第七幕/終わりのその後
駅までアイツを迎えに行く、その車中での事。僕は意識して、アイツとの関係が決定的となってしまった場面を思い出そうとしている。それはたしか、そう。ぽかぽか陽気だった昼休み終わりの学校。教師に指名されて朗読するクラスメートの声。窓から見える限りにおいては平和な町並み。そして、ぽけたんとしている僕。
ぶるるる。
ぶるるる。
そんな時、それは突然と言えば突然で、突如と言えば突如な事。パンツの右のポッケの中で今の今までじっとしていた僕の携帯電話が、我が身を懸命に震えさす事で僕に着信ありという状況を知らせようとした。
私、オーバーヒートしそうです(笑)
アイツからのメールだった。それがアイツからでなければ、そうしてメールを打てるくらいなのだからコールするくらいには切羽詰まっていないのだろうとか、連絡する余裕がないワケではないのだろうとか、たぶんきっと楽観的に構えてスルーしたかもしれない。そのままぽけたんとしている方を選んだかもしれない。いいや僕の事だしきっとそうしていただろう、けれど。でも、相手はアイツである。括弧して笑いと最後に入力されてはいるものの、その精神状態は自滅へ向かう自虐を展開中だと直感した。自身が崩壊まで残り僅か数ミリの状態に陥っていればいるほど、今は授業中だからコールは自重しようとか、マナーモードにしているだろうけれどでももしもたまたまそれを忘れちゃっていてそんな時にかけちゃったりしてそのせいで迷惑かけちゃって嫌われちゃうかもしれないとか、マイナスな事態にマイナスを上乗せしてしまうのがアイツだ。つまり、そんなアイツからのメールなのだからそれがコールだろうとメールだろうと何だろうと、僕を必要とする何かが巻き起こっているに違いないという事だ。
つまるところ、
早く行かなければヤバい。
「すんません! 早退しまぁーす」
なので僕は、急激に膨らみ続けて最早それは焦燥ではなく動揺にまでになっていた感情のまま、駆け足とイコールな急ぎ足で教室を後にしながら、ぽちぽち。と、携帯電話でアクセス。勿論の事。と、言うのは些か申し訳ない気もするのだけれど、早退の意を示してそれを実行するまでの間にイエスか或いはノーかの確認はしていない。
1コール、
2コール、
3コール、
4コール、ぱちっ。
『ゴメンなさい………ひんっ』
その声が耳に届いた瞬間、かなりマズいかもと思った。何故かと言えば、アイツの声が予想を大きく上回った震えを帯びていたからだ。たぶん、オーバーヒートしそうどころか既にオーバーヒートしている。やっぱりそうだ、状況はサイコパスまっしぐらといった感じだ。
「今、何処?」
努めて優しく訊く。
『私、もうダメです………』
「今から行くから、何処?」
危険領域に達しているアイツに、努めて優しく繰り返す。慎重に慎重を重ねて更には上乗せして、足して、増やして、それでもまだまだとばかりに加える。けれど、それだけ積もり積もらせてみても安心感なんて少しも芽生えてはこない。つまるところの所謂ところ、僕は最後の砦というプレッシャーとも対峙しなければならなかった。
『ゴメンなさい迷惑かけてばっかりで私』
「気にしなくて大丈夫だから。ホントに」
『ゴメンなさい私いつもこんなで私』
「直ぐに行くから落ち着いて、ね?」
『ゴメンなさい………』
「うん。何処に居る?」
まず落ち着こうとアイツに、
そして自身に言い聞かせる。
『日和見神社、です』
「ん、え、日和見?」
どうしてそんなトコに?
まさか………また、か。
別のイヤな予感がした。
『ゴメンなさい、私………』
「1時間くらいで行くから」
『私いつもこんなで私は』
「だから、待てるよな?」
『でも学校が』
「待てるな?」
『………はい』
「よし。オレが行くまでジッとしてろ。オレの事だけを考えて、オレだけを必要としてろ。イイな?」
『迷惑ばっかりかけてホントにゴメンなさいでも、でも嫌いにならないでください』
「うん。嫌いになんかならないから。だから、何の問題もない。おっしゃ、バイクんトコに到着したぞぉー! 今からずばばばんって行くから、心待ちにしてなさい」
大袈裟すぎるくらいのテンションで今から行くという事を告げ、アイツにその姿を想像させようとした。少しでも此方の方に意識が向くように。
『はい………待ってます』
「おう。愛する夫の帰りを新居で待つ新妻の気分で待っててくれたまえ」
そして。すぐにマイナスの方へと考え込んでしまうその思考を、甘い妄想で遮断させてしまおうとした。
『えっ、あっ、はう、う』
「ほんなら、すぐ後でな」
よし、効果あり。後は一秒でも早く合流し、アイツを独りにはさせないように守る。場合によっては守るイコール蹴散らす事になるかもしれないけれど、アイツを守る為なら赤色とだって勝負してやる………そう、この頃の僕はまだ濃くなりかけの黒色くらいのレベルまでならなんとか独りでもという程度の実力だった。それでも祓魔師として充分にトップランクだし、守護天使のチカラは他を圧倒するものだったのだけれど、僕はまだ使いこなせるに至ってはいなかったという事。
ぽち。
ふうぅ………く。
と、いうワケで。
何度目かのエスケープ。
その日もそうして、学校を後にする事になりましたとさ。もうこの頃には祓魔師としての活動もそれなりに多くなっていたので、授業の途中で緊急出動なんて事もそこそこあったのだけれど、そうなのかそうではないのかなんて事は学校側にとっては、って言うか授業をしている先生にとっては後にならなければ判らない事。素直で良い子な言うこときくヤツなんていう可愛い生徒ではなかった僕は、つまるところ不良のレッテルを貼られまくりだった。教会の人間のクセに、なんていう付属も助長していただろうと思う。正直に言えば、ただのサボりも結構あったし。なので、このペースが続いていたら単位すらヤバいところだった。けれど、仕方ない。それでもアイツはほっておけない。スルーなんてするつもりはない。これが僕の優先順位なのだから、僕以外の誰のせいでもない。僕が覚悟すればイイだけの事だった。
急いで行くから、
だから………負けんなよ。
そう願いながら、
僕はバイクを走らせた。
………。
………。
聞いた話しでは、アイツはコインロッカーベイビーだったそうだ。そして、そんなアイツを見つけた女性が、我が子として育てようとしたらしい。けれど、その女性に子供が宿った。諦めていた実の子が。その結果あまりにもな話しなのだけれど、代わりでしかなかったアイツはその存在の必要性を失い、虐待の日々が始まった。そして散々な毎日のその挙げ句に再び捨てられてしまった。それでも嫌われないように頑張ったし、だからこそ理不尽な仕打ちにも耐えてきたのに、それでもそうなってしまった。この事で壊れてしまったアイツを、ドリーのオッサンが保護した。そして、身元保証人として預かり、アイツは僕等が居る施設で生活する事になった。
それが、僕等との始まりだ。
因みに僕の方はというと、実のところよく知らなかったりする。けれど、テメェーちゃん曰わく僕の父は彼にとって兄のような存在で、母は憧れの人だったらしい。僕に宿る光は上級天使が放つ光。と、いう事は。僕の父親は堕天使だったという事になる。今にして思えば、案外とテメェーちゃんもそうだったのかも………人外だったもんね。宿る光から何からが。今頃になって気づくなんて僕は相当の、いいや。そんな事はどうでもよかったんだ。だって、家族だから。
家族………か。
ま、それは兎も角として。
僕等が最初にアイツと会った時、アイツは傷だらけの状態だった。そして時間が流れ、傷や傷跡が全て消えても、その心はトラウマを抱えてしまう程にボロボロのままだった。
だからなのだろう、
いつも怯えていた。
言われた以上の事をしようとする、そんな聞き分けの良い子供を一生懸命に演じようとしていた。けれど、人を信じようとはせず、憎み、妬み、寄り付かせず嫌っていた。だから、ずっと葛藤していた。ずっと苦しんでいた。ずっと悩んでいたし、ずっと戸惑ってもいた。僕等が育った施設は心の底から安心して暮らせる笑いが絶えない賑やかな空間だったので、思っている事と感じている事のギャップが手に負えなくなっていたんだと思う。当然と言えば当然まだ子供だった僕でも、その子供心でだってそれは何となく判った。
だから僕は、アイツと誓いをたてた。絶対に裏切らないと。そして、信用してもイイと思うなら傍に居て心を開けと、信頼デキないと思うなら傍に居て本当にそうか確かめろと、アイツにそう告げた。
絶対なんて絶対にない。
そんな矛盾を拭う為に。
はたして決め手がどっちだったのかは今でも判らないのだけれど、それでも僕の真剣な誓いは伝わったようで、それからのアイツは僕の傍から離れなくなった。
大切な妹が一人増えた。
家族がもう一人増えた。
そんな感覚だった。そう、家族みたいなではなくて、正真正銘の家族だ。こうして僕等は、殆どの時間を共有しながら生きてきたのだ。
それは今も、そしてこれからも、
ずっと、そうなる筈だったのに。
………。
………。
僕が駆けつけた時、アイツは境内の裏で小さくなって固まっていた。ぴくりともせず座っていた。そして、ベッタリと血まみれだった。その血の色は赤、ではなく。更に、その周りに血みどろでグチャグチャの物体がたぶん五~六体ほど転がっていた。そしてその物体の血の色も勿論の事、赤ではない。たぶん五~六体だと表現が曖昧なのは、どれがどれのどれなのか原型らしき原型を留めていなかったからだ。つまるところ、括弧して笑いどころの様相ではない。その形状だけを言えばまるで、こねこねと泥んこ遊びをしていたのだけれど水分多くしすぎてべちょべちょになっちゃった、みたいな。何を持ってどのようにヤッたらこんな惨状が出来上がるんだろう? 僕が知るかぎりにおいてではあるのだけれど、ここまでの凄惨な状況というのは今もまだ見た事がない。
兎にも角にも、
僕は慌てて駆け寄った。
「私、ヤッちゃいました」
眼前すぐ近くまで寄ってみて漸く判った事。それは、アイツが殆ど無傷であるという事だった。返り血だらけでアイツの血つまるところ赤い血は、せいぜいかすり傷から滲み浮かんでいるくらいのもの。ぶっちゃけ完勝と言っても過言ではなかった。
「また囁きにあったのか?」
とはいえ、傷ついている事に違いはない。例え身体が無傷に近い状態であったとしても、その心は………うん。
「私、抑えられませんでした。ドロドロがどうしようもなく噴き出してきちゃって、だからこんなにもゾロゾロと出てきちゃって、でも私はあっちになんか行きたくないから、傍に居たいから、でも囁いてくるのをヤメてくれないからそれで、それで………やっぱりこうなっちゃいました」
「そ、っか………うん」
「気づいてたんですね」
「え、っ………と」
僕を焼きつけようとしているかのようなその瞳は曇り、微笑みを見せ続けようとしてはいたのだろうその表情は淀み、伝えようとしているのだろうその声は暗い。そんなアイツが、ぽつり。僕はそれへの答えを見つけられなくて、ただただ逡巡するだけとなった。
「だって、また、って。言いましたもん」
そんな僕にアイツは、ほぼ正解なヒントを与える。
「えっ………あっ」
しまった。と、思った。
また囁きにあったのか?
たしかに、そう言った。
言ってしまったからだ。
「知ってたんですね」
「いやその、それは」
僕は知っていた。けれど知らないフリをしていた。それで約束をしたのだ。ストッパーになれたら、と。僕等はかけがえのない家族で、その世界はとても心地よくて、だから失いたくないと思ってくれるように。絶対は絶対にあると感じてもらえるように。それなのに、僕は口を滑らせてしまった。
「いやそ、だから………」
僕が知っているという事をアイツが知ってしまえば、今までの僕の言葉の全ては憐れみだったんだとしか受け取らなくなる。そして最悪の場合、試しているとか遊ばれているとか、或いは監視されているとかいった感情が芽生え、その感情にしか耳を貸さなくなってしまう。
「悪魔の子だって思ってるでしょ?」
だから、こうなる。
「いつボロを出すか、笑ってたんだ」
故に、こうなる。
「今だってホントは、私の事………」
こうなってしまうのだ。
「疑ってるんですよね?」
こうにしかならないのだ。
「こんな事までし」
「そんな事ないよ」
どうせ信じてはもらえない。
「そんなのウソだぁー!」
「ウソなんかじゃない!」
それが、辿り着く答え。
「ウソだウソだウソだ!」
「そんな事、ないから!」
何もかも諦めてしまうのだ。
「ダウトです!」
「ホントだよ!」
「ダウっ、ん?!」
「違うから………」
僕はアイツを、ギュッと抱きしめた。もう言葉だけでは、それだけではどうにもならないと思ったからだ。いくら感情を乗せて僕の本心を伝えようとしてみても、そもそもが口下手な僕では心に届かせられない。だから、残された手段は行動しかなかった。
「あう、ウ、ウソだ………」
「違うから。ウソじゃない」
抱き締めていた手を肩に添える。
「騙す、つも、り、でしょ?」
「違う。ホントに大切なんだ」
そして、見つめる。
「えっ。あ、はう、う」
「オマエは大切なんだ」
見つめ続ける。
「ホントに、ですか?」
「うん。ウソじゃない」
強張りが抜けていくのが判った。
「大切、ですか?」
「うん。大切だよ」
指で頬を撫でる。
「嫌いにならないですか?」
「うん。なるワケがないよ」
頬に手を添える。
「はう、う………ひんっ」
「ずっと一緒にいような」
額と額を合わせる。
「………はい」
「よし………」
そして再び、抱き締めた。
このまま壊れさせるもんか。
絶対に、壊れさせはしない。
だって、
大切な家族なのだから。
「オマエが嘘をついてきたのはさ、それが望んだ世界だったからだろ? 望んだ世界を守る為に、選んで、臨んだ。いつも不安だったからだよな? 失いたくなかったからだよな? だからオレは、それならその世界の住人になってやろうって思ってたんだ。誓ったからな。裏切らないって」
「ふえっ………ひんっ!」
アイツがしがみついてくる。
「オマエはさ、うん。傷つきすぎたんだよ。出会った時にはもうボロボロで、今もまだボロボロのままだ」
「ひぐっ、うっ、うぐっ、うぐ」
僕は更にギュッと抱きしめる。
「だけど頑張ってるよ。凄い頑張ってるよ。負けるもんかって、オマエは頑張ってる」
だからもう全部、
全部吐き出しちゃってイイよ。
「私、もうヤダよぉー。死にたくなんてないけど、でも! でも、私、私………こんなのもうイヤだぁあああー!」
アイツが感情を晒す。
「ゴメンな。オマエが安心して心を開けるようなヤツになれなくて、ホントにゴメンな」
僕は心を伝える。
「うううっ、ひんっ! うぐっ、ぐっ、うっ、ふえええぇーん!」
「ゴメンな………」
このままだといつかきっと完全に壊れてしまうだろうなと思った僕は、今度は杖になろうと思った。魔法の杖というほどに便利にはなれなくても、それでもせめてアイツが倒れるのを防げるくらいにはなりたいと思った。寄りかかる支えが必要だとアイツが感じた時に気軽に頼れる、そんな杖に。遠慮なく用いる事ができる、せめてそんな杖に。
………。
………。
それから僕等は、共に夜を過ごし、二人きりの朝を迎えるに至った。温めるにはどうすればイイのか、止めるにはどうすればイイのか、結局のところ僕にはそうする以外の事が思い浮かばなかった。目を覚ました時、アイツは恥ずかしそうに、けれど柔らかな微笑みを見せた。
その表情は、何となく………。
女の子ではなく、女性だった。
「あっ、その、おはようです」
「おう、起きたか。おはよー」
アイツはこれまでずっと、悪魔の囁きに苦しんでいた。どこからともなくワラワラと出現しては、アイツを引きずり込もうとしてきた。
『オマエは人間を信じられない。それはオマエが我々と同じ悪魔だからだ。憎いんだろ? 羨ましいんだろ? そう思うオマエは悪くない。オマエは正しい。オマエを捨てたのは人間だ。オマエが悲惨な毎日を生きている時に、人間は何もしてくれなかったんだからな。オマエの気持ちは痛いくらい判るぞ。それどころか、だ。そんなオマエと違って、いつだって笑顔で楽しく暮らしていたのも人間だ。オマエは人間に復讐したいんだろ? 同じ苦しみや悲しみを与えたいんだろ? だったらチカラを貸してやる。強大な力をその手にしろ。人間どもがもがく様子を見ながら、共に笑おうではないか。こっちへ来い。こっちに来てラクになれ。全ては人間どものせいだ。オマエは何一つ、悪くない。何一つ、だ。こっちに来れば、こっちに来さえすれば、オマエの望みはいくらでも叶うぞ。俺達が手を貸してやる。さぁ………どうだ?』
けれど、アイツは抗った。
そいつ等と、
そして自身の心と闘ってきた。
「いつだってユメお兄ちゃんは、私の味方をしてくれました。みんなも私に優しくしてくれました。だから怖かった。私は何の取り柄もないですから。ただのお荷物ですから。だからいつか、邪魔だって捨てられちゃうんじゃないかって。また捨てられちゃうんじゃないかって、いつも脅えてました。だから嘘をついて、良い子でいようとして、バレたら嫌われちゃうからまた嘘をついて………ゴメンなさい。私、みんなの事も大切だと思ってますけど、ユメお兄ちゃんはもっともっと大切なんです。だから、お兄ちゃんにだけは嫌われたくないです。嫌いにならないでください………私を捨てないでください! 私、ユメお兄ちゃんの言う事なら何でもします! だから、だから、お願いです!」
アイツはそう告げると、ギュッとしがみついてきた。ありたけの力で、僕に。
「何でも言う事をきいてくれるのなら、これからはイヤな事はイヤと言おう。違う考えなら、こうしたいとかこう思うとか言おう。それでその上で、じゃあどうしようかって話し合おう。まずはそこから始めようか、どう?」
アイツに告げられた時、たしか僕はそう言ったと思う。二人で朝を迎えておいてこういうのは間違っているのだろうけれど、それは家族としてという意味だったし、アイツもそういう意味で言っているのだろうと判ってくれていると思っていた。まだガキだった僕は、本当にそう思っていたんだ。家族愛と恋愛。似ているようで違う、愛の形。これはたぶんなのだけれど、家族としての感情よりも先に、愛情とか恋情とか友情とかいう想いの方が先に芽生えていたとしたら………うん。
なんて、
言い訳にもならないよね。
「大好きです………」
アイツが何度そう言ってきても、そう告げてくれても、僕はそれを家族としてのそれだと本当に思っていた。その後もアイツが不安になる度に共に夜を過ごしたのだけれど、それでもそう思っていた。そうとしか思っていなかったというワケではないのだけれど、そうすれば目に見えて明るくなるから、そう思い込もうとしていた。
それから後、何度そうしたか判らなくなる頃には感情を表に出すようになり、冗談も言うようになり、表情や声色が豊かになっていた。自身が持つトラウマによって生じてしまう暴発ではなく、悪魔という存在にキッチリと対峙した上で立ち向かえるようにもなっていた。そしていつしか、言葉遣いや礼儀といったそれまでは努めてそう見せていた事を自然体で出すようになっていた。家族が元気になっていくのは嬉しいものだ。家族みたいな、ではなく。家族。なので、何度夜を共にしても………アイツとは兄と妹という関係を逸脱するような事は一度もなかった。
そして、現在に至る。
………。
………。
目的地、周辺です。
「そろそろ、か」
機械的で事務的な音声が耳に届いたのとほぼ時間を同じくして、駅の外観がちらりと見えてきた。さてさて、空いているパーキングエリアはどこに? と、画面を探す。
それにしても。
「どんな顔すりゃイイのやら」
あの若さでのこれからが良い方向へと進んでくれるのかどうかは判らないのだけれど、今の僕はあの頃のまだガキ世代ド真ん中な僕とそんなに変わっていないようにも思う。それでも今の僕なら判る。流石にこの展開は………神にも天使にも見捨てられただろうなぁー。
僕の言葉が誤解を生んで。
僕の行動が拍車をかけた。
全ては、僕のせいなんだ。
僕が祓魔師として忙しくなっていくにつれて会う頻度は随分と減っていったのだけれど、心配だったからなるべく会いに行くようにはしていたつもりだし、逆に向こうから来たりもしていたし、たった一度の逸脱さえなければこうはならなかった筈………。
『いやぁあああー!』
あの時の声は、まだ。
この耳に残っている。
そうだ。声が、耳に。
手枷に足枷に、猿轡。
それなのに、
まさかだよなぁ………。
………。
………。
アノ人の到着を今か今かと心待ちにしていると、私の脳裏に昔の事が浮かんできた。それはまさしく、不意にという言葉がピッタリ当てはまる瞬間だったのだけれど、漸くこの場所に立てたという多大な高揚感と、その為に仕方なく犠牲になってもらったという多少の罪悪感が絡み合っていたからこそなのかもしれない。
昔の事とは勿論の事、
アノ人との大切な事。
アノ人とは勿論の事、
私、の………でへへ。
………。
その映像の始まりは、私がまだドロップアウトする前、同じクラスのとある女の子と大喧嘩を繰り広げてしまったシーン。睨み合い、罵り合い、押し合い、掴み合い、引っ張り合い、そして引っ掻き合い、更には叩き合う。何回も、何回も、何回も。勿論の事………って言うのも変な言い方なのかもしれないのだけれど、私が圧倒的に優勢だった。自慢にはなりませんけどかなり強いんですよね、私って。けれど、完全なる決着はつきませんでした。誰が呼んだか聖職者、私への皮肉ですか? な、教師連中のご登場によって私達はすぐさま引き離され、そのまま生活指導室へと強制連行されてしまったので。
その時の喧嘩の原因は、孤児だの捨て子だの何だのってバカにされたからでした。それでどうしてだか、ううん。隠す必要もないですね。我慢の限界でキレちゃったんです、私。でも、私がキレたのはそれが全てではなくて以前からの積み重ねでしたから、だから我慢の限界。それがたまたまその時だったという事です。例えば髪の色をからかわれたり、靴を隠されたり、散々に好き勝手な事を言われたりされたりしてたですし、些細な事から重大な事まで他にも沢山、もっともっとあったので。
でも、正直に言えば孤児とか捨て子とかいうキーワードが実のところコンプレックスだったので、そのワードの登場にだけはシカトするとかスルーするとか我慢するとかといった振る舞いを見せる事が難しく、ぐわっと沸騰した感情をそのままぶつけてしまいそうになる場面が皆無だったというワケではないので、たぶんこれ等のワードが登場しなければまだ暫くは我慢デキたかもしれません。
今になって思えば、
どうでもイイ事ですけどね。
あ、キレましたとはいうものの勿論の事それでも、手加減はしましたよ。だって、そうしないと殺してしまうですからね。それまではそういう事情もあって抵抗しなかったので、今回も抵抗とか反撃といった事はないだろうと向こうは思ってたでしょうし、私も我慢するつもりではいたですが、残念? ながら、爆発してしまいました。たしかに暴力はイケナイ事です。でも、向こうが仕掛け続けてた事です。だから悪いのは向こうです。それなのに。それなのに先生は私だけに原因ありと決めつけて、私が何を言っても聞く耳を持ってはくれず、一方的にどやしつけてくるだけでした。原因は全て、私。そうですよね………たしかにそういう捉え方もできます。発せられたそれはもう悪口ですよというその内容で圧倒的に多かったのが、私の家庭環境についてでしたから。
実際のところ、私の事を気に入らない理由は容姿や態度とかだったのでしょうが、それ等についての悪口はたぶんきっとオマケで、精神的に傷つけるには家庭環境の事の方が効果的ですもん。だから、そこを突いてきたんじゃないかな、と。とは言うものの、先生が言っている事はそういう事のみではなく、どうせ私から仕向けたんだろっていう理不尽で不公平な仕打ちでした。それも、平然と当たり前のように。よくよく考えてみれば、とあると表現した向こうは先生お気に入りの生徒。更には理事長の愛娘です。一方のこっちは、気にくわない生意気な落ちこぼれの孤児です。何を言っても耳を貸す素振りすらないのは当然です。しかも、向こうはそんな空気にちゃっかり乗って自分を正当化してくる。そういった意味で言えば、この喧嘩の勝敗なんて実は喧嘩する前からとっくに決まってたんでしょうね。つまり、私はハナから悪者扱いなんですよ。すっかり慣れていましたけどね。やっぱりそうなんだって感覚だったんですけどね。外見は似ているのだけれど間逆なんですよ、私。可愛げがないですから。皆無ですから。
アンタ達なんかの言う事にまで、
どうして従わなきゃなんないの?
って、態度だったですから。
でも、傷つかないワケではない。そうなる事に対して抗ってみる事を諦めただけで、先生や向こうの言葉はズサズサと私を斬り刻んでいました。心を狙って何度も、何回も攻撃してくるから。だから私、結局のところ強がって隠していただけなんです。耐えていただけなんです。頑張っていただけなんです。だって………どうせ、判ってなんかもらえないですから。私の居場所なんて、あの学園にはありませんでした。この学園の生徒である事をヤメてしまえばイイのにってさえ思われていましたし、うん。
悔しかったし悲しかったのだけれど、きっと私はそう思われても仕方のない存在なんでしょうね。私の価値って何なのだろうか? 私に価値なんてないのだろうか? どうして私ばっかり、いつも、いつも。
「お邪魔しまぁーす」
私が涙を我慢デキそうもなくなったその時、扉が開くガラガラという音がしてすぐ後、聞き慣れた声が背中越しに聞こえました。場の空気に対して挑戦状でも叩きつけようとでもしてるかのような、緊張感のまるでない明るく大きな声色。でもそれとは裏腹に、少なくともご機嫌ではないという事はすぐに判る声質。それプラス………ノックせずにガラガラと登場したその態度。
間違いないと思いました。
ものすごく怒ってるです。
それに気づいた瞬間から、私は緊張に襲われました。でも、わざわざ振り返って確認しなくても声だけですぐに正体が判ってもいた私は、その存在の予期せぬ登場に少なからずな大きさで安堵してもいました。厄介なドリーおじさんあたりが来るもんだとしか予想していなかったですから。てっきりそうだとばかり思っていたから、今回の原因を知ったら私の事をどう思うかなと思ってました。施設では良い子を演じてきたのに、これでみんなに嫌われちゃうかもしれません………どうしよう! そういう不安でいっぱいでした。
そんな中、
アノ人の登場です。
「よっす」
この頃はまだユメお兄ちゃんと呼んでいた予期せぬアノ人の登場に、そこに居る全員が緊張し始めたのが判りました。アノ人って謙遜しているだけで、あの頃もう既にかなり有名な、ふつ、ふつま、ふ、えっと、えっと、あ、エクソシストさん? でしたからね。それも、黄色さんですから。
「ど、どういう事でしょうか?」
緊張が大きかったからなのでしょう、先生は私に対して敬語で話しかけてきました。
「どういう事も何もお知り合いを通り越してオレの家族ですよ、家族。か、ぞ、く。同じ施設なんだから知ってるに決まってるし。だから来たに決まってるっしょ?」
でも、答えたのはアノ人でした。
「そそそ、そうですよね失礼しました」
アノ人のプレッシャーに、あからさまに動揺する先生。そんな姿、初めて見ました。
「で、お説教は済んだ?」
「えっ………と、ですね」
「あれ? アンタ、たしか理事長さんの」
「先日は大変お世話になりましたぁー!」
途中からアノ人に話しかけられた理事長の娘が、尊敬の………ううん、あれは憧れの眼差しだったかな。兎にも角にもそんな感じでアノ人に返す。以前、アノ人が悪魔を倒す場面を目の前で見たとかなんとかで、ツーショットの写真をゲットしたってかなりはしゃいでたもんね。凄いカッコイイんだからって………私でさえそんな写真は一枚もないのに。でも、アンタなんかにあげるつもりなんてないですから。
「で、どうなの?」
自ら話しかけておいて、アノ人は理事長の娘をサラリとスルー。直ぐに先生に向き直り、話しを戻す。此処等あたり、流石ドSです。
「ん、え、えっと………何か?」
「だ、か、ら、説教終わった?」
「えっと、あの」
「だったらさ、この続きはオレがこの後たっぷりするって事でイイ?」
先生がしどろもどろなので、理事長の娘に向き直るアノ人。静かな怒気というか、威圧感全開で。
「はい! かまいません!」
理事長の娘が即答する。瞳がキラキラしていて、完全にヤラれている。スルーされたのに。
「じゃあ、うん。帰るぞ」
言うや否や、アノ人は私の腕を掴んでさっさと出ようとした。
「あうっ、はははい!」
実のところ、他人の事は言えません。私もかなりビビってました。アノ人は滅多やたらに怒る人ではないし、誰よりも優しい人なのだけれど、怒ると凄い怖い。私が思うに、たぶん最強で最恐のエクソシストさんです。
きっと私はたっぷりと、
怒られるんだろうなぁ。
………。
「めちゃんこ怒られるかと思ったです」
でもアノ人は帰り道、何事も無かったかのようににこにこ、更には鼻歌まじりでした。
「え、オレに? 何で?」
私の感想に対し、アノ人は拍子抜けするくらいのテンション。
「で、その後に翠子お姉ちゃんとか、テリーさんとか、ドリーおじさんに、と………」
私はというと。これでみんなに嫌われちゃうのかなってずっと怯えていました。泣く寸前でした。居場所がなくなってしまう事が、怖くて怖くて仕方ありませんでした。
「ふぅ~ん。生憎、なのかどうかは判らんけどさ、大人だから年上だからといってなんでもかんでも上から目線で年下をどやしつけてもイイんだなんて考え方は、オレが愛用してる辞書には載ってねぇーんですよ。さっきのさ、文字どおり先に生まれただけっつぅー感じのアイツ、所謂ところのセンセーさんと、このオレ様。を、同じ扱いにシテんじゃねぇーよ。オレにだってな、プライドってもんはあるんだぞぉー」
きっとアノ人は、私を安堵させようと思っているに違いない。って、直ぐに判りました。
「許容範囲が広いと評判のユメお兄さんでも、アレはダメですたか」
なので私は、その優しさに甘える。そして、それを表すものとして口調を変えた。ううん。戻した。
「さすがにアレはNGだろ。だってアイツ、なんかさ。立ち位置を利用して己のストレス発散と解消を目論んでる感じがしたもん。勝手にそう決めつけたらイケナイとは思うけどさ、そんな感じに見えちゃったんだよね。ま、オレでも叱る事がデキる内容ならな………あ、そうだ。一応は説明しとくけど、怒るじゃなくて叱る、な。んで、そういう類の事であるならそうするが、如何せんオレがどーこー宣えるモノではなかったのですよ。よって、オマエの所業は全てスルーします。同様に、喧嘩相手のあの娘ちゃんのそれもスルー。でぃすいずあ合理的!」
そう言ってアノ人は独り、うんうんと頷く。
「どうして庇ってくれるですか?」
アノ人の口から直接聞きたくて、私は更に甘える。
「おぉーい。そんなもんわざわざ訊くような事じゃないだろぉー。決まってんだろ? オレはオマエの味方だからだよ。まさか、そんな事も知らなかったのか?」
「味方、ですたか」
ううん。知ってたですお。
「味方だから我が事のように嬉しくて褒める事もあるし、心配を通り越して叱る事もある。大切だから守るし庇う。役に立てるかどうかは判らんが、とにかく全力で味方する。コレ、当たり前以外のナニモノでもねぇーよ。それに、オレはお茶目さんだから偶には八つ当たりかなんかで怒っちゃったりなんかする事もあるかもだし、甘える事も当然のようにあるだろう。いいや、その点についてはかなりあると断言しておこう」
「しないでください」
アノ人はいつだって、そう。私の味方してくれる。
「つまるところ、だ。オレはそういうタイプの野郎だって事。なので、疑問に思っても納得して諦めなさい」
「………はい」
いつだって、こんな私を丸ごと受け入れてくれる。
「あ、でも大人になると世間体という面倒なモンを考えなきゃなんない場面が至る所にあるって事をふまえてもらうとしてだな………オレにガツンとドヤされましたんうるうるー! と、みんなには報告しておくように。じゃないと、オレがドヤされる。うるうる!」
「了解しますた!」
どれだけ助けられたか、です。
「みんなもオレも、心にあるモノは同じだ。愛情たっぷり。けれど、でも。だからといって、表現の仕方までもが同じとは限らない。どっちが正解なのかっていう問題ではなく、どっちも間違いではないって話しだな。接し方なんてもんはさ、人それぞれだろ? でさ、それがキャラってヤツだ。そういう事で、メシでも食いに行こう!」
「はい。えっ、ご飯ですか?」
アノ人の突然な提案に少し遅れて気づいた私は、そのあまりにもな変化球に逡巡する。とはいうものの、いつもの事なんですけどね。それに、よくよく訊いてみると繋がっていたりしますし。
「理由があって喧嘩して、だ。あんな先生さんに捕まって、だ。トータルしたらストレスは発散するどころか溜まっただろ? それを解消するには美味いモン食うか身体を動かすか、だ。が、しかし。身体を動かすのはオレが面倒だから却下。だからメシ。うん、判りやすい! 判りやすすぎる! じゃあ、行こう!」
「おぉー!」
ほら、ね。ちゃんと繋がっていて、しかも温かくて優しい。しかも、こんなふうに何回も何回も私を癒やしてくれるのだから。
好きになるに決まってます。
………病的なくらいに、ね。
………。
………。
今こうしてわざわざ思い返してみなくても、私の人生にはアノ人が必ずいてくれました。そしてそれから暫くの後、アノ人に初めて抱いてもらえた時、私は眩い光に包まれた。私の世界は如実に明るくなった。そして、コノ人さえ居てくれれば私は幸せを感じたままでいられるという事が判った。その事を確実に知ってしまった。初めての人が大好きなアノ人で、しかも初めてで見つけてしまった。運命を感じずにはいられなかった。だから正直に告げた。何でも言う事をきくから棄てないでくださいと。するとアノ人は、『それだとオレ、オマエのボスみたいだな………実際は下僕っぽいのに。あ、何でも言う事をきいてくれるのなら、これからはイヤな事はイヤと言おう。違う考えなら、こうしたいとかこう思うとか言おう。その上で、じゃあどうしようかって話し合おう。まずはそこから始めよう。な?』って、そう言ってくれた。今でもこうしてハッキリと覚えている。私はアノ人に救われたんです。
誰よりも優しい人。
渡したくはない人。
そして、
愛してやまない人。
偽りなく私の全て………気が狂いそうなくらいに。その後も私は、アノ人だけを求め続け、アノ人にだけ晒けだし、アノ人にのみ溺れ続けた。他の誰も見えない。要らない。必要ない。だって、アノ人が私の運命の人なんだもん。例えアノ人の心が誰を見ていようと、私は、だから私は、こんな事までしたのだから。
………。
………。
こうしてユメお兄ちゃんは、
私のボスに、なったのです。
………まる。
第七幕) 完
第八幕に続く
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