第15話 レム

 バロメルは死に、ゲルダーがその代わりを務めていたが、実権はまちがいなく1手に握っていた。いまやゲルダーが法なんだ。

 ネルは再び裁判を受けた。その現場にいた侍女は、ネルがカップになにかを注いだのを見たと証言し、カロンも、それを裏付けた。判決を下したのはゲルダーだ。国王を毒殺したかどで火刑と決まった。

 ネルは居城の3階に閉じ込められた。いまや王族の1員なので、塔の下の土牢には入れられなかった。火刑は明日の午後、市が終わったあと、中央広場の処刑台で行なわれる。おれたちには縁のない場所だと思っていたのにな。

 ネルはベッドに腰かけ、小さい窓から外を眺めていた。

 おれはネルのひざに乗る。

「おれたちは、これからどうなるんだ」

 火刑について訊いた。

「生きたまま火で焼かれるの。そうして灰になるのよ」

「おれもいっしょに灰になってやる」

「レムは焼けないと思う」

「それでもいっしょにいてやる。そんな悲しそうな顔はするなって」

 ドアが開き、兵士が入って来た。

 そのあとに続いた老人を見て、おれは驚いた。薬草師のガザロだ。黒いフードをかぶった、助手らしき子供を引き連れている。

 兵士が出て行き、ドアが閉まった。

「大変なことになったな」

 ガザロが口を開いた。不機嫌そうな顔は変わらないが、目は優しかった。

「どうして」とネルがたずねた。

 おれたちの刑罰をどうして知ったんだ? とおれはいぶかった。

「中央広場に布告が出ていた。明日、だそうだな。国王を毒殺したらしいが、実際のところ、なにがあったかはわからんし、たずねもせん。あんたがマナンのまつえいだという疑いもあるようだが」

 ガザロがちらりと助手を見て、

「ザンからの紹介状で、知っていることはある。だからといって、あんたが人類の敵だとは思わない。やむにやまれぬ事情があったのだろう」

 ネルが首をうなだれた。

「マナンの血には魔法の力がふくまれているという。その血を分析し、研究すれば人類の役にたつと説明し、あんたの血を採取する許可を得た」

 ネルが、はっと顔を上げた。

「というのは口実で。本当は、このガキに頼まれたんだ」

 助手がフードを上げた。

「イシス」ネルが、小さく声をあげた。

「そうだよ。早く、服を脱いで。ぼくのと取り替えよう」

 イシスがマントを脱ぎはじめた。

 ネルはいぶかしげに、そんなイシスの様子を見つめている。

「ぼくが、身代わりになってここに残る。ネルは先生といっしょに城を出るんだ」

「そうしたら、イシスが……」

「ぼくだったら大丈夫。逃げる算段はしてあるからさ」

 あやしいもんだ、とおれは疑った。

「ほら、早く」

 イシスが肩にかけた手を、ネルは乱暴に払いのけ、ベッドから立ち上がった。

「触るな。けがらわしい」

 ネルの豹変に、イシスは驚いたらしい。あっと目を見開き、後退した。

「われは、人類の神であったマナンの血を受け継ぐ者。その血を採取しようとは、身のほど知らずもいいところだ。すぐに立ち去れ」

 ネルがにらみつけると、イシスは立ちすくんだ。

「マナンだなんて嘘だよ。ネルはドルイドだって言っていたじゃないか」

 異変に気づき、兵士が部屋に入って来た。ガザロはイシスのマントを引き、不機嫌そうな顔で首を振った。その様子を、兵士が鋭い目つきでにらむ。

「血の採取は失敗だ。帰るぞ」

 ガザロがうながし、先にたって部屋を出た。

 イシスはためらっているようだが、そのあとに従った。戸口で振り向く。

「そんなの、信じないよ」

 兵士が出て行き、ネルの前でドアが閉まった。

 ネルは力尽きたようにベッドにへたりこんだ。両手で顔をおおい、声を殺して、体を震わせる。おれの頭は、またもやびしょ濡れになった。

 翌日は、雲ひとつない晴天に恵まれた。

 中央広場の市はいつになくにぎわい、露天がひけても、人々は立ち去ろうとしない。このあと、めったにないイベントが開催されるのだ。

 その主役は、ネルとおれだけどな。

 ネルは馬車から降ろされると、うしろ手に縛られたまま、処刑台の前に引き出された。おれは、ネルの腰にロープで縛られていた。

 処刑台は特別に作られたらしく、木の台の中央に柱が立てられ、その周囲に、たくさんのまきとわらが積まれていた。人々が遠巻きに、おれたちを見つめている。

「この女は、人間のふりをして王家にもぐりこもうとした悪魔の手先である」

 ゲルダーが、自分で決めた罪状を読み上げる。

「しかし、その正体はマナンのまつえいである」

 群集にどよめきが広がった。

 ネルがカロンの嫁と決まったあと、街ではいろんな噂が飛びかったんだろうな。

「マナンは、その強大な魔力で人類を支配してきた悪魔の種族である。かのやからはおのれの力を過信したがゆえに自滅したが、その血は密かに受け継がれていたのだ。そう、この女のなかに」

 ゲルダーがネルを指さし、人々が恐怖の叫びをあげた。

「よもやこの少女が、あの恐ろしきマナンの生き残りだと、誰が考えようか。それこそが策略だったのである。この女はまんまと王子を誘惑し、王家に嫁ぐと、バロメル王を亡き者にした。さらには、この悪魔の人形」

 ゲルダーが指を突きつける。

 ――おれ?

「この女は人形を用い、ジル王妃の寝室に忍び込ませるや、王妃にまで危害をくわえようとした。まさに悪魔の使い」

 危害をくわえようとした? 首を折られたのは、おれのほうだぜ。

「かかる罪業により、火刑に処する」

 群集のおびえが興奮にかわり、口々にネルの悪口を言いだした。おれは、ネルが耳を作ってくれなければよかったのにと思った。耳をふさぎたくても、両手がふさがれていた。

 群衆のなかに、ちらりとエーリヒの姿がのぞいた。おれがにらみつけると、それに気づいたのか、人垣に隠れてしまった。ネルを見上げると、遠く森のある方角を眺めている。エーリヒに気づいた様子はない。

 ネルはうしろ手に縛られたまま、兵士に処刑台へ行かされた。マナの息吹はまるで感じられなかった。ネルはあきらめてしまったらしい。森のある方を見つめながら台に上がった。わらの上を進み、柱に背中をつけて立たされた。兵士がそこに鎖で縛りつけはじめる。

 森を出るんじゃなかったと、つくづく悔やんだ。森から発するマナと共鳴できれば、こんな目にあわなくてすんだのに。おれは自分がふがいなかった。ネルの魔法で、おれを大きくしてくれたら、と心から望んだ。

 まきに火がつけられ、静かに燃え広がる。わらの焦げる臭いがし、灰色と黒のまざった煙が立ち上がる。ネルが咳き込み、顔をそむけた。

「やめろっ」

 群集のなかから声があがり、イシスが飛び出してきた。

 処刑台の下にいた兵士が、剣を抜いた。

 イシスが空中に指でなにかを描き、ぶつぶつ言ったかと思うと、兵士の剣が花束に変わった。兵士が度肝を抜かれているすきに処刑台に上がる。さかんに火をあげるわらを、踏み消しはじめた。

 イシスは、すぐに兵士に取り押さえられた。腕を振りまわし、足で蹴り上げるが、しょせんは子供だ。鎧をまとった屈強な兵士はびくともせず、イシスは簡単に台から引きずりおろされた。

「ネルは悪魔なんかじゃない。ネルがなにをしたって言うんだ。みんな、でっちあげだ。火刑なんて、やめろ。お願いだ。やめてくれ」

 イシスの願いは通じなかった。

 たいまつを持った兵士が台に近づき、消えた火をつけなおした。

「お願いだよ。やめてくれよ」

 イシスは兵士に押さえつけられ、しだいに力をなくしていく。

 それでもネルのために戦おうとしたんだ。それにひきかえおれは、ネルの腰にぶらさがっているだけ。なんにもできない。おれは悔しかった。体の芯が熱くなり、目から、しょっぱい水があふれそうだ。

 そのとき、おれの体が震えだした。マナが伝わってきたのかと思ったが、そうでもないらしい。それは小刻みで、足もとから伝わってくる。

 突き上げるような衝撃がきた。

 ネルを縛った柱が、激しく揺れる。あちこちで悲鳴があがった。馬がいななき、馬車が倒れる。人々は立っていられず、石畳にしがみつく。柱だけじゃない。広場全体が振動していた。

 イシスが台に上がってきた。このどさくさに、兵士を振り切ったらしい。

「今のうちに逃げるんだ」

 再び呪文をとなえ、ネルを縛った鎖がつる草に変わって外れた。ネルは手をつかまれ、台から飛び下りた。地面は水あめのようで、着地したとたん、2人は石畳に転がった。とても立っていられない揺れだ。

 ネルとイシスは手をとりあい、人々のあいだを抜ける。転んでは体を起こし、走っては転ぶ。悲鳴はひきもきらない。赤ん坊が泣いている。祈りの言葉が聞こえる。大地の揺れは収まりそうになかった。

 広場の出口で、ネルが振り返った。人々が這いつくばる向こうで、処刑台が燃えあがり、空に黒い煙をふきあげていた。

 人通りのないメインストリートに出ると、おれたちは道のまんなかを走った。両側の建物から屋根わらが落ちてくる。荷車が道を横切る。

 門前広場に出たとたん、ネルが転び、その手に引かれてイシスも倒れた。おれの顔は石畳に激突した。鼻が穴だけでよかった。

 ネルが体を起こすと、広場の向こうで、大きな門がひとりでに開いたり閉まったりしている。揺れで閂が壊れたのか、鍵はかかっていない。2人は手をつなぎあう余裕もなく、てんでに石畳を這い進んだ。

 門にたどりつくと、扉の動きぐあいで、だいぶ揺れが収まってきたのがわかった。イシスが、揺れ動く扉を押さえ、ネルを通した。あとからイシスもついてくる。門のすぐ外にあった門番小屋はつぶれていた。

 畑のあいだの道に出たころには、揺れはやんでいた。森が見下ろす丘に向かい、2人は畑のあいだの道を進んだ。こんどはネルが先にたって歩く。

「これから、どうするの?」

 イシスが、ネルにたずねた。

「森に帰る。わたしが生まれ育った場所はそこだから」

 それでもエルフの村に戻るわけにはいかない。また追い出されるだけだ。

 低い丘を上がり、海を見下ろす岩場に出る。おれは驚いた。海があふれかえっていた。空との境界線が黒く盛り上がり、近づいてくる。

「津波だ。ここにいたら、いけない。あの大きさだとここまで来る」

 イシスはネルの手をとり、岩場のはしから、丘に沿って延びる森を目指した。樹林に飛び込み、いっさんに走る。樹々のあいだから海があふれだした。

「だめだ。木につかまれ」

 イシスの声が聞こえているのか、ネルはあふれくる波に向き直った。

 きーーん、と甲高い音がした。樹々が反応している。おれの胸は高鳴った。ネルの体内に流れるマナに応えて、森全体が共鳴しているんだ。

 森に侵入した津波は、見えない力にさえぎられたように跳ね上がり、横にそれた。丘の下へと流れを変える。立ち並ぶ樹々によって、波の力はそがれていたとはいえ、ようやくネル本来の力が回復したんだ。

 おれたちは森のはしから丘の下をのぞいた。

 島は水浸しだった。岩場とその両側の丘を乗り越えた津波が、都市とのあいだに広がる畑に、いっきに下っていった。

 いつまで見ていてもしかたない。ネルが先に立ち、森の奥へ入った。

 ようやく生き返った心地がした。それまで頭がぐるぐる回っていたのが嘘のようだ。森の息吹にふくまれるマナが、おれを爽快にしてくれる。やはり、この森にはなにかあるんだ。このなかにいる以上、ネルは安全だ。

 森が開け、ぽっかり空き地になっている場所に出た。むきだしの地面に草がまばらに生えている。ここで休憩することにした。おれはネルの腰から飛び下り、大地に両手両足を伸ばして寝転んだ。

 森のなかで影がゆらいだ。背の高い姿が現われる。

 エルフの長老ザンだ。相変わらず、引きずるようなひげを生やし、ちらちらと光るマントをまとっている。静かに近づいてきた。

 イシスは目を見開き、息をのんでいる様子だ。

「ネルよ。待っていた」

 ザンが口を開いた。

 どうしてネルの居場所がわかったんだ、といぶかり、ザンの体からマナが発散しているのに気づいた。マナどうしが導きあったんだ。つまりザンも……。

「この森のなりたちを教えるときが来たようだ。この島はマナンが滅んだ場所よ。何万年もはるか昔の出来事だ」

 かつてマナンは地球の覇権を争い、ふたつの勢力に分かれて、この地で激突した。そこでマナの大爆発が起こり、軍勢の体を内部から砕いて、その血しぶきを大地にふりそそがせたという。

「――その血を養分に誕生したのがこの広大な森だ」

 ザンが周囲の森をふりあおぐ。

「だからここはマナの息吹に満ちておる。この森はマナンの墓場なのだよ。そのほとんどが死に絶え、わずかに生き残ったのは、皮肉にも、マナの力の劣ったものたちだった。ネルよ、そのおかげでマナンの血はおまえに受け継がれたのだ」

「じゃあ、ネルは……」イシスは絶句した。

 ネルはイシスから顔をそむけた。

「少年よ」ザンが呼びかける。

「マナンは人類の祖先を支配した恐ろしい種族と伝えられているが、それは違う。そのころの人間は、マナンが支配を望むほどの存在ではなかった。むしろ自分たちと似た姿をした人間をあわれみ、保護しようとした。火や道具の使用法を教えたのもマナンだ。かれらは人類の進歩を助けていたのだ」

「どうして、それを知っているの」

 イシスが恐るおそる聞いた。

「わしもマナンのまつえいよ」

 ネルが、はっと目を見開いた。

「わしはかつて人間の娘と関係した。そのあいだに生まれたのが、おまえの曾祖母だ。その孫であるおまえの父親が戦死したとき、妻は腹に子を宿していた。ひどい難産で、母親は出産後に死に、わしはおまえを森に引き取った」

「ザンはわたしの……」

 ネルがぽつりとこぼす。

 おとうさんのおとうさんのおとうさんのおとうさんらしい。エルフは長生きだと聞くが、ザンはいったい何歳なのかと、おれはいぶかった。

「村には戻ってくるな。おまえがマナンの血を引いているのは知られている。それがもとで、わしの正体まで露見されるわけにはいかないのだ」

 ザンがマントの背中を向ける。森に踏み入り、影のようにゆらいで消えた。

 ネルとイシスは、森に開けた空地の、大きな樹の下に並んで座った。ネルは抱えた膝にあごをのせ、イシスは両足を伸ばして幹によりかかる。おれは、ネルのつま先に頭を乗せ、あおむけに寝転んだ。

「ごめんね。いままでドルイドだなんて嘘をついていて」

 ネルが口を開いた。

「いいよ。マナンなんて関係ない。ネルはネルだ」

 そうは言うが、イシスは顔を向けず頭上を見上げている。

 葉むらがざわめいた。そのとき森に囲まれた大地の中心が、ふいに盛り上がった。おれはぎょっとなった。

 最初に現われたのは、緑に生い茂る草むらだった。つる草の茂みがあふれ、みるみる樽ほどもある女の顔が生えてきた。その表面は土色で、光沢があり、慈愛の表情が刻まれている。

 さらに豊かな胸が現われ、しなやかな腰まで生えた。つる草が髪のように繁茂する頭は、かがんでいても森のてっぺんまで届き、おれたちの上に巨大な影がおおいかぶさる。

「――大地母神だいちぼしん

 イシスがつぶやいた。

「明日、大地震が起こります。すぐにこの島から逃げなさい」

 大地母神の声がふりそそいできた。

「そんな。地震なら、いま起きたばかりじゃないか」

 イシスが体を起こす。確かに、いまさら警告されても遅い。

「あれは海底火山が噴火する予兆です。本当の大地震はこれから起こります。それはいまの地震よりもはるかに大きなものです。その揺れによって生じる津波は、この島をのみこむでしょう」

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