベル賞だって夢じゃないぞ』

 最初、吉岡の言葉をすぐに飲み込むことが出来なかった。そして徐々に、心臓の音が早まり、全身の血液が火照ってきた。

 私は、F製薬の社員として、薬学の研究者として、決して有能ではなかった。むしろ落ちこぼれだったからこそ、アメリカ人冒険家の胡散臭い記事の真偽を確かめに、こんな辺鄙な島へ送られてきたのだ。そんな私が、プロジェクトの責任者だの、ノーベル賞だの、まるでおとぎ話のようだ。

 唐突に、梨香の顔が頭に浮かんできた。ここ数か月、すっかり忘れ去っていた、妻の顔。きっとこのことを知ったら、彼女は自分のことのように喜び、私を祝福してくれることだろう。

『日本に戻ってこい、内藤』

 耳元に響く吉岡の声がざらついた。雲が出ているせいか、彼の声が悪魔の笑い声のように濁って聞こえた。

『N本島に連絡して、明日その島に船を送るよう手配しておいた。私もそっちへ向かうから、本島で落ち合おう』

 ブツッと音を立てて、通話は一方的に切られた。耳の奥に、電波のざらつきが余韻として残った。

 私は、しばらくその場に立ち尽くしていた。

 これは好機だ。この好機を掴めば、社の人間たちを見返し、薬学の研究者として後世まで名を残すことができるかもしれない――突然降って湧いてきた幸運に、内なる私が舞い踊っていた。

 だが、その一方で、冷静な私が囁きかける。その好機の目の前には、非常に厄介で、面倒な課題が横たわっているのだぞ、と。

 影絵となった背後の森が、ざわざわと枝葉を揺すりたてた。まるで島全体が一個の生き物となって、私を飲み込もうとしているようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る