07 半分この油揚げ

 アイスも食べた。美味しかった。スーパーカップのチョコチップは最高。夕食も完食した。インゲンの炒め物は案外美味しい。おかわりを三度で我慢したけど、家族にはすごく驚かれた。けど、それでもダメだ。やっぱり、お腹が空いた。

「この食欲も、オサキツキになったせいなんだっけ?」

 コンビニでデザートを買ってくると家を飛び出して、しばらく。私はあのマンション近くの公園で、オサキに話しかけていた。立て札によると、小鳥遊公園というらしい。初めて知った。その立て札の影に身を潜めつつ、小声でやり取りをする。もう時刻は八時半を回ってる。不審者と勘違いされるのはごめんだ。ちなみに、右手は袖の長い服を着て誤魔化してる。手袋をするのは流石に目立つし、萌え袖にしてればバレないだろうという何とも雑な対処法だ。まあ、昼間の靖に対する言い訳よりマシだからいいと思う。

「左様さ。その食欲はオサキツキになった証の一つさ。吾の栄養分まで汝には補給してもらわねばならぬからな。ましてや、憑いてる分いつもより腹が減る。早く、油揚げを食したい」

「あんたさ、なんだかんだ油揚げを食べたいってずっと言ってるよね。そんなに好き?」

「油揚げは、うまい」

 赤い眼が、闇の中できらりと光る。コイツ、マジだ……。

「ま、仕方ないか。実際お腹ぺこぺこだし、コンビニにも売ってるよね。油揚げくらい」

 かくして、油揚げという名の夜食をゲットしに自転車で十分ほどのコンビニに向かった。ミッションは無事達成。二枚入りの油揚げを一袋買って、ちょっとうきうき気分で店を出た。オサキツキになったせいで、私も油揚げが好物になってしまったのかもしれない。油揚げを視認しただけで、涎が垂れそうになってしまった。ちなみに、オサキはほんとに涎を垂らしてた。肩がちょっと濡れたから、思い切りつねっておいた。そろそろ、狐をつねるのが快感になりそう。

 なんてバカなことを考えてスキップしてたら、肩のオサキが身を寄せてきた。

「暑苦しいんだけど」

 軽く体を叩いて訴えると、背後に向けていた顔を私のほうへ寄せてひそひそと話す。

「ふむ。吾が敵が参った模様。転んではならぬからな」

「はあ?」

 敵? 転ぶ? 一体何のことを言ってるんだ?

「犬さ。転べば、この油揚げを奪われかねん」

 ああ、なんか夜の散歩をする犬でも見つけたのか……。なんだか随分とレベルが低い。転んだら油揚げが奪われるってどんな被害妄想だ。そこまで神経質になるほど好きとは思わなかったよ……。

「はいはい、わかったから。人目につきたくないし、公園で食べよう」

「よかろう。ささ、転ばぬていどに急げ」

 興奮気味に揺れる尻尾がなんだかかわいくて、忍び笑う。これじゃあ、どこが妖怪なんだかわかんないよ。白狐や獏みたいな得体の知れなさはどこいったんだか。オサキに気づかれないように笑いを噛み殺しながら、自転車に跨った。

 夏の夜、シャーッと車輪を回すのは心地いい。じっとりとした肌をぬるい夜風が撫でていく。尻尾を揺らすオサキが嬉しそうに目を細める。ああ、楽しい。

 ほんのちょっとだけ目を閉じて、耳を澄ます。普段なら、ここで蝉の鳴き声が耳につくはずだった。けど、今は真後ろから荒い息が聞こえる。走って追いかけてきてるようなそんな息づかい。

 振り返って目を見開いた。

「え、野良犬!?」

 舌を長く伸ばしたまま、ハッハッと追いかけてくる犬がいる。飼い主は見当たらない。ええー何、まさか油揚げ食べたいの?

「否、山犬さ。咀嚼しやすく言えば、送り犬」

「はあ!? も、もしかしてまた妖怪!?」

「左様さ」

 鷹揚に頷かないでほしい。ああ、やっぱオサキは妖怪だ! 何もわかっちゃいない。犬と犬の妖怪じゃ全然ものが違うって!

「何。送り犬は転ばなければ、何もせぬ。ささ、早く」

「いやいや、早くじゃないでしょ!」

 油揚げのためなら、なんだっていいと思ってるんだコイツ! 絶対そうに決まってる!

「もう嫌だ!」

 今日は災難続きだ。ああ、たかがコンビニなんて思って外出するんじゃなかった! 早く家帰って布団に飛び込んで寝たい! 全部夢だったことにしちゃいたい!

 半ば涙目で自転車を漕ぎつつ、交通ルールをいつも以上にきっちり守りながらマンションへまっしぐらだ。転ばなきゃ大丈夫って、それ転んだらアウトって意味だってわかってるのかなーこのバカ狐! そしてどうやったら振り切れるっていうのよ! この送り犬って奴! ああ、最悪だ!

 本当は寄るつもりだった小鳥遊公園を脇目もふらず通り過ぎ、駐輪場へとまっしぐらだ。幸い、うちのマンションは駐輪場と裏口が繋がってて、そのまま建物の中に入れる。ラッキー! この便利さにここまで感謝したのは初めてだよ! 自転車を滑り込ませて、レジ袋を掴み、一刻も早く裏口へ逃げ込もうとした瞬間、オサキが肩に爪を立てた。

「待て。礼を言わねばならぬ」

「は?」

 眉根を寄せる私を無視して、とっと軽く地面に着地したオサキは、送り犬と同じくらいの大きさになって、駐輪場に走り込んできた奴と相対する。遠慮なく唸ってくる奴に、オサキはバカ丁寧に頭を下げた。

「お見送り、感謝致す」

 その言葉には頑とした響きがあって、送り犬は歯を剥き出しにしていたのが嘘のように大人しくなって、あっさり身を翻して夜にまぎれてしまった。静寂の代わりに、辺りの蝉の音が少し大きくなった気がした。

「ささ、油揚げを食そうではないか」

 そう向き直ったオサキは、また鼠サイズに戻ってる。やっぱり、オサキは妖怪だ。気を許していい相手じゃ、ない。それを、まざまざ見せつけられた気がした。私の右手だって、まだ狐のままなんだから。

 私は気を引き締め直して、レジ袋から取り出した油揚げを、オサキの真ん前に掲げる。

「今から、この油揚げをあげるけど、対価として情報がほしい。取引よ、取引」

「……なんと、油揚げをくれるのか」

 赤い眼がきらきらと輝き出す。ダメだ! 話を聞いてない!

「この右手を戻す方法を教えて! あんたがやったんだからわかるでしょ?」

「はて、どうだったか。それよりも油揚げっ」

 と、猫じゃらしに飛びつく猫の如く俊敏に跳び上がる。素早く手を持ち上げて回避すると、オサキの耳がしゅんと垂れた。くそっ、かわいい。だが、私は絆されないぞっ!

「ヒントでも何でもいいから教えて。そしたらあげる」

「ふむ。わかったわかった。故に早く! 油揚げを!」

「約束だからね……?」

 念を押しつつ、油揚げをそっと下ろすと、たちまち引ったくられ、あっという間にオサキの口の中へ吸い込まれてしまった。

「ふむ。美味」

 満足気に頷いて、三つ叉の尻尾をぱたぱたいわせてる。ほ、ほんとに好きなんだなー。呆れつつ、袋に残ってるもう一枚をおやつ感覚でかじった。瞬間。

「激うまっ!」

「左様であろうさ」

 何度も頷くオサキを尻目に、私もほとんど二口三口で油揚げを食べきってしまった。お、美味しい! 油揚げってこんな美味しい食べ物だったっけ!? それも調理してない奴なのに! 嘘、たまんない!

「それにこれ、お腹にたまるっ!」

 その事実が何より嬉しかった。たった一枚の油揚げを食べただけなのに、すごい満腹感!

「何せ狐の好物なのだから、当然さ」

「ヤバイ、これは確かに癖になるわ」

 そんなこんなで、夜中のちょっとした大冒険は無事に幕を下ろしたのだった。



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