第8話

 階段を降り、

「リリー! どこだ、いるんだろ。出て来い!」

 俺の叫び声が研究所の中にこだました。誰もいないのだろうか。

「ぅん……うるさいなぁ、誰だよ……」

 と、眠そうな目をこすりながら出てきたのは、秋月だった。髪の毛を結っていないから、本当に今まで寝ていたらしい。

「おい秋月……今昼過ぎだぞ。それで、リリーはどこにいるんだ」

「んぁ? あいつどこ行ったっけ……」

「おい……ちゃんと目を覚ませ。顔でも洗って来い」

「うーい……」

 秋月は奥のほうへと引っ込んでいった。リリーはこの中にいるのだろうか。少し、探してみるとしよう。

 この施設の構造は把握しておいたほうが身のためだ。歩いてみて分かったことだが、この施設は無駄に広い。二人しか住んでいないのにもかかわらずなぜこんなに広いのだろうか。

 それに研究施設とはいっても、大仰な機械はない。あるのは膨大な紙の資料と業務用のパソコンとサーバーだけだ。

 この施設は本当にARコンタクトの代替品の研究をしているのだろうか――。

「いたいた、ジン」

 しっかりと目を覚ました秋月が言った。

「秋月か。なぁ、リリーがどこに行ったか知らないか? ちょっとあいつに聞きたいことがあるんだけど……」

「何を聞くんだ? あたしでも答えられることはあるぞ」

「確かにな。リリーと一緒の施設にいるってことは何か知っている可能性が高いか……ならば聞こう。今さっき、ちょっと人気の少ないところで銃を持った男に襲われた。いったいなぜだ」

「……それは」

「知ってるのか?」

「……うん。でもまあ、いずれ話すんだから、今話したって問題ないな。じゃあ、話すよ。ジンが狙われた理由」

 どうやら、それについては秋月も知っていたらしい。彼女は近くの椅子に腰掛けて、ゆっくりとしゃべりだした。

「あたしたちの研究はARコンタクトの代替品だろ? まあ、はっきり言うと現行のモデルよりジンのもってるその腕輪のほうが圧倒的にスペックが高いんだ。それで、もしこの研究が上手くいけば現行のモデルは徐々に衰退していく」

「それはそうだな」

 確かに圧倒的にこの腕輪は優れている。目に入れなくても良いし、思考だけでポインタを動かせるのだ。

 大衆は優れたものを欲することが多い。そしてそれより劣る性能のものは世の中から排除される。当然のことだ。

「当然、ARコンタクトを作っている会社の連中はあたしらをよく思わないわけだ。連中は最初は金と今後の生活を保証してやるから開発をやめろと言ってきた。リリーはそれを拒否したらしい。でも連中は引き下がらなかったんだ」

「それほど脅威に感じていたのか……」

「らしいな。その内、手段がエスカレートしていってついには前の研究施設で襲撃にあったんだ。それで、隠れ家兼研究施設として、ここにいるってわけさ」

「俺が狙われた理由は……つまり、そのお前らを狙っている会社の仕業ってことか?」

「ああ、そういうことだ。新製品をぶら下げられたら潰しに来るもんだろ」

「ふざけるな。俺は死ぬところだったんだぞ……! 相手が素人じゃなかったら本当に死んでいた!」

 さらに楼から銃を受け取っていなければ生きているかどうかは怪しかった。いくら素人とて、銃が人を簡単に殺せる道具であることに変わりはない。

「巻き込んで悪いとは思ってる……あたしも、リリーも。でもしょうがないんだ……今まであたしたちを守ってきてくれた人が死んじゃったんだから……」

「今まで守ってきてくれた人? 誰だ、それは」

「それは――」

「そこまでにしときなさい」

 秋月が言いかけたところでリリーがやってきた。

「和泉、あんた襲われたの?」

 平坦な口調でリリーが言った。俺はそれに少しだけ苛立ちを感じた。

「ああそうだ。だからこうやってここに来ている。頭にきてんだ」

「そう……無事で何よりね。で、そのときの詳細を教えてくれるかしら? 何か対策を打つわ」

「ああ教えてやるとも。その前にな、聞きたいことがあるんだよ。まだまだな」

「ええどうぞ……」

「危険な仕事と言ったがな、これほどとは思わなかった! いくら傭兵やってたからって死ぬときは死ぬんだ。死ぬのは誰だって怖い!」

「大丈夫。あなたはしばらく死なないわ、その腕輪がある限りね」

「なんだと?」

 リリーは得意げに笑いながら、

「その腕輪は試作品だから、余計な機能、というか隠し機能が入れてあるの。使用者が危機に瀕していると腕輪が判断した場合、腕輪が脳に干渉して、その場で生き残るための最適な行動をさせるのよ。今回、そういうことはなかった?」

「最適な行動……」

 俺はあの時銃を持って、男の肩と膝を撃ち抜いてその場を切り抜け――

「あれか……」

「心当たりがあるようね」

 あの時妙に正確に狙った部分に命中したのは、腕輪が俺の脳に干渉して、銃の狙いのブレを修正したかららしい。思い返してみると、腕輪の画面が普通の状態ではなかった。使用者を生き残らせるための機能が発動しているときは、ああいう画面になるのだろう。

「まあその機能の名前は単純に『living system』よ。名前があったほうがいいでしょう?」

「まんまだな……じゃあ、俺はそのシステムに助けられたわけだ。で、これがあれば何ら問題はないと?」

「何もというわけではないわ。切り抜けられない状況というのもあるわ。絶体絶命というやつね」

「確かにな……」

 四方から機関銃で一斉射撃されようものなら、まず生還は不可能だ。どんな手を尽くしたとしても、銃弾を跳ね返すくらいの超能力がなければ、その状況は回避できまい。確かにあの男に襲われた時も、実現不可能ではない内容をこの腕輪は実現させたのだ。この機械は、不可能を可能にさせる道具ではない。可能性を広げる機械だ。

 しかし、これをもっている限り狙われるとはなんとも物騒な話だ。まるで傭兵をやっていたときと同じだ。キャンプのときは毎晩のようにゲリラに怯え、眠りが毎日浅くなっていく、あの地獄のような生活。あれと同じではないか。

 それを考えた時、俺は嫌な考えを導き出した。

「いや……ちょっと待て。お前、この前、これとは別のデバイスを女に付けさせていると言ったな!?」

「ええ。そうよ」

「それじゃあ、そいつも狙われてるんじゃないのか。だとすれば、それはリスクがありすぎる。あれは俺が抵抗手段を持っていたから無傷でなんとかできたんだ。だが女だったらそうはいかない。武道でもやってない限りそんなことは……」

「意外と優しいのね。あなた」

 リリーは妖艶に笑った。

「茶化すな。俺はこの機械が奪われる危険性について話をしているんだ」

「ごめんなさい。でもそれについては心配しなくて良いわ。アレにはもっと高性能なカラクリを仕掛けてあるから」

「どういうものだ……?」

「それについてはちょっと秘密ね……ふふふ」

「……わかった。それについてはお前に任せよう」

 厄介ごとをこれ以上増やすのは面倒だ。 

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