「忘れ去られた四季」片足のスプリンター
さかき原枝都は(さかきはらえつは)
「忘れ去られた四季」片足のスプリンター
春の訪れ
東京で起きた事故。それは私の人生を大きく変えた。
東京暮らしの私は秋田県の県南部、田んぼと山しか見る事の無いようなこの地で生活をすることになった。
わたしには春の訪れはもう来ない。
稲刈りの終わった何もない田んぼの様に私は、私のすべてを失った。そしていつも迎えるのは、あの厳しい冬の寒さだけだった。
私の冬はとても辛くて悲しい冬だった。
秋田の冬は雪ですべてが埋もれる。
何もかもが真っ白な白い雪で隠されてしまう。
あの時の私はそれでもよかった。
あのまま一生私の中では雪が降りつもり、私の悲しみや寂しさ……そして虚しさを隠してくれれば、それでいいと思っていた。
秋田県の平鹿盆地の冬は全てが雪の中にうずもれてしまう。
ごとごと……
舗装されていない田んぼの農道をお母さんが運転する軽トラックが田植え真っ最中の田んぼの間を進んでいく。
横を見ると、真面目な姿、と言うよりはかなり緊張しながら、田植え機に乗って稲(イネ)を規則正しく植えている佑太(ゆうた)の姿が目に入る。
「佑太ぁ。タバコだよう」
私は軽トラの窓から大きな声で佑太に叫ぶ。
彼はなんとかその声に気づき、ぎこちなく手を上げる。
「こらぁ佑太ぁ。気ぃぬぐなぁ。曲がってくんぞ」
お父さんが佑太に激を飛ばした。
「あはは、佑太の奴あんなに緊張して、それでもあんたの声に答えようとして可愛いとあんじゃん」
お母さんが笑いながら私に言う。
「そ、そんなぁ。だって初めてなんだよう佑太。ちょっとは応援してやんないと」
「あら優しいこと」
その言葉に少し顔を赤らめてしまう。
「ふう」
佑太の乗る田植え機は何とか田んぼの「クロ(田んぼの区切)」のところてまえでくるりと向きを変えた。
「はい、お疲れ様」
私は田植え機の後ろから佑太に冷たいタオルと飲み物を手渡した。
「お、サンキュー。佑美(ゆみ)」
「どういたしまして、頑張ってんじゃん」
「まぁなぁ」
そんな私達二人を見ながらお母さんは
「さぁ、佑太も佑美ちゃんもこっち来てお菓子食べなさい」
と、私達ち二人を迎え入れる。
いま、5月の中旬からこの地域の田んぼではどこもかしこも田植え機の音がしている。
梅雨に入る前の春の日差しが少し強く感じるようになる季節。 ちょっと天気がいいと暑く感じるくらいだ。
ほんの少し前まで、あれだけあった雪は一気に溶け出し、今は見る影もない。
そして何も無かった田んぼは新たに土を掘り起こし、水を張り、新しい稲を植えこんでいく。
黒い田んぼの水に反射する陽の光。
その中にうっすらと見え隠れするような淡い感じの稲の緑。
新しい命の源が今、この田んぼに植え込まれている。
新しい命。
新しい人生。
私の長く辛い冬は、雪解けとともに終わりを告げた。
私と佑太は田植えが終わり、あの真っすぐに突き進む夏を迎える前。
そう来月、六月に結婚をする。
今の陽の光は私たちをほのかに暖かく包み込んでくれる。
いいえ、私は……彼の暖かさに包まれている。
佑太は私の雪を、私の心の氷を溶かしてくれた。
あんなにも辛く悲しい私の氷の心を。
ううん。
佑太だけじゃない。
お父さんにお母さん。おじいちゃん、おばあちゃん。
学校の先生に友達。
そして、私の周りにいる地域の人たち。
みんなが一生懸命に私を支えてくれた。
だから私はまた向かう事が出来た。
私が一度本当に諦めた。
私が本当に好きだったこと。
風を切り、ゴールを目指してトラックを走り抜くこと。
例え左足のない。
例え、片足だけの人間でも……
思いっきり、トラックを駆け抜けるスプリンターとして復活できた。
私は忘れていた。
四季という季節の演出を。
冬は何時までも続かない。
やがて必ず春がやってくることを。
そしては私は今初めて知った。
冬は辛くて寂しい季節なんかじゃない事を。
雪の降る時ほど人の心はとても温かくなるんだってことを。
だから、冬は人の心を豊かにしてくれる。
厳しい冬だからこそ、より心は温かさを増してくる。
そして、冬がなければ、春の喜びを感じることもできない。
桜の花びらが咲き誇り、粉雪の様に舞い散り
やがて薄っすらとした新緑の葉が宿いその姿を見出す。
春は全ての生きている者たちの命を吹き返す。
何もなかった田んぼに新たな命の稲を植え込み育て秋に収穫できるように。
いずれ、私達にも新たな命が宿ってくれるだろう。
人生にも冬があるからこそ、そのありがたみとその意味を感じることが出来るんだと思う。
新たな命と共に……
私は、また走るだろう。
例え片足なんか無くたって、実際に走ることが出来るんだから。
「想いは必ず形になるんだよ。佑美お姉ちゃん」
佑太の弟。
春(シュン)君は最後に私にそう言ってこの世から去って行ってしまった。
彼の分。
春君の想いの分まで、私はスプリンターとして走り続ける。
そして私の左足として、私を支えてくれる
私の最愛の佑太と共に。
二人の二人三脚はこれから始まる。
長い時の間。
「大丈夫?佑太。途中で嫌になんない。こんな片足の私なんか」
「馬鹿野郎。俺は……ロ、ロング・ディスタンスランナー(長距離走者)だ。見くびるんじゃねぇ」
「何カッコつけちゃって。マラソンランナーだって言えばいいでしょ」
「うっせぇ。お前の前でカッコつけて何が悪い」
「そうね、私の旦那様」
共にあと三年後の二千二十年の東京オリンピックに
「一緒に出ようね。佑太」
「あたりめぇだ、佑美。俺は何時までもお前の左足何だからな……」
「………うん」
「忘れ去られた四季」片足のスプリンター さかき原枝都は(さかきはらえつは) @etukonyan
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