第26話 裁きの下る時
私の裁判が終わって三日。今日、裁判所では国民たちにこの度の国家反乱事変の判決を求める投票が行われている。私の幽閉されている塔からも裁判所は見える。朝から人々が行列を作っている。その中には郊外に住む水の民と火の民の姿も見えた。そう大きくないこの国全体が、今回の事変へ興味関心を持っている。
町に住む人々は、騎士として、町人として見知っていたアルブレヒト=テオドシウスの存在の是非。郊外に住む人々は、火の民として共に過ごしていたであろうあの青年の是非を。城仕えしていた者たちは、大臣の悪行の裁きを。皆それぞれの意志を示すために、裁判所に足を運んでいる。こんな事、国が興ってから初めての事態だろう。
田舎の静かな小国では、一人の者が持つ力はごく小さい。小さいが故、人々は大きな流れに逆らう事はしなかった。ただ只管に繰り返される日常を謳歌し、貪り、そして起伏の無い生を送って行く。それで良いと思っていた。それが自分の人生だと思っていた。
この国で生まれ、育ち、騎士になって、騎士としてこの国で死ぬ。そんな何処にでもあって埋没する人生を送ると思っていた。
竜神様は、そんなささやかな私の願いを聞き届けてはくれなかったようだ。私は、この国を離れる。死に場所を探しに往くなどとは言わない。けれど、たった十七年生きただけとは言え、故郷を離れるのはやはり物悲しい。既に家族も町を離れたと聞いたが、あの商魂逞しい父と兄がいれば、何処でだって彼らは生活出来るだろう。
三日間、看守の騎士たちが差し入れだと言って寄越してくれた葡萄酒や酒の肴をこっそりと溜め込んでいた。クッションの中綿を抜き取って袋の代わりにし、隠しておいたそれを手元に寄せる。ベッドに腰掛け、格子越しに塔の中を伺う。看守は一人。程なく交代の時間になる。塔の入り口で次の看守が戸を叩いて、此方から鍵を開けて交代するほんの一瞬ではあるが、看守の目がなくなる。
【契約】の力を使って、この塔から脱獄する。
出来れば武器の類も調達したかったけど、それは難しい。北に向かえば街がある。空を飛んで行けばそう時間はかからず辿り着けるだろう。食料は溜め込んだこれらで暫く繋ぐとして、衣服や武器を調達するお金を得るにはどうしたら良いだろうか。街に行くまでの道中で獣を狩って、持ち込めば良いか?それとも大きな街では毛皮屋などは加工品のみの取引しかしないだろうか。
小さな国から出た事の無い私は恐ろしく無知だ。剣の腕はあっても、商業の事はさっぱりだし、金稼ぎの仕方も知らない。
『今から大それた事を仕出かそうって言うのに、随分と楽しそうだねぇ』
『……楽しそう?そうか?』
『知らぬ事に頭を巡らせ、知恵を絞る。新しい事を始めようとする。ヒトはそう言う時いっち楽しそうやわ』
羨ましくは無いけれど、と言う割りに、フルーストリもどこかそわそわとして落ち着かないような気配を見せる。遊びに行く前の子供のようだ。
『皆には悪いけど、こうするのが一番良いんだ。彼らの元に、行こうか』
力を使って翼を得たら、魔法の力で窓の鉄格子を破壊して飛び立つ。ベッドに敷いてあるシーツと毛布も一緒に持って行きたいが、その一瞬で上手く剥がせるだろうか。服は怪我の後に簡素なシャツとズボンを着せられてそのままだ。夜を越すのに毛布は欲しい。頭の中で何度も予行練習してみるが、中々上手く行きそうに無い。さて、どうしようかなぁ。
そんな風に逡巡する内に、時間だけは無常にも過ぎ去っていく。もう少しで、看守の交代時間だ。町では昼の鐘が打ち鳴らされるだろう。
決意と緊張と、僅かな希望と興奮。短いながら生きてきたこの人生で、決まりを破った覚えすらない。禁忌の力を手にしたのだ。加えて犯す罪の重さなど今更大差ない。
大きく深呼吸したところで、昼の鐘を前に塔の扉を叩く音が響いた。
「ご苦労。少し良いだろうか」
面会だ、と言って訪れたのは、他でも無い騎士団長殿だった。しかもその後ろには警護分隊分隊長までいらっしゃる。
「席を外してくれ。彼と話がある」
敬礼をした看守が塔から出て行くと、騎士団長殿、警護分隊長殿、そして騎士の制服を着た一人の男が後に続いた。随分年を召した騎士で、その顔に見覚えがあった。それが誰であるか頭が理解した瞬間、心臓が跳ねると同時に私はベッドから飛び降りて片膝を着いて頭を下げた。
「こ、国王陛下……!」
南の小国を治める国王は、任命式の日と同じ柔和な面持ちで、鉄格子越しに私を見下ろしていた。何故陛下が此処に?今から脱獄を企てようとしていたと言うのに、私の頭の中は真っ白になってしまった。
「面を上げなさい、騎士テオドシウス。私は君に伝えなければいけない事が沢山あるのです」
言われて私はそおっと顔を上げた。鉄格子の向こうで、私に視線を合わせる為に陛下が膝を着かれた。なんて事だ!
「まず感謝を伝えたい。君のおかげで、私はこの国の深部を知る事が叶った」
「身に余るお言葉です……」
「そして、君に謝罪しよう」
謝罪?何故です?陛下が私に、何を謝るのだと言うのですか?
「君のような素晴らしい騎士一人、私は守る事が出来ないのだ。本当に、本当に申し訳ない」
項垂れ、顔を下げてしまわれた陛下に、なんと言えばいいのかなどわかるはずもない。
いや、待ってくれ。陛下は今なんとおっしゃった?
『坊や、どうしようかねぇ』
『……どうも、しようがない』
陛下は己の無力を嘆いておられる。騎士を守れないとおっしゃった。
私は言葉を失くし、陛下の後ろに控えていた騎士団長殿に助けの視線を送った。
「……アルブレヒトくん、君ならもう察しただろうが。国民投票の結果が大よそ半分出た。君の処遇は、国外追放、また極刑だ」
すぁっと頭から血が引いて、心臓が痛いほどに跳ね上がった。血液がどくどくと耳の奥で鳴っている。やはり、やはりそう言う結果になってしまったのか。ヒトの期待などは、恐怖の前に意味を成さない。きっと、などと言う淡い希望の思念は、畏怖と己の身の可愛さの前に簡単に瓦解する。
「私は、許されなかったのですね?」
私の言葉に、三人は押し黙った。
「民は思った以上に【契約】の力を畏怖し、排除したいと願っていたようだ。君の功績も、努力も不運も、皆認めようとしない」
本当にすまない、と騎士団長殿が絞り出すような声でおっしゃった。
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