第8話 ウィルム・コート

 ウィルムにはなすすべなどなかった。たとえ剣を帯びていたとしても、30人もの武装兵士に囲まれれば、抵抗しても無駄だ。アミリアについてはたずねられなくなった。ウィルムの妻だと知れれば、ただではすまない。

「おまえたちはアーサー王に勝てると思っているのか」

 ウィルムは、ひるまない態度を見せた。

 周囲を確認する。右も左も背後も完全に囲まれていた。

「アーサーにはマーリンがいるが、われらにはもっと強力な切り札がある」

 バロメルが挑戦的に言い返した。

 ウィルムを案内した兵士が、抜き身の剣をたずさえ、近づいてきた。前方から近づく兵士がひとり、その向こうが玉座だった。

 あの兵士をやりすごし、王子のカロンを人質にとれないだろうか? 王子を盾にできれば、道が開けるかもしれない。

「牢に入れておけ。おって沙汰をする」

 兵士を制止したのはバロメルだった。

 ウィルムには意外だった。王が自分を生かしておく理由がわからない。しかし、その瞬間、アミリアを救出するために脱獄を考えはじめていた。

 ウィルムは4人の兵士に囲まれ、宮廷から引き立てられた。

 ウィルムが連れて行かれたのは、中庭にある主塔だった。それは5階建ての角塔で、てっぺんに三角屋根がのっていた。戦争のとき、敵が容易に侵入できないように、出入り口は2階部分にしかなかった。

 塔にハシゴがかけられ、ウィルムは兵士に強制されて登った。

 なかは四角い部屋で、床に木製の揚げ戸があった。天井には、滑車を利用した巻き上げ機が吊るされ、出入り口の反対側には戸口があった。脱獄に利用できるものはないか、とすばやく思考をめぐらせた。

 ウィルムは両手を縛られ、巻き上げ機で牢獄に下ろされた。頭上の揚げ戸が閉まると、あたりは暗闇に包まれた。

 ウィルムは足先で地面を探りながら用心深く進んだ。壁に突き当たると、そこに腰を下ろした。じめじめとして嫌な匂いがした。

 捕虜になった騎士は、その場で殺されるより、その主君から身代金をとるため生かされる場合が多いと聞く。バロメルは自分から身代金をとれるとふんだか――。

 そこまで考えて気づいた。

 ウィルムの主君であるコート伯が生まれるのは600年も先だ。この牢獄で朽ち果てるほうが、はるかに早かった。

 しばらく眠ったらしい。暗闇に光のすじが差してきて、ウィルムは目を開けた。どれだけ時がたったのか、見当もつかない。閉じ込められているあいだに、パンをふたきれ載せた盆が、揚げ戸から下ろされた。空腹を思い出し、むさぼるように食べた。味気がなく、ひどくまずかった。

 揚げ戸にすきまができている。

 なにかがきらめき、落下してくると、地面に突き刺さった。

 ウィルムは反射的に飛びのく。光が差し込む場所に蹴りだすと、それは抜き身の短剣だった。これが当たったら、とウィルムはぞっとした。

 光りのなかを、こんどはロープが垂れてきた。地面に着いてとぐろを巻きはじめる。ロープを伝わり、人形らしきものが下りてきた。

 レムだ。ベルトにはいない。いつのまにか抜け出していた。

「助けにきてやったぜ」

 レムが、えらそうに言う。短剣を落としたのも、こいつだろう。

「助かるどころか、殺されるところだった」

「悪かった。それを持ったままじゃ、ロープを伝われなかったんだ。おれにとっては大変な荷物なんだぜ。それでも必要だろ」

 レムが両手で短剣を拾いあげ、よろよろと歩いてきた。刃渡りだけでも、レムの身長ほどあった。たしかに重労働だろう。

「ほら」レムが短剣の刃先を上に向ける。

 ウィルムはレムの意図を察した。うしろ向きに座ると、手首に巻かれたロープのあいだに、刃先がすべりこんできた。しばらくこすっていると縛めは解けた。

「この短剣はどうした。どうやってこの塔まで上がってこれた?」

「牢獄に食事を運んだ兵士のベルトにつかまってきた。塔の2階に上がると、おれは短剣の柄をつかんで、飛び下りたんだ」

「よく、見つからなかったな」

「今朝だって、おれはあんたのベルトにしがみついて、施療院せりょういんまで運んでもらったんだぜ。少しも気づかなかっただろ」

 そうか。アミリアが連れ去られるのを目撃したレムが、ぼくと同時に施療院の土間にあらわれたのは、そういう経緯だったんだ。

 この短剣はもらっておこう。騎士叙任式で拝領した長剣とは、比べものにならないが、なにも武器がないよりはましだ。ベルトにはさむ。

 ウィルムは天井を見上げた。

 揚げ戸のすきまからロープが垂れ下がっている。そこまで20フィート(約6メートル)ほど。足がかりはないが、腕の力だけでも登れるだろう。

「このロープはどうした」

「巻き上げ機のロープをめいいっぱい伸ばしたんだ」

 ウィルムは揚げ戸の穴の下まで来て、ロープを引っぱった。ぐっと手ごたえがある。完全に出きっていた。ウィルムは両手でロープをつかみ、跳躍しようと足に力をこめる。その足首を蹴られた。

「やい、おれを置いていくつもりか」

 レムのぶっちょう面が見上げている。

「恩人を置き去りにするはずないだろ。強度を確かめていたんだ」

 ウィルムはかがんで手を差し出した。レムが手のひらに飛びのる。しかたない。レムをベルトのもとの位置に戻した。

 ウィルムはあらためて登りはじめた。両足でロープを挟み、腕の力をたよりに体を持ち上げていく。ほどなく天井の穴にたどりついた。揚げ戸をずらし、穴のふちに片足をかけて、2階に這いあがる。

 中庭のほうで足音がした。塔に向かって来るようだ。

 はっと天井を見上げた。滑車からロープが穴の底まで伸びている。このままにしておくわけにいかない。短剣を抜いて、その上部を切った。一見、巻き上がっているように見えるはずだ。

 隠れる場所はあるか?

 2階には、床の揚げ戸と巻き上げ機以外、なにもない。塔の出入口の反対側に戸口があり、そこから上階に上がれるはずだ。

 足音が塔の下で止まった。数十人はいそうだ。

 別の階に隠れて、やりすごせるだろうか? やつらの目的がどの階なのかわからない以上、それは危険だ。

 出入り口に、はしごの先がかかった。

 ウィルムはすぐ決断した。穴に体を戻し、揚げ戸をぎりぎりまで閉める。両手で穴のふちにぶら下がった。見た目はもとの状態と同じはずだ。

 はしごを慌ただしく登る音がする。やつらの目的は何だ? それが自分だとしたら、大勢でそろって来るほどではない。

 2階に殺到する音がした。頭上を無数の足音が通過する。ウィルムは、じっと耐えた。揚げ戸が激しく震動する。足音は乱れ、押しあいへしあい、われさきにというふうに聞こえる。そうとう取り乱している様子だ。そのわりには叫び声や怒号など、人の声がいっさいしないのが不自然だった。

 行き過ぎる音は途切れない。城じゅうの人間が殺到しているんじゃないか。

 両腕がしびれてきた。あごを脂汗が伝う。足音がまばらになってきた。もう少しのしんぼう――手を踏まれた。思わず、落ちそうになる。踏んだ感触には気づかれなかったらしい。階段を駆け上がる音は遠ざかった。

 ――もう限界だ。

 ウィルムは腕に渾身の力をこめ、体を持ち上げた。揚げ戸が跳ね上がり、両腕を穴のふちにかけて一息ついた。反動をつけ、いっきに上半身をひきずりあげる。2階の床に転がりこんだ。

 そのまま大の字に横たわった。胸が激しく鼓動する。両腕はしびれ、感覚がないほどだ。あと少し遅かったら、牢獄に逆戻りだった。

 塔の上階は異様なほど静かだった。

 上でなにがあったか。脱獄に影響することなのか。様々な思考が回転したが、なにをおいても、アミリアを助けるのが先だ。

 ウィルムは、閑散とした中庭に降りたった。

「アミリアの囚われている場所に、心当たりはないか」

 ウィルムは、レムに聞いた。

「塔の上か、礼拝堂か、うまやか、城館じゃないかな」

 うまやは却下した。いまさら塔には戻れない。礼拝堂には城付きの司祭がいるはずで、アミリアを見張っているとは思えない。

 ウィルムは城館に向かった。そこには国王一家がいるはずだが、兵士の多くは塔にいる、警備は手薄になっているに違いない。

 城館の1階は土間で、長いテーブルの向こうに、大かまどや井戸があった。人はおらず、出はからっている。ウィルムは、のどの乾きを覚えた。井戸に近づき、水をくんで飲もうとした。変な味がして、あきらめた。

 ウィルムは階段を上がって2階に出た。

 この階全体は宮廷になっていて、ウィルムはここで捕らえられたのだ。開け放された扉からのぞくと、なかには誰もいなかった。がらんとした大広間の奥に、無人の玉座が2つ並んでいる。

 なぜだ? さっきの大勢の足音と関係があるのか。

 階段を上がり、踊り場を曲がった。3階の階段口から廊下がまっすぐ延びている。ウィルムは壁に体をつけながら、静かに上がっていった。

 3階の廊下には、扉が3つ並んでいた。その向かい側に肖像画がいくつもかかっている。どれも国王に似ていた。見張りの姿はなかった。

 誰もいないのをいいことに、アミリアになにかよからぬ行為を――。

 ウィルムは恐ろしい想像を振りはらった。

 最初のドアに近づき、耳を寄せた。人の気配はない。そっと押すと開いた。すきまからのぞくと、大きなベッドがあるだけで、誰もいなかった。

 2番目のドアを開いた。室内は最初のより小さく、目につくのはベッドだけで、やはり無人だ。国王や王子、それにまだ見ていないが、王妃だってどこかにいるだろう。あの塔に全員集合というわけでもあるまい。

 3番目のドアを開くと、鎖帷子に身を固めた、兵士の大きな背中があった。ドアを細目に開いたまま、状況を確認する。

 兵士が立っているのは、室内のなかほどだ。その向こうのベッドに女性がひとり座っていて、小さな窓に横顔を向けている。

 ――アミリア。

 胸が熱くなった。やはり助かっていたんだ。アミリアが生きていることだけを信じ、それが自分をかりたて、ここまでたどりつけたのだ。

 ウィルムは短剣をつかむと、そっとドアを開けて室内に忍び込んだ。

 兵士が振りむいた。兜のなかの目が驚愕に見開く。

 ウィルムはそくざに飛びかかった。

 相手が刀に手をかけようとした瞬間、ウィルムは短剣を投げた。

 それは鎖帷子にはじかれるが、兵士がひるんだすきに、そのふところに飛び込む。相手の剣を逆手につかみ、肩で突き飛ばして、鞘から抜く。

 兵士があおむけに倒れ、ウィルムは大きく踏み込んだ。切っ先を下に向けた剣を、相手の胸に突き立てる。兵士の体がのけぞり、頭が床にあたって兜が転がり落ちた。その顔があらわになった。

 自分を宮廷まで案内した男だ。隊長かと思っていたが、わりとふがいなかった。

 ウィルムは、剣を相手に突き立てたまま、振り返る。

 そこにはアミリアがいた。ベッドに腰かけ、ウィルムをぼんやり見つめている。額の中央でわけ、両肩に流した金色の髪、澄んだ青い目に、きめの細かい白い肌、豪華な刺繍をほどこした衣装も、記憶のままだ。

「アミリア」

 ウィルムは駆け寄り、腰をかがめてアミリアを抱き寄せた。

 その体に反応はなかった。かといって、拒むでもない。ウィルムは体を離すと、アミリアの肩に手を置き、顔を近づけた。

「ぼくだよ。ウィルムだ。忘れたわけじゃないだろ」

 アミリアの顔には生気がなかった。青い瞳をじっと向けてくる。兵士に捕まった恐怖のあまり、記憶をなくしてしまったのか。

「アミリア、忘れたのか」

 ウィルムは、彼女の両肩をゆすった。

 何度もなんども問いかける。忘れられたとしたら、悲しかった。

「ぼくはアミリアを一生守ると誓った。その言葉どおり、きみを助けにきた」

「――ありがとう。わたしの騎士さん」

 自信なさそうな口ぶりだが、イングランド語に間違いない。

 ウィルムはもう一度、強くアミリアを抱きしめた。彼女に訊きたいことはたくさんあったが、まずは城から脱出するのが先決だ。

 それが騎士としての4番目の使命になった。

 倒した兵士に近づいた。目当ては、胸に突き刺した剣だ。

 死体から刃を抜き取る。その重さは、不思議にも、拝領した剣にそっくりだった。兵士の服で刃の血をぬぐい、鞘に収めた。自分の腰に剣を佩くと、すっと気持ちが落ち着いた。

 兵士の鎖帷子も調べてみたが、破損しているし、ウィルムにはサイズが大きすぎた。邪魔になるだけなので、あきらめた。

 ウィルムは、アミリアの手をとって立たせた。彼女の目からは信頼の気持ちがうかがえた。ウィルムは、大丈夫だと目顔で知らせた。

 廊下に出ると、ひと気はなかった。1階まで降り、土間を通って中庭に出る。兵士たちはまだ主塔にいるらしく、中庭には誰もいなかった。

 塔の上階に、何者かが囚われているのか。そして、その身になにかが起きた? 城じゅうの人間が集まるほどの重要人物なのだろう。

 いずれにしろ、ウィルムには好都合だ。

 中庭を囲む城壁の片側に、兵舎と厩舎が並んでいる。そこには兵士や厩務員が残っているかもしれない。反対側は礼拝堂と菜園だ。ウィルムはこちら側の城壁にそって城門に近づこうと決めた。

 再度、中庭の様子を確認し、アミリアをうながして、礼拝堂に向かった。

 礼拝堂の背後から菜園に入り、茂みの陰から城門をうかがう。門までは50ヤード(約46メートル)ほど。その間、2人の姿をさえぎるものはない。主塔にはハシゴがかかったまま、兵士たちはまだ塔に閉じこもっている。

 ウィルムは主塔の三角屋根を見上げた。

 通常、そこには見張りがいて、城門の外から近づく敵を見張っている。城門のすぐ内側までは目を配っていないのを願おう。あるいは塔で起きたなにかに気をとられていることを――。

「門まで走るよ」

 ウィルムは、アミリアの手をぎゅっと握った。汗ばんだ手が握り返してくる。走りだそうとすると、アミリアが裾を踏んでよろけた。丈が長くて走りにくそうだ。 ウィルムは裾をたくしあげ、帯にはさんでやった。

「行くよ」

 ウィルムはアミリアの手を引き、走りだした。

 彼女の速度に合わせ、動作を気遣いながら、一方では主塔の最上階を気にしていた。いつ警報の角笛が吹かれるか、気が気じゃない。

 流れる雲の下、主塔は不気味に静まり返っていた。

 城門のなかに駆け込むと、心臓が激しく鼓動した。角塔の外壁によりかかり、一息つく。となりでアミリアが荒い息をついている。

 そこは城門のなかの狭い通路で、その先に太い閂のかかった門が見通せる。通路の片側に城壁に登る階段がある。ウィルムはまっさきに天井を確認した。そこには細長い切れ目があり、門番はその上にいるはずだ。

 誰もいる気配はなかった。ほとんどの兵士が塔に集結しているらしい。ウィルムは、あと何人か斬り倒す覚悟をもちつづけていた。

 ウィルムは門に向かった。一抱えはあるかんぬきの下に肩を入れ、渾身の力をこめて押し上げた。鈍いきしみをあげ、閂が上がっていく。最後の一押しで、転がり落ちた。城門に両手をあて、いっきに押し開いた。

 堀の向こうに、城砦都市の町並みが広がった。風が吹きぬけ、ウィルムの髪をなびかせる。城内とは、違った風が吹いているように感じた。

 数歩下がって、アミリアがまだ心細そうにしている。ウィルムはその肩を抱き寄せ、「もう大丈夫だ」と励ました。

 思いついてベルトを確認した。レムがすました顔で収まっている。静かだとは思っていたが、人形のふりをしてくれているほうがいい。

 アミリアは、レムが気になる様子だ。

「この人形はお守りみたいなものなんだ」と説明しておいた。

 ウィルムには気がかりがあった。

『アーサーにはマーリンがいるが、われらにはもっと強力な切り札がある』

 強力な切り札とはなんだ?

 バロメルの言葉が、虚勢ならいいが――。

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