10 吾が主
尾に包まれたまま、私は小鳥遊公園と運ばれた。途中で自分の足で歩くと申告したにも関わらず、オサキは断固として拒否を続けたのだ。外から私の姿が見えないようになっているから、こうやって運べているんだとか。所謂、幻術みたいなものなんだろうか? 妖怪不思議パワー。うーん、厨二っぽい。そんなこんなで抵抗も虚しく隠蔽されたままやってきた小鳥遊公園で、私は砂場に横たえられた。ちょっと待って。砂まみれになるんだけど!? 怒りを通り越して思わず唖然としてしまった私を取り残し、オサキはユズリハの木を揺すってる。こういう妖怪と人間の価値観の違いって、早々に教育しておいたほうがいい気がする! 制服は夏休みでクリーニング出す予定だったからまだいいけど、お気に入りの服でやられたら憤死する。ああ、ほんと砂まみれになっちゃった。必死でスカートのプリーツの合間に入り込んだ砂粒をはたき落としていると、獏の声が聞こえた。
「おいおい、今度は午前中ではないか。非常識にもほどがあるぞ、三つ叉」
「吾と汝の中、許してはくれまいか」
「貴様はいつもそうじゃな。わしが甘いのを知ってて困った顔をする。二百年前も同じじゃった」
「過去は忘れてくれて構わぬさ」
「いくら年を重ねようが、友人の尾の数は忘れられんな」
「ふむ。困ったな。もともと二叉だったということにしておこうじゃないか」
「遠慮したいもんじゃ。……どうせ、あの女狐じゃろうて」
「左様さ。察しのいい獏だ」
「伊達に長く生きてはおらん」
言いながら、獏は大きくため息を吐いて私のほうを睨めつける。
「オサキツキ、何をしでかした」
「な、何もしてないって」
慌てて頭を振る。私はあの場で自分からは一切動かなかった。言葉だって一言も交わしてない。心当たりなんて一つもなかった。
「あの九尾の女狐が、こうも安々と出てくるはずがないのじゃ」
「あいつって、そんなにヤバイ奴なの?」
「安倍晴明の母であったとも伝わるような血族じゃぞ。油断など毛ほどもできぬわ」
安倍晴明……なんだっけ。漫画か何かで聞いたことがある。強い陰陽師だったんだっけ? 実在したんだ。知らなかった。
「オサキツキは関係ない。ただ吾が憑いたからさ」
「鼻のいい女狐じゃ」
「昔と相も変わらぬ。……命に関してだけは聡いのさ」
オサキのヒゲが微かに震えていた。まるで、遙か昔を嘲笑うかのように。
「……どうにか、ならないわけ?」
口をついて出た言葉に、オサキと獏は目を見開いた。その様子に、つい尻込みしそうになる。そんな驚いた顔しなくたっていいのに。……驚きたいのは、私のほうだ。
「その尾も、九尾の女狐も」
だってどちらも、私にとってはどうでもいいことだ。あの九尾の女狐は、私を喰いたいというよりオサキの尾を喰いたいがために、オサキツキとなった私を利用したまでのことなんだろう。だったら、私には関係ない話だ。むしろ、オサキの尾を喰らって、最終的に殺してくれるのなら、私は自由の身になれさえするんじゃない? 憑いてる相手が殺されるのも、きっと憑き物落としの一種として成り立つはずだ。そうすれば、こんな異形の右腕とすぐにでもおさらばできるかもしれない。だったらそれが最善だ。最善のはずなのに。
「これじゃ、嫌だよ」
蹴っ飛ばしたい相手はオサキだったはずなのに、今ではもう最初の時のようには憎みきれない。だって、オサキは私を助けてくれた。
二度目に姿を現した時、確かにオサキは言っていたんだ。屋上から足を滑らせた私を助けるために、憑いたんだって。いいや、そんな言葉がなくともはっきりしてる。
あの屋上でだって、オサキは私を心配してたんだ。飛び降りでもするんじゃないかって思ったからこそ、声をかけたんだろう。それが徒になったわけだけど、別に私を不幸にしようとは始めからしていなかったんだ。
たった今さっきだって、私が喰われるのを防ぐために、自らを犠牲にしたばかりだ。関係ないふりを装うことなんて、できない。
ぐっと、両手を握り締めて悔しさを噛み締める。だからと言って、自分は何もできやしないんだ。それが情けない。いっつもそうだ。どうにかしたいって思いだけがある。それだけじゃ、どうしようもないってのに。
嘆く私の頭上から、ため息が振ってきた。
「一先ず、その尾を治療するのは簡単じゃ」
「え? そうなの?」
虚を突かれた。獏はしぶしぶと言った様子で頷く。なんだ。じゃあ、私が重く考えすぎてたってことなのか。真剣に思い悩んで、バカみたいだ。えっと、つまりはトカゲの尻尾みたいに再生するってことなんだろうか。狐もなかなか侮れない。
「人間が狐になればよい。さすれば、尾くらい生えてくるじゃろうて」
「狐になればって……つまり、左腕も狐になれってこと?」
「左腕ごときでは足りまいぞ。尾を生やすならば、残り全てが必要さ」
オサキは、呆れきっているようだった。そんなこと、私にできるわけないって舐めきってるみたいな顔だ。許せない。人が折角心配してやったっていうのに。
「い、いいよっ! やってみれば!?」
狐に、なる……くらい。きっと、どうにだって。……そうだよ。クラスなんて居心地悪い場所に戻らないで済むんだから。春や諒といて、引け目を感じることもなくなるんだから。そうだ。私が人間である意味なんて、どうせないんだから。何にもできないんなら、もう狐にでも何にでもなっちゃえばいいんだよっ!
「私ぐらいどうなったって、誰も悲しまないっ! 未練なんか、……未練、なんかっ!!」
「口を慎め、人間」
低声に、びくりと体が跳ねた。オサキの赤い眼が怒りに燃えていた。冗談じゃないとその眼が告げている。
「尾など、一本失ったところで今更どうでもいい話さ。あの女狐が再び現れないかだけが、問題だ。早急に、主の願いを叶えねばなるまい。邪魔をされては困るのさ。生きたいと言ったのは、人間、お前のほうだ。ならば、協力しろ」
「狐になるより、呪われろって……?」
そっちのほうが、オサキには都合がいいとでもいうんだろうか。まあ、そうか。私よりは自分の主のほうが大事に決まってる。当然だ。
オサキは、私の味方ってわけじゃない。
そう、割り切ろうとしたのに、オサキは首を振って、ぽつりと告げた。
「……呪いではないさ」
その発言に、静観していた獏が眉をひそめて、身を乗り出した。
「三つ叉、それはどういうことじゃ?」
「主の願いは一つ。汝と結ばれることさ、人間」
「は?」
予想の斜め上の発言だった。ちょっと待って。結ばれる? え、オサキの主はつまり私が好きってこと!?
「ほ、本気で言ってんの……?」
「ここまできて隠し立てしても致し方ない。九尾の女狐のせいで悠長にことを運ぶのは不可能になった。善は急げさ。吾が主と結ばれろ。人間」
「それ、呪われるのとは全然別の意味で難易度高いってばっ」
見ず知らずの相手と付き合えなんて、横暴すぎる。
「それでも成し遂げてもらわねばなるまい。吾が主の願いを叶うまで吾は意地でも退かぬ」
赤い眼に、嘘偽りは見られない。私が本当にその主とやらと付き合うまで、譲らない気だ。なんて強情な妖怪だろう。こいつは、人間の気持ちなんて毛の先ほども理解できないんだ! 心配してやって損した。なんだかんだ二度も助けてくれたの、本気で感謝してたのに。どうにかできたら、なんて、気の迷いだった。もう二度と、思ってやるもんかっ!
「絶対無理っ! 恋愛とかそういう気分じゃないもん。そもそも、誰よ? あんたの主って」
「吾が口から告げるのは本意ではないが、……これもやむを得ぬか」
暫く伏し目で思案していたオサキもやがて覚悟を決めたらしく、姿勢を正すと、二叉の尾を静止させて、私の眼を射貫いた。
「大崎家の嫡男、大崎諒さ」
え、と呟けたかどうかさえ、定かじゃない。
ただ、頭が真っ白になって、ぽつんと窓際で絵を描いてる諒の横顔だけが鮮明に浮かんだ。
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