第6話 ウィルム・コート

 ウィルムが目を覚ましたとき、石畳の上に横たわっていた。どのくらい気をうしなっていたかは、わからない。ぼんやりした目に、青くすみわたった空が映る。なんだか、揺れてさざなみだっているように見えた。

 ――アミリア。

 すぐさま立ち上がると、あたりを見まわした。

 そこは石畳の敷かれた広場で、四方に通りがのびている。広場の一角には、ローマ建築らしい神殿があった。見知らぬ都市にいるようだ。アミリアだけでなく、人の姿はどこにもなかった。

 どこからか教会の鐘が聞こえてくる。明け方らしい。

 自分はいったいどうなったんだ?

 アミリアを助けるため、うず潮に飛び込んだはずだ。うずの底がローマ都市であるわけがない。浜辺に打ち上げられ、誰かにここまで運ばれたのだろう。では、なぜ置き去りにされたのか。そしてアミリアはどうしたのか。

 様々な疑問がわきあがった。

 左手を確認すると、薬指と小指でリングが光る。身なりは、出航したときと同じチュニックにサーコートだ。剣帯に手をやり、はっとなった。

 騎士叙任式で拝領した剣がない。

 うずに巻かれたとき、なくしたに違いない。大変な失態をしでかした、とウィルムは血の気がうせる思いだ。

 騒がしい人の声が近づいてきた。メインストリートから、野菜や果物、肉や鮮魚、日用品などを荷車に積んだ商人たちが広場にあらわれた。都市郊外の農家や漁業民なのだろう。商人はウィルムが突っ立っているのにおかまいなく、屋台を組み立て、商品を並べはじめた。

 ウィルムは人ごみに巻かれ、邪魔になっている。

 荷車に鮮魚を積んだ漁夫が通りかかった。近くに港があるらしい。ウィルムは漁夫を引きとめ、ここがどこなのか、と尋ねてみた。

 漁夫はすぐには答えられなかった。ぽかんとした表情でウィルムを見る。言葉が通じないのか。どこか他国に流れ着いたのかもしれない。

「ここはカロンだ」

 漁夫がイングランド語で答えた。言葉は通じるが、なまりがきつく、発音が古くさい。カロンという名は聞いた覚えがなかった。

「それは都市の名前ですか。ぼくはウィルム・コートといいます。イングランドのコート伯につかえる騎士です。ここは、おそらくブリテン諸島の島だと思うのですが、ブリテン島はわかりますか」

 漁夫は、どうしたらいいか決めかねるように視線をさまよわせた。狭い都市のなか、よそものはすぐにわかる。警戒しているのかもしれない。

「あの……」

 たくさんの視線が押し寄せてきた。

 はっとして周囲を見まわす。だが、人々は朝市の準備に忙しく、誰もウィルムを気にかけていない。買い物客が広場に集まりはじめた。

 男性が着ているのは、袖のないチュニックで、腰をベルトでしめている。丈は短く、ウィルムのサーコートが膝下まであるのに、かれらのそれは太ももまでしかない。脚はむきだしで編み上げ靴をはく。

 女性のチュニックの丈は長く、足首近くまで届いていた。半袖の袖口は広く、そこから、なかに着ているチュニックの袖がのぞく。女性の多くが頭からマントを、ベールのようにかぶって歩く。

 いっせいに見られたと感じたのは気のせいだろうか。

「ここは城砦都市カロンで、この島はバロメルだ」

 漁夫がようやく答えた。

 バロメルという名前も聞いた覚えがない。

 それにしても言葉が聞き取りにくい。イングランド語なのは間違いないが、ずいぶん辺境の地まで流されたものだ。

 それよりアミリアを探さないと――。

 自分が無事にこの都市にたどりつけたのだから、アミリアもそうだと考えていいはずだ。ウィルムは無理やり絶望を払いのけた。淡い希望ではあっても、それにしがみつくしかないのだ。

 アミリアの行き先を考える。

 見知らぬ都市に来て、まず頼ろうとするのは修道院だろう。万が一、怪我をしていたとしても、運ばれるのはそこだ。修道院をあたってみよう。

 立ち去ろうとする漁夫をひきとめ、所在をきいた。

 都市の施療院せりょういんの敷地内にあるという応えだ。修道院はふつう人里離れた場所に建てられるが、都市のなかなら、それにこしたことはない。

 ウィルムは詳しい場所を聞き、施療院に向かった。

 市街は四角い広場を中心に、縦横まっすぐに区画整理されているらしい。神殿の向かいから延びる道が一番広く、石畳が敷かれていた。それ以外の道は細く、土がむきだしのままだった。

 ウィルムは教えられたとおり、石の敷かれた大通りを進んだ。3階建ての似たようなたたずまいの家屋が続く。家のほとんどが木造で、基礎部分だけ石が使われている。屋根はわらぶきだった。

 四辻に出ると、視線の先には都市の正門があった。

 ウィルムは角を曲がった。家並みの向こうに、角塔のある市壁がのぞく。ほどなく長い塀があらわれた。塀のとちゅうに出入り口が切られ、その上に、四つ葉が描かれた看板がかかっている。ここが施療院だ。

 通りの先は川岸にぶつかり、川向うには森が広がっている。

 ウィルムは施療院の入り口をくぐった。

 狭い道をはさんで、3階建ての塔が付属する、石造りの建物があった。低い階段を上がり、狭い玄関ポーチに立った。

 ドアをノックすると、ずいぶん待たされたあと、門番があらわれた。初老の男で、フードのついた丈の長い黒服をまとっていた。

「ここは四葉の会の運営する施療院だが、ケガでもしたかね」

 門番が不審そうにたずねた。

「ぼくはウィルムといい、コート伯の騎士を務めています。ケガをして収容されたかもしれないのは、ぼくの妻なんです。妻はアミリアといいます」

 ウィルムは、アミリアの顔かたち、服装などを説明した。

 門番の表情は変わらなかった。

 もしアミリアを知っていたら、この島の服装と比べて華美な彼女の装いに、すぐ気づいたはずだ。しかし、門番の無表情には、どこか不自然なところがあった。ウィルムは、広場で会った漁夫の顔つきを思い出した。

「わしはなにも知らない」

 アミリアがいるか、という問いに対する答えとしては不自然だ。

「念のため、病室を見せてもらいます」

 ウィルムは門番を押しのけ、なかに踏み込んだ。

 そこは土間で、奥の大かまどで火がたかれていた。中央にテーブルがあるだけの殺風景な部屋だ。正面奥に階段があり、左側は廊下になっていた。

 ウィルムは廊下を進み、最初の入り口に入った。

 なかは病室だった。窓が切られた壁に頭を向けて、6台のベッドが並び、男の患者が横になっていた。部屋の中央が布で仕切られ、向こう側が女性患者用なのかもしれない。入るのはためらわれるが、いまはそんな場合じゃない。

「人を探しています。失礼します」

 礼儀正しく断わり、布を押し開いた。

 いっせいに患者の顔がウィルムを向いた。あまりにそろった動きに、ウィルムはたじろいだ。女たちの表情は驚きというより、とまどいだった。

 そのなかにアミリアの顔はなかった。

「すみませんでした」

 ウィルムは布を閉め、振り向いた。男性患者の全員が凝視していた。みんな同じ、とまどいの表情を貼りつけている。顔はそれぞれ違うのに、まったく同じ人間に見られているようで、落ち着かなくなった。

 病室を足早に出て、さきほどの土間に戻る。門番の姿はなかった。ウィルムは階段に向かった。院内をあらためてみるつもりだ。

「アミリアって名前の女は、ここにはいないぜ」

 生意気そうな声に話しかけられた。

 それはテーブルの中央に、ちょこんと座っていた。大きさは8インチ(約20センチ)ほど、頭は正四角形できらりと光沢があり、高慢ちきそうな鼻が突き出ている。水平についた細長い目で、ウィルムを見つめる。

 はじめは粘土で作った人形かと思った。しかし、それは動いた。テーブルの上で立ち上がり、奇妙なステップを踏みはじめる。なんて精巧にできた玩具だ――。

 ウィルムが感心していると、ふいに踊りはやんだ。

「おれはレムっていうんだ」

 まぎれもなく生きている。ウィルムはぞっとした。それより、

「なぜ、アミリアを知っている」

 勢い込んで、たずねた。

「おれはさっきからここにいて、あんたと門番の話を聞いていた」

「おまえはアミリアを見たのか。いつ、どこで見た」

「あんたが言うのに似た女は、きょうの朝、広場で、国王の兵士に連れ去られた」

 ではアミリアは生きていた――。

 ウィルムは安堵すると同時に、さらなる不安におそわれた。

「いったい、どうして。どこに連れていかれたんだ」

「なぜかは知らない。行き先はカロン城だろうな」

 ここは城塞都市カロンだ。城も都市のなかにあるのだろう。

 アミリアを連れ去ったのは、国王の兵士だという。アミリアをどうするつもりなんだ。この都市の女性とくらべても、彼女は美しい。いやな想像がうずまいた。いますぐアミリアを救出しなければならない。

「城の場所はわかるか。そこまで案内してくれ」

「いいぜ。おれをそこに挟んでくれ」

 レムが、ウィルムのベルトを指した。

 まぎれもなく魔法の人形だ。ウィルムはレムをつかみあげ、ベルトに差し込んだ。見上げるレムが、にやりと笑う。こしゃくなやつだ。

「ここはおれの定位置だから、居心地がいいんだ」

 わけのわからないことを言う。

 ウィルムは、レムの案内でカロン城に向かった。国王はバロメルといい、この島と同じ名だった。カロンというのは、王子の名前らしい。

 ウィルムとアミリアは、夜明け前に、バロメル島の浜辺に打ち上げられたのだろう。それを見つけた誰かが、広場まで運んだ。そのあと、ウィルムが目覚めるまでのあいだにアミリアは連行された。ウィルムだけが置き去りにされたのはどうしてなのか。疑問だらけだった。

 中央広場に戻ると、朝市で人がごったがえしていた。そのあいだを抜け、神殿のわき道を進むと、空堀からぼりに沿った道にぶつかる。空堀の先に土塁どるいが築かれ、その上に城壁がそびえていた。

 カロン城は都市の角に位置していた。城壁の高さは15フィート(4メートル半)ほど、その左側と後方は市壁に接している。城壁から、主塔の三角屋根がのぞき、屋根で旗がたなびく。城の背後は険しい岩山だった。

 カロン城の正面まで来ると、空堀に吊り橋がかかっていた。橋を渡り、城門の前に立つ。門は木造で、周囲は鉄枠で補強されていた。その上の壁に細長い窓が切られている。そこに門番が控えているはずだ。

 思ったとおり、「何者だ」と呼びとがめられた。

「われはコート伯の騎士、ウィルム・コート」

 アミリアをさらった理由がわからない以上、素直に彼女をたずねるのはためらわれた。知らないと言われれば、それまでだ。

「騎士の修行のため、遍歴の旅に出ている」

 武器や防具のないのを、どう説明しようか。

「不覚にもとらわれの身となり、からくも脱出したが、このとおり身ぐるみはがされた。装備さえととのえてもらえれば、バロメル王のお役に立ちたい」

 とりあえず城内に入り込む作戦に出た。

「傭兵の志願か?」

 おや、近々、戦争があるのかもしれない。いいときに訪れた。

「傭兵として騎士を求めているなら、かならずやご期待に答えよう」

「よかろう。入城を許す」

 重く、きしむ音がして、城門が左右に開いた。

 ウィルムは城壁のなかに進む。狭い通路を通って中庭に出た。中庭の片側には兵舎と厩舎が並び、反対側には礼拝堂と菜園があった。中央に主塔がそびえ、その奥に3階建ての城館が建っていた。

「貴公が傭兵志願者か」

 兵舎から兵士がひとりあらわれた。兵士は鎖帷子をまとい、その上から、丈の短いチュニックを着ている。頭部も鎖を編んだ頭巾でおおわれ、鋭角的な顔だけがのぞく。腰には長剣が佩かれていた。

「ウィルム・コート。遍歴の騎士をしております」

「王は貴公に会うであろう。ついてまいれ」

 まずはことが簡単に運んだが、まだ第一歩を踏みだしただけだ。なにがなんでもアミリアの所在を確認し、救出しなければならない。

 ウィルムは兵士のあとについて中庭を横切った。

 城館に入ると、3階まで階段を上がり、両開きの扉の前に出た。兵士が扉を開け、ウィルムは、そのあとについて足を踏み入れる。

 そこは宮廷で、広間の両側に、30人もの兵士がたむろしていた。ウィルムが広間を進むと、いっせいに顔を向ける。兜をかぶった顔はほとんど識別ができず、鋭い眼光だけがのぞいた。

 天蓋つきの玉座には、40歳くらいの男と、18歳くらいの青年が座っていた。バロメル王と、その息子のカロンだろう。バロメルのわきに、ひときわ目つきの鋭い男が立っている。国王の宰相さいしょうかもしれない。

 バロメル王は頭に王冠をいただき、額の中央でわけられた濃い金髪が、口ひげやあごひげといっしょになっている。左肩にマントをかけ、袖や裾に豪華な刺繍をほどこしたチュニックをまとう。ひじをついた右手にあごをのせ、疑いに満ちた目でウィルムを凝視する。

 カロン王子は、金色がかった前髪を眉の上で切りそろえ、えりあしまで髪を伸ばしていた。顔は白く長く、そばかすが散っている。前髪をすかすようにして、上目づかいに目を向ける。王子にしてはひ弱な印象を受けた。緑色のマントでくるりと、やせた体をおおっている。

 まず口を開いたのは、王の隣に控えていた男だった。金輪のついた黒い頭巾をかぶり、顔は浅黒く、細い目をして、短く刈った口ひげを生やす。黒いマントをまとい、止め具には高価な宝石があしらわれていた。

 宰相はゲルダーといった。

「傭兵に志願しているとか、貴公の素性を聞こう」

 ゲルダーが探るような目つきで、たずねた。

「われはコート伯の騎士、ウィルム・コート。イングランドよりまいり……」

 とたんに広間は騒然となった。兵士たちの顔が緊張し、腰に片手をあてる。バロメルの目は憎悪に燃えあがり、カロンの顔は蒼白になる。ゲルダーだけは、顔のすじひとつ動かさなかった。

「では、アーサーのことは知っておるな」

 バロメルがたずねた。

「アーサー王はたびかさなる侵略からイングランドを守った、われらブリテン人の英雄です。サクソン人を撃退したのも、われらがアーサーです」

「サクソンに対して、大勝利をおさめた話は聞いている。しかし、それはマーリンとかいう魔術師のイカサマによるものだ」

「違う」ウィルムは声を荒げた。

「まあ、聞け」

 とバロメルが、ウィルムの反論をさえぎる。

「おまえは重大な過ちをおかしておるぞ。われらは確かに傭兵を求めている。しかし、われらの敵というのは、おまえの英雄アーサーだ」

 ウィルムは愕然とした。バロメルはアーサーに挑もうとしている。ではアーサーは生きていたのか。違う。自分が600年前の時代にいるんだ。

「――いまは何年?」

「おろかな質問だ。532年に決まっておる」

 バロメルが片手をあげ、周囲の兵士が抜刀した。


                * * *


 ウィルムの時代の中世英語は、5世紀半ばから12世紀ぐらいまで使われていた。同じイングリッシュでも、カロンの人々と言葉が通じにくかったのは、600年のへだたりがあったからだろう。

 カロンの城や神殿、石造りの壁や通りなどは、ローマ人が建設したものだろう。ゲルマン民族の大移動により、本土防衛に忙しくなったかれらは、多くの属領を放置した。カロンもまた、ローマ帝国の属領だったと思われる。都市に残された人々は、ローマ軍が築いた施設を再利用したのだ。

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