三つの宝石 後半


Dahlia

第2幕 三つの宝石 後半




 二人は脚を止めずに走り抜けた。不思議と、走っている途中で誰にも出会わなかった。ダリアはこの博物館を熟知しているようで、行き止まりにぶち当たることはなかった。やがて二人は館内から中庭へと出ることに成功した。受付のロビーから眺めただけではわからなかったが、この中庭はずいぶんと大きいようだった。パラソルの備え付けられたテーブル席は、かなり遠くになっている。人はいまも席に何人か着いているようだった。二人は館内への出入り口の上に突き出した屋根の下から出た。陽射しが直接、顔に当たって暑かった。必死に走ったので体温も上がっており、なおのこと暑かった。息を整えながら、二人はパラソルの備え付けられたテーブルの方へ歩き始めた。右手には別館とおぼしき白い大きな建物が建っていた。それを横目で見ながら、ルティはポケットから白いハンカチを取り出した。

「ダリア、使う?」

ルティはダリアにハンカチを差し出した。ダリアは少しだけ困ったような顔をすると、すぐにその表情を変え、笑って言った。

「ううん、いいよ。ありがと。ルティこそ使いなよ。すごい汗だよ。」

ダリアはそこまで汗をかいていないようだった。涼しい顔で歩いている。ルティはハンカチで額の汗を拭った。風が気まぐれに吹いた。ダリアは胸元の薄桃色のリボンをほどくと、おもむろに自分の髪をルティと同じように後ろでくくった。

「えへへ、おそろい。これ、涼しいね。」

ダリアは高い位置から垂れ落ちてくる、馬の尾のような髪の束を撫でながら言った。二人は並ぶと姉妹かと思ってしまうほどよく似ていた。顔立ちと、瞳の色は違うが雰囲気や格好は非常によく似ていた。

「ふふ、おそろいだね。似合ってるよ。」

ルティは首の汗をハンカチで拭いながら笑った。遠くから人の賑わいが聞こえてくる。二人はそのまま真っ直ぐに、休憩所へと歩いて行った。歩くたびに、緑の芝生がサクサク鳴った。

 休憩所にはバンが一台、近くに看板を出して停まっていた。そこで飲み物を売っているようだった。ダリアの話では館内にレストランなどもあるとのことだったが、ルティはこちらの方がいいと言った。ダリアもこっちがいいねとルティに賛同したので、二人はパラソルの下で休憩することにした。二人並んで、バンへ飲み物を買いに行った。コーヒーや紅茶の他にも、フルーツジュースや炭酸系のものまでいろいろあった。食べ物も売っており、ホットドックやサンドイッチもあった。店主は太り気味の気の良いおじさんだった。ルティはアイスミルクティーを、ダリアはアップルジュースをそれぞれ注文した。

「お嬢ちゃんたち、姉妹かい?」

おじさんは薄いプラスチックのコップに氷を入れながら訊いた。二人はそろって首を横に振った。そして声をそろえて違いますと答えた。三人はあまりにも息がぴたりとあったことに笑った。

「はい、アイスミルクティーと、アップルジュースね。シロップ、何個使う?」

「一つください。」

おじさんはルティの言った通り、シロップを一つ付けてくれた。そして足りなかったら取りに来ていいからねと言った。二人は飲み物の代金をおじさんに渡すと、一番端っこの席に対面する形で座った。日陰になっていて、多少は気温が下がっている。隣の席では胸元がV字に開いている蒼い服を着た、黒い髪の若い男が煙草を吹かしていた。その若い男はルティとダリアを認めると、すぐにテーブルの上に置かれた銀色の灰皿に煙草を押し付けて火を消した。二人は着席すると、さっそくストローをくわえて一口飲んだ。

「あー、おいしい。」

ダリアが背もたれに身を預けながら言った。ルティはダリアの姿勢とは反対に、テーブルの上に腕を置いて前のめり気味になっている。ルティは鞄の革紐を肩から外すと、空いている椅子の上に置いた。もう一口、アイスミルクティーを飲む。紅茶の渋さはミルクで緩和されていたが、ルティにとってはやはり味気なかった。ルティはシロップのふたをめくると、中の透明な液体を全てミルクティーに入れた。それから、ストローを使って中の液体をくるくると回し、よくかき混ぜた。大きめの氷にストローがときどき引っかかった。もう十分に混ざっただろうと思ったルティは改めてストローでミルクティーを飲んだ。ひんやりとしていて喉の奥が気持ちいい。多少の甘みも加えられて美味しかった。一息吐く。

「おいしい?」

ダリアが訊いた。

「うん、おいしい。」

ダリアはルティのアイスミルクティーを眺めた。両手で頬杖を突くと、ほおをリスのようにふくらませている。そしてその顔のままで少し離れた席に座っている眼鏡をかけた細い中年の男へ視線を移す。ルティもダリアの視線の先を追って、男の方を見た。男は雑誌を読んでいた。その男のテーブルにあるプラスチックのコップには真っ黒の液体が入れられていた。きっと、ブラックのアイスコーヒーであろう。ダリアはそれを見つめていた。

「あんな苦いもの、なんで飲むのかな?」

ダリアは非常に小さな声でルティに話しかけた。

「さあ。わからないよね。」

ルティもひそひそと返した。

「おいしいと思う?」

「ぜんっぜん!」

二人は顔を見合わせるとくすくすと笑った。

「おとなって、よくわからないね。」

ダリアがにっこりと目を細めて言った。ルティはうなずいた。そしてまた二人してくすくすと笑った。その眼鏡をかけた男は、まったく気付いていないようだった。その様子がまたおかしくて、ふたりはずっとくすくす笑っていた。ダリアが少しだけ気を落ち着かせて一呼吸入れるとアップルジュースを飲んだ。

 ルティは改めて周囲を見回した。周りには大人しかいなかった。自分たちと同じような年頃の人間は一人もいなかった。ルティはそのことに少しばかり不安を感じた。そわそわとして妙に落ち着かなかった。一方、ダリアはそんなことなど気にも留めていないようだった。休憩を終えて別の場所へ向かう大人、新たに席へ着く大人、バンのおじさんから飲み物を買う大人、煙草を吹かす大人、それらをぼんやりと眺めていた。ルティは鞄を膝の上に持ってきて、中からパンフレットを取り出した。次に見て回る場所を決めておこうと思ったのだ。テーブルの上にパンフレットを広げるとルティは片手で頬杖を突き、目を通し始めた。ダリアもジュースを飲みながらパンフレットを覗き込んだ。

「ルティはさ。」

ダリアが話しかけた。

「どんなものが好きなの?」

「ぬいぐるみ、が好きかな。」

ダリアはにっこりとした。

「いいね。わたしも好きだよ。でも、ここには無いかなあ。」

「うーん。あ、宝石とか、きれいなお洋服も好きだよ。」

ダリアはパンと手を合わせた。

「それならあるよ。とってもきれいなんだよ。見に行く?」

「うん!」

広げられたパンフレットを閉じて鞄に仕舞うと、ルティはまた少しミルクティーを飲んだ。あと半分ほどは残っている。ダリアのアップルジュースも残りはそれくらいだった。二人はもうしばらく休んでから向かうことにした。また涼しい風が吹いた。ダリアが不意に手を頭のうしろに回した。彼女は白金色の髪をくくっていた、薄桃色のリボンをほどいた。ふわりと、解かれた美しい髪が下りてきた。ダリアはリボンを元通りに、胸元で結んだ。そして髪を手でばさりとやって広げた。

「ふう。痛くなってきちゃった。」

吹き渡る風が、彼女の髪を揺らした。風は中庭に茂る芝生や、花壇に咲いた花々の香りを包容して、心地良く鼻をくすぐった。その香りと風をいっぱいに浴びて、ルティは身体が軽くなるようだった。長い息を吐きながら身体を椅子へ倒した。ダリアは髪をてぐしで整えながら、そんなルティを見て微笑んでいた。ルティは視界の中に微笑むダリアを捉えながらなにを考えるでもなく、しばらくぼんやりとしていた。ミルクティーの入ったプラスチックのコップは結露して、表面に水滴が浮かんでいた。少しずつその水滴が大きくなってきており、上の方から透明な筋となって流れ落ちている。ルティはコップを持ってまた少し飲んだ。氷が溶けてきているようで、少しだけ水っぽかった。

 隣の席に座っていた蒼の服を着た若い男が、空になったプラスチックのコップと銀色の灰皿を持って席を立った。ごみはごみ箱に捨て、灰皿も指定の場所に戻した。白っぽいデニムジーンズのポケットに片手を突っ込むと、彼は本館の方へと歩いて行く。その様子をずっと見ていたダリアは、彼の背中を見送りながらルティに話しかけた。

「さっき、となりに座ってた男の人。いい人だったね。」

「どうして?」

「わたしたちが来たときに、たばこの火、消してくれてたんだよ。

 たばこの煙って、からだにすごく悪いんだって。きっと、おもいやってくれたんだよ。」

ダリアは館内に入っていく若い男の背中を、またちらと見た。ルティもダリアの視線の先を追う。ルティも少しだけではあるが、蒼色の大きな背中を見ることができた。

「そうだったんだ。お礼、言えばよかったな。」

ルティは彼の姿が消えてしまった景色を眺めながらつぶやいた。

「そうだね。言えばよかったなあ。」

ダリアがアップルジュースを飲みながら言った。ルティもミルクティーを飲んだ。お互いに全て飲み干した。あとには透明な氷だけが容器に残った。


​​♪♪♪


 ルティとダリアはさきほどの若い男に倣って、バンの近くに設置されたごみ箱の中に空になった容器を入れた。ダリアと並んで、ルティはまた博物館の中に入っていった。中はやはり冷房が効いていて涼しかった。ゆるやかな音楽も変わらずに流れていた。人も数人、廊下を行き来し、展示されたものを見るために立ち止まったりしている。コツコツと、かわいらしい靴の音を響かせて二人は回廊を歩いて行った。ある一室の前まで来ると、ダリアはルティより少しだけ前に出ると、彼女を振り返った。

「ここが宝石の部屋だよ。わたしも久しぶりに来たなあ。」

ダリアは部屋をガイドさんのように手で示しながら言った。ルティは顔を輝かせた。ダリアは部屋を示したまま、ルティが部屋に入るまで待った。ルティが部屋に入ると、ダリアも続いて入って行った。

 部屋は真っ白な照明でとても明るかった。部屋の壁と部屋の中央に、宝石店のようにガラスケースが設置されている。ルティとダリアは入り口から入って左側から順番に見ていくことにした。ガラスケースの中も真っ白で、宝石の輝くその色がよくわかる。ダリアは宝石の部屋と言ったが、厳密には鉱物の展示室だった。中にはしっかりと加工された宝石もあるが、その他にも原石のまま展示されているものがあったり、ただの石ころのようなものがあったりと実に様々だった。ルビー、サファイア、ダイアモンド、ガーネット、エメラルド、オパール、アメジストなど、様々な宝石がガラスケースの中でそれぞれの色を煌めかせていた。ダリアがサファイアの前で立ち止まった。

「わあ。これ、ルティの瞳にそっくりだよ。サファイアっていうんだね。」

ルティもダリアの見つめる深い蒼色をした宝石を見た。その美しさに、ルティは息を呑んだ。ガラスケースの中のサファイアは、まるで魂が抜けてしまうほどに恍惚とさせる輝きを放っていた。まるで、どこまでも広がり続ける晴天の大海原をこの小さな石の中に閉じ込めてしまったかのようだった。ルティは、自分の瞳がこの宝石のようだとダリアに言ってもらえて嬉しい反面、少しばかり照れくさかった。

「そう、かな。ありがとう。」

わずかにほおを紅くした。それをごまかすように、ルティは鞄からペンとノートを取り出した。石の手前に書かれている説明書きを書き写していく。


 ――― サファイア ―――

 ――― 中に含まれる不純物の違いで濃い紅色を呈するものはルビーとなる ―――

 ――― なお 黄色や茶色などの色をしたものもサファイアと呼ばれる ―――

 ――― 蒼色のサファイアはその昔 油絵に使われる蒼の顔料だった ―――

 ――― ダイアモンドに次ぐ硬度を誇る モース硬度9 ―――

 ――― 石言葉 慈愛 誠実 貞操 高潔 徳望 心の成長 ―――


こうして説明書きをしっかり読んでみると、サファイアという宝石について何も知らなかったのだということを実感する。それはルティの好奇心をたっぷりと満たしてくれた。知らないことを知る。その未知との遭遇が、ルティにとっては何よりも楽しいことだった。夢中で紙にペンを走らせた。ダリアも説明書きを興味深そうにずっと読んでいる。やがてルティは書き写しを完了した。ペンが紙をこする音が消えたことに気付いて、ダリアがルティの方を向いた。

「あ、書けた?」

「うん。ごめんね。待たせちゃって。」

「あはは。いいよ。」

ルティはノートとペンを仕舞わずに、そのまま見ていくことにした。カニのように二人は横向きに移動していった。ルティは自分が気に入った宝石や変わった鉱物は全てその説明書きをノートに書き写していった。なかなかに時間がかかるが、それでもダリアは何も言わず、それど ころかメモを取るルティと宝石を交互に、楽しそうに眺めていた。

 ある時、ダリアが声を漏らした。その理由はルティもすぐにわかった。ガラスケースの中に、ダリアの瞳にそっくりな輝きを放つ、透き通った緑色の宝石が安置されていた。ダリアはその宝石そっくりの瞳をきらきらと輝かせて見入っていた。

「ダリアの瞳にそっくりな宝石もあったね。エメラルドっていうんだ。」

ルティは微笑んで言った。

「うん。」

ダリアも静かに笑ってうなずいた。なんだか今にも涙がこぼれ落ちてしまいそうな瞳だった。ダリアは静かに続ける。

「前に来たときは、無かったんだけどな。これ。」

「よかったね。ダリア。」

「うん。なんだか、うれしい。」

ルティは嬉しそうにしてエメラルドを見つめるダリアにしばらく優しい眼差しを向けていた。そして、説明書きをダリアの名前が記されたページの、そのダリアの名前の下に書き始めた。


 ――― エメラルド ―――

 ――― 内部に特有の傷があり それが天然ものの指標とされている ―――

 ――― 天然には良質の石がほとんど産出されない ―――

 ――― オイルや樹脂に浸すなど 化学的処理を行う ―――

――― それにより傷を隠したり 耐久度を高めたりする ―――

 ――― 内部の傷により壊れやすく 職人泣かせの石とも言われる ―――

 ――― 石言葉 幸福 幸運 希望 安定 ―――

 ――― ダリアの瞳に よく似ている ―――


ルティは書き終えたが、なおもダリアはエメラルドに見入っていた。ルティももう一度、展示された緑色の宝石をよくよく見てみた。説明書きにあるように、確かに宝石の内部には傷とおぼしきものがあり、光の屈折の変化が見受けられる。それがまるで海の中に生じる細かな気泡のようだった。そしてその緑色の海の中に、一条の光が射し込んでいた。エメラルドキャッツアイと呼ばれる極めて希少なものだった。光が挿す、海のような宝石に二人は並んでしばらく見惚れていた。

「あ、書き終わったんだね。ごめんごめん。」

ダリアはルティの様子に気付くと姿勢を戻して、また横にスライド移動した。その時、ダリアは移動する方をよく見ていなかった。

「きゃ!」

何かにぶつかって、彼女は短い悲鳴を上げた。そのまま反動で進もうとした方向とは反対側によろける。ルティはバランスを崩しかけたダリアの背中を支えてやった。ダリアの後ろからその先を見ると、見覚えのある色がルティの目に飛び込んできた。胸元がV字に開いた蒼い半そでの服。その胸元には三日月のネックレスが揺れていた。黒い髪。さきほど、隣の席に座っていた若い男だった。男は少しだけ驚いたようで、紫色の瞳を二人に向けていた。白っぽいデニムジーンズのポケットに突っ込んでいた両手を出して、向き直る。

「ごめんね、お嬢ちゃん。大丈夫だった?」

柔らかな声だった。二人はすぐに青年を認識した。青年の方も二人を一目見ると、先ほどのことを思い出したようだった。小さく声を漏らした。

「ああ、きみたち、さっきぼくの隣に座った・・・。」

「ぶつかってごめんなさい。」

ダリア素直に謝った。青年は困ったように笑っていた。

「いいよいいよ。気にしないで。」

言われて、二人はほっと息を吐いた。ルティはさっき、目の前の青年が自分たちを思いやってすぐに煙草の火を消してくれたことを思い出した。そして、そのお礼を言いそびれていたのだということも思い出した。こういう時、ルティは恥じらったり、躊躇したりしない。他人に何かをしてもらったらしっかりとお礼を言う。他人に迷惑をかけたりしたらしっかりと謝る。そういうふうに、両親に口うるさく教えられていたので、それはルティにとって当たり前のこととなっていた。この時も、ルティはすんなりと口にした。

「あの、さっきはありがとうございました。」

青年は感謝されることを二人に対してした覚えがないようで、面食らった。

「え。ぼく、何かしたっけ?」

そんな、少し間抜けな表情を浮かべて首をかしげる青年を見て、ルティとダリアはくすくすと笑った。わけもわからないまま、青年も頭を掻いて笑った。ルティは答えた。

「たばこの火、消してくれましたよね。」

青年は、今度はやわらかい表情をした。

「ああ。あれね。はは、お礼を言われるようなことじゃないよ。それが普通さ。」

「ふうん、普通、なんだ。」

ダリアが少しだけいじわるな顔をした。その顔で青年を少しだけ見てから、ルティの方を振り返った。そしてまた、くすくすと笑いながら言った。

「やっぱりおとなって、わからないね。」

「うん。でも、ダリアの言う通り、おにいさんはやっぱりいい人だったね。」

「なんか、照れくさいなあ。」

青年は気恥ずかしそうにしながら、また頭を掻いた。ダリアは青年を向き直った。

「わたし、ダリア。おにいさんは?」

「ぼく? ああ、ええ。パ、パティー。パティー・ティエンス・・・。」

青年は顔を真っ赤にした。男にしてはやけにかわいらしい名前だった。名乗り方を見る限り、どうやら青年は自分の名前にコンプレックスを抱いているようだった。

「ルティ・ベクアールです。」

ルティも名乗った。

「うん。ダリアとルティね。覚えておくよ。」

彼は紫色の瞳をきらきらとさせた。ルティはノートに彼の名前を書き込んだ。

 それから三人は部屋に飾られている鉱石を一つ一つ順番に見ていった。青年はなにやらそわそわとして落ち着かないようだったが、特に何も言わなかった。アメジストという紫色の宝石に辿り着いたとき、ダリアが青年の瞳によく似ていると言って、また青年を赤面させた。ルティも青年の瞳と、アメジストを見比べてみたが、その色の輝きは確かに似ていた。濃い紫色の不思議な色合いだった。ルティはその色を初めて知った。ルティはパティーの名前の下に、アメジストの説明書きを書き写し始めた。

「パティー、ごめんね。ルティは書き写すのに時間かかるんだ。」

ダリアはルティの代わりに謝ってくれた。ルティも一旦、書くことをやめると二人を向いて改めて謝った。パティーは笑うと手をひらひらと振り、了解した。彼は自分のペースで室内を歩いて好きな鉱物を見て回っていた。ダリアは変わらずに、ルティが書き写しているのを、隣で見ている。そんな二人を、パティーはちらちらと見ては気にかけていた。


 ――― アメジスト ―――

 ――― 美しい紫色の濃淡は幅広く 濃い紫色ほど上質とされている ―――

 ――― 紫外線に当たると脱色してしまう 夜の宝石と言われる ―――

――― 加熱すると変色し シトリンとその名を変える ―――

――― 愛の守護石 真実の愛を守りぬく石と呼ばれる ―――

 ――― 石言葉 誠実 心の平和 高貴 覚醒 愛情 ―――

 ――― パティーの瞳によく似ている ―――


「はあ、なんかお腹が減ったなあ。」

二人に近付きながら、パティーが小さくぼやいた。ルティもダリアもパティーを見た。パティは右手首に着けられた細い銀色の腕時計に視線を落としていた。

「二人とも、ランチは済んでる?」

ルティとダリアはそろって首を横に振った。ルティはちょうど書き終えたようでノートを閉じ、ペンとともに鞄の中へ仕舞った。それを見てパティーは少しだけ申し訳なさそうな顔をした。彼は一言詫びると、本題に移った。

「二人の気が済んだら、ランチにしない? ぼくが出したげるよ。」

「そういえば、おなか空いたね。ルティ、どうする?」

ルティは恐縮した。

「そんな、ごちそうになるのは悪いです。」

パティーはルティに微笑みかけた。胸を張ってドンとこぶしで叩いて見せる。

「いいんだよ。ぼくも、一人でランチはさみしいと思ってたところだから。」

ダリアがまた、目を細めて悪い顔をした。パティーをじっと見つめてから、悩むルティの方を向いて笑いかけた。

「甘えちゃおうよ。男の人は、女の子にごちそうしたがる生き物なんだよ。」

「そうそう。ってこら! ダリア!」

「あははは! 怒られちゃった!」

三人は笑い合った。話はパティーが二人にごちそうする方向で決まった。彼はルティとダリアが満足してから食べに行こうと言った。ルティはその言葉に甘えさせてもらい、もうあと二、三の鉱石の説明をノートに書き留めた。ルティが書き終えてから、三人は本館の三階にある見晴らしの良いレストランへと向かった。

「はは、女の子にランチ振られるのは、ちょっと悲しいんだよね。よかったよ。」

パティーがつぶやくように言った。彼は苦笑していた。ルティが二階への階段を登りながらパティーに、振られたことがあるのかと訊いた。パティーはずっと苦笑いをしていた。ルティはダリアにお叱りを受けた。ルティから見て、パティーは非常にかっこいい青年だった。痩せていて背はすらりと高く、優しい柔和な表情をしていた。こんな人がお兄ちゃんだったらいいのになあ、とも思った。こんなにかっこよくて優しい人が、なぜそんな苦笑を浮かべるのか、ルティにはいまいちわからなかった。

「優しいだけじゃねえ、だめなんだよ。」

彼は少し悲しそうに答えた。その表情と言葉に、ルティは少しだけ胸がちくりと痛んだ。




→第3幕へ続く



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