第7話

 それからさらに、五日が過ぎた。私もこの原始的な生活に徐々に慣れ始め、虫を除く大概の生き物なら、食べられるような気がした。

 本島から迎えが来る気配は、まだない。ここには電話も手紙もないので、外界との連絡が容易でないのは分かっているが、じりじりとした苛立ちを覚えずにはいられなかった。一刻でも早く、得られるはずの成果について、本社に報告したかった。

 私はリハビリと気晴らしを兼ねて、一人で村を歩き回るようになっていた。この頃には村人たちも私の存在に慣れ、特に気にした素振りも見せなくなっていた。そうして彼らの様子を観察するうちに、さらに分かったことがある。

 ニギの家は、村でも一番外れのところにあった。他の家はみんな雀のように身を寄せ合っているのに、ぽつんと佇む彼女の家は、物寂しい気配を漂わせていた。

 また、直接手渡されていると思っていた供物は、すべて手伝いの老婆を介しているものだとも判明した。彼女に怪我の治療を頼んだり、呪いを施したりしてほしい時も、老婆が仲介される。つまり、村の誰もが、ニギと直接者や言葉を交わすこと避けているのだ。

 ニギは独りだ。

 魔術師として尊ぶ一方で、みんなニギを忌避している。そんな彼女と村人たちとの関係性が、私の眼にはとても歪なものとして映った。

 その晩、私は夕食を終えた後、火のそばでうとうとと微睡んでいた。魚と野菜のスープで腹が満ちると、途端に睡魔が襲いかかってきた。

 ぱちん、と橙色の炎の中で薪が小さく弾けた。はっとして顔を上げ、狭い小屋の中を見回した。

 ニギの姿がなかった。はて、と思って身を起こしたのと同時に、彼女が小屋の中に入ってきた。

 彼女は裸だった。私はどぎまぎとして目を逸らした。

「ど、ど、どうしたんだ」

「え? 外で身体を洗っていただけよ?」

 それがどうしたの、と言わんばかりに、ニギは睫毛を瞬かせた。薄布で前は隠していたものの、美しい大蛇を思わせる腰の曲線も、意外にもぽってりと脂肪が乗った太腿も、すべてが露わになっている。彼女はそんな姿のまま、向かい側に腰を落ち着けた。

 どうやらこの村の人間たちは、裸身を見られることにあまり抵抗がないらしい。日中、村を歩けば表で母親が堂々と赤ん坊に乳を吸わせたり、丸裸の男が木陰で昼寝をしたりしている姿を見ることができる。そんな光景を目にしても、ああ、そういう文化なのだな、とすんなり受け入れられるのだが、それがニギの肉体となると、途端に抵抗感が顔を出すのだった。

 私は、ああ、とか、うん、とか曖昧な返答をして、さりげなく壁に向かって寝返りを打った。

 森の夜更けは静かだ。車のクラクションも、救急車のサイレンも、ホテルの耳障りなヒーターの振動も、何もない。火の爆ぜる音と、女の身じろぎする気配、自分の呼吸。抱えきれない夜の下に、たった二人きり、取り残された錯覚を起こした。

「なあ、ニギ」

 私は、隙間だらけの壁にしゃべりかけた。あまりに濃密な静寂に、私の神経が耐えられなかったのだ。

「ずっと、気になっていたんだが」

「なに?」

「君は、どうして一人で暮らしているんだい?」

 ああ、と彼女はため息を吐くように言った。

「みんな、わたしが、恐いのよ。わたしに触れたら、呪われると思っているから……」

 ニギの言葉の端には、うっすらと苦笑が滲んでいた。あどけない少女にはふさわしくない、どこか投げやりな響きだった。

「君は、本当にそんなことをするの?」

「まさか。わたし、そんな恐ろしいこと、できないわ」

 彼女が首を振る気配がした。

「でも、村の人たちはそう思わないから、みんな離れていくの。分からないことは、誰だって恐いわ」

「……君の家族は?」

 ニギは何も答えなかった。ひやりとした沈黙が、私の背筋を撫で上げた。

 私は、彼女の方を見返った。いつもは編んでいる髪が解かれ、彼女はそれを丁寧に手ぐしですきながら、火の熱で乾かしている。そうしていると、長い前髪で少女の幼さが身を潜め、うつむく目元からほのかな艶っぽさが匂い立っていた。

 華奢な腰のくびれ、身のつまった小ぶりな乳房に、硬い木の実のような乳首。そして、光の中で蜃気楼のように浮かび上がる、花弁模様。それは少女が身じろぎするたび、独立した生き物のように妖しく蠢くのだった。

 夜の寂しさのせいだろうか、今、目の前にいる少女が、この世で一番危うく、儚いものに思われた。彼女はこんなにも小さく凍えているのに、誰も守ってやる者がいない。その事実が、私の奥底で、何かを激しく揺さぶった。

「……愚かな人たちだ」

 ニギは、また小動物のように首を傾げるようにして、私を見た。しっとりと潤んだ瞳が、黒真珠を思わせた。

「君は、普通の女の子なのに。何を怖がることがあるんだろう……」

 私は身を乗り出し、濡れたニギの髪に手を触れた。

 電気が走ったように、少女の身体が震えた。

 髪から頬へ、鼻筋、唇へと指先を滑らせる。生花のように吸い付くような、肌理の細かい肌。もちろん、呪いで指が爛れて、腐り落ちるなんてことは起こらなかった。

 初めて触れた肉体は、陶酔したように微熱にうかされていた。

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