第三幕/終わりのその前

 然したる特記事項もなく、滞りなく、いつもどおり、普段どおり、今日も今日とて無事に講義が終わる。


 さて、では帰ろうか。


 何故なのかはその理由を訊いていないので判らないのだけれど、本日のサークル活動は中止なんだとさ。だから、帰宅後の予定は未定。故に、帰宅後はフリータイム。けれど、寄りたい所は別段ない。きっと部長………翠子の事なのだけれど。きっとアイツ、寝不足だからなのだろうね。サークルの時間には顔を出すと言っていたものの、遅い朝食を御馳走様した後、少し横になるとか言いだしたからね。


 ま、昨夜は夜更かししちゃったし。

 だからこそ遅い朝食だったのだし。


 それになかなかどうして、

 数が多かったからなぁー。


 そんなワケで、急遽で中止になったところで驚きはないのだけれど。イイのだけれど。構わないのだけれど。寧ろラッキーなのだけれど。でも、さ。事前に何一つ知らされていない副部長って、どうよ? と、一抹の悲しさは感じてしまう副部長の僕。たぶんアイツ、僕に連絡したらなんやかんや遊ばれると思ったのだろう。


 そのとおりさ。

 遊びますとも。


 ざ・一抹の悲しさ。

 って、そっちかよ。


「ちょっとセンパイ! 何、ボーッとしてるんですかぁー! 私、Dカップなんですよ! ってセンパイ、ホントに聞いてます? 聞いてますかぁー? もしもぉーし! ねぇ! センパイってばぁー! ABC! の、次のDなんですよぉー! おいコラぁー! 青い春を謳歌しそこなってる男達の憧憬の的で、青い春を悪戯に貪ってる男共の視線の的! 更には、青い春を夢に見て生きる乙な女達と書いて乙女達の羨望の的! の、でぃすいずDカップばすとなんだぞ! ちょっとくらいムラムラしろぉー!」


「うん………」

 そんな僕の、いつものと言えばいつものなのだけれど的な、所謂ヒトツの帰り道。その途中の事。どたたたぁー!と、威勢良く僕の前に進み出るや否や、くるり。これまた勢いよく振り返った女性であるところの音色が、怒髪天と焦燥と不服を混ぜ合わせたような複雑な表情と声色でとんでもない主旨を吠える。音色は幼なじみで、二学年後輩で、僕と同じく孤児で、暫くの間は同じ施設で生活していた家族の一人なのだけれど、教会の隣に住む夫婦が娘として引き取ったので、それからはそこのおじさんおばさんを含めての家族ぐるみで仲が宜しい間柄となり、ここ暫くはドリーのオッサンが神父をしていた教会でシスター兼祓魔師もしている、弱冠という言葉が形容される一年間をもうすぐ卒業する年齢の女性。なんせ、そのおばさんがずっと施設の朝と夕の食事を担当してくれているくらいですから、そういう意味ではおばさんは今いる施設の孤児達の母様代わりでもある。


 良き夫婦に出会えて良かったね。

 うん、出会いって大切だなぁー。


 と、しみじみ思う今日この頃さ。


 で、そんな音色は年齢を重ねていく内にユメおニイたん→ユメお兄ちゃん→ユメ兄さん→センパイと、その呼び方はなんとなくな感じで変わっていったのだけれど、そういう繋がりも手伝って関係性はあまり変わっていない。今でも大切な家族のまま。加えて、大学に通いつつシスターとしてドリーのオッサンをヘルプしていたので、顔を会わせる機会が多いワケではないにしろ一緒に生活しているのと変わらないとも言えない事はない、かも。因みに、幼小中高大と同じ場所に通っていたりするので、そのあたりの感覚は尚更です。なので………なのかどうかは人それぞれだとは思うのだけれど、僕等の場合はずっと今まで行き帰りも一緒にすごしている。エレベーター式の所ではなかったので、各時代のそれぞれ一年間は学校の場所が異なる事になり、その為にその度に一年間は分かれ道となる駅で分かれる&落ち合う毎日だったのだけれど。

 何はともあれ、何度目かにしてたぶん最後の一年間が終わったこの春からは、ドリーのオッサンが神父を務める教会に隣接する宿舎から大学までの行き帰りを共にする毎日であり、僕のみに限ればその後にテメェーちゃんが仕切っていた方の教会若しくは救済先に出張る毎日なのです。昨日までは、ね。

 因みに、翠子は施設の子供達を学校に送迎するという仕事があるのと、単位不足のないそこらあたりは真面目な性格もあり、一緒に通学する機会は激減してしまった今日この頃。僕ですか? だからドライバー担当じゃないんですよヤダなぁー。


「センパイ!」


 なので僕は、音色と通学している期間だけは遅刻というモノをした記憶が殆どありません。全ては音色のおかげ様です。なんせ音色ときたら、僕を部屋まで迎えに来て起こしてくれますから。その点に於いては音色、母親よりお母さんかもしれない。ま、僕には母様の記憶がないので、経験上この場合は母親代わりでもある感じの翠子やテメェーちゃんがエントリーする事になるのだけれど。兎にも角にもこの二名、遅刻したくらいで死にやしませんし休みたかったら休めばイイじゃないのさぁー♪ っていう人達なんだよね。神に仕えるクセに、さ。特にテメェーちゃん。コノ人のスイッチは未だに不明です。自分に厳しく他者に優しいって感じなのは判るのだけれど。たしかにそのとおりだとは思いますよお二人さん、でもね。やっぱりそれとこれとは別なのでは? とも、思っていますよ今でもずっと。ま、愛のある放任主義って感じなんだろうけどさ………父親代わりなドリーのオッサンも含めて、ね。


 って、それもまた兎も角として。


「ティッツが豊満かどうかはあまり興味ないのですが」

 音色の爆発に対して暫し黙考のフリをかました後、僕は然したる興味もございませんという意を漸く表明した。ただし、ちょこびっとだけ迂闊だったかなぁ………と、言うや否や反省したのだけれど。

 このような事態に至る始まりは、『センパイは私の事をまだ子供だと思ってるかもしれませんが、私は未だ未経験とはいえ未発達なんかではありません。おっぱいなんか、ほら。こんなに成長したんですからね! 一緒にお風呂に入る機会もめっきりなくなってしまったから、だから気づかなかったでしょうけど、私の自白によって知り得た今この時となっては流石にセンパイも、ふふふ。身体はすっかり大人な私に、少しはムラムラとかするでしょ?』という、大人だと思ってほしいのかイマイチ判然としない音色の宣言からでした。それは自白ではなく自爆だろって事は充分に理解したし、たぶん一言一句間違えていない筈なくらいちゃんと聞いてもいたのだけれど。


 だからこそ。


 身体は大人ってつまるところ、性格は子供って事だよね? 自覚ありって事だよね? しかも、さ。未だ未経験ってわざわざ報告しちゃうし。子供扱いしているつもりは全くないのだけれど、実のところやっぱり家族だからどうしても妹みたいな感覚にはなってしまうワケで。

 で、そんな音色が昼過ぎに講義室へとそれぞれに分かれる間際になった際に珍しく真顔で、『実は私、センパイに言おうと思ってた事があるんです。でもそれは帰り道で言いますね。では、後程!』なんて言うもんだから、二人で仲良く通学している際に何か怒らせるような事でもしたのかなとかなりビクビクしていた僕は、拍子抜けしたっていうか安心したっていうか何ていうか、なんだそんな事かみたいな気持ちになってしまって、『え、ムラムラしないけど。どうして?』と。


 けれど、でも。


 そこを攻略されている時の反応が可愛いかどうかが大切なのであって、大きくても小さくてもその様子が可愛かったらムラムラすると思うよ。←と、いう単刀直入な発言は避けたのだから、その点は評価していただきたい。ま、評価してもらうには折角グッと耐えたその思いを披露しなくてはならないので、評価してもらう事は叶わない夢の如しというジレンマが待ち受けているのだけれど。


 って、あれれ?

 何の話しだっけ。


「ぐぬぬ、な、なんですとぉおおおー! 音色のおっぱい触りたいなとか掴みたいなとか揉みたいなとか摘みたいなとかイジりたいなとか舐めたいなとか吸いたいなとか埋めたいなとか挿みたいなとか弄びたいなとか独り占めしたいなとかって思うでしょうがフツー!」


 あ、そうでした。

 グッジョブ音色。


 反省しつつも興味ない発言を繰り出したところ、音色は敢えてなのか無意識なのか、それはもう絶対にR18指定を喰らうであろう内容に特化した発言の数々をまくし立てた。因みにですけど音色さん、たまたま通りかかった見知らぬ人達におもいっきり引かれちゃっておりますぞぉー。


「音色、声がデカいよ」

 なので、一応は忠告してみよう。


「声の大きさのお話しじゃなくておっぱいの大きさです!」

 が、しかし。思い伝わらず。それはそうと、巧い事言うね音色。けれど、残念ながらまたもや自爆です。


「そりゃさ、場合によってはそういう事を思わないでもないよ。でもさ、どっちかって言えば小さい方が好みかな」

 大きくないと出来なさそうな事も多々あるのだけれど、そんなプレイは些細な事だから出来なくても無問題だし、うん。子供の頃からアイドルさんとかグラビアさんとかよりもアスリートさんに憧れてきた僕なので、その影響で小さい方が好きになってしまったみたいです。敢えて言うならスタイル的にはっていう程度の差違なのだけれど、ね。


「なんと! 私のジョーカーが………気づいてないからだと思ってたのに気づいても同じだなんて、そそそそんなバカなぁあああー!」

 叫びながら、音色は頭を抱えて膝を落として天を仰ぐ。


「え、オーバーじゃね?」

 たかだか僕ごときの好みと違うってだけで、そんなに? と、僕は音色を見つめた。


「あうう、私のプライドはズタズタに崩れてしまいました。ふくぶーのバカぁー!」

 おいこら音色さんよちょっと待て。


「どさくさ紛れに副部長を略すのヤメてもらえます? お腹みたいだから」

 これがもしも日記とか小説みたいな読み物であったとしたら文字で伝わるだろうけれど、これは少なくとも僕にとっては間違いなく現実。なので、こうして会話している音の響きだけではどう理解されるか判らないでしょ? と、たぶん真っ当なお願いをしてみる。


「荻原副部長センパイだけに荻原、オギハラ、ハラ、ハラ副部長、フクブ、腹部、腹、原。なんてねどうだまいっただろわぁーいわぁーい!」

 すると音色さん、新たなキャラクターに豹変しちゃいました。ほんと、音色と言い七色と言い、実際のキャラを僕にだけ晒し過ぎだろ。


「あ、なるほど」

 さっきから巧いじゃねぇーか。

「って、うるさいよ!」

 ちょっとだけ感心したのだけれど、調子こくから敢えて言いません。今日からオマエの名は『ふくぶー』だ、がっはっは! とかって統一されるのは勘弁だしね。


「あ、あ、あーっ、小さいおっぱいが大好きって事はもしかしてセンパイ、ロリコン趣味だったんですか?」

 新たなキャラに引き継いで全うするのかなと思っていたら、音色は極めて真面目なトーンで予想外な方向へと膨らましてきた。


 ま、イイのだけれど。

 って、イイのかおい。


 兎にも角にもどうやら僕、勝手な決めつけ及び拡大解釈で『微乳・命! な、人』に、されちゃっております。いやまあしかし、今日も今日とてよくしゃべるよ。イニシアチブは握っていたいって感じに見えなくもないのだけれど、長いお付き合いの中から断定するにたぶん音色は、思いついたらすぐ訊いてみるタイプ(←何故か僕にだけ)なのかな。七色もそうなのだけれど、極度の人見知りなクセして僕には昔からこうなんだよねぇー。なんとなく疑問。音色のこういう姿(←本性とも言う)を、知らない諸氏からは人見知りが転じてお淑やかと思われているのだけれど、それって良いんだか悪いんだかだよなぁー。


「違うっつぅーの」

 思い出してみれば、ガキの頃から誰かいると決まって僕の後ろに隠れてしまうくらいに人見知りで、子供とか動物に対しては積極的に話しかけたりするようにはなったものの、実のところ今もあんまり変わっていなかったりする。音色が僕に人見知りしなくなったのって、いつからだったっけ………。


 なんとなく。ただ、なんとなく。

 七色と被る気がしないでもない。


 考えてみると、内弁慶という事でもないんだよね。おじさんやおばさんは実の娘として完全に溺愛しているし、ドリーのオッサンも何故か負けじと実の娘みたいに接していたりしたのだけれど、実のところ音色は未だに凄い気を遣っているんだよなぁー。それも、かなり。


 と、なると。だよ。


 どうして僕は、さ。

 気を遣われないの?


 年齢が近くて殆ど一緒にいるから異性とか目上とかって感じではなく、どちらかというと子供とか動物に対する………たしかに面倒かけている、か。


 深く考えるのはヤメとこう。


「例えば、二十歳を遙かに過ぎた大人の女性なのに幼児体型っていう、ギャップ? それがイイんだよ。ティーンの娘がぺったんこってさ、そんなの当たり前でしょ? そういう意味で言えば音色は十代だから、それもギャップと言えばギャップだし、OKかもしれない」

 何はともあれそれは兎も角として兎にも角にも、ここらあたりで機嫌を直しておかないとマジで怖い音色が登場しそうなので、僕は一般論的な感じで肯定してみた。

 ま、年上のお姉さん好きな僕としては年下のグラマーさんであれば『そのギャップ、有りです!』とは思うのだけれど、上のボンや下のボンのせいで着る服が限定されちゃうのに加えてサイドから眺めた時のラインがあんまり、こうさ………ごにょごにょ。やっぱ、アスリートさんな体型の方が好きだな。あくまでも、観賞するとするならば、ね。


「えっ、はうう。ホ、ホ、ホントですか? って事は、決して全否定ではないという事で、それはつまり私でも、ごにょごにょ………」

 すると、何故か音色もごにょごにょ。飽きてきた頃に新たなキャラクター登場みたいな?


「それはそうと、グラマラスさんは損だよね。スレンダーさんは寄せてあげたり仕込んだりってパターンも出来るから、ファッションに幅があるでしょ? 盛る事はいくらでも出来るけどさ、削る事は少しも出来ないもんね」

 つまりは、そう。メリットもあればデメリットもあるってヤツです。物事は必ず○と×で出来ている。と、いう事は。○だけで構成されているというのは完璧という事。完璧なんていう事が出来るのは神様だけなのです。まさに、神業なんだよ。


「お、ふくぶー鋭いです! 実はそうなんですよねぇー。で、胸の辺りがキツいとか肩が疲れたとかちょっとでもボヤこうものならすぐに、それ自慢ですかぁー? とか言われちゃうんですよぉー! ぷんすかぷんですよ全く。自慢するならするでもっとアピールした言い方するっちゅーの」

 と、ぽつり。しょんぼりと言う。何だか本当に苦労していそうだったので、出だしのヤメてくれ発言はスルーしておいてやろう。


「だよなぁー」

 ジョーカーは最強でもあり、最弱でもあるという事なのかな。そういった気苦労も、人見知りになる要因のヒトツなのかもね。よし、ここは僕が応援しちゃおう!

「でも、音色は優しいし、面倒見も抜群にイイし、可愛いから大丈夫!」

 言うや否や、渾身のサムズアップ。


「え、あ、あう、あの、はうう、センパイ、あの、その、えっと、じゃあ、じゃあですね、次のお休」


「だから、頑張ろうぜ!」

「へ? いやあのセンパ」


「世界は広いんだから!」

「ですから、次のお休み」


「例え今は十人中一人だったとしても、視野を広くして百人の世界に飛び込めば十人になる。更に踏み出して、千人なら百人だ。そんな感じで世界を相手にしたら、えっと………五十億として、五億にもなる! ほら、世界は広いぞ。凄いじゃんか!」


「あ、ホントだ。って、ですから」


「な? 音色!」

「あの、次のお」


「世界を見ようぜ!」

「ですから、次のお」


「見ようぜ音色! な?」

「やっ、すみ………はい」


「うむ!」

 優しい先輩かどうかは自信ありませんが、優しい後輩であり優しい幼なじみでもある親愛なる音色へ、溢れるくらいの友情を溢れさせてみました。


 なんか僕。ここぞという時にさ、

 イイ事を言ったような気がする。


 日本晴れだよ!


 ん、天晴れ。マジで気分爽快!

 レベルアップしたんとちゃう?


「じゃあ、立ち話しはここらあたりでヤメて、歩くの再開しようか」

 募金したような清々しさだからか、歩くリズムが軽い。


 が、しかし。


「………」

 何故か音色は浮かない表情。


「どうした?」

 って言うか、


「えっと、怒ってる?」

 何故に?


「怒ってません」

 って、怒ってますよね。


「………」

 怒らせるような事した?


「スネてるだけです!」

 えっ、と。同じ事なのでは?


「え、ゴメン………」

 謝ろう。

「音色、ゴメンね」

 何か失敗したっぽい。


「ホントに悪いと思ってますか?」

 あ、やっぱそうみたいです。


「うん。激しく思ってます」

 これはヤバいかも。


「じゃあ………」

 殴るの?


「………じゃあ」

 殴るの?


「………」

 ごくり。実のところ音色は、『顔面への打撃はグローブ着用での殴打とレガース着用での蹴打以外の全てがNGで、目潰しや金的以外であればどのポジションからの攻撃でも問答無用で無問題、つとるところOKです!』という、スポーツというよりも格闘技といった方がそのイメージに似つかわしく、ジムというよりも道場といった方がピッタリで、生徒とか会員というよりも門下生といった方がしっくりくるルールを採用している武道の有段者で、名前が書いてある木製のプレートの場所が一応は師範代の次に位置する僕の次の次なワケで。


 レベルは黒帯。

 つまり、猛者。


 今風に可愛く表現すると、所謂ところの『総合格闘技ガール』なのです。因みに、ドリーのオッサンが道場主で、テメェーちゃんが師範代で、僕等が住む施設に併設されている道場がそれだったりする。これも因みになのだけれど七色も黒帯で、棍を使用した格闘術もあって、それが祓魔師の基本戦闘スタイルになっていたりします。


 それは兎も角として。


 なので音色、怒ると凄い怖い。僕も一応は黒帯ではあるのだけれど、そして尚且つプレートはテメェーちゃんの次に位置してもいるのだけれど、翠子や音色や七色に対してはどうしても気後れしてしまう。けれどそれは差別とか区別とかいう感情では決してなく、大切な家族に本気で攻撃するなんて出来ないという心情で。


 ん? それだと、アレだよな。

 区別している事にはなるのか。


 ま、それはそれとしておこう。


 ウチの道場ってさ、紳士淑女であれとか常に優しくあれなんていう道場訓があるワリに、性別や年齢やクラスやその他諸々一切問わず、実践形式で一緒に稽古させるんだよなぁー。激しく矛盾していません?ま、口には出しませんけど。


「手、繋いでもイイですか?」

「え?」


 握手って事?

 仲直りって事?


「え、あ、イイけど………」

 記憶のロード中だった僕は、音色の申し出を受けてそれを中断して音色との現在に意識を集中させた。しかしながら、その真意が判らなくて少し逡巡してしまうに至り、なんだかもじもじと恥じらいを見せる音色を目視。


 ぎゅ。


 逡巡したままその申し出を受諾してみると、音色は即座にお互いの指を交互に絡ませる形で手を握ってきた。最近の握手ってそれがスタンダードなのかい?


 で、


「にゃは♪」

 何故か満面の笑顔。


 何なのその変わりよう。


「………?」

 情緒不安定とか? 女心は複雑怪奇です。と、どこかで誰かが言っていたような記憶が無きにしも非ずなのだけれど。


 やっぱり、さ。うん。

 女性ってよく判らん。



 ………、


 ………、


 ………、



 こけこっこぉー。それなのに、くっくどぅーどぅるどぅー。それが、同じ生き物から発せられる同じ鳴き声を聴いた際の文字表記だと知った時、私は人間という生き物に対して信頼のおけない欠陥品という意識を持つに至りました。


 そして、


『えっ、マジですか?』

 と、思った。


『そんなバカなぁー!』

 と、感じた。


『どんな耳してるの?』

 と、考えた。


『実は違う種族なの?』

 と、悩んだ。


 その結果、欠陥品という意識を持つ以外に明確な答えを導く事は出来なかったのだけれど、不思議な感覚だけが残った。どっちが正しいとかいう類の二元論的な問題ではないのだから、違和感という相違がモヤモヤと漂う有り様が暫く続いてしまい、そしてそれは今もまだ向き合えば相も変わらずそのような状態に陥る可能性が酷く高い。これは聞いた話しによればなのだけれど、めちゃんこ有名な焼肉店のお名前もそうらしい。曰く、お肉を焼いている時の音が西洋の人達には『じょーじょー』と、聞こえるからだとか。この由来につきましては最近になって知った情報・・・・と、いうか都市伝説なのかな? なのだけれど、前者の方につきましてはまだ私がローティーンの頃でした。もしかしたら、あのキラキラした青い瞳に映る景色も、私なんかが判別している彩りとは違うモノなのかもしれない。例えば、私が青と表現している色。それは実のところ青という言葉が同じなだけで、その色は違うのでは? なんていう世間でよく言われている疑念も、抱いた事があります。


 ある種の怖さを感じながら。


 なので。と、言うと精神状態を疑われてしまうかもしれないのだけれど、でも。私、初めて出会った西洋の人達の内の一人におもいきって伺った事があるんです。その結果、無惨にも大笑いされてしまいましたけどね。


 おぉー、ふぁんたすてぃっく!


 って。勿論それは、幻想的な考え方をする人ですねという意味ではなく、風変わりな人ですねという事だったんだと思います。なんせ、大笑いされちゃいましたから。とは言うものの、そういう意味もあるという事実を認識したのは後々になっての事ですけど、ね………がっでむです!


 いえあのそのあはは。

 ははは、はは、はぁ。


 ふいぃー。


 私、何してんだろぉーマジで。どうしてこんな事になっちゃうのかなぁ………。次から次へと問題が起きて、その度に事がどんどん大きくなっていって、ちっとも上手く運べない。はじめの一歩で早くも躓いて、けれど引き返す事なんて出来なくて、挙げ句の果てがこの有り様です。我慢しきれず動いてしまったツケ。若しくは代償。エンカウント高すぎですよ全く。


 ホント、やんなっちゃうよ。

 こんな筈じゃなかったのに。


 私ね、夢のない世の中だなと思う時があるんです。それも、結構あるんです。頻繁に思うんですよね。何かこう、ほら、その、えっと、大人………と、言うか成人かな? つまり、そういう年齢に近づく毎に、更にはそのあたりを通り過ぎても、現実的理解だの常識的思考だの科学的根拠だのという、現時点では決定事項なのかもしれないけれど覆される可能性はゼロではない筈なのに絶対的な価値観として取り決めかのように事を主張する輩に、オマエの戯言は幼稚な妄想だ! と、上から目線で決めつけられて、丸ごと否定されて、人格まで蔑まれて、目の前にある景色のみを当たり前のように受け入れるだけの毎日に成り変わる事こそを成長という世の中。飯事遊びやゴッコ遊びを素直に楽しめない年代があるという世の中。例えば、アポロは月に着陸なんてしていないと人は言う。殆ど真空な月で旗がなびくのはおかしいと人は言う。真空だからこそなびいているように見えるようバネを入れて持っていく予定だと、持っていく前に新聞に掲載されていたのにも関わらずです。そんな当たり前の科学的な事を当時の最先端を走る科学者が事前に考えてすらいなかったなんていう考えの方こそが、まず何よりもオカシイと思うんですけど。それとも、その新聞とやらが紛う事となく捏造というヤツだったのでしょうか。それとも、当時の最先端を走る科学者はそんな事すら考えつかなかったのでしょうか。やっぱり国家の威信を示す為の旗なんだから、真空だとなびかないけれどそのままですなんて格好悪いし、何らかの工夫くらい事前に考えると思うんですけどねぇ………。


 そう思いません?

 思いますよねぇ?


 たぶんきっと、うん。

 アノ人、なら………。


 アノ人なら。頭ごなしに否定したりはしないだろうし、却下したりもしない筈。それどころか、何かしら一家言持ち合わせているのではないかしらと思ったりもする。民主主義だから多数決を尊重するけれど、多い方が正しいかどうかは別の話しだ。みたいな事から話しを弾ませてくれちゃうかもしれないのがアノ人ですし。今度、訊いてみようかなぁー。


 今度。なんていう機会が、

 私に訪れてくれるのなら。


 今の世の中は情報社会。故に、殆どの疑問の答えはすぐに手に入る。脳内に描く空想のあれやこれやは、全て実現可能だと偉い人が言っていた。でも実際は、カメ○メ波は出せない。ライ○セーバーは作れない。知った風な口振りで鼻で笑う人さえいる。科学的に不可能だってふんぞり返る。曰く、どうやらSFとかオカルトとかはあくまでも空想の産物で、現実の仕組みに照らし合わせると不可能な何かが立ちはだかるらしい。じゃあ、さ。翻って科学は万能ではないって事なのでは? そもそも、その理論は本当に不変なの? 未来永劫どこもかしこも問題なく大正解で、何一つ間違ってはいないとでも? 見落としはないの? 根底から覆すような、そんな新発見は永遠に訪れないの? このままなの? これにて未来永劫の打ち止めとかなの? ホントにここまでなんですか? 頭打ち? ジ・エンド? 煮詰まり? 限界? さよならバイバイ? FIN? MAX? 世界の終わり? シャッター閉じちゃったの? 何なの? 閉幕? 終焉? 劇終? それとも、こんな知識を持っている俺って偉いでしょ的な自己顕示欲ですか? ならば、諍いや争いや闘いといった最終的には結局のところがパワープレイでしかないような口先は、たぶんこの先もずっといつまでたっても終わらないという事なのかなぁー。


 っ、ふう。


 核爆発のような大惨事を引き起こして強制リセット、資源を操る道具を作る事すら出来なくなって、イチからどころかゼロからやり直しになるまでは。絶滅を逃れて石器時代からよぉーいドンとなるまでは。もしかしたら、人間はそんな事をずっと繰り返しているだけだったりしてね。だとすれば、オーパーツって本当に以前の歴史の名残りなのかも。現在が煮詰まった世の中だとすれば、私達は何度目かの文明がそろそろ終わるあたりに産まれ、夢のないあたりを生き、いつ終わるやもしれない世の中で、跡形もなく朽ち果てていくだけ。


 と、思っていた。


 それが結論として蔓延っていた。納得するしないはスルーされたまま。つい昨日までは。いいえ、目が覚めて起きて支度してドアを開けた時に見た視線の先にある視界を飲み込む直前までは。それまでは夢を見ていました。それまでは眠っていました。けれど、その夢は徐々に私の意識がコントロールしていき、望むとおりの結末を迎えようとした。


 それはきっと、たぶん、おそらく。

 眠りが浅くなってきた頃という事。


 でも、まだコントロール下にあるのは私だけで、他のキャストはそれぞれに台本が与えられているようだ。そう、まるで現実と変わらない世界を生きているみたいに。と、なると。私は今、本当に夢の中にいるのだろうか? と、不思議に感じてならない瞬間を迎えます。すると背筋がドキリとする感覚がして、びくんと目を覚ます。雨と鼓動がリンクしていく。最近は特にこんな感じだ。今、外は雨のようだ。音で判る。経験によってそう認識する。私は何処かしらへと向かう為、いつもと変わらないペースで支度し、いつもと変わらないテンションで部屋を出る。私はたしかに、現実という世界の時間を消化していた………筈なのだけれど。 その時、唐突と言えば唐突な違和感に苛まれる。いつものとは違った、誰かに見られているような感覚。それも、どこか好意的ではない感情。もしかして、また気づかれた?


 そう直感する。


 何故そう認識する事が出来たのかは判らないのだけれど、でもそう思った瞬間に脳内で記憶が蘇った。それは何一つ覚えのない記憶だったのに、それなのに鮮明に思い出された。


 私は如実に逡巡した。

 だってそれはそうだ。


 脳内に映し出された過去の記憶らしき映像の何もかもがどれもこれも、浮き世離れし過ぎていたのだから。これは、夢なのかしら? 私はまだ、夢の中に居るのかしら? それとも、これが現実なのかしら? 私は本当に、現実の世界に身を置いているの? 私は平凡な民間人として暮らしていたいのに、そうではない環境に身を置いてしまった。


 目的地はもう不変なのだから、

 イクところまでイクしかない。


 私は、アノ人にずっと片想いをしている、乙な女と書いて乙女です………自分で言うの何なのだけれど。でも私は、それ以上でも以下でもなく、ましてや以外なんて筈もないのです。絶対に、きっと、たぶん、そう。おそらくは。


 逡巡を深めながら歩き始める。

 模索しなくてはならないのに。


 最早、何処へ向かう筈だったのかさえ思い出せず、ただただ歩き続ける。あてもなくフラフラと、たぶん夢遊病者のように。そして、そんな私を疑惑が追いかけてくる。一定の距離をあけながら、保ちながら、疑惑が私の後をついてくる。


 さて、どうしよう?

 どうすればイイの?


 振り返る勇気がなかった私は、切迫感に追い立てられてただただ歩き続ける。疑惑の主が誰なのかは察しがついてはいたのだけれど、私自身が何者なのだろうかという事が判らなくなる有り様。勇気どころか余裕すらない精神状態。その欠片ごときも見つけられない。さながら、追い詰められている気分だった。


 ああ、そうでした。

 もう引き返せない。


 ヤルしかない、か。


 様々で色々なマイナス要因に襲われると、必ずと言っても差し支えないくらいに浮かんでくるのはアノ人。私が求めるのは、いつだってアノ人だった。安息を求めようとするのではなくて、アノ人だけを求めていた。そう、いつだって。アノ人が傍に居てくれるのであれば、それなら安息でなくても構わないという程に、私はアノ人を欲している。


 踏み出してしまったのだから。

 諦めるワケにはいかないのよ。


 此処は? あっ………廃校? 教会近くの丘の上にある廃校か。どうやら私は、こんな所へとこの身を運んだらしい。それにしても何故、こんな所に来てしまったのだろう? 人の目の届かない、こんな所に。


 えっ、人の目の届かない?


「ひっ!」

 こつ、こつ。と、廊下を歩く何者かの靴音がする。その誰かはきっと、私を探している。


 私を制するつもりなのか。


 ………えっ。


 私を、制する、ですと?


 この私を? こんな程度の警戒心しか発せないアナタが私を制する、と? やれやれですよ全く。勘弁してくださいよぉー。いくら高名な実力者であろうとですよ、関係性を押し出してしまえば隙だらけの雑魚でしかない、でしょ?


 ナメんなよ。


 返り討ちにし………あ、そっか。だから私、こんな場所まで来たんだ。うん、そうだよね。これから起こす事、見られるワケにはいかないもんね。そうでした。呼び出したのは私。偽りを身に纏った私でした。


 さて、始めましょう。

 早く修正しなければ。


 がしゃん!

 ばたたっ!


「きゃう………」

 私は彼の前に転がり出る。そして、ちらり。彼を伺う。と、彼の視線は行き来していた。私が転がり出た後に悠然と私を追ってきた協力者と、私の間を。


 はい。そうですよ。


 協力者。と、

 私の間、を。


 行き来したんです。 


「何をしている!」

 彼は歩を速める。


「あぐ、う」

 私は弱々しく呻く。


「しっかりしてください!」

「あう、ぐ、テリーさぁん」


 努めて弱々しく、ね。


 ふふふ………あはは。


 そこを退きなさい、ですって?

 どこを見ているんですかぁー?


 あは、あはは。きゃは。


 隙だらけですおー!

 イイんですかぁー!


 ぎゃはは、あははは!

 死んじゃえぇえええ!


 ………、


 ………、


 その後の事は実のところ、よく覚えていないんです。ただ、耳元で褒められた事は覚えています。どうやら私はまた一歩、ゴールに近づけたらしい。今度こそ回避したかな。戻ってこれたのかな。


 で、こうしている。


 ついさっきまで呆けていた。血みどろの人間が………男が、私の足下で朽ち果てている。後ろから浴びせた一太刀。うつ伏せに突っ伏しているから定かではないのだけれど、たぶん前は綺麗だと思う。


 でも、背中は。ぐっちゃぐちゃ。

 だから、周りはべっちゃべちゃ。


 まるで汚物みたいですね。

 いいや、これは汚物だよ。


 うぐっ………あう。

 イヤな臭いがする。


 幾度この身を置いても慣れない。そんな臭いが、纏わりつくかのように漂っている。否応なく、私の鼻を襲っている。だからまた結局のところ、刺激されてしまった私の胃が悲鳴をあげる。


「ううっ、う、んく」

 うぐええっ!


 おえぇえええーっ!

 でろでろでろぉー!


 と、ボミット。


 見慣れているのに、

 嗅ぎ慣れはしない。


 でも、悪い気分はしない。


 さよなら。


 ふぁんたすてぃっく!

 と、私を笑った人よ。


「けほっ、ごふっ!」

 びちゃびちゃという音をたてながら、汚物が汚物を更に汚す。静けさだけが売りのようなこの空間を、汚れた音が汚していく。


「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、けふっ! けほっ、あがふっ! かは、ぜぇ、ぜぇ」

 私は膝に手をつき、前屈の姿勢をキープしたままで暫し、肩で息をする。呼吸が整ってくれる事を期待しながら。これが夢であれば、どんなにかイイのにと嘆きながら………ねぇ、こんな私でも、こんな私でも優しくしてくれるですか? それとも、まだ未だにこんな私だと知ったら、避けるですか? 私はどうすればイイですか? どうすれば私の傍に居てくれるんですか? どうか、私を邪険にしないでください!


 邪険にするワケがないだろう?

 これで良いんだよ。そうだろ?


「そう、だと………」

 イイんだけどなぁー。途端に涙が溢れ、流れ落ちる。アノ人のいない毎日を想像するだけで私は、それだけで生きていく意味を失う。アノ人がいるから生きている。アノ人が優しくしてくれるから生きている。それが、私なんかがこうして生きている理由。私には大切な人が何人もいるのだけれど、アノ人だけは誰にも渡したくないよぉ………。


 そうだ。だからこうしたのだ。

 邪魔するから消しただけだろ?


 ねぇ、私を助けてくれます?

 こんな私でも助けてくれる?


 これで良いんだよ。

 さあ、受け入れろ。


 捨てないですか?

 棄てないですか?


 悪い話しではない筈だろう。

 いつだってオマエの味方だ。


「こんなのって、ウソよね」

「え、ど、どうしてそこに」


 あ、すっかり忘れていた。

 尾行されていたんだった。


 小芝居のリバイバル公演を。

 私が激しく望む未来の為に。


 あはは。


 さよなら、だね。



 翠子お姉ちゃん!



 ………。


 ………。



              第三幕) 完

              第四幕に続く

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