21 幻の日常
なんだかんだ九尾の女狐を追い払った今、改めて稲荷神社の鳥居を潜る意味はなかったのだけれど、お互い動悸も激しいし、境内のベンチに揃って腰を下ろした。
辺りにはこちらを妖怪どもが伺ってる。その中に、あの白狐はいない。本堂のほうからでも見張ってることだろう。わざわざ顔を合わせたくはないから、探しにいくようなことはしなかった。オサキ曰く、こちらから下手に刺激しなければ無差別に手を出してはこないだろうということだった。加えて、私の力が増してきているのもこの場を安全だと言える根拠らしい。
「力が増してるって、どういうこと? 狐になってきてるって意味?」
「左様さ。あと数日足らずで汝はオサキとなる」
「数日……」
思っていたより、時間がなかった。
「明日には決断しなければならぬ」
「決断? え、どういうこと?」
「明日になればわかるさ」
それだけ告げて、オサキはきっぱり口を閉ざした。だけど、納得できるはずもない。問い詰めてやろうとオサキの顔を覗き込んだところで、スマホが鳴った。電話だ。不承不承出ると、春である。
「で、諒とはどうなったわけ?」
開口一番がそれだった。もしもしさえない切り出しだった。
「……どうにも」
「なんだ。フったんだ。だと思った」
「まだ何も言ってないよ」
「言わなくてもわかるって。あたしは別に、文句とかないから。聞いておきたかっただけ」
どうやら、春には全てお見通しらしい。つい、頬を膨らませてしまう。
「んでさ、よかったら今から会わない? どうせ暇してるんでしょ?」
「そっちは? デートじゃないの?」
「そう毎日毎日デートなんかしてられると思う? この暑さで? 勘弁してよ。今どこにいる?」
「歩道橋があるとこの稲荷神社」
「あーあそこ。なんでまたそんなとこに? 神頼みすることでもあった?」
「……特には」
神頼みがきかないことはもう重々承知してるし、九尾の女狐のことで助けを求めようとはしたけれど、結局は自力で解決できたし。現状、あの白狐に頼みごとをしたいとは思えない。
「ふーん。ま、いいや。二、三十分でそっち行く」
「りょーかい」
宣言通り、春はものの三十分ほどで神社に現れた。私服だし、出掛けてたんだろうか? 赤いチェックの短パンから覗く足も英字の刻まれた白いトップスから覗く肩も白く、どこか扇情的だ。やっぱりデートしてたんじゃないかな。隣で丸くなってるオサキを撫でながら思う。
ブレスレットの立てるシャラリという音が私の考えを肯定したように聞こえた。
「何してんの?」
「何って?」
「ま、いいや」
意味深な発言を、勝手に横へ置いて、春は私の隣に腰を下ろした。オサキはそれを察知して、慌てて私の膝に飛び乗る。文字通り縮こまったのがちょっとかわいくて、背を撫でる。ふさふさしてて気持ちいい。
「……瑠依は、彼氏いらないわけ?」
「やっぱそういう話?」
「当たり前じゃん。諒のこと嫌いじゃないでしょ? あの絵が好きだーって言ってたくせに、なんで断ったわけ」
ぐいぐいと、春は身を乗り出してくる。流石、高校入学して一ヶ月もたたず彼氏作っただけはある。あまりの剣幕に、オサキがベンチの下へと逃げ出した。
「だから、恋愛対象じゃなかったんだって」
「恋愛対象とか、堅苦しい言葉使ってどうすんの。何、年上派? 年下派?」
「そういうことじゃないってば」
「ならいーじゃん。どうせ、瑠依は怖じ気づいてるだけでしょ」
図星を指されて、黙り込んだ私に春は駄目押しのように言う。
「ちゃんと、向き合えばいいのに」
「向き合ったよ……。向き合って、保留にすることにしたの。いいじゃん。それくらい好きにさせてよ」
「別に、そういう意味じゃなくてさ」
「じゃあ、どういう意味?」
「なーんか、瑠依って自分から狭めてるとこあるからそれはやだなーって思ったんだよ。恋愛対象って最初から決めておいた人じゃないと無理ー! みたいな。それって違うでしょ」
首を傾げて同意を求めてくるけど、私は何の反応もできない。
「もっと猪突猛進タイプじゃん、瑠依って。変なとこで怖じ気づいたり諦めたりしないほうがいいよ。それが……ほんとに諒のことなのかまではよくわかんないけどさ」
春は、真剣に悩んでくれてるみたいだった。眉間の皺がそう告げてる。
「好きって思ったら、それだけで一回突っ走ったほうがいいと思うけど」
「春が言う? 突っ走るっていう感じでもなくない?」
「あたしは、向こうが突っ走ってきたのを受け止める系だから」
「何それ……。屁理屈じゃん」
「違いますー。私は瑠依みたいにロマンチック求めてないし。夢物語なんていらないもん。いい? 瑠依。夢になんてならないんだよ。ぜーんぶ、現実なんだからさ」
「でも、夢みたいなことってあるよ」
ここ数日は、ほんと夢みたいだった。今ここで、春と話してることこそが非日常に思えるくらい。
「だから〜、……なのかな? 瑠依って時々そういうこと言う」
「そういうこと?」
「夢みたいなことがある、みたいなこと。あたしにも言ったよね。『その歌声、好き!』とかなんとか。あんだけストレートなの初めてでめっちゃびびった」
「ああ、部活の仮入の時?」
「そうそう」
四月、軽音に仮入に行った時、私は春と初めて会って、その歌声を聞いたんだ。新入生同士適当に固められて、楽器は厳しいから軽く流行の歌でも歌ってみようってなって、緊張してたのを覚えてる。みんなで一斉に歌う形でよかったって、胸を撫で下ろした気がする。
でも、歌い始めて、すごくびっくりした。あんな明るく通る歌声を私は初めて聞いた。音楽プレイヤーで再生してるみたいな鮮明さが真隣でするんだ。ぎょっとしないわけがない。
それは上手いとか下手とかそういうレベルじゃなくて、一瞬で人を引きつける力があった。こんな、楽しい歌だったっけって呆気に取られた。自分の歌声も、他の人の歌声も聞こえなくなって、春の跳ねるようなリズムをただ耳で捉えてた。
だからつい、言っちゃっただけ。興奮が、どうしても抑えられなかったから。
「めっちゃいいじゃん! え、すごい好き!」
でも驚いたのは春のほうだったらしい。何を言ってるのか理解できないって顔してた。
「あたし……?」
「勿論っ! いいねー、歌好きなの?」
「うん、まあ、音楽全体好きっちゃー好きかな?」
「うわー、流石!」
ちょっと照れながらのはにかみがかわいかったのが、印象に残ってる。
「普通、言わないよね。あのタイミングで、特にああいう風には」
半ば呆れたように、春は空を仰ぐ。
「いいじゃん。ほんとにそう思ったんだから。今でも私は春の歌声好きだよ」
「ありがとー。……つまりは、こういう風に恋愛も突き進めばって話ね? 個人的には諒と付き合えばとか思わないこともないけど……、強制する気はマジでない。でも、好きと思えたら、逃げちゃダメだよ? オッケー?」
「んー、参考にしとく」
歯切れの悪い私に、お手上げだという風に首を竦めた。
「取り返しのつかなくなる前に、気づけばいいけど」
頬杖をつく春に蹴飛ばされた小石は、ころころと転がって、知らぬ間にベンチから這い出してきていたオサキに、そっと受け止められた。
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