第5話 レム

 おれたちが暮らしはじめた都市は、城塞都市カロンと呼ばれていた。なかには城があり、この都市をおさめる王様もいると聞いた。

 ネルは、薬草師見習いとしての日々を過ごしていた。

 施療院の裏手には修道施設があり、病人の看護には、修道女があたった。運営しているのはどこかの修道会で、そこから彼女たちは派遣されているんだ。男は薬草師のガザロと、門番などの用務員だけだ。

 修道女は、神の教えを学ぶため俗世間を離れ、同じ規則のもと共同生活を営む女だという。祈り、働く日々のなか、神の奇跡に迫るらしい。

 おれはネルに、「奇跡とはなんだ」ときいた。すると、不思議な力で起こす不可能な業だという。だとしたら、粘土で作ったおれに命を吹き込むのも奇跡じゃないか。つまり、おれの存在は奇跡というわけだ。ちょっと鼻が高くなった。いや、おれの鼻は穴だけだった。

 修道院長は、おれを最低限の私物として認めてくれた。ネルが、おれを母の形見だとかたったんだ。「おれに起きた奇跡を見せてやったら」と勧めると、おれは神の奇跡ではないから、それを知られたら、ここも追われると言われた。

 また人形のふりをしなきゃいけないのか。

 修道女の労働の多くは、施療院での慈善活動だ。それ以外の時間は祈りに費やされる。敷地には菜園があり、基本的には自給自足だが、市民の寄付や慈善に対する施しでもまかなっていた。ほとんどの修道院は閉鎖的なものらしいが、ここでは積極的に人々に役立つ活動を行なっていた。

 彼女たちは、白い頭巾に、長い白服を着ているので、みんな同じ人物に見えた。そのなかでひとり、華やかな印象の女がいた。それはエリスで、実際は修道女じゃないそうだ。年齢はネルよりいくつか上に見える。いずれは俗世間に出て行く身で、花嫁修業のため施設に入れられたのだという。修道院出の女は、結婚相手として貴族に人気が高いそうだ。

 頭巾からのぞくエリスの顔は、端整で高貴な印象を受ける。細い目やとがった鼻は美しいが、厚い唇が全体のバランスをくずしていた。

 1日の仕事が始まり、ネルは病室の見まわりに出た。患者の様子を診て、必要に応じて看護を行なう。たてに長い病室は、まんなかがカーテンで仕切られ、男と女の患者とで分かれていた。川で心臓麻痺を起こした男は息を吹き返し、数日前に退院していた。

 ネルがまっさきに向かったのは、エーリヒのベッドだった。彼は18歳くらいで、原因不明の腹痛をうったえ、長くわずらっていた。顔は痩せて黒ずんでいるが、なかなかの美男子だ。ネルの手当てで症状が改善してから、前任のエリスに代わって、ネルがエーリヒを担当していた。

 修道女たちが、それぞれのベッドで患者の世話を始めた。3台のベッドをへだてた向こうで、エリスが老人の看護をしていた。

 ネルが、エーリヒの下腹部にあてられた布をとり、湯気のたつ布をあてる。

「ありがとう。とてもいい気持ちだ。こんなにお世話になっていて、お礼を言うだけだなんて、とても残念だ」

 青年が優しい目を向け、ネルがけなげな様子で目をふせる。

「お礼なんていいんです。これも看病する者としての務めです」

「それだけが理由ですか?」

 2人はそのまま見つめあった。

 妙なぐあいになってきたぞ。おれは、段違いの目でにらみつけてやった。

「その人形はお守りかなにかですか」

 エーリヒはおれが気になりだしたらしい。

「母の形見なんです。とても不細工な顔をしているでしょう」

 よけいなお世話だ。自分で作ったんだろ。

「どこかの村で、魔除けとして、そういう人形を置く風習があるのは知っています。きっとその顔におびえて、魔物も退散するんでしょうね」

 2人が顔を見合わせ、くすくす笑う。

 さんざんの言われようだ。おれをだしに使いやがって。

「体調が良くなったら、森に写生に行きませんか。ぼくは絵描きなんです」

 やつも絵を描くのか。おれは少し興味をもった。

「わたしも絵には関心があるんです」

 嘘つけ。修道院長からは、嘘はだめだと言われているのに。

 院長のシスターアンジェラが入ってきた。

「ネルさん、無駄なおしゃべりは禁物ですよ。沈黙の誓いを忘れましたか」

 怒られた。ざまあみろ。

 ネルが、すみません、と頭を下げる。

 その姿を、看護の手をとめたエリスが、冷ややかな目で見つめていた。おれはなんだか、いやな気持ちになった。

 ネルはだいぶ疲れたようで、仕事を終えると、すぐ自室に引っ込んだ。

 見習いの身になってから、住むところも施療院の2階から、建物に付属する塔の3階に移っていた。その1階は治療室、2階は薬草師のガザロの自室、3階の物置がネルの部屋だった。

 ネルは、おれを行李に放り投げ、寝わらにうもれて寝てしまった。ベッドは木箱にわらを入れたものだ。おれもそこにもぐりこみたかったが、木箱が高くて届きそうにない。しかたなく、行李の上に横たわった。

 夜更けに、階段を忍び足で上がる音で、おれは目が覚めた。

 人影が寝室に入ってきた。窓から差し込む月光のすじに、一瞬、照らされる。それが修道女だとしかわからなかった。

 足音をさらに忍ばせ、おれの載った行李に向かってくる。

 その手に握られたとき、おれは悲鳴をあげそうになった。あまりに強い力だった。おれは悲鳴をのみこみ、人形のふりをつらぬいた。

 おれをつかんだ女は、静かに寝室を抜け出し、螺旋階段を下りた。敷地を囲む塀の出入口から街路に出ると、女の足は小走りに変わる。その手はおれの顔を強く握ったままで、目も口もふさがれていた。

 女が足を止めた。おれをつかむ力がゆるまり、目の前に女の顔が迫る。

 エリスだ。顔は仮面のように凍りつき、鋭い目に憎悪を宿していた。おれは金縛りにあったみたいに、身動きひとつできなかった。

 川の音が聞こえる。施療院のある通りがつきあたる川岸だろう。

 おれを握った手が振り上げられた瞬間、エリスの意図がわかった。おれはとっさに指にしがみついた。エリスの悲鳴があがり、手が激しく振られる。おれはその反動で振り落とされた。川岸だった。

 川のなかに落ちなかったのは幸いだ。おれは草にしがみつき、足を踏んばった。足もとがぐらりと動き、小石が落ちて川面で音をたてた。

 足音が近づいてくる。おれは細長い草に両手両足で抱きつき、じっとこらえた。エリスがおれの上から身を乗り出し、川の様子を探っているようだ。暗い川面になにが落ちたのかはわからないはずだ。

 エリスはおれが流されたと納得したらしく、通りに立ち去った。

 おれは草をたよりに川岸にあがった。

 ひでえことをしやがる。おれがなにをしたっていうんだ。あの女から恨みを買った覚えはまるでない。おれをつかむ力はふつうじゃなかった。おれの顔が気に食わないのだろうかと、むかっ腹がたった。

 おれは施療院に歩きだした。おれの足ではなかなかの距離だ。ようやく塀の入り口にたどりつき、敷地に入った。

 ネルの寝室がある塔に入ると、おれの頭上高く、螺旋階段が立ちはだかった。1段の高さは、おれが背伸びして届くぐらいだ。

 あれを登るのか。おれはため息をついた。

 朝、おれが行李の上にいないと、ネルは慌てるだろう。エルフの村で、おれを厩舎に置き忘れたときも、たいへんな騒ぎになった。

 おれは飛び上がって、最初の段に両手をかけた。足がかりを探すが、階段のふちがオーバーハングになって、うまくいかない。おれは両腕に力をこめ、どうにか体をずりあげて段に上がった。

 一息ついて、階段を見上げる。かなたにある踊り場が闇にしずんでいる。ネルが眠る3階は、そのさらに上の上だ。――はあ。

 寝室にたどりついたときには、夜はもはや明けはじめていた。

 ベッドの前で、おれは力尽きた。ぼんやり白んだ床に大の字になった。寝返りをうったネルが、薄目を開けた。目が合うと、腕を伸ばしておれをつかみ、寝わらのなかに入れてくれた。

 夜明けの鐘が鳴っている。

 施療院の裏手は庭で、修道施設に囲まれたなかに、小さな礼拝堂がある。ネルは修道女にまじり、そこでお祈りをしていた。エリスの姿もあり、おれがネルの腰にぶら下がっているのに、ぎょっとした様子だ。

 まるで悪魔でも見る目つきだった。

 翌日は日曜で、軽い朝食のあと、教会のミサに出かけた。おれたちは、修道院長にひきいられ、修道女たちと黙々と歩いた。その行列のなかには、薬草師のガザロや施療院の用務員もふくまれていた。

 教会の両開き扉を入ると、左右のベンチをはさんで木の床が延びていた。1段高くなった祭壇の上で、十字架にかけられた男の像が、悲しそうにうつむいている。ミサの内容はよくわからなかった。

 帰り道、中央広場をとおった。

 広場では朝市が開かれていて、たくさんの人でにぎわっていた。ミサが終わり、教会を出た人々も買い物をしている。市は、朝の鐘が鳴って市門が開き、正午の鐘が鳴るまで続く。ここでは、お祭りなどの行事も行なわれるという。片隅には処刑台もあり、罪人の処刑も執行されるそうだ。

 ネルとガザロは、ここで修道会の一行と別れた。市場で薬剤を仕入れる必要があった。さっそく薬売りの屋台に向かう。

 店はテーブルと日よけだけの簡素なもので、こうした屋台がたくさん並んでいた。肉や魚、野菜、小麦粉、香辛料などの食材、それに画材、筆記具、布、櫛などの日用品まで様々な商品があきなわれていた。

 人々のにぎわいの向こうに、大きな神殿がのぞく。広い階段の上に、柱が何本も立ち並び、三角の屋根がのっている。その背後は巨大なドームだった。

 神殿の近くに、少年の集団があった。そのなかから、1人の少年が飛び出す。そいつは14歳くらいで、勝気な目と意志の強そうな唇をしている。顔や手足にあざをつくり、ほかのやつらに殴られたようだ。

 同年輩らしい少年たちが、しきりにののしる。

「なにをやっとるんだ。けがをしているじゃないか」

 ガザロが声を荒げ、叱責した。

「だってこいつ、この島に大地震が起きるなんて、まだ言うんだ」

 少年の親分格が、ガザロにたてついた。

「本当だよ。海底火山の爆発で地震が起き、この都市は壊滅するんだ」

 少年は、妥協しない態度だった。

「だったら、おまえんちのでっかい船で島から逃げればいいじゃないか」

「あの船は、父さんがみんなを助けるために建造したんだ」

「おまえの父さんはバカなんだよ。頭がおかしいんだ」

 少年たちのあいだで、どっと笑いが起きた。てんでにあざけり、ののしりながら、広場を出ていく。残された少年は首をうなだれていた。

 そいつはイシスといった。ガザロが軟膏を塗ってやろうと施療院に連れ帰った。 イシスは治療を受けているあいだも黙り込んでいた。イシスの家は船屋敷と呼ばれ、この都市では有名らしい。おれたちは、まだ見たことがなかった。家に送るかたわら見学してこい、とガザロに言われた。

 船屋敷は、屋敷ではなく船そのものだった。

 それは平底の巨大な帆船で、見上げるほど喫水が高く、3階建てほどの高さがあった。マストが空高くそびえているが、帆布は張られていない。船べりから何本ものびるロープで、空き地の地面に止められていた。

 ネルはイシスの案内で船腹のハシゴを上がった。広々とした甲板は見晴らしがよかった。中央広場を中心に、石畳のメインストリートがのび、似たような建物が立ち並ぶ。都市の奥に、ひときわ高い塔があり、そのてっぺんで旗が揺れていた。あれが城塞都市カロンの城の主塔だそうだ。

 おれたち3人は甲板に寝転がった。青く晴れわたった空を、白い雲が流れる。

「この島は本当に大地震にみまわれるの?」

 ネルが顔を向けてたずねた。

「そうだよ。おまえだって信じてないんだろ」

 イシスは空をにらんだままだ。

「わたしはネル」

「ネルだってそうだろ」

「誰だって信じたくないよ。イシスはどうして信じられるの」

大地母神だいちぼしんのお告げがあったんだ。ぼくはその女神を見たことがないけど、父さんが昔からよく語っていた」

 イシスの父はダイクといい、土器作りの職人だった。

 10年前のある日、森に粘土をとりに出かけたという。樹々が開けた場所に出たとたん、大地が盛り上がり、樽ほどもある女の顔があらわれた。上半身まであらわすと、かがめた体が太陽をさえぎり、大地に巨大な影が落ちた。女神の表情は優しく、ダイクは恐怖を感じなかったそうだ。

 そして大地母神のお告げを受けたという。

『この島は近く、海底火山の爆発による地震で崩壊します。いますぐ大きな船を造り、すみやかにこの島より出なさい』

 それから財産を投げ打ち、家の裏の空き地で船の建造を始めた。船が大きくなると空き地に収まりきらず、家を壊してまでも造りつづけた。あきれた妻は、イシスが小さいころに他の男と逃げた。最初は建造法もわからず、失敗の連続だった。10年近くかけて、ようやくここまでこぎつけたという。

 よほど裕福だったんだろうと、おれは推測した。1人で船を造りつづけていたら、土器を制作する暇はなかったはずだ。船を建造できる土地もあるわけだし、金持ちの道楽なんだろうな。

「その地震は、いつ起こるの?」

 ネルがたずねた。

「大地母神は、近く、としか言わなかった。それでも、大地の女神が告げたんだから、間違いないよ。父さんは人々に警告した。最初は信じてくれた人も、1年たち、2年たつうちに減り、ついに誰も信じなくなった。父さんは異教徒だとののしられた。うちの先祖はドルイドだったらしいんだ」

 ドルイドというのは、古代ケルト人が信仰していた自然神の高位神官だそうだ。それで大地母神は、イシスの父、ダイクにお告げを与えたんだ。そういう家柄だけに、いまでも裕福なんだろう。

「わたしは信じる」

「ほんとう」

 イシスが体を起こし、すぐにまた顔をそむける。

「どうせ口だけなんだろ」

 イシスが両膝を抱えて座りなおした。いままで誰にも信じてもらえず、急に信じると言われても、にわかには信用できないのだろう。

 大地震はどうかと思うが、大地母神がいるのは間違いない。そもそもおれは粘土から作られている。粘土は土の一種で、大地から取り出されたものだ。つまり大地母神の体の一部が、おれの体でもある。おれが存在しているのなら、大地母神だって存在している理屈になる。

「わたしの祖先もドルイドなのよ」

 ネルがそう言いだした。そんなの嘘に決まっているが、

「わたし、大地母神の子供をもっているの」

 おれはネルの腰ひもから外され、イシスの前に差し出された。おれは段違いの目で、やつをにらみつけてやった。

 イシスが笑いだす。

「なんて表現したらいいんだろ。とても愉快な顔だね」

「うるせえ。顔のことは言うな」

 おれは思わず、口を出していた。

 イシスはぎょっとしたようだ。おれは、得意のダンスを披露してみせた。

「この子はレムっていうの。魔法の力で動いているのよ」

「すごい。だったら大地母神の子供に間違いないね。父さんは嘘つきじゃなかった」

 父親を信じてはいても、イシスの自信はゆらいでいたんだろう。おれという生きた証拠が現われ、事実だと確信が強まったんだ。

「でも、お願い。このことは誰にも言わないで」

「どうして。ぼくの話を信じてもらうための証拠になるんだよ」

 イシスは不満そうだ。

「この子の存在を知られると、わたしは異教徒だとののしられ、この街にいられなくなる。わたしが生まれた村からも、それで追い出されたの」

「わかったよ。ぜったい誰にも言わない。誓うよ」

「ありがとう。これでわたしがイシスの言葉を信用しているとわかったでしょ。大地震にそなえて、なにか対策を講じないとね」

 ネルが言うと、イシスは顔をくもらせた。

「船を造ったのはいいんだけど、そのあいだに街路が整備され、家が密集して、川まで引き出せなくなったんだ。それがわかってから、父さん、落ちこんじゃって」

 おれはあきれた。こいつのおやじは、やっぱりアホだ。広場でののしっていたガキどもに、だんぜん賛成したくなった。

「ひとつ、お願いがあるんだけど」

 イシスがぽつりと言った。

「わたしができることならなんでもいいよ」

「ぼくに魔法を教えてくれない? ぼくの体にもドルイドの血が流れているなら、ひょっとしたら、その才能があるんじゃないかと思って」

「いいわ。お昼の3時過ぎには仕事が終わるから、そのあと日没近くまで、毎日、魔法のレッスンに来てあげる」

「本当」イシスの顔が、パッと明るくなった。

 船屋敷から施療院に戻るころには、だいぶ日は暮れていた。日没の鐘が鳴ると同時に施設の戸締りがされる。門限に遅れて帰り、それを修道院長に知られると、いちいちうるさいんだ。

 翌朝、エーリヒの容態が急変した。

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