第一章 学園クリスマス
1.イヴの呼び出し
「うーん……あっ、あった! ……これでいいんじゃない?」
首を捻りながら、私が机の引き出しの奥深くから取り出したのは、淡いピンク色のリボンだった。
おそらくは、いつか誰かに貰ったプレゼントにでも付いていた物。
そう思って、三年前の誕生日を思い出し、慌ててそのリボンをもとあった場所に押しこむ。
「ダメよ、これじゃ! 渉から貰ったプレゼントに付いてたやつじゃないのよ!」
そうしておいて、改めてもう一度ひっぱり出した。
「いや……だからって、まだ後生大事にしまってるほうがおかしいかも……?」
ちょっと悩んだ末に、机の横のごみ箱に放りこむ。
「仕方ない……やっぱり新しいのを買いに行くか……」
大きなため息をつきながら椅子から立ち上がり、上着を着ながら部屋を出る。
「……琴美? 出かけるの?」
リビングのほうからは、姿の見えない母の声だけが聞こえてきた。
「うん。繭香たちとちょっと買い物に行ってくる……」
「そう。いってらっしゃーい」
明るい声で見送ってくれる母には、私がどんなにこの買い物に参加したくなかったかなんて想像もつかないだろう。
(ううっ……嫌だな……)
行きたくないあまりに、外にも出たくない気持ちを我慢して、玄関の扉を開ける。
「うわっ、寒っ!」
思わず叫んでしまうくらい、家の外の気温は低かった。
昨夜から振り出した雪が、うっすらと地面に積もっている。
「これなら明日は、予定どおりのホワイトクリスマスだわ! さすが貴人……!」
明日に迫った『HEAVEN』のクリスマスイベントが、最高の形で実行できそうなのはいい事だったが、私を悩ませているのは、それに付随して生まれた繭香との『約束』である。
「いいな! 前回は大目に見たが、今回はそうはいかないからな! 絶対に約束を守ること!」
大きな目をさらにカッと見開いて、何度も念を押されれば嫌とは言えない。
私には、そんな度胸はない。
「はい……」
渋々同意してしまったからには、もう覚悟を決めるしかないようだ。
(しょうがない……しょうがないのよ……!)
自分自身に言い聞かせながら、雪をさくさく踏みしめて歩く。
俯いて歩きながらのため息は、なかなか止まらなかった。
今回、クリスマスに『HEAVEN』が企画したのは、本格的なクリスマスパーティーだ。
大きなクリスマスツリーの下に集まって、みんなでオーロラを見ようというもので、いったいどうやったんだか、三階建ての校舎にも負けないくらいの超巨大なもみの木が、すでに校内に運びこまれている。
睡眠時間を削ってオーロラの制作に励んでいる智史君によれば、どうやら当日にはビックリするほど綺麗なオーロラも無事まにあうらしい。
料理もあるし、音楽隊の演奏もあるし、本来ならただただ楽しみなはずの企画が、私にとって大きな試練となっているのには訳がある。
美千瑠ちゃんが、「せっかくならツリーは、いろんな物をごちゃごちゃとくっつけるより、シンプルだけど綺麗に飾りたい」と言い出し、「それならば」と可憐さんがある物を持ってきた。
それが自然発光する小さなプレートだった。
全校生徒に一枚ずつ配布して、みんなで飾ればという案には、私だって大賛成だったが、一枚ずつみんなの名前を入れようという話になったあたりから、雲行きが怪しくなってきた。
「それぞれ好きなように、デコればいいわよね……」
「そうね。好きな人と自分の名前を仲良く並べてみたり……」
「素敵! ラブプレートね!」
美千瑠ちゃんがパチパチと手を叩いて喜んだ時点で――もう終わったと思った。
みんなの話をただジッと聞いていた繭香が、次に何を言いだすかは、私にだってよくわかった。
「よし! 夏姫! 琴美! こんどこそ、しっかりとあいつらに記名を貰ってくるんだ!」
「ええーっっ!!」
大きな非難の声をあげた夏姫が、あっさりと繭香の迫力に屈した時から、もう逃げ道なんてどこにもない。
プレートに結ぶ紐かチェーンは各自で準備することになったため、珍しくも「じゃあ明日の日曜日にみんなで買いに行こう!」と言い出した繭香は、いったい何を企んでいるのか。
憂鬱な気分で歩き続ける私は、重い足をひきずるようにして、みんなとの待ち合わせ場所の駅前へと向かった。
時間よりずいぶん早く着いたのに、もっと先にその場所に来ている人物がいた。
「えっ? 夏姫?」
どちらかといえば、集合時間なんてあってないような意識の夏姫が、まさかこんなに早く来るとは思わなかった。
しかも――。
なんだか妙に嬉しそうな、活き活きとした顔をしている。
心なしか、服装も雰囲気も、いつもより可愛いような――。
「……夏姫……なんかいいことでもあった?」
聞きたいような聞きたくないような。
頭のどこかで嫌な予感を感じながらも尋ねてみたら、夏姫はポッと赤く頬を染めて頷いた。
(ああ、やっぱり……!)
らしくもなく赤くなりながら、夏姫が白いコートのポケットから取り出した小さなプレートを見て、私は頭を抱える。
「なんでぇー! なんでもう玲二君に名前書いてもらっちゃってるのよー!」
そこには右肩上がりの夏姫の癖の強い字に並んで、確かに玲二君の綺麗な字で、彼の名前が書かれていた。
「昨日、玲二が家に来た。それで……こういうことよ……」
思わずハッと夏姫の顔を見上げた。
「まさか……好きって言ったの!?」
「い、言わないわよ! 言うわけないじゃない、そんなこと!」
即座に反論した夏姫は、なぜだかますます赤くなる。
「……じゃあ、ひょっとして好きって言われた?」
「…………」
なぜそこで黙りこむ。
しかしその反応こそが、YESと答えているようなものだ。
「あああああっ! 夏姫たちはもともと両想いなんだから、当たり前と言えば当たり前なんだけど! ……これで繭香のおもちゃは完璧に私一人じゃないのよ!!」
今すぐこの場所から逃げ帰りたい衝動に駆られる背中に、この上なく不機嫌な声がかかった。
「……おもちゃなどではない! 失礼な! 琴美の恋をみんなで応援してやろうという私たちの友情を、変なふうに曲解するな! しかも、ここは『HEAVEN』ではないんだ! 往来で大声で叫ぶな!」
(いや……腕組みしながらふんぞり返ってそんなことを言われても……それに繭香の声のほうがよく通ってますから……!)
ふり返れば、繭香が立っていた。
足首まである真っ赤なコートにお揃いの帽子まで被って、黙っていればまるでお人形さんみたいだ。
しかしその目は爛々と、まるで獲物を追い詰めた獣のように、実に嬉しそうに輝いている。
「よかったじゃないか。夏姫が自分でどうにかしたんなら、琴美には時間がいっぱいある。なんならこれから、みんなで諒の家までついて行ってもいいぞ?」
「い、いいわよ……っていうか、行かないわよ! だいたい今日は、プレートに結ぶ紐かチェーンを買いに来たんでしょ!」
「ハハハッ、冗談だ」
全然目が笑っていないままで、繭香が薄い唇の両端だけを上げる。
「まずは買い物だな。買い物。さっさと済ませよう!」
私の腕を掴んですぐに歩き始める繭香は、どこに向かおうというのだろうか。
今来たばかりの美千瑠ちゃんも可憐さんも、文句も言わずに私たちのあとについて歩き始める。
瞬間、ふわっと背中に何かが被さった。
「琴美……寒い……」
あいかわらず、体重を感じさせないうららだった。
私の背中に寄せられた頬が、ぶ厚い上着を通しても、確かに冷たいように感じる。
「なんでこんなに寒い日に、そんなに薄着なのよ! ほらっ、これ巻いて!」
自分がしていたマフラーを外して、細い首や小さな顔の周りにぐるぐる巻きに巻きつけてあげたら、薄い色の瞳を細めてうららが笑った。
「琴美の匂いがする……あったかい……ありがとう……」
その笑顔の儚げな美しさに、思わず胸が締めつけられる。
(これから繭香にどこへ連れて行かれるのか知らないけど……雑貨屋にでも辿り着いたなら、うららに手袋かマフラーでもクリスマスプレゼントとして買ってあげようかしら……?)
そんなことを考えてしまうほど、なんとか守ってあげたくなるような笑顔だった。
六人で行った先は、思いがけない事に手芸店だった。
「まあ、紐なんてしょせん、丈夫さが第一だからな……絶対に切れそうにないこれで充分……」
繭香が手にしたのは、まるで小さなしめ縄のような白い組み紐。
「ええーっ!? そんな、可愛くないヤツ選ぶの……? やだぁ、私はこっちにするー!」
可憐さんはいろんなキラキラパーツがぶら下がった、たぶんスマホ用のストラップ。
「私はこれがいいな。綺麗だし、案外丈夫そうだし……」
ビーズをしっかりと編んだ物を手にしたのは美千瑠ちゃん。
「うーん……なんかいまいちピンと来ないんだけど……まあ、これでいいか……」
夏姫はストライプ柄のリボンを選んで、
「……これにする」
うららはあっさりと透明なてぐすを摘み上げた。
「うらら……それって、ビーズを通さずに、そのまま使うの?」
恐る恐る尋ねてみると、真顔のまま頷かれる。
私は慌てて、自分が手にしていたリボンと色違いのリボンをうららにさし出した。
「私はこれにするから、うららもこっちにしない?」
うららは何の感情も読み取れない瞳を、スッとてぐすからリボンへと移して、それから細い首が折れてしまいそうにこっくりと頷いた。
(よ、よかった……! くれぐれもうららのことをよろしくって、私、智史君に頼まれてたんだよね……!)
うららのことに関しては容赦ないらしい『白姫』の、不興を買わずに済んだとホッとする。
みんながそれぞれお会計を済ませたら、「これからどうするか?」と繭香が店を出ながら尋ねた。
「もちろんデートでーす! じゃあみんな……明日学校でね!」
可憐さんが手を振りながら去って行くと、美千瑠ちゃんが長い髪をフワリと揺らして深々とお辞儀をした。
「私も父の会社関係のパーティーに出席しなくちゃ……今日は誘ってくれてありがとう。とっても楽しかった」
軽やかに背中を向けた先には、もう黒塗りの高級車が彼女を待っている。
「私も。ちょっと約束が……」
真っ赤になって俯いた夏姫に、繭香がフフフと不気味な笑みを向ける。
「クリスマス直前に誕生したカップルか! ……そっちも面白そうなんだが……ついて行けなくて残念だ……!」
「いや。いいから! お願いだから、誰も来ないで! じゃ、また明日!」
慌てて踵を返した夏姫は、まるで脱兎のごとく私たちの前から去って行った。
「まあ、予想どおりのメンバーだな……じゃあ行くとするか」
私とうららの顔を見ながら繭香が言った言葉に、ドキリと胸が跳ねる。
「い、行くってどこに?」
「行けばわかる」
私の質問なんて、いつも一刀両断にしてしまう繭香はともかく、どうしてうららまでが私から離れて、繭香のほうにくっついて行くのだろう。
「行けばわかる……」
繭香の言葉を、何の抑揚もない声でくり返すうららの無表情な顔を、私は子供が反抗期に突入した母親のような気持ちで見ていた。
(う、うららまで、そっち側なの? ……どうしよう!)
そしてその驚愕の思いは、繭香のあとをついて歩いて、辿り着いた公園に一人の人物が待っていたことでますます大きくなる。
「なんだよ。遅かったじゃないか! まだ終わってない準備があるのに、散々待たせて……話ってなんだよ?」
繭香とうららには目もくれず、私に向かって不満いっぱいの目を向けて来る諒。
あきらかに不機嫌で、しかもどうやらそれは、忙しいところを私に呼び出されたからのようだ。
(私だって、なんにも聞いてないわよ!?)
話がある――なんて、全然身に覚えがないのに、何をどうしろと言うのか――。
しかも繭香は、諒が座っていたベンチから立ち上がって私に文句を言い始めた途端、さっさとうららを連れて、この場から退散し始めた。
「じゃあな、琴美。あとは健闘を祈る」
「ちょっと繭香!」
慌ててあとを追おうとしたら、背後からこの上なく不機嫌な声がかかる。
「おい! 俺だって忙しいんだ。用があるんならさっさと済ませてくれ!」
これ以上機嫌を損ねてはたまらないと、繭香たちのことは諦めて、私は諒をふり返った。
折りしも再びチラチラと降りだした雪の中。
ひどく不機嫌な諒を前にして、恋心の告白なんてできるはずがない。
何を話したらいいのだか、普通の言葉さえ浮かんで来ず、私は内心途方に暮れていた。
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