第34話 目指せ即身仏〜①
だだっ広い田園風景に、がしゃん、という音を響かせて、巨大な時計の長針が動きました。
「ぶへ、ぶへへ、鎮太郎くん。どこにいく」
遠くからこちらを見つめる案山子の姿が黒いイナゴの風に飲まれて見えなくなる様子を、駅のプラットホームから眺める柳と鎮太郎くんがあります。
「人を海老にするにはやっぱり海が一番です。だから勿論今回も海に行きます」
鎮太郎くんの背負う中味の詰まった風呂敷の端から麻縄がちょろりと覗いています。
柳は風呂敷の中身は殆ど自分をぐるぐる巻きにする為の縄なのだろうと思いました。
その量には今度こそ確実に柳を人間から海老にしてあげたいと望む鎮太郎くんの執念のようなものを感じます。
そんな二人の様子を電柱の陰から覗き込む人影がありました。その手には大きなガラス玉を持ち、そこに柳を透かして見ています。
ガラス玉の中の柳の背後に、何か白い靄のようなものが見えます。
「ま、また森の、森の海かな」と聞いた柳に対し、鎮太郎くんは「そうだ」と短く応えました。
樹海、即ち自殺の郷です。
「それは、嫌だなあ。ふへへ」
「何だ。怖気付いたのか」
鎮太郎くんの表情が不気味に歪みます。
「あの、海老になることより。また遠く離れて鎮太郎くんに、ふへ、逢えなくなるのが、嫌だなあ・・」
「あはは、お前は何様の積もりだい。お前は存在するだけで迷惑なのだよ」
そう言って笑うと鎮太郎君は柳をホームから線路に蹴り落としました。
「ぎゃん」
柳は立ち上がると慌ててホームの方へ手を掛けて登りました。
鎮太郎君の目は息を切らした柳の方を向かず、遠くでボロボロになっていく案山子を見つめています。
「迷惑を掛けないように、ふへ、頑張るから。遠くは嫌だなあ」
鎮太郎くんは「ふん、都合のいいことを」と鼻を鳴らして言いました。
「お前は自殺の郷で海老になるのが嫌なのではなく、僕から離れるのが嫌だと言っているのだな? では僕が郷に移り住むのなら問題無いのかね。え?どうなんだい」
「うん、それなら良いよ」
柳はきっぱりと即答し、鎮太郎くんは沈黙しました。
「ぐひ、鎮太郎くん、郷に移り住むの?」
「そんな訳ある筈が無いだろう」
「ふへ」
ふと、遠くから汽笛の音が響きました。
蒸気と線路の接続が“タタンタタン”と鳴る音が近付き、周囲の草にびっしりと留まっていたイナゴが“ざざざあっ”と飛び跳ねます。
「やだなあ、離れたくないなあ」
「・・・」
スピードを緩め出した汽車はその一部を踏み潰しながら二人の立っているホームの前までやってくると停車して蒸気を漏らしました。
車掌が運転席から頭を真横に出し、「乗車?不乗車?」
と二人へ向かって言いました。
しかし二人は答えません。
車掌さんは頭を引っ込めて窓を閉めると「判断不乗車。卿等迷惑、帰宅希望」とブツブツと呟き、汽笛を鳴らしました。
汽車は再び動き始め、二人を残したまま自殺の郷に続く線路の道の向こうへ小さく小さく消えていきました。
汽車の気配が周囲から消えた後、ふと静寂の音に気づいた鎮太郎くんは、黙ってホームの上を改札の方へと歩き出しました。柳はその後を海老反りになってカサカサと追いかけます。
「あの、の、乗らなかったね」
柳の呟きに鎮太郎くんは応えず、ずんずんと先へ歩いていってしまいます。
柳はもしかして鎮太郎くんが自分を海老にすることを中止にしたのだろうかと思いました。
「鎮太郎くん、あの、どこに行くの。か、帰るの?」
「良いから黙って付いて来なさい」
改札を出て、鎮太郎くんは元来た道をずんずんと歩いていきます。
お墓の前を戻り、畦道を戻り、お墓の中を通り抜け、団地の前を抜けて、どんどんと戻っていきます。
そして、日も完全に暮れて闇が一層暗くなった頃に学校の前を通過しました。
柳は海老反りのまま、鎮太郎くんの脚が目指している先を見ました。
闇の中に更に深い漆黒の闇の塊が見えます。
二人の姿は黒杉山へ向かう道の向こうへ飲み込まれるようにして消えていきました。
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