第6話
頭と足の怪我が回復するまで、私はニギの家で厄介になることにした。本当は、ちゃんとした病院で診てもらいたかったのだが、文明のブの字もないこの村では、治療はニギに頼るしかなかった。
それに、美しい少女がかいがいしく世話を焼いてくれるという状況に、正直、悪くないな、とも思い始めていた(食習慣は別として)。彼女は非常に気立てがよく、献身的で、見ず知らずの外国人である私に気後れせず接してくれた。彼女の純朴な明るさは、どこか伸び伸びとした田舎育ちの女子高生を思わせた。
ニギは村にひとりきりで暮らしていた。時々、ひどく無口な老婆が手伝いに来てくれるものの、他に家族はいないようだった。
ナバクが言っていた通り、ニギもまた魔術師と呼ばれる者の一人だった。そうと分かったのは、彼女の収入のほとんどが、村人たちからの捧げ物だったからだ。
彼女は特に労働らしいことはしていない様子だったが、日に何度か食料や、衣類、その他生活に必要な物資を村人たちから受け取っていた。時には、村人たちが家の前に供物を置いて帰ることもあった。その量は少女一人の生活を補うには充分であり、彼女が島の誰よりも健康的で、生き生きとしていることにも納得がいった。
時折、ニギは老婆を伴って半日家を空けることもあった。そんな時、彼女は魔術師としての務めを行っている。
ニギは、村では治療者としての役目を負っていた。誰かが森で怪我をしたり、子供が熱を出したりすると、駆けつけて何らかの治療や呪いを施すらしい。彼女の腕前は相当なものらしく、村の外からも頼ってくる者があった。
光明が見えた――と、私は薄暗い小屋の中で考えた。
ニギは私が探していた魔術師だ。もしかしたら、彼女は私が探し求める、未知の薬品、その原料について、何か知っているかもしれない。
だが、私の目的を彼女に打ち明けるのは、まだ早い。普通に考えれば、薬の原料は魔術師にとって、企業機密も同然だ。外部からやって来た人間に、ほいほいと教えるとは考えにくい。私の真意を知った瞬間、彼女はその権威で持って、私を文字通り排除するかもしれない。
慎重にならなければ――目的を果たすためには、何よりも慎重さ、忍耐が必要だと私は結論付けた。辛抱強く、ニギについて学習し、彼女の信頼を勝ち取らなければならない。
「ね、そろそろ、外を歩いてみない?」
ニギが寝たきりの私に言った。私がここへ来てから、五日目のことだ。
「無理だよ、この足じゃあ」と、私はぐるぐる巻きにされた足を指差した。
「もう大丈夫よ。家にこもりっぱなしじゃ、今度は病気になってしまうわ」
ニギは私が止めるのも聞かず、添え木を取り払ってしまった。私の腕を引っ張って、強引に立たせようとする。
ずきり、と激痛が走った――ということもなく、私はニギに支えられて立っていた。膝から下の感覚が鈍かったが、介助があればなんとか歩けそうだ。足首から小指の先まで、問題なく動く。
私は目を見張った。普通、骨折ならひと月以上は快癒に時間がかかるはずなのに。もうすっかり骨がくっついて、裂けた肉も元通りになっているのを感じた。
「さあ、行きましょう」
ニギは私の身体を抱えるようにしながら、外に出た。久方ぶりに浴びた陽光が容赦なく瞳孔を焼き、私は一瞬盲目になった。
私は初めてニギの村を目にした。村と言っても、木々を開いて平らにした土地に、粗末な小屋がまばらに立っているだけの集落だった。今は昼飯時らしく、もろ肌を見せた数人の女たちが、火を起こしている。穀物かなにかが煮える臭い。すえたような人々の体臭。森が放つ、むせ返るような空気。N本島の市場とはまた趣向の異なる、独得の臭いの表情があった。
私たちは身を寄せ合いながら、村の真ん中を歩いて行った。往来で談笑していた女たちは道を開け、裸で走っていた子どもですら、足を止めて私たちに視線を投げかけた。昼餉の穏やかな気配が、明らかに色を変えた。
男も女も子供たちも、遠巻きにして私たちを見ていた。じとっと湿ったような彼らの視線を浴びてよろよろと歩くのは、気恥ずかしいというか、ひどく嫌な気分だった。
N諸島の人たちは、何を考えているのか分からなかった。彼らの黒々とした瞳は苦手な昆虫のそれを思わせ、私をひどく落ち着かなくさせる。同じ人間であるはずなのに、どうして言葉や文化が違うというだけで、得体のしれない生物のように感じるのだろう。私は小屋から出てきたことを、少し後悔した。
「みんな、あなたが恐いのよ」
ぽつり、とニギは呟いた。
「恐い? どうして?」
「あなたが、島の外から来た人間だから。あなたたちは、わたしたちが知らない、鉄の武器を持っているもの。わたしたちは、あなたたちの武器には適わないわ」
どうやら、向こうも同じことを考えていたらしい。もちろん、私は武器になる物などなにも所持していないが、彼らにとって、私はなによりも異質なものなのだ。それが分かると、少しだけ、不快感が和らいだ。
「鉄の武器で、誰か傷つけられたことが、あるのかい?」
ニギはなにも言わず、まっすぐ道の先に目を向けていた。私は黙って、歩くことに集中した。
彼女が連れて来てくれたのは、村の長が住む家だった。村長は枯草のような髭を生やした、がりがりに痩せた老人だった。彼は木陰であぐらを組み、魂の抜けたような眼で宙を見つめているばかりだった。まるで即身仏のようだ、と私は思った。
私はニギを通して、しばらく村で厄介になること、そのお詫びを村長に告げた。彼はニギの声が聞き取れているのかいないのか、歯のない口をもごもごさせただけだった。
次に会ったのは、村長の息子だという、壮年の男だった。彼は村の男たちを束ねていて、実質的な村のリーダーだった。
腰布を巻いただけのその身体は岩のように大きく、野生の熊を前にしたような威圧感があった。アクセサリーなのか、団子のような鼻をボールペン大の動物の骨が貫いていて、それがまた異様な雰囲気を演出していた。
男は私を見下ろすと、ふん、と骨付きの鼻を鳴らした。言葉は通じないが、歓迎していないというのは、なんとなく分かった。
しばらくの間、ニギは村長の息子と何か話し合っていた。どうやら、私の今後の処遇について相談しているらしい。その時、彼女が発していた言葉は、耳慣れない、この民族たちの言葉だった。
こうして村の人間と話をしているのを見ていると、彼女まで知らない人間になってしまったようで、心細さで身体がむずむずした。
「今、彼にお願いして、あなたのことを本島に伝えてもらえるようにしたわ。その内、本島の警察か誰かが、迎えに来てくれるだろうって」
戻ってきたニギからそう聞かされ、私はほっとした。本島に戻れれば、本社に連絡できる。もちろん、薬の原料となる植物を手に入れる見通しが立った、と言うつもりだった。本社から応援を寄越してもらって、薬の原料を採取するための準備を整えてもらわなければならない。
ちなみに、すっかり忘れていたのだが、ナバクの死体は彼らの習慣にのっとって、丁重に葬られたらしい。それがどんな習慣なのかは、聞かないでおいた。
「よかったわね、これでお家に帰れるわ」
帰り道、またよろよろと来た道を戻りながら、ニギが言った。高く昇った太陽の日差しを浴びて、額の花弁模様を鮮やかに浮かび上がらせていた。
「すまない。迷惑をかけてしまって」
「いいのよ」ニギは薄く唇を綻ばせた。
「病んでいる人を助けるのが、わたしの役目ですもの。神様の娘として生まれた、大事な役目なの……」
そう言って俯く彼女の声が、深く沈んでいることに私は気づいた。丸みを帯びた頬の輪郭はか細く、どこか崩れやすい砂の城を思わせた。
道を明け渡した村の人々が、硬い視線で私たちを見送った。彼らの小動物じみた目が、華奢な少女に向けられていたものだと私が気づいたのは、もう少し後のことだ。
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