狸と夜長のシャンゼリゼ

おやぶん

第1話

「ほら、まるでパリみたいじゃありません?」

 白い毛皮の手袋に包まれた指がスッと視線を誘導する。俺は釣られるように顔を上げた。

 ──北海道・札幌。国道三十六号線沿い。

 このまま北へ道なりに行けば薄野の雑多なネオンが待ち構える。現在地は都心の二キロ手前くらいだろうか。

 生活圏の明かりを左右に点在させる幹線道路の先で、ひときわオレンジ色に浮き立つランドマーク『さっぽろテレビ塔』がそびえ立つ。

「あー、エッフェル塔みたいですね」

 俺は隣を歩くファーコートの女の子が可愛くて、話が途切れぬよう関心ある風を装った。クリクリした黒目に、ふっくらとした唇。首をかしげてこちらへ話しかける仕草は愛嬌あいきょうたっぷりだ。

 十月末でしっかりと防寒している服装から察するに、道産子だとは思う。

 しかし──

 どのあたりから一緒に歩く流れになったのか? 思い出せない。



 俺が晩秋の札幌に来たのは出張のため。今晩は前泊を消化せねばならず、漠然ばくぜんと薄野あたりで晩飯にありつければと考えていた。ビジネスホテルに荷物を置き、タクシーを拾いに出るまで住宅街を縫うように歩いて三十六号線サブロクを目指した。

 軒先にガーデン装飾用の小人やら、ジョウロやら、狸の信楽焼が無秩序に並んだ一軒家を過ぎるまで一人だったのは憶えている。

 しかし国道に出る前には隣に彼女がいて、言葉も交わしていた。「ここからタクシーに乗るおつもりですか?」と訊かれ、てっきり相乗り相手でも探してるのかと思いきや。俺が目的地を告げた途端、彼女は俺の前に立ちふさがった。

「まぁ、薄野でご飯? あそこは歓楽街で、食を求めるなら狸小路がありますのに」

「狸小路?」

「ええ。商店街ですわ。もしわたくしで宜しければ、御案内しましょうか」

 ずいっと前のめりで見上げてくる彼女の黒瞳は、俺を強引に誘うだけのきもの太さと地元愛が、輝きになってあらわれていた。二つ返事に持ち込まれたのは、冬枯れ迫る空気が人恋しさを助長させたからか。

 彼女は此処からであれば歩く方が賢明だと忠告し、一緒に肩を並べ沿道を歩き出したところで、夜闇に浮かぶ鉄塔を指差したのだ。



 ただ、内心は困った。いまや東京タワーとスカイツリーが高層の景観を占める東京都民としては規模も照明具合も、感銘かんめいをうけるには今ひとつ物足りない。しかし彼女の機嫌をとるために、俺は饒舌じょうぜつになることにした。

「狸小路にはシャンゼリゼもありますのよ」

「花の都つながりで?」

「そんなところですわ。狸界隈で知らない者はいませんの」

「へぇ〜」

 国内でもパリをうたう場所は数多あまたある。それを踏まえれば、おおかた店名か通りの愛称といったところだろう。女子ならば地元がフランスにたとえられるのはトキメクのかもしれない。男には微塵みじんも理解し得ないのだけれど。

 そんなことを思いながら、歩くこと十分。

 年季の入ったアーケード街の入り口が懐かしさ八割、新しさ二割といった歩合で広がっていた。手前は舶来はくらいグルメが点々と店を構えるが、新参に大きい顔をさせまいと不動の老舗しにせが挟まる。

 雨避けの続く一帯に大なり小なりを詰め込んだ無法地帯、というのが俺の第一印象。残念ながらどこにもパリへのオマージュは無い。渡仏経験を問わずとも、パチンコ屋とメイド喫茶とドン・キホーテにエスプリは直感しなかった。狐につままれた気分あらため、狸につままれた気分になる。

 しかし街頭スピーカーから流れるリズムを、彼女が口ずさみ始めた途端。

(あ、あれ…──?)

 信号を挟んだ先にある商店街4丁目のアーケードが、現代的で飾り気のない覆いから、植物を複雑にしたアールヌーヴォー調に一変する。ファサード先端で鈴蘭すずらんの花をモチーフにした照明が、ひとつ、またひとつと幻想的に灯って見えた。

「ふんふふーん、さっぽろ♬」

 耳元に近いところで上機嫌な鼻歌。急に脇の下から絡め取られた俺の左腕に彼女の肢体がぴたりとくっついた。ちょうど前を歩く学生カップルが揃いで腕に巻く抱っこちゃん人形──この商店街のキャラクターなのか、やはり狸だ──と同じような感じで。

「美食の穴場は、通りに看板を出してませんの。こちらですわ」

 にわかにアムールの予感まで錯覚し始めながら、二人通るのがやっとの細い路地に入る。そこには鮮魚店直営の寿司屋が暖簾のれんを下げていた。

 ここに来る時と同様にちゃっかり隣を占めた彼女の接待で、飲む気のなかった酒にもつい財布の紐が緩んでしまう。そのじつまだ許容範囲だからいいかと気も緩ませた俺は「もう一軒紹介したい」と誘われ、断る文句を持たなかった。

 だが、そこから何件ハシゴしたのだろう。

 大尽風だいじんかぜを吹かせすぎたと後悔したとき。酔いは一周まわってあらがえない眠気に性質を変えていた。深夜の寒さも気にならぬほど横になりたい気持ちがまさり、どこで意識を失ったものか。子守唄に聴いていたのは商店街のテーマだったか、彼女の声だったか。



 ぽんぽこ、さっぽろ

 ぽんぽこー、さっぽろ

 狸小路は、ぽんぽこシャンゼリゼ♫



 ──明朝。ベンチで目を覚ましたとき。

 見上げたアーケードは、昭和レトロな鈍色にびいろのトタン建材に変貌していた。しかも屋根の真ん中は骨組みしかなく、材料不足で覆い損なったのかと悪推する。すっぽ抜けた部分からのぞく空はすでに明るく、したたる朝露が街路に水溜りをつくっていた。

(なんだこれ……夢の続きか?)

 そう思って一つ前の区画を振り向いたが、6丁目より向こう側はすべて近代的なルーフがつらなり既視感きしかんのある店構えを見せていた。

 どうやら7丁目という場所は概して昭和のおもむきを残しているらしい。多少は不得要領が氷解したが、無論、彼女の姿は消え失せていた。

 俺の上着にはファーコートの名残だけがペットの毛よろしく付着している。リアルファーだったようで、今となっては虚しくただよう酒精と獣臭さを纏いながら、俺は狸小路を引き返した。


 その道すがらで。

 5丁目にある狸大明神社の狸地蔵が、一夜の経済貢献をもたらした者に感謝の意を表して可愛らしくウインクしたことを、俺は知らない。

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