第14話 ウィルム・コート
ウィルムは信じられない思いで、通りをうめつくす兵を見渡した。
「おじさん。どうしたの?」
イシスが背後の甲板に立っていた。
「この船に逃げ込むのを、誰かに見られたようだ」
イシスが船べりから下をのぞき、
「国王の兵があんなに集まってる。ちょっとした軍隊だよ。あいつらみんなが、おじさんを追いかけているんだ。いったい、なにをやらかしたの」
「それは……」
ウィルムが、バロメルのブリテン島に対する侵略を知ったからだ。イシスも、この国の住人だ。正直に理由を打ち明けるわけにはいかなかった。
「誤解なんだ。ぼくを敵国のスパイだと勘違いしているらしい」
「おじさんは遍歴の騎士なんだよね」
ウィルムがうなずくと、イシスは、それ以上は追及しなかった。
「どうするつもりなの」と訊かれた。
「騎馬突撃で包囲を突破する。できるかどうかは難しいところだが、やつらの注意は引きつけられる。そこで頼みがあるんだ」
「真剣な顔だね。いいよ。騎士の頼みなら、願ったりだ」
「騎馬で突撃したすきに、アミリアを船から連れ出して欲しい」
「あれだけの兵をおじさんひとりで突破できる? アミリアさんを助けるために、自分が犠牲になるつもりじゃないの」
「やってみなきゃ、わからないだろ」
「兵がふたてに分かれたら? 一方はアミリアさんを追うかもしれない」
その可能性はある。ウィルムは思案した。
バロメルの狙いは、アーサーに対する反逆を知った自分のはずだ。アミリア1人では、それをブリテン島まで知らせられない。だが、アミリアはなんらかの理由で幽閉されていた。こんどもまた捕らえようとするかもしれない。
「ぼくを馬のうしろに乗せてよ」
イシスが提案した。
「きみもいっしょに戦うというのか」
「ぼくに剣は扱えない。せいぜい敵の兜に花を咲かせるぐらいだ。ぼくがアミリアさんのふりをして、おじさんといっしょに逃げるんだ。ぼくのほうが彼女より小さいけど、馬上ではそれほど変わらない。互いの服をとりかえて、フードをかぶれば、敵の目をごまかせるんじゃないかな」
ウィルムは考え込んだ。確かに、ウィルムとアミリアがいっしょに逃げたと思わせれば、やつらの注意はひとつに集中する。だが――。
「アミリアをひとりで逃げさせるのか」
「全員の注意をひきつけるには、しかたないよ」
ウィルムの胸に不安がうずまいた。
本当は、アミリアもいっしょに連れて行きたい。だが、バロメルの包囲を突破できる可能性は低い。アミリアを道連れにするくらいなら、自分ひとりが討ち死にしようと考えた。言われてみれば、イシスの提案はもっともだ。
「きみは殺されるかもしれないぞ」
「それでも戦うのが騎士だろ」
イシスの勇敢な答えに、ウィルムは複雑な思いだった。危険な冒険に巻き込んでしまったのが、申し訳ない。せめて騎士に叙任してやろう。
「そこにひざまずけ」
ウィルムは強い口調で命じた。
イシスはきょとんとしていたが、すぐに従い、甲板にひざまずいた。
ウィルムは剣を抜きはなち、
「神と精霊の御名において、なんじを騎士に叙任する。つねに勇猛で、礼儀正しく、忠実であれ。弱きものを助け、婦人を大切にすること」
イシスのちいさい両肩を、剣で2度ずつ叩いた。
「ぼくはきっと最年少の騎士だね」
ウィルムはうなずき、イシスを抱き寄せると、力強く背中を叩いた。これが騎士として最後の使命にならないよう、全力を尽くすつもりだ。
ウィルムは船室に下り、アミリアに状況を説明した。
周囲の緊迫した雰囲気と、ウィルムの表情から、アミリアはすでに危険を察していた様子だ。真っ青な顔で、ベッドに座っていた。
ウィルムは、バロメルの包囲を突破するための作戦を話した。アミリアは、ますます恐怖に満ちた顔つきになった。
「できればきみをひとりにしたくない。しかし、これが最良の方法なんだ。あとで施療院の前で落ち合おう」
ウィルムは力強く言い、アミリアの両手をとった。
「きっと、わたしを迎えに来て」
「もちろんだ。ぼくはアミリアの騎士だろ。かならず迎えに行く。船着場で舟を奪い、港を出て、ブリテン島に連れ帰る。誓うよ、アミリア」
ときの声があがった。角笛が強く吹き鳴らされる。
「もう時間がない」
ウィルムが目配せし、イシスが素早くチュニックを脱いだ。
2人は衣服を交換した。イシスはアミリアのをまとったが、やはり丈が長い。アミリアでさえ、ひきずっていた。たくしあげて紐で締める。マントを着てフードをかぶると、見分けがつかなくなった。
アミリアはというと、イシスのチュニックはつんつるてんだった。マントで全身を隠し、フードをかぶると、問題はなくなった。
フードから、アミリアの不安そうな顔がのぞく。ウィルムは彼女を抱きよせ、その体を強く抱いた。心臓の激しい鼓動が伝わってくる。強く唇を合わせ、アミリアの恐怖が浮かんだ瞳を閉じさせた。
「早くしようよ」
イシスが苛立たしげに、靴のかかとで床を叩く。
「わかった」ウィルムもマントをまとい、イシスとともに船室を出た。
まずは状況を見極めようと、甲板に向かった。昇降階段を上がるとき、バロメルがなにやらわめいているのが聞こえてきた。
甲板に出て、船べりからのぞくと、その眼下にはバロメルが立ちはだかっていた。従者がひとり、いくつも結び目のある縄を持って従っている。
「反逆者に告げる。これからこの縄に火をつける。それが燃え尽きたときが、われらの突撃するときだ。それまでにいさぎよく出て来い」
バロメルが声をはりあげている。
ウィルムの目が、兵の配置を確認していた。
歩兵が十字路をうめつくしている。なかには見覚えのある顔も混じっていて、民兵なのだろう。十字路から船腹に沿って延びる通りは、何十もの騎馬でふさがれていた。騎士はみな鎖帷子に身を包み、鉄兜をかぶる。
ウィルムはふと、その下の顔は全て同じなんじゃないか、と身震いした。
「小麦粉はあるか?」
イシスに訊いた。
ウィルムは、きのう食べたパンから思いついた策があった。
「倉庫にあるよ。うちでパンを焼くんだ。武器になるの?」
「小麦粉を煙幕に使い、敵陣を突破する」
イシスが理解し、にかっと笑った。
ウィルムはイシスとともに船倉に降り、持てるだけの小麦粉を甲板に運んだ。船首の内側に積み、いくつかは小分けにして、小さな布袋に入れた。
船首からのぞくと、バロメルが道でふんぞり返っている。従者の持つ縄では、炎が最後の結び目を焼き尽くそうとしていた。
「そろそろ時間だぞ」
バロメルの太い声があがった。
ウィルムはイシスと力を合わせ、小麦粉の大袋を船べりに持ち上げた。2人で息を合わせ、袋の中身をいっきにバロメルの頭上にぶちまけた。
粉はかたまりとなってバロメルを直撃し、周囲に拡散した。前の道は、もうもうたる白い煙で、霧がかかったようになった。
バロメルがよつんばいになり、どなった。
「歩兵。突撃せよ」
四辻からときの声が上がった。白い煙のなか、無数の影がいっきに押し寄せる。
つぎの瞬間、バロメルが大爆発を起こした。
船が大きく揺れ、ウィルムは甲板の上で引っくりかえった。なにが起きたか、わからなかった。バロメルが、魔法で火の玉を爆発させたかと思った。
ウィルムは甲板に起き上がり、頭を軽く振った。
甲板を見まわすと、イシスともどもずっと向こうまで飛ばされていた。
「大丈夫か」と声をかけると、イシスの頭が動いた。目を開いて、上半身を起こすと、にかっと笑った。心配なさそうだ。
なにが起きたにしろ、いまが絶好のチャンスだ。
「いまから、敵陣を突破する」
ウィルムは、小分けにした小麦粉を詰め込んだ大袋をイシスに渡した。通りの反対側の船腹からハシゴを伝いおり、イシスが船べりから放った大袋を受け取った。イシスもハシゴを下りてくる。
ウィルムは窯小屋に入り、槍をとって、馬を引き出した。外の騒ぎで馬は興奮していた。鼻面をなで、優しくなだめた。ウィルムは馬にまたがり、イシスに手を貸して、うしろに乗せた。
船尾と隣家のすきまの向こうが、白い煙に包まれている。ウィルムは馬をトロットで駆けさせ、煙のなかから通りに飛び出した。
通りの十字路側で歩兵が散らばり、混乱している。その反対側では、騎馬の集団が浮足立つ。騎兵の1人がウィルムに気づき、声を荒げた。
ウィルムは馬首を十字路に向けた。突破するなら、陣営のくずれた歩兵側だ。そくざに隊形を立て直し、槍ぶすまをつくる余裕はないはずだ。
背後で、角笛が吹き鳴らされた。
ウィルムは、穂先を下に向けた槍を片手で回転させ、わきの下で柄を固定すると、前腕で水平に構えた。馬の腹を蹴り、いっきに突撃した。
背後で怒号があがり、すさまじい数の馬蹄が響く。
十字路をうめた歩兵が散り散りになった。押し寄せる騎馬の軍勢に、歩兵は恐れをなしたのだろう。もっけの幸いだ。
ウィルムは馬のスピードを上げ、散らばった歩兵のあいだをいっきに駆け抜けた。騎馬の集団が大地を鳴らす音が迫る。
「先頭のやつが来てる」
イシスが叫んだ。
集団から抜け出した1騎が、すぐ近くまで迫っている。
イシスが、小分けにした袋を取り出し、騎兵に投げつけた。袋は顔に命中し、白い煙をあげた。騎兵は落馬し、後続の足が乱れた。
ウィルムは前かがみになり、馬をあおった。
うしろから罵り声と馬のいななき、武具の触れあう音が続く。通りが狭いせいで、落馬があいついだようだ。蹄の音は、やや遠のいた。
距離を広げるチャンスだ。騎馬の群れを振り切れるかもしれない。
中央広場に突入すると、斜めに横切り、市門を目指した。追手には門から脱出すると思わせる作戦だ。メインストリートに出てすぐのわき道に入った。
馬から飛び降り、イシスもそれにならう。ウィルムは馬を引いて、立ち並ぶ民家と民家のあいだの路地に身をひそませた。
ほどなく蹄の音がメインストリートに入って来た。騎馬の集団は止まらず、市門に向かって突進した。馬蹄の響きが遠ざかる。
市門で聞けば、ウィルムを見失ったと気づく。すぐ引き返してくるだろう。
建物の陰からメインストリートをうかがった。
市門の前の広場に騎馬の集団がある。中央広場の入り口あたりでは、騒ぎに驚いたらしく、女子供が集まりだしていた。成人男性の多くは、民兵としてかりだされているのだろう。
ウィルムは路地から馬を引き出した。小麦粉の袋はもはや邪魔になるのでその場に捨てた。広場を迂回する裏道から、船のある十字路に戻る。アミリアはうまく脱出していると思うが、やはり気がかりだ。
曲がり角で馬を降り、爆発のあった通りをのぞいた。
巨大帆船の前に人だかりがしている。人垣が割れた。板に乗せられたバロメルが歩兵に運び出され、そばに止められた馬車に乗せられる。この騒ぎなら、アミリアも船から抜け出せたはずだ。
ウィルムは、イシスのもとに戻った。馬にまたがり、施療院を目指す。アミリアがついたとき、自分がいなかったら、不安になるにちがいない。
施療院にまっすぐ向かう道は避け、いったん川岸通りに出て、大きく街区を回り込んでいこうと決めた。
川岸に出たウィルムは、あっと歓声をあげそうになった。船着場に川舟が着いていた。ちょうど荷おろしを終えたところで、人夫たちが一息つき、談笑している。島を脱出する絶好のチャンスだ。
川岸通りをギャロップで駆けた。角を折れ、施療院の塀が伸びる道に出た。
通りの向こうから、フードをかぶった見覚えのある姿が、小走りに来る。ウィルムに気づき、駆けだした。フードがぬげ、金色の髪が風に広がる。アミリアだ。その顔はいまにも泣きだしそうだった。
ウィルムは馬から飛び降り、夢中で走った。アミリアが腕に飛び込んでくる。長い髪がふわりと舞い、ウィルムの鼻をくすぐる。アミリアを持ち上げるようにして抱え、力のかぎり抱きしめた。もう2度と離すものか。
「うまく、切り抜けられた?」
アミリアの体を地面に下ろしてから、たずねた。
「国王が道の反対側までふっとんで、みんなそれに注目してたから、そのすきに抜け出したの。船がすごく揺れたけど、なにが起きたの」
「ちょっと、爆発の魔法をね」
「さすが、わたしの騎士さん」
「あのさ」イシスが、槍の石突で地面をつつきながら、不平そうに言う。
「2人は追われているんでしょ」
ウィルムはイシスの肩を叩いた。
「いろいろ、ありがとう。その槍はあげるよ。これからは勇猛で礼儀正しく、忠誠で、婦人の願いはなんだってかなえてやるんだぞ」
「わかってるよ。ぼくはもう騎士だからね」
イシスは誇らしげだった。
ウィルムは、イシスの手を固く握り、別れのあいさつをした。
「ありがとう。小さな騎士さん」
アミリアが手の甲を差し出す。イシスがさっとひざまずき、その手を取って、唇をあてた。ウィルムはそんな姿を見て、思わず顔がほころんだ。
アミリアを馬に乗せ、自分は手綱をとって歩きだした。
川岸通りに折れ、荷おろし人夫のたむろする船着場に向かった。ウィルムが馬を引いてくるのに気づき、5の人夫が振り向いた。
ウィルムは剣を抜き放ち、切っ先を突きつける。
「われはコート伯の騎士、ウィルム・コートだ。おまえたちの船はもらいうける。逆らうものがあれば、この剣が容赦しないぞ」
人夫は誰ひとり逆らわなかった。身動きひとつせず、じっと見つめてくる。
ウィルムはなおも剣で牽制しながら、アミリアを助けて、馬から降ろした。人夫たちが見守るなか、渡し板に近づく。
川船に乗り込んで、ようやく緊張をといた。アミリアを
ウィルムは
ウィルムは悠然と漕いだ。いまから船を用意したって、追いつけないだろう。船は川の湾曲部を曲がり、下流へと進む。
櫂をこぐ手が止まった。
湾曲部の外側が暗い闇に包まれていた。ふいに夜になったようだ。しかし、川のこちらがわは明るい。岸に沿って、昼と夜が分かれているように見えた。川は森のあいだを抜けていくが、その先がかすんで、夜に続いていた。
船は流れにのって進み、夜に押しとどめられた。川の流れはあるのに、船腹を横にし、同じ場所で小刻みに揺れている。
ウィルムは甲板を横切り、昼と夜のはざまに近づいた。
ぼんやりと明るい。恐るおそる手を差し出すと、夜はひんやりとして、押すと柔らかく押し返してきた。それはずっと上まで続いていて、どんなに力をこめても、突き破れなかった。これはいったい……。
大きな三角の影がよぎった。
ウィルムは声をあげ、甲板に尻をついた。影は長い尾を引いて、垂直に上がっていく。エイだった。目の前を、巨大なエイが泳いでいる。
遠くで発光しているのは、クラゲのようだ。目が暗闇に慣れ、ぼんやり岩場が見える。海草が揺れ、魚が群れ泳いでいる。
ウィルムは夜の膜にはりつくようにして、海底の景色を眺めていた。しだいに知覚が目覚めてくる。
――城塞都市カロンは透明な膜に包まれ、海底に沈んでいるんだ。
荒々しい声と、角笛の音に、ウィルムはわれに返った。何艘ものボートに分乗した兵士が、川を猛然と進んできていた。
* * *
霧状になった小麦粉が空気と混ざりあい、それが引火すると爆発が起きる。ウィルムの時代では、粉ひき小屋でこうした現象が起きたという。夜、なかにひそんでいた盗賊が、明かりをつけようとして、小屋を吹き飛ばしたのだろう。当時の人は、魔法で火球が破裂したと信じたに違いない。
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