第11話
――翌朝。
朝食を食べていると、いきなり腕輪がけたたましい音を鳴らし始めた。
――心臓の鼓動が早くなる。呼吸も荒くなる。戦場での警報のようだ。きっとゲリラがキャンプに奇襲を仕掛けてきたのだろう。さぁ銃を取れ。敵を殺せ。殺せ。引き金を引け。
頭の中で叫びと銃声が鳴り響く。
だが、警報の音は強まるばかりで――
「落ち着け……! ここは日本だ……」
ひとつ深呼吸をすると、ようやく落ち着いた。
そしてパネルを覗き込む。リリーからの電話だった。通話ボタンを押すと、
『反応が遅いわよ。二コール以内に出なさいよ。それにしても、案外朝は早いのね、おはよう』
リリーは朝から変わらず元気なようだ。ディスプレイの向こうで余裕たっぷりに笑っている。
「お前は俺の彼女か。それはとにかく、おはよう」
『でも和泉、顔色悪いわよ。二日酔いでもしてるの?』
「違う。大丈夫だ、何の問題もない……あとお前、遠隔操作で着信音のボリュームを上げたろ」
『あはは、バレたか。まあ、モーニングコールってやつかしら?』
「俺は頼んだ覚えはないぞ。それで、こんな朝早くに何の用だ?」
時計を見ると七時ちょうどだった。
『いや、ちょっと今日は……というより、今日も来てほしいのよ。ここに。ああ、昼過ぎで構わないから。ちょっといい話があるの』
「いい話だと?」
俺の直感では、絶対に行かないほうがいいとの判断を下している。こういう場合の勘は大抵当たってしまう。いやな予感しかしない。
だってリリーの今の顔は悪いことを考えている顔なのだ。しかし、今彼女は俺のバイト先の上司ということになっているのだ。行かざるを得ない。
「どうしても行きたくない」
『ダメよ。来なきゃダメ。来なかったらあんたの家まで迎えに行くわよ』
「おーおー、運動はしたほうがいいぞ。もうすぐ歳なん……」
『今すぐに行ってやるわ。三十分動かないで』
と言って、乱暴に電話を切るリリーであった。相変わらず年齢のネタでおちょくるとキレてくるのだから、迷惑極まりない。まあ、あの研究所から俺の家まではユニットを使って最低でも三十分はかかるのだ。多めに見積もって四十五分後に着くだろう。それまでに俺は逃げるべきか否か――。
「まあいいか……どうせ今から『スラム』に行っても楼は起きてないだろうし」
と、テレビをつけて、朝のニュースを見ることにした。
『日本時間の今日の深夜、ARコンタクトのニューモデルが発表されました。開発会社はヴェルグ社で、現行機に比べ飛躍的な性能向上を果たしており、相当な売り上げが期待されます。技術開発担当のジョージ・ハッターヴェルグ氏も発表会に出席し――』
面白く無さそうだったので、チャンネルを変える。
『見てくださいこのカニ!』
レポーターがカニをつまんでいる。うまそうだった。また次のチャンネルへ。
『ええ。私はジオフロントの居住区建設には反対だったんですよ。抗議デモにも出ました』
どの番組も俺の興味を惹くようなことはやっていなかった。どこかの局でユニット特集でもやっていないだろうか……。ああいうのって、たまにしかやらないんだよなぁなどと思いつつ、ソファに身を預けていると、ふいに俺の脳に情報が流れ込んできた。どうやら、来客通知らしい。
一体誰だろうと思いつつ、腕輪に玄関前のカメラの映像をホログラムで出力させた。
「え……」
柄でもなく、素っ頓狂な声を上げてしまった。なぜならば。俺の部屋の玄関前にいたのは、リリーだったからだ。まさか、あれから20分も経っていないというのに、どうやってここまで来たのだろうか……! やはり女という生物の力は底知れない。
モニターにはマイクがついていて、会話が出来る。今ならば、腕輪に向かって話せばそのまま、リリーと会話が出来るということだ。
「えー……おはよう、リリー。ずいぶん早いじゃないか……?」
『ええ……はぁ、はぁ……! あんたのために来たんだからね! 当然っ、早い、わよ!」
「おい、息切れしてるぞ……。というか、どうやって来たんだ? ユニットでもここまでは、上がすいていても三十分はかかるんだぞ……? しかも今は朝だ、通勤の時間とかぶるだろう」
『研究者ナメんじゃないわよ! そんくらい、地上の道路を法廷速度ぶっち切って走ってきたに決まってるじゃない!』
地上はどうやらあまり混んでいなかったらしい。なんと、不幸なことだ。
「研究者とかも関係なくただの犯罪者だぞ、それ……ああ、わかったよ。いいから入れ。朝からそんな大声で騒がれるのは迷惑だ……」
遠隔操作で扉のロックを解除し、リリーを部屋の中へと入れる。ドンドン、と乱暴に廊下を歩いてくる音が聞こえ、そして、俺の目の前に金髪の鬼のような形相をした女が現れた。汗をかいている。
俺はそんな彼女の気をやわらげさせるために、
「やぁ、今日はいい天気だなぁ」
「ええそうね……外もいい天気だけどあなたの頭の中はもっといい天気なんじゃないのっ……!?」
「そうだな」
と、言った瞬間、頭の上に二回ほどずしり、という鈍い衝撃が走った。ゲンコツだった。通算すると三回俺を殴っている。
「痛いじゃないか。なぜ殴る」
「歳のことを言うと痛い目に遭うって思い知らせるためよ。痛い思いをしたくないのなら年齢にふれるのはもうよしなさい?」
「はい……」
朝だからだろうか、俺のテンションもおかしい。まるでコントをしているようにしか見えない。
「で、いい話ってなんだ? その目的もあってここに来たんだろ?」
「ああ、そうだったわね……あはは」
不自然な笑い。まさかとは思うが、この女は本題を今まで忘れていたのではないだろうか。もうしそうなのだとしたら、この女はアホすぎる。俺に対して報復をするだけのために本題を忘れて家に来るとは……。
あえてそれを言葉にするほど俺は愚か者ではない。下手にリリーの癪に障ることを言うと、げんこつを喰らってしまう。痛いのはなるべく避けたい。
「ええと、その話だけど……」
「ああ」
「あれ……どこ行ったかしら……ああ、そういえばここ研究所じゃないんだったわ……ああ、私としたことがうっかりしてたわ。もう……」
「おい一人でしゃべってないで、少しは説明してくれ」
「ええとその……それの説明に必要なデータが入ったチップを忘れちゃったみたいでね……あははは」
「あははじゃねぇよ……一番重要な部分忘れてるだろうが。じゃあ、もういいだろ。帰れ。研究所には後で行く」
「いけずぅ。もうちょっと一緒にいましょうよ」
ずりずりとリリーは俺の近くに寄ってくる。
「やめろ、近い」
「本当は嬉しいくせにー」
目を細めながらリリーが言う。まるで悪巧みをしているガキのようだ。
「そんな垂れかけた乳を当てられてもぶはっ」
「何回言ってもわからないのねあなたは!」
顔の中心に彼女の拳がめり込んだ。いいパンチだ。顔が崩れてもおかしくない。
「ふん……まあいいわ。でもそれにしても殺風景な部屋ね。傭兵も家具くらいは持ってるでしょ?」
「最低限の家具しかなかったからな。部屋の装飾に金を使うよりかは、もっとほかの事に金を使うさ。俺の場合は貯金だが、他の連中はストレス発散に繋がることをしていた……この国じゃ非合法のものだけどな」
「……ええ」
リリーは苦虫を噛み潰したような顔をした。どうやら、俺が言ったことの想像がついているらしい。
「戦争って、醜いわね」
彼女の声のトーンが一気に落ちる。数秒前とは比べものにならないほど、憂鬱な口調だ。
「いきなりどうした?」
「私は戦場に立ったことはないけど……それでも戦争は醜いと思う。あれほど、人間の価値が無に近くなるものはないわ」
「確かに、いくらでも補充が利く。あそこでは兵士は単位でしか扱われない」
と、俺が何気なく言った一言に、リリーは大きくを見開いた。
「……本当にそう思ってるの?」
「俺はそう思っていない……とも断言できないな。だが、これは事実だ。死んだら、会社はそいつの代用を人間で用意する。俺だって死んだら、俺がいたポジションにまた他の誰かが補充に来るんだ……」
「でもそんなのって……」
「それが戦争なんだ。仕方ないけどな……ああ、悪かったな。こんな話にさせて」
「……あまり納得できないけど。私は仕事があるから戻るわ。それじゃ、またあとで」
と、リリーは少しさびしげな表情をしたまま部屋を出て行った。
リリーの様子から見るに、彼女はあまり戦争が好きではない。まあ、それは誰でも思うことだろうが、彼女の場合はよりいっそう強い嫌悪感のようなものが見られた。もしかすると、なかなかに正義感の強い女なのかもしれない。
そんなことを思いつつ、俺はスラムに出掛けるための準備を始めた。
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