ベッドタウン

陋巷の一翁

 遠い山にある分譲住宅から混み合ったバスで長々と移送させられる人たちは皆、一様に疲れ果てていた。ここからさらに、満員の電車に乗って遙かな都心へと向かうのだ。人と押し合い、ぶつかり合い、互いに寿命を縮めながらだ。彼らは一様に肩をすくめ罰を受けているかのように歩く。いや、実際に罰を受けているのかもしれない。

 昔、日本で家を買うのが高かった頃。都会の若者は将来のためにこのあたりに長い長い住宅ローンで家を買い、その将来をどぶへと捨てた。住宅バブルがはじけ、家の価格が値下がりし、売るにも最早まとまったお金にならない郊外の小さな住宅をつかまされた若者たちはここでローンを払い続けながら老いて、いまだなお長い通勤時間で会社に向かう。

 彼らの子である若者はこの町を見捨てもっと狭くても一軒家でなくても東京に近い町に住み始めた。絞られたように狂った人口構成のこの町は雇用を生まず、パチンコとピンサロの町へと人の顔が老いで崩れていくように変貌した。

 そんな町に壊れた僕が住んでいる。壊れたのには僕なりに強弁したい理由があって、世に言うブラック企業で長期間残業を課せられて心も体も壊してしまったのだ。障害者年金二級。二ヶ月に一回、二十万弱の年金をもらう。けれどこの地方都市で細々と生きるにはこれで十分だった。さらに老いた父親の持ち家に暮らしているとなれば、もはや僕ごときの存在が国の福祉についてとやかく言うことなど何もなかった。

「希望さえ捨てれば、どこだって天国さ」

 父親は自宅で酒を傾けて酔うとそう語った。僕に向かって語っているようで、自分に言い聞かせているようでもあった。育てた息子も壊れながらも一応成長し守るべき妻を失っても、父は長々とバスに乗り、また長々と都心の会社へと電車で通った。まるで自分という堅い殻を守るかのようだった。

 そんな父が定年を目前にしてあっけなく死んだ。心臓発作だった。いまさら泣くなんてことはしなかったが、父の貯金でローンを完済し、また父の貯金で相続税を払った。それだけ蓄えをしていた父には感謝した。もしかしたら会社に通っていたのも一人壊れた心と体でこの世界に取り残される僕のためだったのかもしれない。そして、僕はだいぶ痛んだ小さな家を引き継いだ。父も母もとうに無く、小さな家は独り身の僕には広すぎるぐらいだった。

「……」

 僕も殻を持っているのかもしれない。その家を処分することなく、都会に出ることもなく今もここで暮らしている。めとるべき妻も育てるべき子もないままに。壊れた僕には未来は何もない。けれど父親と母親が夢を追い求めて暮らしたこの町と家をそれなりに愛しているのだろう。それかもしかしたら呪いかもしれない。

 今日もバスに乗ってこの寂れてゆく町の中心部に出る。移送されるごとに寿命が縮む思いがする。そしていろいろな会社から心ないお祈りをいただきながら障害者枠での就職先を求めハローワークに通う。この町に希望があるのなら、僕の本当の祈りは届くかもしれない。

 この生まれ育った町で安らかに住まうという、たった一つのささやかな祈りが。

 

 ここは都会のベッドタウン。東京を中心とした人工ドーナツの膨らんだ端っこ。

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