第33話 寺地敏雅輪廻転生祈祷委員会


 地獄中学校は教師達ですらその実態のすべてを把握出来ていない程、地中遥か深くまで地下が存在していました。


『汝、一切を美の化身、寺地へ捧げるか』

「“イエス・マイ・トッシー”」

『よ ろ し い、入 り な さ い』


 その中には学校が認めていない非公式のサークルが勝手に教室を使っている、ということもあり、地下深くの階に存在するという、“ある教室”を目指し、長い長い階段を大きな木の板を抱えるある一人の少女が降りていました。深く深く、どんどんと深く。


 暫く階段を下ると、空気も心なしか薄くなってきて、周囲は石造りになり、明かりも蛍光灯から壁掛けの松明に変わります。

 そしてもっと往くと、やがて松明も無くなって何も見えない闇になり、人よりもねずみの気配を感じることが多くなって行きます。



 おや、こんな 前線 に むすめさん とは めずらしい。どうですか、ちじょう の 戦況 は・・。なに? 戦争 は おわった? 大日本帝國 は まけた? ばか を いっちゃあいけません。大東亜共栄圏 は もくぜん ですよ。一億総玉砕 の せいしん で 神風 を ふかすのです。では、わたし は これで。


 道中でたまたま遭遇した兵隊さんは、そう言うと闇の中に消えました。



「・・・」


 女生徒はしゃがみ込み、ガサゴソと鞄の中をさばくりました。そして赤い提灯を取り出すと、マッチを擦りました。

 真っ黒な宇宙に漂う孤独な宇宙船のように提灯は周囲をぼうっと照らします。


 ぴちょん、ぴちょん、ぴちょん。


「あら」

 石造りの階段の踊り場に現在階の案内看板があります。


《然立地獄中學校【地下:六六六階】案内図》


「辿り着いた様子ね。つまり、遂に」


 女生徒は、学級表札の位置を見据えながら、地下六六六階の廊下を歩いて行きました。

 そして牢屋の横を十も過ぎた辺りのことです。

「あれね・・」


 その教室の表札には「寺地敏雅輪廻転生祈祷委員会」と手書きで書かれた札が入っていました。


 女生徒がその教室へ入ろうとすると、突如教室の扉の左右に居た覆面をした女生徒がその行く手を阻みました。

 そして『汝、一切を美の化身、寺地へ捧げるか』と女生徒に尋ねました。


「ええ、勿論よ」


『・・待て!』


 蝙蝠が一匹、バサバサと飛び立ちました。


 何か間違ったことを言ってしまった様子です。周囲の空気が張り詰めます。


『何奴。貴様、名を名乗れ』

「・・・」

 名前を聞かれた少女の口元が怪しく笑いました。

『人間の娘よ、応えよ』

「あたいの名は・・、佐倉・・、」

 佐倉ちゃんは拳を振り回して胸前にびしっと落ち着けると、眼を光らせました。


「——秀美ッ!!」


『・・・』


 扉を塞いだ二人の覆面の女生徒は何やら耳打ちをして顳顬こめかみを指で叩きながらゴニョゴニョとやり取りをしています。


 ・・・。


「・・佐倉、」


『ひぃっ』


「——秀美ッ!!」


『う、うむ、分かったからやめろ。では愛の証を。佐倉秀美よ、寺地神への愛を証明することのできる何かを汝はお持ちか』

「ええ。あたいのとっしぃへの愛、それを証明してみせますわ。それも、今、ここでね」

 佐倉ちゃんは片手に掴んでいた大きな木の板をゴトリと石畳の上に置くと、数歩後ろに下がりました。

「ブツを確認しろ」

 そこには佐倉ちゃんの机から外された傷だらけの板がありました。

『・・・』

 それを見た覆面の女生徒は何やらまた耳打ちをしてやり取りをしています。

『・・何だ、この板は。説明求む』

「ふふ、これを見て何かが分からないなんて・・、どうやら節穴か何かをでなくって?つまり・・、」

 佐倉ちゃんは短いスカートからすらりと伸びる脚を交差させ、真っ直ぐに覆面の少女達を指差しました。


「あんた達の目はね!」


『びくぅッ』


 突然の絶叫に覆面の少女達は震えてあたふたと慌てだしました。

「・・ふふふ」

『し、失礼・・、今一度見させて頂こう』

 覆面の少女二人はそう言ってしゃがみ込むと、佐倉ちゃんが持ってきた板を手に取り、今度はまじまじと眺めました。


 するとどうでしょう、次第に板を持った手は震えだしたのです。

『ひぃ・・!・・っ』

『こ、これは』

 その様子に思わず佐倉ちゃんの口元は再びニヤリと笑います。

「・・お分かりになって頂けたかしら」


 その板の傷のように見えていたものは、彫刻刀で一面に掘られた「とっしぃ」の呪文マントラ

 まさに佐倉ちゃんの寺地くんへの盲目的な情熱の顕現ともいえる代物でした。

『し、失礼いたしました。どうぞ中へお入りください』

 恐れをなした覆面の少女はスカートの裾で板に触れた部分を必死で拭き取ると、扉の前から退きました。

「ふん、馬鹿共が・・!」

 佐倉ちゃんは髪の毛をばっと振り乱しながら教室の扉を開けました。


 突如、中からもわっと白い濃密な霧のようなものが廊下に溢れ出てきました。

「みょおんみょおんみょおん」と、インドを感じさせる妙な音楽も聞こえてきます。


 とっしぃ、とっしぃ、とっしぃ、とっしぃ。


 しかし佐倉ちゃんはその怪しい雰囲気にも動じる気配は無く、暫し静観して事態が収束するのを待ちました。


 少しすると次第に視界が開けて来ました。

 室内には教卓以外の机は一切無く、黒板の上に設置された寺地くんの遺影を崇めるような格好で、床に膝を付くセーラー服姿の覆面生徒達が犇めいており、教卓の前には両腕を翼のように横に広げて恍惚の表情を浮かべる黒縁眼鏡をかけた黒髪のリーダーらしき女生徒がありました。

 あちらこちらにボコボコと白い二酸化炭素を吹き出す水の入ったビーカーが置いてあります。


 とっしぃ、とっしぃ、とっしぃ、とっ・・


 ふと、ろうそくの火を吹き消したかのように、密教呪術的な音楽は止み、少女達の呪いの詠唱はそれに動揺する形で立ち消えました。

 そしてその直後、彼女達の視線は全て教室後方に置かれたラジカセに集中しました。


「おや、遅かったではないか」


 そんな声がラジカセの停止ボタンに指を置いている女生徒へ投げかけられました。


「・・佐倉秀実さん? フフフ」

 教卓の上に置かれた水晶玉を撫でるリーダー格らしき女生徒の眼鏡が不気味な光を放ちます。



 どうやらあんた、あたいの名を知っているのね。


 フフフ、知らないものは無いさ。君がここに来た理由等も全てこの水晶はお見通しなのさ。


 何ですって・・?


 いや、ここにいる者なら皆知っている。それはこの教室の扉を叩く者が皆同じ迷える子羊だからさ。


 ・・・。



「君、逃れること能わず。世界に於いて、この接吻、唯一の永遠の意味と等価なるが故のこと也」

「 ひぃッ、ひ、“額に添える接吻と、指永ながく顎を持ち上げし天上の息吹・・、よ”・・・」

 ——————3年1組 神宮寺 保子


 保子やすこさんはふと寺地くんとのやり取りを瞼の裏に浮かべて涙ぐみました。


「同じ男を愛してしまった哀れな子羊よ。君を我々の同志として迎え入れようではないか」

 佐倉ちゃんは肩を竦めると、ふんと鼻で笑って見せました。

「ちゃんちゃら可笑しいわ。あたいも安く見られたものね」

「・・何ぃッ」

 周囲の覆面女子が「こいつ生意気です。羊長ひつじちょう、殺っちゃいましょう」と騒つき始め、保子さんは「待ちなさい、子羊達よ。」と腕を振り回しながら制しました。

「面白い。続けよ」

「あたいは傷を舐め合うつもり等無いの。あたいはどんな形でも良い、とっしぃに逢いたいだけよ」

「・・・」


 うえっ、ひっく。

 うう、とっしぃ。


 佐倉ちゃんの気持ちにあてられ、今しがた迄殺気に満ちていた教室は乙女達の嗚咽に染め変えられました。

「うう、お、おぇえッ」

 中には泣きながら気分を悪くして吐いている生徒、カッターナイフで手首を何度も切りつけている生徒もあります。


 そう、皆未だにあの男に狂っているのです。


「佐倉秀美よ、お前の気持ちはここにいる者であれば痛い程分かる。そして、この私も例外では無い。しかし、彼はもうこの世にはおらぬのだ。私はこの水晶玉で、ことの一部始終を見たのだよ。それはそれは、壮絶な最期だったわ・・、そう、彼は不治の病にハート、即ち心臓を侵され、薔薇の園に身を横たえて絶命・・、」

「ひ、羊長!愛の水晶、我らの御神体が!」

「な、何ィッ」

 教卓の上にあった筈の水晶玉と佐倉ちゃんの姿が教室から忽然と無くなっていました。


「羊長、追っ手を出しますか?」

 保子さんはぴっと腕を払い「よしなさい」と冷静に言いました。

「何故ですか」

 その問いかけに応えることなく、保子さんは子羊達に道を空けられながらロングスカートを揺らして教室の裏へ歩いて行きました。

 そして、ラジカセからカセットテープを取り出すと、裏返し、B面を表にしてセットし、朧げな表情で再生ボタンを押しました。


 やあ、子羊ちゃん。今夜また逢いに行くよ、君の夢の中にね。

 やあ、子羊ちゃん。今夜また逢いに行くよ、君の夢の中にね。

 やあ、子羊ちゃん。今夜また逢いに行くよ、君の夢の中にね。


「・・・」


 うう、とっしぃ・・。

 ふえ、ぶぇっ、お、おぇえッ!


「・・だって、だって」



 ただの、ガラス玉ですもの。

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