第8話

梅さんのいる病室は、幸子が来てから、大きく変化した。

梅さんを筆頭に、かしましかった患者たちが、随分と穏やかになった。と言えば聞こえはいいが、実際は幸子の虜となっていた。


幸子が入室したその日から、彼女の美しさと、優しさに溢れる雰囲気、歌のように可愛らしく、癒やされる声、そしてなにより魅力的な笑顔の虜になってしまったのだ。

病室が幸子以外皆、幸子にとってはおばあちゃんのような年齢であり、幸子を孫のように想ってということもあるのかもしれない。

しかしナナミはそれだけではないと感じていた。幸子には老若男女に好かれる何らかの才能を持っている。いや、才能というより、魔力のようなものかもしれない…。とにかく得体の知れない何かが彼女には溢れ出ているように見えた。


梅さんたちは幸子の雰囲気にほだされ、完全に毒が抜け、幸子にデレデレ状態になっていた。

「はい、みなさん、田中さんから離れて。仕事の邪魔です。」

ナナミは部屋の入り口に仁王立ちで注意した。

みんな幸子のベッド周りに輪になっていて、誠に仕事が進まないのだ。

「なんだい、ナナちゃん。あんた、さっちゃんを独占する気かい??」

梅さんがムッとしながらナナミを睨む。するといっせいに

「職権乱用だ!」

「次話すのはあたしだよ!」

梅さんに続き、幸子に群がる面々が次々とナナミに文句をぶつけだした。

ここ数日、毎日こうだ。違います、仕事ですから、といくら言っても幸子の周りに群がり、仕事をさせてくれない。やっと、隙間を縫って幸子にたどりついても、幸子の身の回りのことをするナナミをじっと監視しては、やれ時間が長いだの、職権乱用だのと騒ぎ立てていた。只でさえ、新人を抱えての作業は時間がかかるのに、この部屋での時間のロスは著しかった。

ここ数日、残業時間が伸び、ユウトと会う時間も逃しているのは、少なからずこのロスが原因だ。挙げ句、今日は「ナナちゃん、やっぱり若い子のが好きなんだよ!」と訳の分からない言い掛かりまでつけてきた。ナナミのイライラはついに沸点を超え、頭の中で何かがはじける音が聞こえた。

「ああ、そうです。仕事の邪魔をするみなさんに比べたら田中さんの方がずっと好感を持てます。職権乱用で結構。今日はご希望通り、倍の時間をかけて、皆さんの大事な田中さんをお世話させてもらいますからね!!!!」

めったに声を荒らげないナナミが、ドスの利いた声で怒鳴ったため、部屋には静寂がおとずれた。静寂とナナミの睨みに耐えられず、一人、また一人と幸子の周りを離れ、自分のベッドへと戻った。最後まで幸子のそばで佇んでいた梅さんもなにか言いたげに口を開いたが、ナナミにキッと睨まれると、諦めたように、おずおずと自分のベッドへと戻っていった。

ナナミはふっとため息をつくと、幸子のベッドサイドに座り、血圧を計る支度をはじめた。

幸子はそんな様子をニコニコと嬉しそうに眺めながら、

「わたしも横田さんに好感をもっています。」

と笑顔でいった。

「そりゃどーも。」

ナナミはあきれて作業を続けた。

「キレイなお顔が見られて嬉しいです。是非、ゆっくりお願いします。」

幸子はすっと腕をナナミに伸ばした。一瞬ためらったが、イライラが収まらないのか

「はいはい。しっかり計らせていただきます。」

ナナミはムッとしながらも幸子の腕に血圧計のベルトを丁寧に巻きつけた。

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