第3話

 目を覚ます。手を動かそうとすると、いう事を聞かない。足も同様に動かない。意識がはっきりしてくると、自分が今椅子に縛り付けられているのだと分かった。

 不覚だ。日本に着いてから気が緩みきっていたのだろう。こんなあっさりと捕まるとは。

 しかも縄で縛られている。なぜいまさら縄など使うのだろうか。100円ショップでも縄より丈夫なものは買えるのだ。

 ARコンタクトのナビは未だに表示されていないし、蛍光灯は俺の椅子の上にしか付いていないし、周囲は真っ暗なのだ。自分が今どこにいるのか把握できない。

 縄程度なら頑張れば解けるはずだ。さっそく行動に移そうと思ったら、足音がした。

「解きたいのならやめとけって。それ無理に解こうとすると縄との摩擦で自分の手を傷つけちゃうからさ」

「人をさらっておいてよく言う」

「んー……さらうつもりはなかったんだけど。命令だからしょうがない」

 と、その声の主が姿を現した。

「名乗ってなかったな。秋月だ。秋月紫」

 女だった。身長は160センチくらいで、頭をポニーテールにして結っている。年齢は高校生くらいだろう。タンクトップに上着とジーンズという、なんとも簡素な格好だが、逆にそれがよく似合っていた。おそらく彼女の口調のせいだろう。外見的な特徴を挙げるとするならば、あとは八重歯が鋭いことだろうか。

 見た目だけでは人間性や性格までは分からないのだ。秋月はポケットに手を突っ込みながら、笑顔で言った。

「ああでも大丈夫だ。あんたの名前は名乗らなくても分かってるから。イズミジンっていうんだろ? ジンって呼んで良いか? そっちのほうがカッコいいし」

「勝手にしろ。で、その秋月サンがこの俺に何の用なんだ?」

「それは私のほうから説明するわ」

 暗闇から現れたのは、

「リリー……? こりゃ一体何の真似だ、バイトじゃなかったのか。まさか連れ去られることがバイトとかいわねぇよな?」

「そんなにカリカリしないで。強引につれてきたことに関しては謝るわ。でも、こうでもしないと安全性がないの」

「安全性? なんでそんなモノを求めるんだ?」

「それだけ危険ってことよ」

 だが、そんな危険な仕事を通りすがりの若い男に任せてよいのだろうかという疑問があった。当然、重要な仕事ならば、それに見合うだけの信頼と人がいるものだ。それをなぜ俺にやらせようとしてるのか。リリーの考えていることが分からなかった。

「なら仕事内容を具体的に説明してもらおうか」

「いいわ。その代わり、これは機密事項よ……あなたはこういうの得意なはずよね」

 リリーが近づいてきて、耳元で小さな声で囁いた。

「傭兵さん」

 俺は驚愕した。なぜリリーがこの情報を知っているのだろうか、と。たしかに、リリーが言ったことは事実だ。現在長期休暇中ではあるものの、俺の職業は傭兵――つまり民間警備会社の社員だ。

 それにしても、とリリーが付け足し、

「あなたがこんな簡単に捕まるとは思わなかったわ。そこそこの年数をやっているから、腕が立つと思ったら……少し油断しすぎじゃない?」

 確かに彼女の言うとおりだ。少し自分の国に帰ってきて、気が抜けていたのかもしれない。なんといっても、この国は安全だから。

「ああそうだな……それで? お前は俺が寝ている間にコンタクトまで取ったわけか?」

「ちょっと必要だったから。あなたの仕事は私たちの開発した実験段階のデバイスのテストをしてもらうこと。テストといってもまだ完全に安全なわけじゃないの、急いでてね。少し強引な手でもこれは完成させなくちゃならない代物なのよ」

「お前らで勝手にやってればいいだろ」

「やれたらやっているわ」

 ため息をつきながらリリーが答えた。

「どうしてもそのデバイスは男性しかつけられないのよ……ある一定以上の負荷をかけられても耐えられる身体をもち、一定以上の体力があることが条件なのよ。ああ、もちろん、女性用のも開発済みよ、既にテスト中だから」

「それに応じない限りここから出さないって言うんだろ?」

「まあそうね。実物は見せてないから消さないけど……で、どうするの。やらないのかやるのか」

「ああ分かったよ、やるよ。やればいいんだろ、新商品の開発がこんな物騒だなんて思わなかったぜ」

「交渉成立ね」

 縄が解かれ、ようやく身体が自由になった。捕虜にされたやつの気持ちが少し分かった気がする。まあ、捕虜の場合はこの後、拷問やら何やらでもっと痛い目を見ることになるのだが。もっとも、俺はそれに関わったことなんてない。ただ外野から見ているだけだった。

 戦場のキャンプ場では余裕などない。ゲリラの可能性も考慮しながら、生活しなければいけない空間だから、みんなどこかおかしくなっていた。

「じゃあ、今デバイスとって来るから待っててね。明かりもつけるから」

 バチン、という音と共に蛍光灯がついた。今まで暗かったせいで、非常にまぶしい。しかし、ARコンタクトがすかさず光の量を調節して、視界が晴れた。すると、横にいた秋月が、

「お前も今日から仲間だなっ」

「仲間? お前もここのバイトなのか」

「バイトっていうか……まあ、ここで働いてるよ」

「ふぅん……ちいせえのに親孝行なヤツだな」

「親はいないよ」

「そうか……悪かったな」

 親がいない。親がいないのは寂しいことだった。今ではそう感じないが、親がいないと寂しいと思った時期は俺にもあった。なにせ俺の両親もすでにいないのだから。

「謝る必要ねぇって。それに逆に謝られても困るんだ……ああそれと、教えといてやるよ、ここのこと。この会社みたいなトコはさ、イマイチ知られていないんだ。縁の下の力もちっていえばいいのかな……。技術進歩にはウチがかかわっていることが多い」

「じゃあ、なんだ? ここは技術開発室ってのか」

「まあそんなところだ。ちょっと違うけど、だいたいあってる」

「ワケわかんねぇ……」

 そんな話を聞かされたところで、俺は現状をイマイチ理解できないままだ。

 リリーが来ないので、ヒマつぶしに周囲を見ることにした。とはいったものの、見るものなんてあまりない。

 俺が縛られていた部屋はずいぶんと整理されていないようなところで、ところどころ埃やらクモの巣があった。このくらいの掃除なら、全自動掃除機に部屋のレイアウトをインストールさせれば綺麗にしてくれるだろう。技術開発部ところというのは、もっと見たこともないメカが溢れているところだと思っていた。結局周囲を見て回っても、見つけられたのは古びた、タッチパネル式の携帯だけだった。

 しばらくすると、リリーが戻ってきた。

「はい。これ、新型デバイスね」

「これがデバイス……?」

 渡されたそれは腕輪だった。これといった特徴はなく、色は黒。見る人が見ればリストバンドにも見えるものだ。それは腕輪と言っても重さは軽く、むしろ腕時計に近い。それをはめてみると、俺の腕にフィットするように、穴のサイズが調節された。なかなかきつく閉められていて、簡単には落ちないような仕組みになっているらしい。

「むしろこれ、技術が退化してないか? 見てくれだけだとそう見えるぞ。一昔前に、こういうの流行ったろ」

「まあ使ってみてのお楽しみよ。ああ、そうそう。一時的にコンタクト、外してみて」

「なぜだ?」

「コンタクトがあるとそっちのデバイスのほうの設定ができないの。設定終わったらまたつけていいから、外してちょうだい」

「分かった」

 コンタクトを外して、リリーがもってきたケースの中に入れる。コンタクトを外すのは久しぶりだ。人間が本来持っている視界。それを通して、自分の腕に視線を落とした。その黒い腕輪に腕を通すと、頭に何かが流れ込んできた。いや、流れ込むというよりか、この腕輪がどんなモノであるのかが無意識的に分かったのだ。

 頭に、ダイレクトに情報が流れ込んできている――。

「どう? それの使い方は分かった?」

「……ああ、なんとなくだけど分かる。まるで脳にダイレクトで教えてくるみたいだ」

「なら今のところは成功ね……」

 ダイレクトに、伝わってくる。この腕輪の性能が、機能が、分かってくる。『知る』のではなく、『分かって』くるのだ。普通の機械は、ある程度のマニュアルがあるが、こいつはそれとは違う。頭の中にマニュアルを作るのだ。頭に強制的にこの腕輪の構造を分からせる。

 それがこの腕輪の機能。

 今までは使い方を知るためにいちいちマニュアルを見る必要があったが、これは違う。かなり画期的なデバイスだ。

「使い心地は? それ、将来的にはARコンタクトの代用にならないかって考えてるの」

「これがコンタクトの代用……? ネット接続はなんとかなりそうだが……視力矯正とかってできるのか?」

「ええ、できるわ。このリングは神経を通じて、あなたの脳と繋がっているのよ。視力が悪いということは眼球がうまく運動できてないだけなのよ。だったら、それを強制的に運動させればいい。リングが脳に命令を送り、それを実行する」

「なら、それは脳とか身体に悪いんじゃないか? 強制的に動かすんだろ……?」

「そうでもないわ。脳に影響が出ないような電磁パルスだし、身体の方にも問題はないわ」

「そうなのか……」

 まだまだ俺の頭の中に情報は流れ込んでくる。

 ネットに接続するには腕輪を操作すればいいのだ。操作と言っても手を動かす必要はない。考えるだけでいいのだ。ネットに接続したいと思うと、腕輪がそれを感じ取り、ホログラムでネットの画面を俺の目の前に出した。

「念じるとカーソルが動くんだな、よし」

 動け、と思うとカーソルがその位置へと動いた。これは驚きだ。

 見る世界が違ってくる。通信感度などの状況は腕輪のパネルに表示される。この腕輪だとインターネットに接続できるようになっていた。

「光通信を受信しやすいのか」

「ええ、ARコンタクトよりインターネット接続速度、搭載されているCPU、本体の記憶容量……すべてにおいてコンタクトより優れているわ」

「なるほど……こりゃすごい」

「じゃあ、あなたはこれをつけて生活してちょうだい。何かあったら連絡すること」

「分かった」

「それじゃ、もう遅いし帰ってもいいわよ。安心して、帰るときは気絶させたりなんてしないから」

 そんなことを少しでも考えている目の前の女が怖い。

 そして、リリーに連れられて今までいた部屋を後にした。

 今まで俺がいた場所は、地図にあるはずのない道のところにある、階段を下がったところだった。ようはジオフロントの地下にあるのだ。ARコンタクトが光通信を受信できなかったのはそのせいだった。地図にない道の中に地下へいくための階段があって、リリーたちはそこから入ったらしい。

「ああ、帰り道はこっちじゃないわよ」

「は?」

「あなたがユニットをとめてる駐車場があるじゃない? ここって、そこの空気口が出口なのよ。ここ、秘密の場所でしょ。あの地図にない道を通ってるところを見られたら不審がられるじゃない」

「いや駐車場の空気口から飛び降りてくるヤツもそうとう不審がられるとおもうが……」

「気にしないのよ、そういうことは」

「けっこう重要なことだと思うんだがな……まあいい。さっさと案内してくれ」

「わかったわ」

 入り口の先に本当に空気口があった。俺がほふく前進しながら入れるスペースぐらいしかない。まさか、よくスパイなんかがやってるようにここを潜れというのではなかろうか。

「ここよ。じゃ、私仕事あるから」

「ちょっと待てやオラ。これどうみたっておかしいだろ。なんでこんな小さいんだ」

「私の胸はEカップよ」

「お前の胸の大きさじゃない! 本当にこれで帰んなきゃいけないのか……? 正面の階段から帰りたいんだけど」

「まだダメよ。なら、入り口を少し広くするように検討してみるわ。だから今日は我慢しなさい」

「ちっ……分かった」

 渋々俺は空気口の中をほふく前進で進んで、研究所を後にした。

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