第32話 男の子はむずかしい
教室の入り口の陰からじっと柳が鎮太郎くんを見つめています。
鎮太郎くんはそれを視界の端に認めながら、フンと鼻で息をしました。
「柳、僕はね。お前が嫌いなのだよ。知っていたかい?」
・・はい。
「触られるのなんてもっての他だし、見るだけでムカムカしてくるのですよ」
・・はい。
「故に我が教室に足を踏み入れないで頂きたい。可能な限りその存在を感じたくないのですよ」
・・・・はい。
「ふん。“はいはいはいはい”と、本当に分かっているのかね。こちらは確かに聞きましたからね。二度と教室に入るのではないぞ、
柳は鎮太郎くんを見つめながら、ほんの少し前に鎮太郎くんと交わしたそんなやり取りのことを思い出しました。
「ふひ・・・」
遠くで漏れた柳の奇怪な声に鎮太郎くんはビクッと震え、ため息を吐くと、イライラした様子で机をトントンと叩きだしました。
「おい、ワトスン。何か面白いことをしろ」
「何だって?」
伸宏くんが表情を歪ませて応えました。“僕のご機嫌を取れ”というような意味の命令に対し、明らかに不快そうです。
「何か面白いことをしろと言ったのが聞こえないとでも言うのか、この距離で。貴様、耳が悪いか知恵遅かのいずれかですよ」
「・・・」
伸宏くんは何も言わずに席を立ちました。
「ちょいと、オイ。何処に往くの」
鎮太郎くんの呼び掛けに反応することなく、伸宏くんは教室の入口にいた柳に「醜女。どけよ」と吐き捨てると、教室から出て行ってしまいました。
その背中を眺めながら鎮太郎くんは面白くなさそうな顔をしました。
(何だい。ワトスンの奴、この程度のことで。もしや反抗期かしら・・、ん?)
「・・・」
柳が心配そうにこちらを見つめています。
(何 だ そ の 憐 れ む よ う な 目 わ あ ッ)
鎮太郎くんは
(落ち着け、不細工をこの手で転がすことがあっても、不細工に僕が転がされる等という失態を演じてはいけないよ、鎮太郎。あくまでも余裕のある大人の雰囲気を演出するのです)
「ははは!奴も格の違いというやつが分かったということか。尻尾を巻いて逃げたよ。なあ、見ましたか皆さん?」
鎮太郎くんはわざと大きな声を出して教室中を見回しながら訴えました。
しかし誰も何も言いません。
「・・ふふ、僕は今、最高に強く、また、格好良い」
自分に口答えするものが居ないと見ると、鎮太郎くんはそう呟きながら心の底から満足している風の態度をしました。
「おや」
視界の隅に佐倉ちゃんが入りました。
鎮太郎くんは「そうだ」と思い立つと、不敵な表情で佐倉ちゃんの方へ近付いていきます。すると、遠くの方で「ふ、ふひ・・」という奇声が聞こえ、鎮太郎くんは耳をぴくりと動かしました。
鎮太郎くんは背中に柳の視線を感じながらニヤリと笑い、佐倉ちゃんに声をかけました。
「ささ、佐倉ちゃん。ご、ご機嫌如何?」
(こら、ここは大事な瞬間、緊張しては駄目、鎮太郎。柳が見ているよ)
佐倉ちゃんは自分の席で俯いたまま、何やらガリガリと妙な音を立てています。
(おや、聞こえなかったのかしら)
「さーくらちゃーん」
がりがり、がりり。
「・・のっ!さ、さくらァーッ!?」
「あたい、あんた、きらい」
遠くでその様子を見ていた柳が「げひ」と謎の奇声をあげました。
「・・な」
佐倉ちゃんは彫刻刀を鞄にしまうと、替わりにドライバーを取り出して身を屈め、机の板の部分のネジをクルクルと緩めだしました。
「な、何をしておるのですかな」
「あたい、あんた、きらい」
佐倉ちゃんは机の板を“バコン”と外すと、それと鞄を抱えて教室の出入り口の方へ歩いて行きます。
「ちょっと、醜女さん。どいてくださる」
「う」
そのまま佐倉ちゃんは教室から出ると、廊下の向こうへ消えて行きました。
「・・・」
柳の一つの目ん玉が再び鎮太郎くんを見つめ始めます。何処となく不安そうな面持ちのようにも見えます。柳は鎮太郎が傷付いてやしないかと心配なのです。
「・・は、ふはは! 昔から嫌よ嫌よも好きの内、と言いますからな。ついに佐倉ちゃんも僕に心を開いてくれたということか。きっと照れているのでしょう。ふん!」
鎮太郎くんは笑顔をひくつかせ俯きました。そしてふと何かを思い立ったようにくるりと向きを変えると、一直線に柳が使っていた座席へと移動しました。
そして机の上に乗っていた枯れた花が刺さった一輪挿しを思いっきり蹴っ飛ばして割りました。
「ぅむんッ!」
破片が飛び散ってその一部が周囲の床で座禅していた坊主頭の男子生徒の額に刺さりました。生徒は半開きにしていた目をカッと見開いて
「ぐ、仕方あるまい。幾ら欲しいんだい」
「はは、気にするな。クラスメイトだろ。この破片は僕が片付けておこうじゃないか」
男子生徒は額に刺さった陶器の破片を抜きながら言いました。
しかしそんなことを何処ぞの馬の骨に言われた所で、佐倉ちゃんに「きらい」と言われた心の寂しさは収まりません。
(くそう、くそくそくそ。柳め!)
鎮太郎くんは怒りに任せて柳の机を持ち上げ窓の外へ放り投げたいという衝動に駆られました。
「柳ぃ。貴様、貴様が
しかし、全く机が持ち上がりません。
(な、何。これはマズイぞ)
「ぐ・・、ふっ・・ッ。はあ、はあ」
ふ、ふふふ・・。
「まあ・・、今日のところは、やめておいてやるか。・・ふ、なかなか重いね、君は」
鎮太郎くんは柳の机を床の木のタイルの枠に揃えて、ぽんぽんと叩きました。
・・・。
教室が鎮太郎くんの存在を無視するかのように動き出しました。
鎮太郎くんの顔がみるみる充血していきます。
「や、やい!柳、こっちへ来い!」
「げひ・・」
「聞こえないのですかーッ!」
鎮太郎くんは柳の机をバンバンと殴りつけました。
「な、なあに」
柳が入り口の陰から身を乗り出すようにして顔を覗かせています。
「何をしている! 早くこっちに来い! 今からお前を死ぬ程殴ってやる!」
「う、うん。殴るのは良いけど、でも、さっき教室には入っちゃいけないって・・、入っても、良い? ふひ」
「な・・、何ぃっ」
(“殴るのは良いけど”だと?)
「うああああッ!?」
鎮太郎くんは顔を真っ赤にするとクラスメイトの机を乗り越えながら一直線に走り、柳に飛びかかって押し倒しました。
「何を余裕ぶっているのですか。どうだい! 痛いか! 痛いと言え!」
鎮太郎くんは廊下で柳に馬乗りになると何度も何度も殴りつけました。
柳は顔をボコボコに腫らしながら、一つになってしまった目を悲しそうに歪ませて鎮太郎くんをじっと見つめながら「うん、いたい、いたいよ」と呟きました。
“ぴしゃん!”
突如鎮太郎くんの背後で教室の扉が内側から閉まりました。
教室の中から笑い声が聞こえます。
その音にビクッと震えた鎮太郎くんの柳に対する暴力は止みました。
「・・・」
「鎮太・・、郎くん。だいじょおぶ?」
柳が鎮太郎くんの手にそっと触れました。
「くぉらッ、触るな」
鎮太郎くんは柳手を振り払い立ち上がりました。
「くそ、どいつもこいつも馬鹿にして!くそっ、くそっ」
廊下の奥に走り去って行っていく鎮太郎くんの後姿に伸ばした柳の手は、かたかたと震えながら力無くしな垂れました。
いしやぁ〜きいもーぅ、おいもっ。
おいしぃ〜おいしぃー、おいもだよぉ〜・・・。
どよんとした空の下、地獄中学の体育館の裏は一層どよんとしてジメジメしています。
そこに珍しく一人の人影がありました。鎮太郎くんです。
鎮太郎くんは体育館の周囲の側溝沿いの段差に膝を抱えるようにして腰掛け、足元の蟻を一匹づつ指で潰しています。
「死ね!死ぬのです!」
そんな中、ふと遠くの方で“じゃりっ”と砂を踏むような音が鎮太郎くんの鼓膜に届きました。
鎮太郎くんは諦めたように音のした方を見ました。やはり体育館の影から顔を腫らした柳が覗いていました。
鎮太郎くんが足元に落ちていた石を拾って「また痛くされたいのか」と言うと、柳は「うん、いいよ」と言って海老反りになり、カサカサと鎮太郎くんの隣に来ました。
そして身体を起こし、少し距離を開けて座りました。
「・・・」
鎮太郎くんの手から石がぽろりと落ちました。
暫くすると鎮太郎くんは再び「死ね・・、くそ、死ねっ」と足元の蟻を潰しだしました。
灰色の日も傾き、あと半刻もすれば、今日もまたイナゴの大津波がグラウンドに吹きすさぶことでしょう。
柳は鎮太郎くんをじっと見つめ、もう少し身を寄せると、鎮太郎くんが蟻を潰す様子を眺めました。
どうだい、僕は強いだろ。
ふひ、そうだね。
えい、えい、死ね、死ね。
・・・。
えい、えい・・。
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