第四幕/嵐の中の苦しさ
大学から帰ってきた僕は、部屋にて仮眠をとる事にした。とは言うものの、寝不足がその理由だったから爆睡へと移行する可能性は限りなく特大だ。なので、おばさんには夕食はラップしておいてほしいと伝えておいた。爆睡した場合、夜中に空腹で目が覚めるだろうから。
それと、どうやら翠子とテメェーちゃんは出掛けているらしく、用事があるらしかった七色もまだ居ないようだった。子供達はまだ学校だし、音色はおばさんの手伝いつまり施設の夕飯の仕込みをしてから僕と同じ理由で自宅の方に戻るとの事だったので、騒がしいメンツが居ない施設も教会もかなり静かだった。って、ウチの教会は大丈夫なのだろうか? ま、それは兎も角として結局のところ予想どおり、仮眠は爆睡へとその形を簡単に変えた。
………、
………、
「ボスぅ、起きてくださいよぉー」
「ん、んっ」
そんな僕を現実の世界へと引き戻したのは、お腹の虫ではなく七色だった。
「ボスぅ、起きないとチューしちゃうぞぉー」
「ん、え、あ、おはよー」
起きないワケにはいかないでしょう。
「え、あう、あ」
「ん、ナナ、どうした?」
あからさまな不満顔の七色には全く気づかないフリをして、僕は起こした理由を促す。
「あう、う、うう」
「うん? どした」
「い、やそ、のでっ、うぐ」
「ん、どうした? ナナ?」
「う………やっぱりイイです」
「そっ、か。って、えっ、と」
何やら何か言いたそう言い出そうな顔つき素振りで僕を窺っている様子の七色だったのだけれど、言い出せないのかどうしたのか幾分だけ拗ねたような口ぶりで、ぽむっ。と、僕の左腕に頭を戻した。
僕の左腕に、
頭を戻した。
戻した、ですと?
「ちょいとナナさん」
確認してみよう。
「え、あ、はははい何ですか?」
「これは、いつからなのかな?」
「えっ? これとは………?」
「現在の状況を簡潔に述べよ」
「あ、えっと、ボスと二人です」
「正解。って、簡潔すぎだよ!」
「あうっ、えっと、せいれき」
「年月日は省略してください」
「あうう、えと、えと」
「おいコラ、ナナさん」
「あふっ、はははい!」
「あのさナナいつからオマエはこのベッドでオレと一緒にオレの腕枕でしかもオレのTシャツ一枚でこうしていたのか答えなさい」
仲良し兄妹による素人漫才のようないつもどおりのやりとりが暫し続いた後、何故か焦りまくる七色に僕は本題を句読点なしで告げた。
「あぐ、そ、それは、そのぉ………あっ、寝ぼけて間違えますた!」
「ソープの香りがしますが?」
対して後手七色が早速のダウトを申告してきたので、僕は探偵よろしくずばっと指摘してみる。何だか楽しくなってきました。こういう場面での七色は各段に弄り甲斐があるので、何だか実際のところ何故こうなっているのかはどうでもよくなってきた傾向。
「え? っと。あっ!」
「だから、ナナの髪とか身体からはお風呂上がりの香りがするけど?」
「そそそ、そ、それはですねあの、ああああれですよその、あっ! 蒸し暑いからシャワーを浴びたですそうですたそれだけです! だっだだだから別に臭いを消そうとかそそそういうワケではなくてこここれはつま」
「ちょっ、ナナ?」
すると、みるみる内にスパークしてスパートし始めた様子の七色。これはもう何かしらの思惑があったのだろうと感じずにはいられないのだけれど、いつもの狼狽ぶりとは様子が違うので心配になってきた僕は、そんな彼女を見るに至って逡巡してしまった。
「りうっ、違います違う違うです!」
「落ち着け、ナナ」
この狼狽ぶり、まさか。と、思いながらも。もう少しだけこのやりとりを続けてみようと僕は、七色を眺めつつ頭の中を整理してみる事にした。
「違くて、違くって、えと、えと」
「責めてるワケじゃないよ、な?」
つまり、施設に戻った後、汗の匂いを汗ごと洗い流す為に………じゃなくて。とりあえず、お風呂に入った? けれど、寝ぼけていたから部屋を間違えた、と………えっ? 寝起き直後で脳の回転が未だ遅いからなのかもしれないのだけれど、要領を得ていないのか情報が少ないのか意味が判らなかった。なので僕は、まずは落ち着きましょうそして話しを再開しましょうという旨を込めて、七色にそう促した。
「はははい。でも、違うんです………」
「違うも何もさ、お風呂上がりはフツーさっぱりするだろ。だから、寝ぼけてこうなったとかオカシクね?」
「え、そ、その事ですか?」
「他にどんな事があんだよ」
その事って………他に何をするつもりでこうしているのかな七色さん。やっぱりまさか、なのかな。七色が拍子抜けしたような顔つきと声色で訊き返してきたので、僕は再びの逡巡に見舞われるに至った。
「あふっ、そ、そそそれはそその」
「しかもオレのだろ、そのシャツ」
まさか、ホントにイタズラとかなの? たしかに、マジックで顔中ラクガキされても気づかないかもしれないし、もうラクガキだらけなのかも………鏡よ鏡、キミは今いずこ?
「えっ、あ、はははい………」
「お気に入りのパジャマは?」
寝起き直後で目が暗さに慣れていないので、僕は鏡はとりあえず後回して話しを進める事にした。
「えっ、とぉー。それ、は………」
「シャツと下着じゃ風邪ひくぞ?」
「あうっ、あの、シャツだけです」
「ん、シャツだけ………ええっ?」
ちょっとだけフリーズ。
「ボスのシャツ、だけです」
「わお。どうしてそうなる」
実のところ七色が僕の腕枕で眠るのは初めてではなく、何度となくある事だったので、別段その事に関してはスルーなのだけれど、予告なしだったから僕はパンツ一枚の状態だし、いくら暗い部屋とはいえそれに気づかなかったワケがない七色はシャツ一枚。いくら仲の良い家族でも、この場でのこの展開は………いやその。実のところ、初めてではないのだけれど。
「ぽっかぽかして眠れなくて」
「どんだけ長湯だったんだよ」
「え? あ、そういう意味じゃなくっ、あうう、そそそそのゴメンなさい」
「のぼせたりしなかったか?」
女性は長湯をする人が多いと聞いた事はあるのだけれど、湯あたりは案外とキツいので、心配になった僕は一応のところ訊いてみた。七色は我慢して隠すところがあるから尚更だ。
「ははははい………」
「それならイイけど」
よくよく眺めてみると、普段の元気な七色と比べて何となくヤバい方の時の七色に近いような感じに見えなくもなかったので、体調は大丈夫のようだと判ってほっと一安心。
「………」
「………」
すると、七色が再び頭を僕の腕に乗せてきたので、僕はいつものように髪を優しく撫でた。
「はう、う」
「よしよし」
「ごろにゃん♪」
「なんだよそれ」
「「………」」
暫し、
まったりとした空気が流れる。
「ナナはいつ帰ってきたの?」
話しかけたのは僕だった。
「ふにゃ? あ、えっと………あっ、ボスはいつだったですか?」
「オレ? オレは~」
と、時計をちらりずむ。
「もうこんな時間だったのか。あ、だいたい六時間くらい前かな」
そして、思い出しながら答える。蛍光にして目視しやすくするアイデアを閃いた人って、何気に凄いと思います。
「そ、そうですか。あ、えと、私はたしか………そうですね、さ、三、四時間くらい、前だったです」
「そっか。あ、みんなは?」
「え、あ、知らないです私」
「みんな、寝てたりしてな。うん」
「ボスのお部屋に直行しましたし」
「そっか。え、直行?」
知らないという事は、裏口から入ってきたの? と、思った僕はおもわずそれを単刀直入に声にした。
「えっ? あ、あああはははい。そそそうなんですほほほら、だから服も、そ、そこに」
「服? って、さ」
七色が指で示した方向を見てみると、濡れた髪に巻いていたのだろうバスタオルと、その横にたしかにここで脱ぎました的な状態のピンクのラインで描かれた絵が入っているらしい黒地のシャツ、そして同じくジーンズ生地の短パンがつまり、上下一つずつが少しだけ重なる感じで置かれていた。たしか、翠子が同じのを着ていた記憶がある。きっと、仲が良いので二人で揃いのを買ったのだろう。
と、あまりよく見えないまま推測。
「………ねっ?」
「お、おう……」
僕はその時、そこにある上下がパジャマではなかったので、お風呂に入る前までは寝るつもりはなかったみたいだなとか、寝不足の筈なのに若いなとか、明後日の方向へと思考を続けていたのだけれど、それでもツッコミどころを探してしまうというクセは無意識でも優先的に働くようで、そこから一つ見つけるに至った。
七色さん、下着は?
「ホホホホントですお!」
「う、うん。判ったから」
けれど、でも。七色が顔をがばっと押し寄せながらそう申告してきたので、僕は途端に逡巡して更には焦燥してしまった。そう言えばその昔、ノーパン健康法なるスタイルが話題になったような………もしかして七色、普段から実践しているのだろうか? あ、だから今も下着なしでこうしているのか。と、言う事は。寝る前提ならば未装着はあり得るのだけれど、眠るつもりではなかったようなので、ノーブラ健康法とかもあるのかな。いや、七色はそもそもまだブラは………声に出したら殺されるかな。
「ボスと一緒に居たかったから、だから私、私、あう、う、私!」
「ナナ、判ったから」
これもまた何故なのかは全く判らないのだけれど、七色が今宵何度目かの大きな動揺を見せたので、僕は逡巡から焦燥への旅を中止して尚且つ、平素時あたりへと帰還するに至った。その過程で何となくな程度の矛盾らしき靄々を感じたのだけれど、七色によるこれまた何故だか判らない悲壮感満載の圧力に屈する形で、その先を思考する事なく現在に戻った。
「ナナ、何か変だぞ?」
そして一つ、声をかける。
「えっ、と。そう、ですか?」
「イヤな事でもあったのか?」
途端に心配が増す。
「あうっ………く」
「大丈夫なのか?」
更に心配度が上がる。
「それは、ですね」
「ヤバそうなの?」
いつもと違う理由はそれなのか?
「あっ。ボスが、その、腕枕してくれて、それで、それで、頭なでなでしてくれたら、あの、そしたら大丈夫かも、です………」
「何だよそれ。それで大丈夫なのか?」
と、思ったらいつもの七色が見られたので、僕は再びの一安心をしながら腕を差し出した。
のだけれど。
「えっ、あ、じゃあ、じゃあ」
「ナナ?」
七色が徐に上体を起こしたので、その意図を察しかねた僕は彼女に意識を集中させた。
「………」
「………」
すると、
七色が徐にシャツを脱いだ。
「ボス、は………」
「ちょっ、ナナ?」
そして再び、いいや。
今度はあからさまに、思うままに。
しがみつくように抱きついてきた。
「それで大丈夫なのかって」
「えっ」
それは、抑揚の弱い声質だった。
「そう言ったですよ?」
「と、それは」
けれど、意志の強い声色だった。
「言ったですもん」
「ナナ?」
幼い頃からよく見知っている筈の七色が、見た事のない七色に変わっていく。
「だから、抱いて」
「ナナ、ダメだよ」
「っ、どうしてですか?」
「どうしてって、それは」
続く言葉を遮り、更に重ねる。
そのつもりだったのだけれど。
「私には一度きりで終わりですか?」
「いやそ、の………」
続ける筈だった言葉は、それを遮った筈の七色によって遮られた。そして、私にはという意味を訊く事も出来ず、僕は沈黙してしまう。
それから先、暫くの間。
僕のターンはなかった。
「全部、ウソだったですか?」
七色の瞳が潤みを帯びる。
「いつも一緒に眠るだけ」
けれど、纏う色は悲しみではない。
「いつになっても!」
例えるならば、それは朱色。
「いつまでたっても!」
けれど、纏う色は怒りとも違う。
「酷いです。そんなの」
言うならば、それは。
「私、覚えてますから」
炎を浴びた、鋼の色だった。
「ボスがくれた言葉も」
寒々と青白く見えて、
「与えてくれた感覚も」
けれど、芯まで熱い。
「入ってきた時の感触も」
弱々しくゆらゆらと揺れて、
「全部、覚えてますから」
けれど、頑強で鋭い。
「幸せだったから」
そんな七色が、
「幸せでたまらなかった」
僕の眼前僅か先で、
「知っちゃったんですよ」
視線の先にある視界を埋める。
「本物の幸せを、あの日」
埋め尽くし、
「私に教えたのは」
君臨する。
「ボスなんですよ」
私はここにいる、と。
「あの時、私は………」
こんな僕を、
我がものにする為に。
「ボスのものになりました」
僕は動けなかった。
「だからボスしか見えない」
ぴくりともデキない。
「だから誰にも渡しません」
呼吸すらままならない。
「責任、とってくださいよ」
けれどそれは恐怖ではなく、
「その証しを私にください」
されどそれは安堵ではなく、
「だから私の中にください」
言うなれば、そう。
「そしたら私、大丈夫です」
予感していたのかもしれない。
「大丈夫に、なりっ、ん」
気づかないフリをしながら。
それをただただ続けながら。
「んはっ、ボスぅ………ん」
こんな日が来ないようにと、
逃げていただけだったのだ。
「んんっ、はう、う」
七色が、僕の頬に額を乗せる。
「んく………」
と、ソープの香りが僕を覆う。
「………」
「………」
そして、再びの静粛。
「「………」」
ただし、勿論の事。なのか。
まったりとはならなかった。
「ねぇ、ボスぅ?」
「ん、どうした?」
話しかけたのは七色だった。
「私ね、弄ばれたとか思ってないですから、だから安心してください」
「えっ、と」
どうやら、第二ラウンド開始らしい。前のラウンドで完全にKOされたのだけれど、そう見えないみたいです。
「だって、そのつもりなら数え切れないくらい食べられちゃってる筈ですもん。で、飽きられてポイされてる筈でしょ? だから私、そうならとっくの昔に自殺とかしてますもん」
怒っていたり恨んでいたりしているワケではない様子だと安堵した途端に、さらっとは流せないパンチがカウンターで飛んできたので、僕は返す言葉が見つからなかった。
「でも、ボスはそんな人じゃないから。だから私は、だから私はこうして、まだ生きているのです」
更に、二発目が飛んでくる。勿論の事、それはもうクリティカルなヒットだった。まだ、ってさらっと入れてくるあたりが怖い。
「でも、おあずけが長過ぎて気が狂いそうですけどね………まる。今日はこのくらいで勘弁してやるですおー」
いつまで続くのだろうと気が気でなかった新たなラウンドは、開始早々にして終了のゴング。どうやら僕、生還可能のようです。ま、精悍とはいかないのだけれど、それでも七色は普段の七色に戻ってくれたようだった。
「だってボス、そんな気分じゃないみたいですもん………ここが」
と、思ったら。
「わっ、ナナ」
言い終わるや否や七色は僕の僕つまり僕ちんに手を………自粛しないと七色に本気で殺されるかもしれないから、決して口に出しては言わなかったのだけれど、この状況でくだらない事を思いつけるなんて、案外と余裕というか大凡で不真面目というか、良くも悪くも立ち直るのが早いな。
「お口で愛したら変わるですか? それはボスのせいで未だ未経験ですけど、ボスが押し付けてくれたら喜ん」
「何言ってんだよ」
七色による連続波状攻撃に対し、僕はおもわずツッコミを入れる。そして、それと同時に違和感を抱く。七色って、こんなキャラだったっけと。
「でっ、えへへ。でも、でも私だって、もう大人なんですよ?」
「………」
そう言い終えてにっこりと微笑む七色とあの時の七色が不自然なく重なった僕は、こんなキャラだったっけと感じた自身を反省した。実のところ七色は普段の音色のようなキャラで、その音色は実のところ普段の七色のようなキャラだったりする。の、だけれど。僕は僕でこれもまた実のところ、こうして七色と音色をセットで語っていたりする。思っているだけではなく、本人の目の前でそうしていたりもする。それは、二人からしてみれば比べていると思ってしまうかもしれないワケで、反省しなければいけない事なんだよな………。
「私だって、もう大人なんです」
「………うん」
そのとおりだ。と、何となく寂しそうに、そして悲しそうに、けれど拗ねてもいるみたいに言う七色を見て、僕は素直にそう思った。
「お返事。期待してます」
「ん? あっ、いやその」
「近い内にお願いします」
「………うん。了解した」
とは言ったものの。
「因みに、ですけど」
「え………因みに?」
お返事かぁ………と、思案しかけていたところ。七色が続けた言葉が妙に意味深な感じだったので、僕はおもわず引き込まれた。
「YESかNOかじゃないですよ?」
「え、あ、二択問題じゃないのか?」
では、他に何があると?
「二択ですよ。私をお嫁さんにするか、それとも私が死ぬかのニ択です」
「どうしてそうなる!」
どんな選択肢があるのかと待っていると、七色がとんでもないニ択を提示してきたので、僕はおもわずツッコミを入れた。
「だって、フラれてもしがみつきますもん。私からしてみれば、当たり前のお話しですおそんなの」
「そ、そうでしたか」
言い返す言葉はなかった。
「そうです。当たり前の事です」
「一択のような気がしますが?」
けれど、それでも何か言ってみる。
「あ、死ね。ですか?」
「どうしてそうなる!」
七色による返しに僕は、またのまたでおもわずツッコミを入れた。
「えへへ。ボスは優しいですから、勿論違いますよね?」
「っく………善処します」
そう答えるしかない。
「ボスに尽くします」
「それは光栄な事だ」
これもまた、こう答えるしかない。
「でも、浮気したら相手は殺します」
「えっ、と、いやそれはヤメてくれ」
変化球すぎるだろ七色。
「本気だったら道ずれで死んでやる」
「わお。いやそのそれもヤメてくれ」
胸元抉りすぎだよ七色。
「なら、一途の一択で」
「………善処、します」
結局のところ、こうなった感じ。
「そうしてください」
「………ははははい」
何だか、
手の平の上みたいです。
「初めて勝った気がするです」
「いや、そうでもないだろ?」
少なくとも、さっきから常勝だよ。
「抱かれた者の強みですな」
「抱かれ、って何だよそれ」
今日の七色はキレキレだな。
「抱いた者の弱みですおー」
「だか、うん。そうかもな」
何だよそれ。と、続けるつもりだったのだけれど、強ち間違いではないという事に気づいた僕は、肯定の意を示した。
「えへへ、ボスぅー♪」
「発情期かオマエは!」
たぶんそれに気を良くしたのだろう、七色がべったりと抱きつき直してきたので、僕はこの日何度目かのツッコミを入れるに至った。
「もう抑えられなかったんです。これでも相当な覚悟だったですし。それに、絶好の機会ですから」
「………?」
絶好の機会という言葉に一抹の違和感を抱いたのだけれど、たぶんそれは僕の言葉尻を捉えた後からここまでの流れに対しての気持ちなのだろう。と、消化してみる事にした。
「ボスが教えたんですおー」
「独りで処理してきなさい」
そして、続く言葉に対しては流れ的に先程身につまされたばかりだったので、今度は何とか言い返す。
「えぇーっ、独りだと毎日その後で自己嫌悪になるからイヤですおー。ボスが傍に居るんだから、ボスがシテくれるのが自然だと思いまぁーす」
「独りだと毎日って、自爆か?」
すると、七色が違う意味でのトンデモ発言をたぶん無意識に繰り出してきたので、僕はそれを見逃す事なく好手逆転のアイテムに用いた。
「え、あっ。しまった………っ」
「ま、普通の事だからイイけど」
のだけれど。独りえっちの経験の有無が判明したところで、大したアイテムにはならないと思い直すに至った僕は、そのままスルーする事にした。
「えっ………あああのボスは、その、毎日シテるとか、って、変態だなとか、その、思わないですか?」
けれど、当人の七色はそうではなかったようで、何やら顔をかなり赤らめながら僕に質問してくる。
「え、普通だろ」
時と場所を選べば普通の事だと思っているので、僕はそのままをそのまま返した。
「そ、そうでしたか」
「ま、ナナだけだったとしても構わないし」
「なんと!」
がばっと顔を上げた七色の表情は、何やらとても安堵しているようでもあり、おもわず出たかのような言葉どおりの驚いたみたいな様子でもあった。
「え、あ、いやその、だってさ、オレがシテくれないから覚えてしまった事ですとか言われそうだし」
何はともあれ、七色は何故だかこの話題を保とうとしている感じだったのだけれど、僕としては実のところこの切り返しで再び好手逆転されるかもしれないと思っていた。なので僕は、それならそれでと自身から先に言ってみる事にしたのだ。
「え、あ、その手があったか」
「おーい声になってるぞぉー」
けれどどうやら、考えすぎだったようです。独りえっちの経験を知られるのは恥ずかしい事なのかぁ………と、何だか勉強になった気がした。僕が思うに、女性は外で暇そうにしていれば男から声をかけてくるだろう筈。なので、わざわざ自身でするという事は、遊びではイヤだからという真面目な理由からだ、と。そういうワケで、僕としては結構好感度お高めなのだけれど。ま、それは今は片隅にでも置いておこう。
「え、あ、あう、う、でも、でもボスしか想像してないですからボスのせいです!」
「ナナ、それも自爆だろ」
とかなんとか考えていると、七色が自爆を重ねてきた。
「へ? あ、あああわわな………」
「しっかりしろ。傷は深いけどな」
なので、一応は一刺し。
「どぅおおおおぉーっ!」
何だか、一矢報いたようです。
巻き返しなるか乞うご期待!
何だよそれ。
「それはそうと、長い付き合いだな」
見た感じ、七色の自爆ダメージはかなり深刻そうだったので、がらりと話しを変えてみようと思った僕は、和やかになる為に家族の話しをしようと思った。
「ふえっ?」
すると、七色が素っ頓狂な声を出す。どうやら見た感じどおり、そのダメージは大だったらしい。
「音色もハタチだもんなぁー」
翠子なんて完全に大人のお姉さんな感じの年齢だし、テメェーちゃんなんてもうオッサンと呼ばれる年代に突入だし………と、感慨深い心境に浸る僕。
「………っ」
「………?」
だったのだけれど。
「ん………く」
「ん、ナナ?」
ここで再び。
「ねぇ、ボス?」
「ん?」
あからさまに。
七色の雰囲気が変わった。
「最近の音色ちゃん、様子がオカシイと思わないですか?」
「えっ、音色が?」
突然と言えば突然で、唐突と言えば唐突な、そんな七色の言葉に、今度は僕が素っ頓狂な声を出した。
「はい。実は、ドリーおじさんが居なくなる前の夜遅く………音色ちゃんと二人で居るところを見たって人がいて、教会から出て来るところだったみたいです。なんだか声をかけ難い雰囲気だったって。それで私、後になって音色ちゃんに訊いたら、そしたら、見たっていうその人も行方不明になっちゃいました………ボス、どう思うですか?」
「………マジ、か」
初耳だった。けれど、ドリーのオッサンともう一人、あの教会のシスターが立て続けに行方不明になっているのは事実だ。なので、七色の言うその人とはそのシスターを差しているのだろうという事は理解した。
の、だけれど。
ぷるるる、
ぷるるる、
その時、
施設の電話機が鳴った。
「えっ?」
施設の正面玄関を入って直ぐのところに設置してある電話機が鳴っているのを微かに耳にした時、こんな遅い時間に誰だろうと僕は不思議に感じた。
「イイところなのに」
すると、七色もぽつり。その言葉に何となくな違和感を抱いたものの、電話が気になっていたので、僕と同じく怪訝に思ったようだと解釈した。
ぷるるる、
ぷるるる、
「「………」」
話しはまだ途中だったのだけれど、僕もたぶん七色もそのベルに完全に意識を取られてしまい、二人して顔を見合わせる。
ぷるるる、
ぷるるる、
「「………」」
ぷるるる、
ぷるるる、
「「………」」
ぷるるる、
ぷるるる、
「出ないな」
「ふえっ?」
「いやほら、テメェーちゃんあたりがそろそろ応対するかな、と」
「あ、そ、そそ、そうですよね!」
ぷるるる、
ぷるるる、
「帰ってきてないのかな」
「どどどうなんでしょう」
「行ってくるわ、オレ」
「え、あ、ははははい」
ぷるるる、
ぷるるる、
「誰だろ………」
このままでは子供達が目を覚ましてしまうと思った僕は、七色を越えてベッドから降りると七色が脱いだ僕のシャツを着ながら部屋を後にした。
そして、
小走りに電話機へと向かう。
ぷるるる、
ぷるるっ。
「わお………」
けれど、間に合わなかった。
なので、
「ま、仕方ないか」
気持ちを切り替えると共に。各部屋を回って子供達の様子を確認する事にし、そのついでにと言っては失礼かもしれないのだけれど音色の部屋とテメェーちゃんの部屋にも行ってみた。
「………?」
けれど、でも。何度かドアをノックしたもののどちらも応答はなかったので、ぐっすり眠っているのだろうと思いながら自室へと歩を進めるのだった。
と、その時。
ぷるるる、
ぷるるる、
「………わお」
再びベル音が響いたので、僕は再び小走りで駆け戻る。
かちゃ。
「もしもーし。え、あ、はい。オレですけど、どうしたんですかこんな時間に。今、テメェーちゃ、じゃなくてテリ」
偉いさんからだった。
「え、はい。はい。はい」
なので、この状況について知らせようとしたのだけれど、向こうは向こうでかなりテンパっている様子だった。
けれど、
その理由は直ぐに判った。
「はい………っ、え?」
暗転。思考停止。そして、フリーズ。僕は僕を淀みなく操作するという当たり前の事すら出来ず、その場にてただの塊と化した。
「何、言ってんすか」
けれど、これだけは。たったこれだけは、辛うじて声という形で表せた。
の、だけれど。
僕の耳に届いたその情報の質は、
そうなるには充分な現実だった。
どくどく。
どくどく。
内側からのノックが、
強烈になっていく。
「ウソでしょ?」
まるで、
突き破ってしまうかのように。
がちゃん。
「………ボス?」
いつからそこに居たのか全く気づかなかったのだけれど、背中越しに七色の声が聞こえた。けれど僕は、それはたしかに耳に届いていたのだけれど、たしかにて脳が認識し、たしかに理解していたのけれど、どんな表情で振り返ればイイのか判らなかった。
「どうしたですか?」
僕が受話器を戻したまま固まっていたからなのだろう、七色が僕を窺うかのように顔を見上げてきたのだけれど、僕はただただ立ち尽くすのみだった。故にこの時、自身がどんな表情をしているのかは皆目見当がつかない。
「ナナ、今すぐ翠子を起こしてきてくれないかな」
「翠子お姉ちゃん?」
「たぶん、ぐっすり眠ってると思う。流石にまだ帰ってきてないなんて事はないだろうし、必ず起こしてきてほしい。オレは、音色んトコに行ってくるから」
「………はい。判りました」
「じゃあ、頼んだ」
そして僕は、自分の携帯電話を取りに一旦部屋に戻った後、音色にコールしながら音色宅へと向かうのだった。
………、
………、
「………?」
音色宅の前に小走りで向かった僕は、到着した途端に違和感を抱くに至った。どうやって説明しようかアレコレ考えながら向かっていたのだけれど、それはそのせいで吹き飛んでしまった。
何故なら、
玄関のドアが開いていたからだ。
「………」
庭にでも出ているのだろうか? 玄関のドアを開けっぱなしで向かう所と言えば、たぶん庭かガレージくらいだろう。何らかの事情で急いでいたとすれば、それで説明はつく。けれどそれは、今ある状況に対して取り敢えず納得しうる推測なだけであって、こんな夜遅くに開放させている不用心さについての説明としてはかなり弱い。故に違和感は小さくならず、代わりにというか何というか警戒心が芽生える。
その結果、
おそるおそる中を窺う。
「………」
当然と言えば当然な事ではあるのだけれど音色宅も消灯されており、これも同じ理由で外は暗い。なので、ドアの前でおそるおそる窺うだけでは中の様子は把握しきれなかった。
「おじゃましますよぉー」
と、ぽつり。中へ声を掛けた僕は、ぐるりと庭を散策してみる。けれど、人影は見られない。その際に窓から中の様子を窺ってみたものの曇りガラス故によく判らず、判った事と言えば何故だか一階も二階もカーテンで閉じられていないという事のみ。
「オカシイな………」
結論、何だか凄くイヤな予感がする。僕は慎重に、警戒を深めながら上がり込んでみる事にした。
その結果、
視線の先にある視界に。
「な、なん………」
キッチンでメッタ刺しにされて倒れている、おばさんが映し出された。見慣れているとはいえ、身内に近い人のそれは違うものだ。という話しが身に染みる。
「ボスぅ! 翠子お姉ちゃん居ませんです、たよ、えっ………」
その時、たぶん僕が遅いから様子を見にきたのだろう翠子を起こしに行ってもらっていた七色が、音色宅の現状を見て固まった。口ぶりからすると、どうやら翠子はまだ不在だったようだ………って、こんな時間に不在?
「ナナ、音色を捜してくれ」
安否の確認に順番をつけるのは不謹慎なのだけれど、七色が一人きりで戻ってきたのを見た瞬間、音色の安否についての心配が格段に跳ね上がっていた。
「え、あ、はははい」
「気をつけて動いてくれ」
家捜し開始の旨を告げた僕は、七色に念の為の用心を促して二階に向かった。
………、
………、
結論から言うと、
音色の姿は何処にもなかった。
「どういう事でしょう」
「判んない………全く」
けれど、おじさんは居た。
おばさんと、同じ状態で。
「………」
音色は何処かに退避したという事なのか、それとも、いいや或いは………と、脳を激しく動かしてみるのだけれど、今ある情報ではあまりにも少なすぎて、推測の幅が広すぎる。今の段階では例えば、そう。宇宙人がUFOに連れて行ったというトンデモでさえ、可能性はゼロではない。
「どうしてこんな事に」
「電話しないと、だな」
呆然となりかけながらも一旦は居間へと戻ってきた僕は、するべき事としたい事の順番を思考する。取り敢えずこの場は、警察に任せるしかない。
「あ、ボスこれは」
「ん? どした?」
思考の結果として電話を掴んだ僕にその時、何かに指を向けながら七色が、ぽつり。その先を目視するよう促してきた。けれど七色はキッチンに居り、僕が立っている位置からはカウンターテーブルが死角になっていたので、僕は七色がふるふると向けている指の先を確認する為に移動した。
そして。
「………?!」
絶句するに至る。
そこには血に濡れた聖なる棍が、
祓魔師専用の武具が落ちていた。
「ボス、これ音色ちゃんのです」
「えっ、でも、いや、でも、さ」
「だって、リボンが」
「あっ」
たしかにそうだった。音色は自分の武具のグリップ部分にリボンを巻きつけているのだ。
「………」
七色は何も言わず、僕を見つめる。
「………」
僕は何も言えず、武具を見つめる。
「「………」」
暫し、それが続いた。
これは、
何を意味しているのか。
何が起きているというのか。
………、
………、
僕には、
訳が分からなかった。
第四幕) 完
第五幕に続く
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