2.最後のチャンス?

「ええっと……ほら……なんか急に寒くなってきたけど、明日のイベントは大丈夫かしらね……?」

 とってつけたような私の問いかけに、諒は訝しげに眉を寄せながらも、返事をする。


「ああ……これぐらいなら大丈夫だろ。もっと雪が降ってきたら、電気系統を設営してる順平が悲鳴を上げそうだけど、その時は俺も手伝うし……」

「そっか……そうだね……」


 しかし懸命の努力も最早そこまで。

 無理やりな会話は、そこでもう途切れてしまう。


(無理だよ! 無理があり過ぎる!)

 日曜日にわざわざ呼び出してまでする話なんて、急に考えようとしてもまるで思い浮かばない。


 だからといって、繭香があらかじめ意図していたように、私が今ここで諒に自分の想いを告げるなんて、できるはずない。

 挙動不審におどおどしながら、なんとか助けが来ないものかと辺りを見回す私をしばらく眺めて、諒がハアッと大きなため息をついた。


「……ひょっとして繭香の仕業か? 琴美が大事な話があるからって……嘘かよ。ちくしょ……どんな嫌がらせだよ……!」

「…………」

 ただただ恐縮するしかなく、首をすくめる私を見て、諒は背中を向ける。


「お前が俺に用がないんだったら、もう帰るからな!」

「えっ? あっ! ちょっと待って!」

 ポケットの中の小さなプレートを握り締めながら、私はせっかちに去って行こうとする諒のコートの肘を掴んだ。


 でも、願ったとおりに足を止めてふり返ってもらったまではいいが、これからどうしたらいいのか、踏ん切りがつかない。


(思い切って頼んでみる? ……でもそれって……もう諒のことが好きだって告白しているようなものだよね……?)


 たとえばそこに、ほんの少しでも望みがあるのならば勇気も出せるのかもしれない。

 もともと私は、いつまでもうじうじと悩んでいるのは性にあわないほうだ。


(でも、好きな人がいるって言った……それも中学の頃からって……)

 中学の頃、諒と仲が良かった女の子とか。

 斎藤さんみたいに一途に諒を追いかけていた子とか。

 思い返してみれば、あまりにもたくさんの顔が浮かんできて、諒が好きなのがいったいどの子かなんて、私にはとうてい見当もつかない。

 だけど――。


(万に一つも私じゃないってことだけはよくわかる……)

 いつも自分に向けられる、諒の心底呆れたような眼差しを思い出して、あきらめのため息をついた。

 と同時に――。


 『HEAVEN』の仲間になった時から、少しずつ近付いていった諒との距離と。

 知っていったいろんな顔と。

 文句は言われるけれども、困った時は必ず手をさし伸べてもらえる今の関係。


 その全てをやっぱり失いたくなくて、私はポケットの中で握り締めていたプレートから手を放した。


「ごめん。やっぱりいい……」

「…………じゃあな」

 ドキドキと最高潮に高鳴っていた心臓が、歩き去っていく諒の背中を見送りながら落ち着いていく。


(これで、変にぎくしゃくすることはないよね……)

 ホッとしたのも本当だったが、スッキリしない思いが残ってしまっているのも本当だ。


(これでよかったのか。よくなかったのか……わかんない……わかるわけないよ……!)

 再びポケットの中でプレートを握り締めながら、いつまでもその場所に立ち尽くす私の上に、また降りだした雪がどんどん積もっていった。




「いいわけないだろっ! せっかくお膳立てしてやったのに!!」


 翌朝、終業式のおこなわれる体育館へと向かう途中、私をひき止めた繭香に昨日の顛末を報告したら、予想どおり目をむいて怒られた。


「なんでプレートを渡さなかったんだ! 何も言わなくてもそれだけで、気持ちを伝えられる……今回は絶好のチャンスだっただろ!」

「だって……」


 繭香が一生懸命に私の恋を応援してくれるのは本当に有り難いのだが、どうしてそこに、私の複雑な心境に対する気遣いはないのだろう。


「わざわざ失恋を確定させるためだけに告白するって……それって、どうなの? ……それで諒との関係がおかしくなったら、一緒に『HEAVEN』で活動することさえ、やり難くなるんだよ……?」


 はあああっと、聞こえよがしに繭香が大きなため息をついて額に手を当てた。

「そんなふうに理屈で納得できるんならもういい……勝手にしろ!」

「…………!」


 ちょっと見放された感はあるが、繭香は心底怒っているふうではなかった。

 ただ、なんだか失望しているように見えた。


「……繭香?」

 私の呼びかけにも背を向けて、ヒラヒラとうしろ手に手を振りながら、体育館へと向かう人波の中にまぎれていってしまう。


「ねえ!」

 ここで呼び止めても、昨日諒に対して何も言えなかったのと同じように、どうしたらいいのかわからなくて困るだけだと思った。

 それでも、不安でたまらなくて、繭香の名前を呼ぶ。


「繭香!」

 それでも長い黒髪をサラサラと揺らす小柄なうしろ姿は、もう私をふり返らなかった。




「……ということで、明日から冬休みなわけですが、学生としての本分を忘れることなく……」

 壇上から聞こえてくる校長先生の話が、いつも以上にまったく頭に入らない。


 斜め前にいる諒と、やはり私よりちょっと前の列にいる繭香のうしろ姿を見ながら、私はいつまでも自問自答していた。


(理屈で納得してちゃいけないの? ……なんで? そもそも……どうして繭香は、私の見こみのない恋を、こんなに強くあと押しするの?)


 まさか、私が失恋したってどうでもいい。

 ただ面白がっているだけなんて――そんなことあるはずない。

 少なくとも私は、そう信じてる。


 しょっちゅうからかわれて、みんなのおもちゃにされて、それでも私が本当に傷つくようなことからは全力で守ってくれた。

 繭香は――そして『HEAVEN』のみんなは、私にとってそんな素敵な仲間たちだ。

 だから――。


(何か訳があるのかもしれない……どうしても私に、諒に告白させたい何か……!)


 そんなものいくら考えたって全然想像もつかないけれど、教科書に書いてあることしか頭にインプットされていない私には、この世の中にわからないことがいくらだってあるはず。

 ――そう思ったから、私は決意した。


(よし! もうぐだぐだといつまでも考えてないで、諒にお願いする! 「このプレートに名前を書いて~♪」くらいの軽いノリなら、諒だって深く考えずに書いてくれるかもしれないし……例え断わられたって、あとでなんとでも言い訳がつく!)


 頼む前から、失敗した時の言い訳の心配をするなんてずいぶんとうしろ向きだが、もう全てを運に任せることにした。


(そうと決まれば、すぐに実行よ! 終業式とHRが終わったらそのままクリスマスパーティーの準備に入るから、その前に絶対!)


 しかし決意も虚しく。

 体育館から出たところで上手く諒をキャッチしたのは、私ではなくて全然知らない女の子だった。




 二人が何を話しているのか聞き取ることはできないが、真っ赤な顔をして諒にプレートをさし出している女の子につられたように、諒の頬も赤く染まっていることはわかる。

 ズキンスキンとどうしようもなく痛む胸を必死にこらえながら、私だってスカートのポケットの中に忍ばせていたプレートを、ぎゅっと握り締めた。


(まさか……名前を書いたりしないわよね?)

 祈るような、訝るような気持ちで、まだ体育館の中から二人の様子を見守り続けていると、諒がおもむろにその女の子のプレートを受け取った。


(……嘘でしょ?)

 さし出されたペンも受け取って、そのままサラサラと何かをプレートに書きこむ。

 この上なく嬉しそうに、どんどん綻んでいく女の子の笑顔から目が離せない。


(それって……それって、諒はその子が好きだってこと?)

 そう思った途端、ぶわっと涙が浮かんできた。


(嫌だ!)

 瞬間的に思ってしまってから改めて、交流会の前にうららが言っていた言葉を思い出した。


『智史は誰にも譲れない』


 私自身も諒のことをそう思ったからこそ、やっと気がついた恋心だったのに。

 諒が可憐さんのことを好きだと誤解していた間も、絶対にそれだけは曲げられない想いだったはずなのに。


 現状に甘んじて。

 今の関係を壊したくなくて。

 もたもたしている間に、あっという間に横から攫われてしまった――大好きな人。


(もう! 本当に私ってバカ! こんな後悔させたくないからこそ、繭香もみんなも散々けしかけてくれてたんだ!)


 せめて想いを伝えていたなら、納得だっていくだろう。

 なのに私は、何も伝えられないまま、この恋をもう終わらせることになる。


(……本当に、最悪……!)

 ハッキリ終わらせなかったばっかりに、自分の心の中でいつまでも燻り続けた前の恋の記憶が甦る。


 無理をして、平気なフリをして苦しかった。

 ギリギリになるまで泣くことさえできなくって辛かった。


(もうあんな思いは嫌だったのに……!)

 今になって後悔をくり返している自分が情けなくて、諒の姿から目を逸らしたら、すぐに自分に注がれている視線に気がついた。


 何かを言いたげな、強い視線。

 ふり返って見てみたら、すぐうしろに繭香が立っていた。


「まだ決めつけるには早い。後悔は、当たって砕けたそのあとでもいい。……というより、そのあとのほうが断然いい!」


 全然咎めるような口調ではなくって、それどころか私を励ましてくれるように優しく穏やかな声で、珍しく繭香がニッコリと笑いながら発破をかけるから、思わず涙が溢れる。


「うん……そうだね……」

 その涙をぐいっと手の甲で拭いて、私は諒に向かって歩きだした。


 てのひらに食いこむように握り締めている小さなプレートを、これ以上は後悔したくないからダメもとで渡してみようと思った。

 それなのに――。


「勝浦君! これもお願い!」

 私の三歩前に滑りこんできたのは斎藤さんだった。


 諒は目の前に出されたプレートに特に何の感慨もなかったらしく、淡々と、本当に淡々と文字を書きこんでいく。

「ああ……別にいいけど……」


 その言葉を待ち構えていたかのように、次々と私の前に女の子が割りこんでくる。

「勝浦君、これも!」

「これもこれも!」


 あっという間に黒山の人だかりの中に飲み込まれてしまった諒は、ついに私には体の一部分も見えなくなった。


「……なによこれ?」

 呆然と呟く私の背後から、繭香が耳に口を寄せて囁く。


「いいじゃないか。今なら必死の決心なんかなくたって、琴美もみんなの中にまぎれて、どさくさでお願いできるぞ?」

 まるで悪魔のようなその囁きに、私はハッと顔を上げた。


「確かに! あれだけ書きまくってるんだったら、私のだからって突っぱねられることはなさそう!」

 勢いこんで走り出した背後から、「単純……」という繭香の呟きが聞こえてきたような気がしたが、今はひとまず気にしないことにした。


 絶好のチャンスを――(ひょっとしたらもう最後のチャンスかもしれない!)逃すわけにはいかなかった。

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