挿話4 ここぞという時には決める男 瀬川玲二の挑戦

 入学式の朝。

 中学の頃から顔見知りだった他校の女の子と、偶然バッタリ出会った。


「うわぁー同じ学校なんだ! 当然陸上部だよね? 一緒にがんばろう!」

 そんなふうに無邪気に大喜びされて、申し訳なかったけれど、俺はすぐに頭を下げた。


「悪い……陸上はもう辞めたんだ……」

 大会なんかで時々顔をあわせるぐらい。

 所属中学は知っていても名前までは曖昧な――その程度の面識しかない相手だったのに、彼女はすぐに笑顔を凍りつかせた。


「どうして? ……なんで?」

 単純にもう走るのは嫌になったとか。

 高校からは勉強のほうに力を入れたいからとか。

 思いつく言い訳はいくつもあるはずなのに、とっさに何も浮かんでこない。


「ええっと……」

 言いよどむ俺の顔を見上げて、彼女は一気にまくし立て始めた。


「だって……あんなに『走るのが大好きです』って顔していつも走ってたじゃない! タイムとか成績なんかじゃなく……走ること自体が好きみたいに、楽しそうだったじゃない! ……どうして!」

 ちょっとつり気味の切れ長の目の端を薄っすらと赤くして、本気で怒っている彼女の顔から目が離せなかった。


 ――それは確かに、ほんの半年前までの、俺の陸上に対する正直な気持ちにまちがいなかった。


(まいったな……)


 中学最後の大会のあとに足を痛めて。

 もう本格的には陸上を続けていくことはできないなんて医者から宣告されて。

 散々泣いて諦めたはずの思いが甦ってきてしまいそうだ。


 真っ直ぐな瞳から目をそらして、慌てて呟く。

「でももう、辞めるって決めたから……」


「バカッ!」

 わかりやすい一言を残して、彼女は制服の裾を翻らせて、俺の前から走り去っていく。


(うん……綺麗なフォームだな……)


 桜吹雪の中にうしろ姿を見送りながら、目の端に浮かんだ涙をこぶしでぬぐったその時から、俺は不思議といつも彼女の姿を見ている。

 いつでも、何をしてても、ついつい捜してしまう。


 ――世間一般では、きっとこれを『恋』と呼ぶのだろう。




 まるで誰かが仕組んだかのように、彼女――古賀夏姫とは一年の時も、二年になってからもクラスが一緒だった。


 確かに最初で怒らせてしまったはずなのに、教室で再会した瞬間から、夏姫は俺に対して、他のみんなとまったく同じように接している。

 それがちょっと嬉しくて、ちょっと寂しい。


 女の子にしてはさっぱりしすぎなくらいの性格で、もちろん運動神経抜群で、思ったことをハッキリと口にする夏姫は、実に女子から人気があった。


 バレンタインデーにはクラスの男子が束になっても敵わないぐらいのチョコレートを貰っていたし、二年生になってからは、一年の女子の間でファンクラブも結成されたらしい。

 本人はまったく喜んではいないが、だからといってその子たちを邪険にしたりはしない。


 それなり優しく応対するものだから、夏姫のファンの女の子は増える一方だ。




 その夏姫が、先日の交流会で、俺にダンスのパートナーになって欲しいと申しでた。

 文化祭の劇では恋人役もやったし、ひょっとして少しは希望があるのかと期待したら、『玲二に頼むのが一番簡単だから』という理由。


 正直がっかりしたが、『嫌だったら別に……』とすぐに他の誰かに話を持って行かれてはたまらないので、二つ返事でOKした。


 でも交流会の当日。

 綺麗なドレスを着て、目の前に現われた夏姫を見て、正直「参った!」と思った。


 服とメイクひとつであんなに変わるなんて、女の子は反則だ。

 背筋のピシッと伸びた姿勢が美しいと、常々思ってはいたが、ちゃんと女の子らしい格好をすればあんなに綺麗になるなんて大反則だ。


(こんなの……いつも夏姫のことを『男の敵』って呼んでる奴らには見せらんないぞ! ……絶対に見る目が変わる!)


 俺の勝手な思いをよそに、夏姫は相変わらず群がる女の子たちの相手に大忙しだ。

 長蛇の列を作った彼女らと、ドレス姿のまま代わる代わる踊ってあげている。


(でも男と踊ったのは俺とだけ……だよな?)

 嬉しく思った傍から、剛毅や貴人とも踊ってる。


(ま、まぁあいつらは仲間だからな……)

 いや。

 陸上部の先輩方とも踊りだした。


(馬子にも衣裳なんて笑われながらも……可愛がられてるってことだ……!)

 ダメだ。

 強がってみても、俺のささやかな自信なんて、どんどん小さく萎んでいく。


(ひょっとして……夏姫にとって俺はそれなりに特別な存在なのかな……?)

 なんて思い。

 もう妄想としか思えない。


(そんなにうまくいくはずないよなぁ……)

 現実の厳しさを実感させられた交流会から、まだたったの一ヶ月弱。

 なのにとどまるところを知らない『HEAVEN』の活動は、更に俺に追い討ちをかけるような行事を生み出した。




 放課後の『HEAVEN』。

 何気なく中に入ろうとして俺が足を止めたのは、中から女の子たちの声しかしなかったからだ。


「ね? ……これならいいんじゃない? そんなに人工的でもないし、雰囲気壊さないと思うよ?」

「自然と発光するタイプのプレートなんだね。うん。とっても可愛い」


 どうやら女子が集まって、先日から試行錯誤しているクリスマスツリーの飾りについて話しあっているらしい。


「そうだな。……だが一つ一つに全校生徒の名前を入れる必要があるのか?」

「もちろんよぉ! 自分の名前の入ったプレートに、好きな人にも名前を入れてもらって、二人で飾るからいいんじゃない!」

「ラブオーナメントね」

「そうそう!」


 盛り上がっているのはおそらく可憐と美千瑠だ。


「でも……そうなんでもかんでも恋愛がらみにする必要があるの?」

 夏姫の声が問いかけたので思わずドキリとした。


「あるの! 夏姫ちゃんこそ、この際ハッキリさせなさい!」

「そうだそうだ!」

 話がなんだかよからぬ方向へ進んでいく。


(その先は、できれば聞きたくないな……)

 ここから逃げ出したいのに足が動いてくれない。


「結局うやむやにしてるんだからな。夏姫も琴美も……」

「そ、そんなこと言ったって!」

 これ以上、聞かなくてもいい情報が耳に入ってきてしまう前に、いなくならなければ――。


「今度こそ、ちゃんとプレートに名前書いてもらってね。約束」

「ええーっっ!!」


 いくら二人が、美千瑠の言葉に抗議の声をあげたって、

「前回は大目に見たが、今回はそうはいかないからな!」

 繭香の叱責にはグウの音も出ないだろう。

 それは琴美と夏姫だけではなく、俺だって同じだ。


(そっか……やっぱり夏姫にも……好きな奴ぐらいいるよな……)

 会話の内容からその結論に行き着いて、ガックリと肩が落ちた。


 ようやく動き出した足を励まして、俺はドアに背を向けて、今来たばかりの道を、もう一度戻り始めた。




「くそっ、どこの誰だろう? ……いいな……」

 本音を口に出して愚痴りながら、どんどん歩いて中庭に辿り着くと、校舎と校舎の間から巨大なクリスマスツリーが見えた。


 大まかな飾りつけはもうすんでいるが、さっき女子が話していた自然発光のオーナメントプレートとやらを全校生徒分飾れば、またちょっと他にはない変わったツリーになるんだろう。


「その中には、夏姫と誰かの名前が書かれたプレートも飾ってあるってわけだ……そして壊滅的に運の悪い俺は……見たくもないそのプレートを、バッチリ見つけるんだろうな……!」

 自分で言ってて悲しくなる。

 そんなことは絶対嫌なのに、どうこう言える立場じゃない自分がもどかしい。


「あーあ……また諦めんのか……」

 十二月にしてはよく晴れた空を見上げたら、走ることを諦めた日のことまで思い出してしまう。


 自分にはこれしかないって思ってた陸上を諦めて。

 行きたかった高校を諦めて。

 生まれて初めて好きになった女の子を、今また何もしないままに諦めたら――。


(ああ……やっぱ……どんどんうしろ向きになっていくよなぁ……)

 ため息混じりに、地面に視線を落としたら、他ならぬその夏姫の言葉が耳に甦った。


『玲二は……やる前からなんでもかんでも諦めすぎ! やってみたらなんとかなることだってあるんだから!』


 ふと視線を上げた。

 もう一度その巨大なクリスマスツリーを見上げる。


「そうか……そうだよな……!」

 全校生徒分のオーナメントと、女の子たちは言ってたじゃないか。

 その中にはもちろん、俺の分だって含まれている。


(夏姫が他の誰かに名前を書いてもらったって、俺は自分の分を夏姫にさし出せばいいんだ……何も言わないままで諦めるのが嫌だったら……今度こそ、先に自分のほうから意思表示したらいい!)


 それで夏姫との関係がギクシャクしてしまったら嫌だけど、夏姫はそんなことで態度を変えるような女じゃない。

 そのことを俺はよく知っている。


 かなりの小心者で、やる前から諦め癖のついている俺にとっては、一生分の勇気をかき集めるぐらい難しいことだけど、挑戦してみて損はない。


 ――それぐらい俺は、口は悪いけど優しくて、見てると自分まで元気になってくる夏姫が好きだから。


「よし、決めた!」


 繭香の迫力に負けた夏姫が、誰かに思いを告げる前に、俺が夏姫に告白する。

 その結果がどうだって、諦めずにがんばったってことは、きっと俺に今までなかった何かをもたらしてくれるはずなんだ。


「そうと決めたら、急がなくちゃ!」

 ツリーに背を向けて、今出てきたばかりの特別棟入り口に向かって俺は駆けだす。


 『走ること自体が好き』と夏姫に言い当てられた中学の頃のようには、もう走れないけれど、今の俺にとっては最速の、これが本気の走り。


(だって……やっぱり夏姫のことは……何もしないで諦めるなんてしたくない……!)


 ――『HEAVEN』の企画に踊らされてるってことは重々承知の俺の挑戦は、今始まる。

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