乾物屋 吉右衛門にて

野々宮くり

1話完結

 そこはオリビア王国の外れ。

緑豊かな森が丸く開けたところにある乾物屋の店先で、鮮やかな灰色のトラ模様、鯖トラ猫の夏太郎は一息ついていた。

表に面した軒先では、丸に吉と屋号を染め抜いた、長い藍色暖簾が揺れていた。

庇の上には「乾物屋吉右衛門」と書かれた一枚看板。

屋号が吉右衛門というぐらいだから、もちろん夏太郎はこの店の主ではない。

プス・・・ピスピススス・・・

軒先のざるに広げられたアジの横で腹を天に向け、昼間っからたいそう気持ち良さげに寝ているのが、主の吉右衛門。

淡いこげ茶色のトラ模様、キジトラのじじい猫である。

「まったく。のんきなもんだよなぁ。腹天にピコピコ尾まで振って、完全に野生を捨てちまってやがる。」

日ごろから、やれ怠け者だのキリキリ働けだの言われているが、吉右衛門に比べればよほど役に立っていると、胸を張って言える夏太郎であった。


 この日、フォレストへ配達にゆく弟の春之進を送り出した夏太郎は、掃除や洗い物をすませるといつものように床机に腰を掛け、ひょんひょんっと細い尾を振りながら茶を飲んでいた。

見上げる空は蒼く澄みわたり、雲一つない快晴。

新しい季節を先導する風は、日々冷たさを増してゆく。

頬を撫でる風に吹かれながら抱え持つ、湯呑みの熱さがここち良い。

飲むには熱いが、持つにはちょうどよいのだ。

まったく、いい日和じゃねぇか。

夏太郎が目を細めながら茶をすすっていると、


ちりんちりん。ちろんちろん。


ぞろぞろと仔犬がやって来た。この先にある幼稚園の園児だ。

園長は馬ほどもある2頭のボルゾイで、弟の春之進などはよく紛れ込んで遊んでもらっているようだが、折れそうな脚と痩せた巨体で園児を追いかる姿がまるでモノノケのようで、どうにも夏太郎は苦手だった。

園児たちは首に鈴を付け、オスメス一組で手を繋いでいる。

尻尾をだらんと下げ、冴えない面でメスに引っ張られているオスがいて、まるで自分のようだと夏太郎は苦笑いした。

春之進は、あっちのくるんと尻尾を丸め上げたオスが引っ張っていくタイプだ。

全く。

俺が仔猫の頃は、近所の花梨と手を繋ぐことすら恥ずかしくて出来なかったっていうのに。

そういや、春が代わりに手を繋いでやがるのを見て、大層ショックを受けたことがあったっけ。

あの時は一週間連続で、あいつの嫌いな納豆をメシに出してやったんだったな。

春のやつ、訳が解らず泣きながら食ってたっけ。

茶を飲みながらそんなことを思い出していた夏太郎は、いつのまにか鈴の音がやんでいることに気付いて顔を上げた。

大きな楠の木の下で、仔犬達が樹上を見上げている。

なんだろう?どうしたんだ?

ふわり。

樹上から、大きな尻尾が降りてきた。

いきなり現れた白銀のふさふさにテンションが上がった仔犬たちは、きゃっきゃ言いながら激しく尾を振りじゃれつき始める。中には噛み付いたり、ぐい~っと引っ張る強者もいて、はらはらした夏太郎が腰を上げかけた時。

どすんっ。

派手な音を立てて、青年が落ちてきた。

「は~いてててて~。なんだよ~、イライザに撫でてもらう夢だったのに~。」

顎より少し下で切り揃えた金髪。

すっと通った鼻筋に、くりくりした黒目がちな瞳。

黒づくめのその青年は、しこたま打ったらしい頭を抱えて二転三転していたが、自分を取り巻く仔犬の群れに気付くと、サッと立ち上がって後ずさりした。尾が消えている。 

仔犬たちの方は見ようともしない。

小さく震えているようにも見える。

助けを求めるように後ろ手で楠の木を探る青年は、かなり背が高く、余分な贅肉のない引き締まった体躯をしていた。

いい男っぷりじゃねぇか。

夏太郎はそう思ったが、仔犬たちは違ったようだ。

メス達は今にも泣き出しそうだし、オス達は固まっている。

「え、えぇと。あの・・・。」

「うちの仔です!!!」

いたたまれなくなった青年が何か言おうとした瞬間、血相を変えた2頭のボルゾイが、風のような速さで走ってくるとあっという間に仔犬たちをかっさらって連れて行ってしまった。

一瞬の出来事に、驚いたような、何故かほっとしたような。

残された青年がしょんぼりとうつむくのを見た夏太郎は、だから声を掛けたのだった。

「おい。メシでも食ってかねぇか?」


 店の脇にある土間にしつらえた台所。

かまどに置かれた2枚刃の蓋がついた鉄釜で、ふっくら柔らかめに炊き上げた白い飯が完成すると、夏太郎は木しゃもじを十字に切って米を起こし、余分な蒸気を飛ばした。

すぐ側の鍋で湯気を立てる豆腐の汁に味噌を溶き入れると、煮立たないよう火を弱める。

次によく慣らした銅の玉子焼き器を火に掛け、卵を4つ、椀に入れさっと溶き混ぜる。

白い煙がもうもうと出たところで卵液を流し込むと、ジュワワっと大きな音を立てて一気に気泡がたった。

大きい気泡を菜箸で潰し、固まってきたところで奥から手前へ手際よく返して行きながらちらりと表を見ると、青年は、ちょこんと食卓についていた。

夏太郎はひょんっと尾を降り、戸棚から出してきた七輪をテーブルへ置いて網を乗せる。

「熱いから触るなよ。」

そう言い残したあと、夏太郎は裏の漬物樽から取ってきた柚子大根をあっという間に短冊に切って皿に盛ると、炊き立ての白飯、あつあつの玉子焼き、小口葱を散らせた味噌汁を盆に乗せて戻ってきた。

「さ。昼飯にしようぜ。」

「え、えと、あの・・・。」

「腹減ってねぇの?」

「いや、そうじゃないけど・・・。」

湯気を立てる味噌汁と玉子焼きに刺激されたのか、

ぐるるる ぐるるるるる

青年の腹が鳴った。

ぐるる

呼応するように夏太郎の腹の虫も音を立てる。

「プッ。フフフ。」

「早く食おうぜ!いただきます。」

「うん!いただきます。」

二人は猛烈ないきおいで食べ始めた。

「うわ、美味しい!」

「たりめぇよ。この夏太郎さまが作ってんだぜ!」

「なつたろう?・・・初めまして。僕はジノっていうんだ。」

「ジノか。俺は夏に生まれたから夏太郎ってんだ。」

「いい名前だね。」

ジノはもの珍しそうに椀を眺め、味噌汁の匂いを嗅いでいる。白銀の尻尾が揺れているが、本人は気づいていないらしい。

「この国には無いものばかりだろ?けど、俺たちの国ではこういう感じなのさ。どうだ、うめぇだろ?」

「うん!すごく美味しい。この優しい味付けが大好きだよ!」

「そうだろそうだろ。お!七輪もあったまってきたな。ししゃも焼こうぜ!じじいのとっておきだから絶品だぞ!」

夏太郎は由の棒からししゃもを抜き取り、ヒクヒク鼻をうごめかせたあと、ジュッという音と共に網に乗せてゆく。

「じじい?ししゃも?」

「じじいってのは、ほらあそこで寝てるブタ猫。一応この店の主だ。ししゃもってのはこいつのこと。柳の葉の魚って書いてししゃも。柳っていう木の細長い葉に似た魚ってことさ。」

ジノはざるの横で寝ている吉右衛門を目にすると、慌てて箸を置いた。

「あの猫・・・干してるのかと思ったよ。起こさなくていいの?僕らだけご飯頂いちゃってるけど。」

「ばぁか。起こしたら、この特級品のししゃもが食えねぇだろうが。いっかんの終わりだぜ。」

七輪に乗せたししゃもから、香ばしい匂いが立ってきた。

夏太郎は、脂が出て焼き目が付いてきたところで裏返した。

両面をこんがり狐色になるまで、じっくりと焼いてゆく。

「こいつはそこらの安物とは違う。

俺たち庶民の口には入らねぇ特級品なんだ。

見ろよ、この丸々と太った身を。それも子持ちだ。

産卵前で身体に脂肪を溜めたししゃもは、ちょっとやそっとじゃ手に入らねぇのさ。

それをこないだじじいが取り寄せたのを、俺が塩漬けして由に刺した後、すだれ干しして乾燥させといたんだ。

こうやって天日干しにすることで甘みが増して、絶品子持ちししゃもが出来るってわけ。ほら、焼けたぞ。」

夏太郎が皿に乗せてくれた焼きししゃもは、頭と尻尾が焦げてカリカリになり、こんがりと焼けて破れた腹の皮からは、ジュワジュワと音を立てて白い卵が覗いている。

「頭から尻尾まで、まるごと食えるぞ。」

恐る恐る口に入れると、頭や焦げたところは少し苦味があるものの、卵はプチプチと弾け、ちょうどよい塩加減のホクホクとした身からは、どんどん脂が染み出してきた。

「うんめぇ!」

「うん夏太郎、ししゃもおいしいねぇ!」

ひょんひょんっ。ふさふさ。

尾を振る二人と香ばしい特級ししゃも。

ふんわりとした玉子焼き。さわやかな香りの柚子大根に、出汁香る味噌汁。

いくらでもごはんが進むのであった。


「お前、子供が苦手なの?」

箸休めに柚子大根をかじったものの、我慢できずに白飯を頬張った夏太郎に聞かれ、にこにこと味噌汁をすすっていたジノは、またしょんぼりと尻尾を下げた。

「うん・・・。苦手というか何故かいつも怖がられちゃうんだ。そんなつもりはないんだけど、僕の見た目がそういう雰囲気を出してるみたいで。黒ずくめのせいって言う人もいるけど、黒以外は着たくないし・・・。なんにもしてないのに相手が怖がってるのが判っちゃうから、子供も大人も余り関わりたくない・・かな。」

「ふーん。別にいいんじゃね?」

夏太郎は、ずずずっと味噌汁をすすった。

「だって俺、お前のこと全然怖くねぇもん。」

「・・・え?」

「あのボルゾイのがよっぽど怖えぇよ。」

「ボルゾイって・・・。あぁ、あの仔犬たち連れてった?」

「そう。この先で幼稚園やってんだ。なんかさ、こう顔がしゅっと長くて、でけぇのに脚が折れそうなほど細くてさ。

それがすげぇ勢いで走ってくんだ。

うちの春之進、あぁ弟な。あいつなんかは背中飛び乗ってな、きゃっきゃ言って馬の早駆けの真似事したりしてんだけど・・・俺はだめだわ。」

ジノがくすりと笑った。

「あ、笑ったな。俺が言いてぇのは、みんながみんなそう思ってんじゃねぇってことよ。」

ししゃもの無くなった七輪の炭が、もう焼くものはないのかというようにパチリと音を立てた。

「全員に好かれるなんてあり得ねぇ。

例えばお前に今、すげぇ嫌いなやつがいたっていい。

そいつと一生一緒にいるわけでもねぇ。

長い人生の中のほんの数年だろ?

そう思ってやり過ごせばいいんだ。

同じように、人付き合いが苦手だって構やしねぇ。

無理して得意になる必要もねぇ。

苦労して好かれる必要もねぇ。

上手く立ち回れなくて損する日があったっていい。

解ってるやつはちゃんと解ってるさ。

お前がとても礼儀正しい、いいやつだってな。」

瞬きもせず夏太郎をみつめていたジノは唇を噛んだ。

今、僕の心が熱いのは、このお味噌汁のせいなんかじゃない。

「美味いものを食って、話したいことを話す。ちょっと元気が出るだろ?」

「うん。ありがとう夏太郎。」

「それでいいのさ。最後の玉子焼き、も~らい!」

夏太郎が玉子焼きをぱくんと頬張る。

くすくす笑っていたジノは、ふと足下を見て飛び上がった。

いつのまにか小さな仔犬が座り込んで、つんつんとズボンを引っ張っている。

「にいちゃん。しー出る。」

「うえぇ!?」

首に鈴をつけたオスの仔犬は、先ほどの園児だ。

いつからそこにいたのか、ぽかんと口を開けてジノのズボンを引っ張っている。

「せい、しー出る。」

「何?!せ、せいくん?おしっこ?!おしっこなの?!」

ジノはおろおろと仔犬を抱きかかえると、

「夏太郎!トイレ!トイレ貸して!」

「お、おう!その裏だ!」

「ありがとう!」

叫びながら走っていく後ろ姿を見送りながら夏太郎は微笑む。

なんだ、なつかれてんじゃねぇの。


「は~間に合ったよ~。良かった~。」

セイと名乗った仔犬はすっかり安心したようで、ジノの腕のなかで尾を振りながら、笑顔で丸くなっている。

「僕、このコ送っていくよ。」

「一人でだいじょうぶか?俺も行こうか?」

幼稚園にはジノの苦手な仔犬がひしめいているのだ。

「ううん。もうだいじょうぶ。それに夏太郎は園長さんが苦手なんでしょう?」

ごちそうさまでした。丁寧に手を合わせ、ジノはふさふさと尾を揺らしながら去って行った。


「・・・さて。皿でも洗うか。」

一人になった夏太郎は腰を上げる。

「春之進もぼちぼち帰ってくるだろう。夕飯の仕込みもしなくちゃいけねぇしな。」

そう呟いたとき、にゃう~ん、と伸びをする声がした。

「夏太郎さんや、もう飯時かの?」

いけね、じじいが起きちまった。早く七輪片付けねぇと。

夏太郎はひょんっと尾を振ると、急いで七輪を抱えたのだった。

乾物屋吉右衛門の軒先では、今日も藍色暖簾が風に揺れている。






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