第18話 戦いが終わった後に

 光の洪水が収まった王の寝室で、私は一人呆然と天井を仰いでいた。何が起こったのか、知覚したものを理解出来ずにいた。チカチカと網膜を焼いた光の奥で、笑った少年の顔が焼き付いている。あの男の力強さと同じ金色の瞳。モーリス、と呼ばれていた。あぁ良い名だな、と短く感嘆が零れ落ちた。


『ちょっと、いつまで惚けているつもり?』


 フルーストリの声が聞こえるが、気力で動いていた体はもうピクリとも動かなかった。あの男との対話は結局は叶わなかった。けれど、これからこの国は動く。それがあの男との対話に値する。


 程なく、私は雪崩れ込んで来た騎士団の団員たちに発見され、保護された。


「よく無事でいたな」


 心配そうに、けれど安心した顔の騎士団長殿に頭を撫でられて、その心地よさに私は不意に意識を手放した。




 目が覚めると城の医務室で横になっていた。その時すでに三日が経過したと医者に告げられた。


「常人なら三回は死んでいた。その体は恐ろしいが、重要参考人が死なずに済んだ事は感謝すべきだな」


 【契約者】としての驚異的な再生力で、内外に受けていた傷は医者が診るまでもなく治癒していったと言う。目覚めた翌日には病人食から通常の食事を口にする事が出来たし、翌々日には健康体そのものへと回復していた。


 激動する国内の様相を医務室から垣間見てた。そして体が回復した今、城の幽閉塔に隔離される事になった。とは言え、騎士団長殿が口を利いてくれたお陰か、石造りの牢屋には応急的にカーペットが引かれ、堅い板作りのベッドにはフカフカの毛布やクッションが置かれている。


「本当にすまない」


 私を此処に案内した騎士団長殿がそう言って頭を下げたのには驚いた。


「止めて下さい。意図しなかった事とは言え、禁忌の力に手を出してしまったのですから、こうして隔離される事は覚悟の上です」


 有無を言わさぬ極刑が下されないだけ私は救われている。


「君には沢山話を聞かなければいけない。もっとも、今は君より先に話を聞かねばならぬ連中がいるのでな」

「心中お察しします。どうか、無理だけはなされませんように」

「君のその真っ直ぐな所を、私は一番信頼しているよ。今度こそ、一緒に酒を飲もう」

「はい、喜んで」


 そう見送った騎士団長殿の背を頼もしく思い、聡明な判断をされた国王を誇りに思った。


 国の重鎮たる大臣たちが何人も捕縛され、城の地下にある牢屋で叫んでいると言う。地下の牢屋が一杯だから、と言う理由で此処に幽閉されたのは確かだが、私の【契約者】としての力が一度暴走しているのも確かで、もし万が一の事態を想定するなら、城の地下より塔の上階にあるこの幽閉牢の方が被害は小さくて済む。


 特別に持ち込む事を許された、契約について記された数少ない魔動書を読みながら、時折城の外で喧騒が上がるのを耳にした。一週間前に起きた城を覆う魔法陣の出現から此方、城下町に住む民たちには事の一切が伝わっていない。憶測が憶測を呼び、民の不安と緊張は限界に達しようとしている。


 城から響いた獣の咆哮を聞き不安を感じ、教会から飛び出した獣と化した私の姿も、多くの民が目撃して更に恐怖を感じていた事だろう。最初から私にもっと決断する力があれば良かったのに。


『坊やが気に病む事じゃあない。結局アタシも坊もあの大臣どもに使われちまっただけなんだ』

「……そう、だな。でも今はフルーストリ、貴方で良かったと思うよ。貴方を永らえさせる事が出来た事も、良い結果だと思う」

『坊やが殊勝な事を言うもんじゃないよ』

「こうして会話が出来て良かった」


 一人でこんな石牢にいたら、きっと気を違えていたかもしれない。


『滅多な事は言うもんじゃないよ』


 苦笑した声が頭の中に響き、外の喧騒を忘れさせてくれた。


「……君の中には、本当に誰かが居るんだな」


 牢屋の前に立って見張りをする騎士の一人が突然声をかけて来た。その表情は暗く、そこに宿っている物が畏怖と見て取れる。


「独り言を突然呟くから、驚いたよ」

「ああ、そうか。彼女の声は私にしか聞こえないのか……驚かせてしまって申し訳ない」


 言葉を出して会話していたが、気を付けなくては周囲の人を驚かせてしまう。小声で話せばいいのだろうか。


『別に頭の中で会話すれば良いだけの話よ、坊や』

『……そうか』

「君は、真面目で、優しいんだな」


 再び看守が口を開いた。その畏怖を湛えた顔の奥に、何処か切ないような光があった。


「……俺は白銀騎士団第一分隊に所属する者だ。五日前、交渉隊に私も同行して居たんだ。君の凛とした目が忘れられなくてな」


 災難だったな、と言った騎士の顔は、変わらず畏怖が張り付いていた。第一分隊に所属する者なら、私が通った後の城の中を、男と対峙したあのホールを見たのだろう。人知の及ばない者たちの壮絶な戦いの跡を見て、彼は恐れたに違いない。そしてその人知を超えた力を有した当人が目の前に居る。どれだけ穏やかに私が話をしようとも、その恐怖は拭えないだろう。


「団長殿を支えて下さい、第一分隊の先輩騎士様。これから国が変わり、多くの困難が待ち構えています。国王と、そして騎士団長殿を支えられるのは、貴方たち騎士しか居ません。例え謀略だったにしろ、禁忌の力を手にしてしまった私には相応の刑罰が下るでしょうし、騎士の名も国王にお返ししなくてはいけません。私に出来ない分の騎士としての務めを、どうか、お願いします」


 言った私は、真摯な眼差しを投げ掛けられただろうか。騎士としての心は、誇りは未だ失った訳ではない。私の騎士道は伝わったのだろうか。


「……どうして君みたいな騎士が」


 続きの言葉は聞こえなかった。看守の騎士は俯いたまま黙ってしまった。

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