第16話 ウィルム・コート
兵士を乗せたボートの小隊は、みるみる近づいてきた。
透明な膜にさえぎられ、川船は横向きのまま制止している。せまい甲板に逃げ場所などなかった。アミリアが船べりで身を縮めている。
ウィルムは正面を向き、腰の剣に左手をそえた。アミリアだけは守りたい。それが騎士としての務めだからだ。命を賭してでも、守り抜いてみせる――。
ウィルムはアミリアの前で剣を構えた。
兵士の乗るボートに取り囲まれた。1艘が接舷し、兵士が乗り込んでくる。
ウィルムは剣を抜き放ち、最初の1人に切りつけ、2人目は川に蹴り落とした。後続の兵士に剣を振りかざしたところで、アミリアの悲鳴があがる。船尾から、別の兵士が甲板に上がっていた。
ウィルムはアミリアのもとに急ぎ、つかみかかろうとする兵士に切りつけた。その兵士が倒れ、船べりにもたれて甲板が傾く。ウィルムは体のバランスをくずした。その間に兵士たちが乗り込んできた。
相手は兵士とはいえ、民兵ほどの技量しかなかった。だが、足場が悪いうえ、多勢に無勢だ。反撃しようと、踏み込んだ足もとが揺れる。ウィルムは体勢がくずれ、兵士の体と激突した。
そのとき、もうひとりの兵士に斬りかかられた。斜めに振り下ろされた刃は、うしろによけたが、その拍子にウィルムは甲板にあおむけに倒れた。右手が船べりにあたり、剣が川に落ちる。
ウィルムはすぐさま跳ね起きようとするが、背後から両肩をとられた。正面に迫った兵士を蹴り飛ばす。体は甲板に押さえつけられていた。そのうえ、1人、2人とのしかかられ、ついに動けなくなった。
兵士の1人が立ちはだかる。切っ先が、のどもとに突きつけられた。
ウィルムは覚悟を決めた。やつらの狙いはこのウィルムのはず。自分の命と引きかえに、アミリアだけは助けられないか――。
「やめて」
声をあげたのは、兵士に捕らえられたアミリアだった。
「あなたたちの目的はわたしなんでしょう。わたしは自分の役割を果たします。だから、ウィルムを殺さないで」
――アミリアはなにを言っているんだ?
ウィルムは、彼女の言葉が信じられなかった。
目の前の刃先がしりぞいた。アミリアは、川船につけられたボートに自分から乗り込んだ。
「ごめんなさい。もう、わたしを追わないで」
アミリアが悲しげに顔を伏せた。
遠ざかるボートを、ウィルムはなすすべもなく見つめていた。
両肩にかかっていた力が抜けた。ウィルムを押さえつけていた兵士が、いっせいに立ち上がった。甲板が小刻みに揺れ、兵士がつぎつぎにボートに乗りうつっていく。ボートの小隊は川船を離れていった。
ウィルムは1人、甲板に取り残された。
……ぼくが目当てじゃ、なかったのか。
やつらの目的はなんなんだ? アミリアの役割とはなんだ? そもそも、この都市が海底に沈んでいるのは、どうしたわけだ?
いくつもの疑問が頭をかけめぐった。
川面が暗くなりはじめていた。両岸から宵闇が迫っている。やがて城塞都市カロンは夜となり、都市をおおう膜をへだてた海底の闇と同化するのだろう。
ウィルムは、はっとした。時間のたつのが早くはないか。船を囲む敵陣を突破したのは朝早くだ。まだ昼くらいじゃないのか。
「やつら、ことを急ぎだしたな」
ベルトからレムが言った。
「なんだって。おまえはなにか知っているのか」
「塔のあるじが死にかけているんだ」
「塔というのはカロン城の主塔のことか。あるじとは何者だ?」
ウィルムが土牢から抜け出したとき、主塔の上階でなにかあったらしく、たくさんの兵士が駆けつけた。そのすきにアミリアを救出できたのだ。
「この都市の設計者だ。あの塔に行けば、いまわのきわに間に合うかもな」
城塞都市を設計した人物が、塔の上階にいる。そいつは海底に都市を建設し、その周囲を透明な膜でおおったというのか。
膜で思い出した。
帆船でブリテン島に戻るとちゅう、巨大なうず潮にのまれた。その直前まで追いかけていたのが、内側に光を宿した球体だった。あのクラゲのようなものと、この都市を包む膜とは、なにか関係があるのではないか。
「アミリアを助けに、カロン城に行くんだろ」
「もちろんだ」
ウィルムは強い語調で言うと、甲板に転がっていた櫂を取った。船をこぐ腕に力をこめ、船着き場に進ませた。
川岸ではイシスが待っていた。槍を持ち、馬をまわしている。
「アミリアさんが、兵士に連れられていった。助けに行くの?」
ウィルムはうなずき、イシスから手綱を受け取って馬にまたがった。
「ぼくも行くよ」
イシスが勇敢な面構えで見上げている。
「わかった。おまえも騎士だったな」
ウィルムが手を貸し、イシスが馬のうしろに飛び乗った。
宵闇が深まるなか、ウィルムとイシスの騎乗した馬は、城に向かって走りだした。とちゅう船屋敷に寄り、侵入に必要なロープを調達した。
城を囲む堀まで来て、馬を降りた。日はとっぷり暮れていた。月明かりを背に、城壁からのぞく主塔のシルエットがそびえる。かがり火の明かりに、城門まで渡された橋が浮かび上がっていた。
ウィルムは空堀に降りた。カロン城が築かれた盛り土の下に立つ。
高さ20フィート(約6メートル)ほどの土るいの上に、15フィート(約4・5メートル)ほどの城壁がそびえ立っている。歩廊には見張りがいるだろうが、堀の底までは見えないはずだ。
ウィルムとイシスは堀のなかを歩き、主塔の側面がうかがえる位置まで進んだ。ベルトからレムを抜き取り、
「本当に申し訳ないが、これができるのはおまえだけなんだ」
ウィルムは、手のひらにレムをのせて頼んだ。
「気にするなよ。船屋敷に立ち寄り、イシスに60フィート以上の長さのロープはないかと訊いたときから、予感はあったんだ」
「ありがとう。感謝する」
ウィルムはイシスからロープを受け取り、その1端をレムの体に結んだ。
「1回で放り込んでくれよな。壁に激突なんて、ごめんだぜ」
「慎重に狙いをつけるよ。それじゃあ、投げるぞ」
ウィルムは少し後退し、城壁のてっぺんに向かって思い切り投げた。レムはロープを引いて飛んでいき、
ロープは狙いどおり、
静かにロープを引いて、歩廊に落ちたレムを、矢狭間の細長い開口部まで上げる。軽く手ごたえがあり、レムが開口部をくぐったと知らせてきた。ロープが矢狭間を通り、凸壁に縦にかかったのだ。
ウィルムはロープを送り出し、レムを城壁から下ろした。
レムの結び目をほどき、こんどはイシスの腰に結んだ。ウィルムがロープの片側をしっかり握り、イシスがひとつうなずいて、壁を登りはじめた。
ウィルムはロープをたぐって、イシスの登攀を助けた。凸壁を乗り越えたイシスが、胸壁にロープを結びつけ、合図を送ってきた。ウィルムはその張り具合を確かめ、壁を登りはじめた。
歩廊に歩哨の姿はなかった。城門のある側を巡回しているのかもしれない。先を急ごう。ロープを中庭側に垂らし、それを伝わって降りた。脱出にそなえ、胸壁から垂れるロープはそのままにした。
ウィルムが降りたった場所は、壁ぎわに立つ兵舎の陰で、塔に見張りがいても、そこは死角になるはずだ。中庭にかがり火がたかれ、主塔の前面を照らしていた。ウィルムは赤い三角屋根を見上げた。
あのなかに、この都市の設計者がいるのだ。
「主塔の屋根裏にいるという人物は知っているか」
ウィルムはイシスにたずねた。
「聞いた覚えはあるけど、くわしくは知らない」
イシスは顔をそむけ、言葉をにごした。なにか隠しているらしい。
城館のほうから足音が聞こえてきた。
ウィルムはイシスを背後に押しやり、兵舎の陰に身をひそめた。
城館から出てきたのは兵士の列だった。先頭にゲルダーが立ち、そのうしろに、たいまつを持った兵士、10数名が続いている。
ウィルムは、はっとした。列のあいだにアミリアの姿があった。
ゲルダーの一行は、主塔の正面に向かう。
ウィルムは兵舎のわきから出て、塔の背後の壁に体を押しつけた。そのまま壁を回りこみ、塔の角から、その正面をうかがった。
やはりそうだ。たいまつの炎に照らされ、兵士の1人が、塔の2階部分にある出入り口にハシゴをかけていた。ゲルダーが先に上がり、兵士の列がハシゴを上がってなかに消えていく。
しんがりの兵士が手にするたいまつの光りに、アミリアの顔が浮かんだ。すべてをあきらめきっているように見えた。
たいまつの炎が塔のなかに消え、中庭はかがり火の明かりだけになった。
ウィルムの背後に、イシスが体を寄せている。力強い顔つきだった。互いにうなずきあい、塔の前面にまわった。
ハシゴはかかったままだった。出入り口から光りがもれている。それは同じ位置で揺らいでいて、かがり火を灯したのだろう。
ハシゴを上がり、念のため、顔だけ出してなかをのぞきこんだ。
階段に通じるアーチの上に、鉄の架台でたいまつが燃えている。明かりは床を這い、土牢の上げ蓋を照らしている。兵士の姿はなかった。
ウィルムは2階部分に上がり、かがり火に照らされたアーチをくぐった。せまいらせん階段が上に伸び、曲がった先で闇に沈んでいた。
イシスと目配せを交わし、階段を上がりはじめた。3階部分の階段口にも明かりが見えた。兵士の一行は各階に火を灯しながら、上がっている。ウィルムは、ゲルダーたちの行き先が屋根裏部屋であり、その目的は塔のあるじにあるという予感にとらわれていた。
5階の階段口に着いた。人の気配はなく、そっと様子をうかがうと、かがり火に照らされた室内は無人だった。壁ぎわに寝わらがたっぷり積まれている。天井の揚げ蓋が開いていて、そこからハシゴが下りていた。
ウィルムが近づくと、ゲルダーの声が聞こえる。
「塔のあるじは、このとおり死んだ。もう時間がない。明日からいっきに終章に突入する。おまえがネルの役目を果たさなければ、幕は下りないのだぞ」
――ネルの役目? ネルとは誰だ?
アミリアがなにか答えているようだが、声が小さくて聞こえない。
ほどなく天井裏を、いくつもの足音が近づいてきた。ウィルムはイシスをうながし、寝わらの陰にうずくまった。
屋根裏からゲルダーが降りてきた。それからアミリア、兵士と続く。兵士に囲まれたアミリアは瞳を伏せ、覚悟を決めた様子だ。
ウィルムは反射的に鞘に手をやるが、剣は川に落としてしまっていた。飛び出したいのを、ぐっとこらえる。いま出て行っても、返り討ちにあうだけだ。
「では、ネルの役をつとめるのだ」
ゲルダーが命じた。
アミリアがうなずいた。その体が光りに包まれ、みるみる姿を変える。
ウィルムは目を疑った。
その女性はアミリアより小柄だが、年齢は同じくらいだろう。髪は黄金色ではなく栗色で、青い目は大きく、ずいぶん痩せている。身につけているのは膝下たけの質素なドレスだった。
ウィルムは驚きのあまり、身じろぎひとつできなかった。
ゲルダーが先頭にたって歩きだした。アミリアだった女性が、兵士の一行とともにアーチをくぐる。天井の揚げ戸が閉められ、ハシゴが壁ぎわに片づけられた。かがり火が消され、窓から射す月明かりだけになる。
ウィルムは寝わらのうしろで立ち上がった。
いま目撃した光景が信じられない。アミリアが見覚えのない少女へ変わっていった。これはどういうことなんだ? まるで理解できなかった。
ウィルムは天井の揚げ戸を見上げた。
すべての謎の鍵は、屋根裏部屋にあるに違いない。
「おまえは塔のあるじの正体を知っているんじゃないのか」
ウィルムの詰問に、イシスが顔をそむける。
「いいだろう。自分で確かめてくる」
ウィルムはハシゴを掛けなおした。それを上がって、揚げ戸を開く。天井裏に上半身を入れたところで、はっとなった。
屋根裏部屋の真ん中に、直径4フィート(約120センチ)ほどの透明な球体が浮かんでいた。うず潮にのまれる前に見たのとそっくりだ。
その中心に、なにかが横たわっている。それは8インチ(約20センチ)ほどの大きさの人形で、あおむけになり、両手両足をだらんと垂らしている。のけぞった顔がこちらを向いていた。
ウィルムは屋根裏に上がり、球体に近づいた。
「あれは、なんだ?」とレムに訊いた。
「城塞都市カロンの設計者だ。この都市のほとんどは、あいつの記憶をもとに再現されている。都市だけじゃない。バロメル王もゲルダーも兵士も、施療院の人々も、ここで暮らす市民の全てが
なんだと。そんなことがありえるのか――。
「ではおまえも、あの球体に横たわる人形のレプリカだというのか」
「正確な複製とは言えないな。レムのオリジナルのほうは顔にコンプレックスをもっていた。おれはあいつの理想の姿なんだ。本人の記憶にもとづいているんだ、少しくらい美化されてもいいだろ」
と、平行についた目で見上げてくる。頭は光沢のある正四角形で、顔の中央に、生意気そうな鼻が突き出ている。確かに、オリジナルとは容姿が違う。
「どうだ? ハンサムだろ」
――ハンサム? なのか。
いずれにしろ、にわかには信じられない話だった。
だが、言われてみれば、街の細部にはむらがあった。しっかり再現されている建物もあれば、似通った建物が密集する場所もあった。市民のなかには似た人物が多く、兵士はみんな同じ顔をしていた。
レムの記憶力がどんなに優れていても、都市の外観や市民の全てを覚えているわけじゃないからだろう。つまり――。
「ぼくは過去にいるわけじゃないんだな。迷い込んだ都市が、600年前の記憶にもとづいて造られていた。だが、誰が? なんのために?」
「都市全体を包む膜が
それは突拍子もない話だった。
「――ネルとは誰だ?」
「さっきアミリアが変わったのがネルだ」
そう言われて、ウィルムは、はっとなる。
「では本物のアミリアはどこにいる。おまえにオリジナルが存在するように、アミリアもどこかに囚われているんだろ。そうじゃないのか」
「それは違う。アミリアはあんたの記憶から再現されたんだ」
ぼくの記憶から――。
それで、ぼくの知っているアミリアに、あんなにそっくりだったんだ。彼女は、過去の思い出もぼくと共有していた。だから、まさか彼女が本物のアミリアじゃないとは夢にも思わなかった。
レムが続ける。
「あいつはネルになるはずだったのに、あんたの妻におさまった。自分の役割を放棄して、あんたと逃げたもんだから、バロメルたちは必死でとらえようとしたんだ」
「彼女は、どうしてアミリアになろうとした」
「それは本人に訊いてくれ」
「では本物のアミリアはどうなった?」
レムは答えなかった。
ウィルムはたまらずベルトからレムを抜き出し、強く握りしめた。
「おい、答えろ。アミリアは無事なのか。どうなんだ」
「おれは知らない」
ふいに力が抜け、ウィルムはその場にへなへなと座りこんだ。目を落とすと、薬指でリングがきらめく。考えまいとしてきた想像が、いっきにのしかかってきた。
アミリアは、うず潮から助からなかったのではないか……。
ウィルムは屋根裏からハシゴを下りた。イシスがかたわらに立っている。
「きみも600年前の人物なのか」
ウィルムの問いに、イシスがうなずいた。
「――そうか」
ウィルムは、寝わらの上にどさりと腰を下ろした。
月明かりだけの塔内は、薄暗く、しんと静まり返っていた。今夜は、ここで過ごすことになりそうだ。ウィルムは目を閉じた。アミリアの消息が気がかりでしかたない。疲れきっているのに、眠りはなかなか訪れなかった。
「ネルの物語を話してくれないか」
ウィルムは、ベルトに挟んだレムに頼んだ。
「いいぜ――」
レムが語りだした。
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